突刺と両断
〜〜一年前。冬。演習場にて〜〜
銃火。銃声。発砲。射撃音。単なる弾丸の発射音に様々な言葉がつくのは何故なのだろうか。
確かに銃は種類ごとに異なる射撃音が出る。分類的に同じ小銃であろうと海外の銃と89小銃の銃声は違う。正しくそれを意味しているのだとは思う。
しかし、俺が思うにこれは受けて側の精神の状態も考えられるのではないか。
戦勝の祝砲。敗北者の慟哭。勝利の一射。惨敗者の足掻き。それらの感情が無機質な弾丸に込められて放たれる。だから異なると思えるのではないか。
では、今、俺の頭上に響く射撃音は何を意味しているのか。その意味はすぐに上官が教えてくれた。
「負けだな。ま、この訓練で勝った部隊は全自衛隊で一つも無いらしいから仕方ねぇな」
タケさんはそう言うと被っていたヘルメットを地面に置く。防弾チョッキの上に付けられている液晶パネルのモニターには死亡と表示されていた。
「南野班長の言う通りに一旦離脱すればまた違ったかもしれないですけどねぇ……」
由紀もヘルメットを地面に置く。モニターには同じように死亡の表示がされている。
「中隊長のアホが突撃を強要しましたからね。タケさんの指示通り一旦離脱して迂回して、側面から突破すれば良かったのに……」
背負った無線機からは引っ切り無しにクソ野郎の声が響く。俺はその無線が煩わしくなりそっと電源を切る。
結局の話、俺達の分隊は全滅した。
分隊長であるタケさんの指示通りに行動していれば結果は違ったのかもしれないが、生憎にも自衛隊は上官の命令に服従する義務がある。無能な中隊長の作戦通りに突撃する羽目となり俺達は戦車の機銃掃射で全滅した。
歩兵にとって戦車の恐ろしいところは強大な破壊力を持つ主砲の威力ではなく、はたまた頑強な装甲でもない。不整地を闊歩する走破能力と機銃だ。それらを前にしては、雪に足を取られて防弾の障害物も全く無い場所での戦闘は勝ち目は零だ。一も無い。
「まっ、善戦した方だろ。随行の歩兵は全員倒したしな」
不満気にも満足気にも見えるどっちつかずな顔でタケさんはタバコに火を点ける。吐き出された紫煙にイラつきが混じっている。
「あとは回収班の車に乗せてもらうだけっすね〜。いや〜、寒かったすわー。早くコーヒー飲みたいっすわー」
一人能天気な西野の頭を小突く。短い悲鳴をあげた西野に俺は悪態を吐いた。
「お前、せっかくLAMを持ってんだから一発戦車にかませばよかったじゃねえか?」
「無理っすよそんなん……あれ?」
西野はキョロキョロと俺の身体と自分の身体を交互に見やる。そして何やらニタニタと笑みを見せ俺を指差す。
「パイセン……まだ死亡して無いみたいっすよ?」
「何言ってんだよ……あら?」
西野のモニターには死亡の表示がされている。それに対して俺のモニターには軽症の表示がされていた。
「へぇ、面白いじゃねえかよ。なあ、日本一?」
タケさんが俺のことを日本一のあだ名で呼ぶときは決まって何か俺に対して考えているときだ。正直、今は良い予感がしない。
「チャンスだな。戦車倒しちまえよ。表彰もんだぜ?」
言われて俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。繰り返し言うが、自衛隊は上官の命令に服従する義務がある。
「さて、どうするかな?」
否定の言葉を口にすることは許されず、俺はただ西野の携行していたLAMを手に取った。
ーーーーー
一発の弾丸は狙い通りの軌跡を空間に残し、概ね予想通りの破壊を与える。蜘蛛に眉間があるかどうかは知らないが、人間で言えばその位置に弾丸は命中していた。
していた。そう、命中していたのだが堅牢な外殻を持つ蜘蛛は本来の89小銃の使用用途としては想定外の対象なのだ。対人火器の威力では文字通り擦り傷程度の損傷しか与えられない。
「やっぱ固いか。分かってはいたけどよ」
まるで人間が眠気を払いのけるように蜘蛛は当たった箇所を前足で擦る。
「でもまぁ……まずは第一目標達成だな」
足止めをするという目標は文字通り達成した。蜘蛛は逃げるルチア達から俺に標的を移し、その感情の読み取れない多眼で俺を値ぶみしている。美味そうな餌なのか。不味そうな餌なのか。少なくとも好敵手としては評価してないのだけは分かる。
「ったくよ。LAMがあっても無理だろこんなん。誰か機甲科か野戦特科を連れてこいよ」
対戦車を想定している火器でも手に余る敵だ。これを倒すにはそれこそ戦車そのモノを持ってくるか、相当する砲火力が必要だ。戦場の神ともいえる火砲が必要であるのだ。
蜘蛛は俺のことなど意に介していない様子で脚の毛並みを強靭な顎で舐めるように整えている。
餌を前に警戒する捕食者はいない。この巨体からすれば俺のことなど居酒屋のお通し程度にしか思っていないはずだ。食が進めば食べたことすら忘れてしまうほどのどうでもいい存在だと認識しているのだ。
その興味の無さそうな目に向けて、俺は撃った。今度は単発では無く、三点バーストの連射だ。矢よりも速く飛んでいく三発の曳光弾は僅かな軌道のブレを見せつつも先ほどと同じように弾丸は飛んでいく。弾丸はほぼ狙い通りに命中し、三発のうち一発は蜘蛛の眼に当たる。すると今度は弾かれずに蜘蛛の眼球は破裂した。
思いのほか透き通った液体が滴り落ち、床の上に小さな水のシミを作る。それを見て俺は心の中で拳を握る。
「よっしゃあ! やっぱり目はやわら……」
その言葉を最後まで口にする前に俺の身体は反応して動いた。咄嗟に身をかがめて横に飛び跳ね、前回りをするように受け身を取る。
俺が今の今そこにいた場所へ、蜘蛛の巨体が猛然と突進して前足を振り上げ叩き下ろし、床ごと大きく削る。大型の重機でも一回二回すくった程度では掘れないほどの大きな抉れが出現した。
(なんっちゅう威力だよ……当たったらマジで即死じゃねえかっ!)
大きいということはそれだけで強さに直結する。それを如実に語る光景に俺は身震い一つする。
眼を一つ潰されたことによりようやく蜘蛛は俺を獲物では無く敵として認識したのか、巨大な顎をガチガチと鳴らして威嚇してくる。無機質な眼に始めて感情が乗ったように見える。
「やってみろよ。こちとら勝算無しに戦うほどギャンブル中毒じゃねぇからよ」
圧倒的な力の差、種族の差、格の違いがあるにも関わらず俺が冷静なのはその勝算のおかげだ。頭に浮かんだ唯一の勝機があるからだ。
もっともそれは小さな針の穴に太いタコ糸をよじらず通すほど困難なモノである。目を閉じて平均台の上を全力疾走するほうがまだマシだと思えるほどのモノだ。
(勝負は一瞬……恐らく効くはずだ。こいつも生き物である以上、必ずアソコがある……)
冷静な頭とは裏腹に顔全体からはおびただしい汗が流れていく。蛇に睨まれた蛙という言葉も今なら理解できる。
突如、蜘蛛の前足が俺目掛けて飛んでくる。余計な言葉も感情も無いそれは、相手の息の根を止めるための行動理念しかない。
必殺の一撃をすんでのところで避けると俺は一気に前へと走る。この場において距離を取るという選択肢は悪手以外のなにものでもなく、むしろ懐に飛び込まなければ俺の身体など二撃目で容易く粉砕されてしまう。
だが、巨大蜘蛛もただで懐に入れるつもりはないのか、地団駄を踏むように大きく足をばたつかせる。人間の子供がやれば可愛いで済むが、この大きさの蜘蛛がやるとなると地響きが起こる。瓦礫が踏みつけられ、砂埃や石飛礫が俺の身体に飛んでくる。
「うわっ!? ペェッ、おえっ、砂が口に……」
思わず唾を吐き捨て嗚咽を漏らす。少量の砂が口に入った程度ならば俺もこの土壇場にそんな行動はとらないが、いかんせん、手のひら山盛りの量の砂や石ころが口に入ればさすがに怯んでしまう。
「クッソッ! 喰らっとけやァ!」
なんとか懐に入り、苦し紛れに上に向けて銃の引き金を引く。単発で射出された弾丸は巨大蜘蛛の腹部に命中し一瞬怯み、砂埃がまだ待っている空間に体液を垂らす。
「へへっ、やっぱり腹は柔らけえよな!」
生物の腹部というものは一部の例外を除いて往々にして柔らかい構造になっている。何故柔らかいなどの生物学的な根拠を俺は知らないが、今この場で大事なのはそんな机上の辞書の話ではなく、柔らかい箇所ならば銃撃が効くということだ。
だが、ソコが、ソコだけが俺の本当の狙いではない。俺の狙いは一つだけである。
窮地に追い込まれた生物が使用する手段。それは危機を乗り越えるための各々が持つ特殊な能力と言えよう。
ある生物は逃亡を。
ある生物は擬態を。
ある生物は猛毒を。
ある生物は勇気を。
そしてこの生物は。
そこから先の数瞬は全てがスローモーションに見えた。
俺が、銃を握り直し全力で走り出すのと。
蜘蛛が、腰を折り曲げ、腹の下にいる俺に向けて尻から糸を射出しようとするのと。
そして、89小銃が糸に塗れながらもその射出口に突き刺さるのと。
「なぁ……尻の穴は初めてかい?」
想定通りの動きに満足してそう呟き、俺は射撃機構を連射に合わせ引き金を目一杯引いた。
鳴り響く連射音。それだけが響いた。残弾を撃ちつくし静寂が場を支配する。そして支配したのは一瞬だけであった。
「ギギギィィィィッッッヅッ!!!」
射撃の激痛に力の限りのたうち回る巨大蜘蛛の勢いに俺は思わず逃げ出す。振り回す足に壁は抉られ、打ち付けた壁が半壊する。煙幕かと見誤るほどの砂埃が視界を埋める。
「はぁん! テメェのピロートークは断末魔ってか?」
蜘蛛糸を出す穴から直接銃弾を叩きこんだのだ。内臓を撃ち抜いているのと大差ないそれの威力は巨大蜘蛛の暴れっぷりからも判断できる。
「ギィガ! ギガガガガ、グギギッヅァ」
「……ちょっ、おまっ、暴れすぎじゃないか?」
予想外のダメージなのか巨大蜘蛛の暴れっぷりは凄まじい。それこそこの建物を壊さんとばかりの勢いだ。下手したら手を出さないでいたままのほうが被害が少ないのではないかと思えるほどにだ。
四方八方、縦横無尽に、地面を、壁を、その他を。暴れ続け周囲にあらかた壊せるモノが無くなった巨大蜘蛛の次なる目標が定まった。それは幸か不幸か俺ではなく、それでいてあまり好ましくない目標物であった。
「て、天井から逃げるつもりかよっ!?」
暴れまくるその姿は視線を上に定め、巨体故の生命力なのか信じられない速さで崩れかけた壁を登っていく。
その判断は本来想定しなければいけないモノであった。わざわざ敵の方向へ逃げる生き物などいない。どこぞの戦国時代の九州生まれの命知らずでなければ人間でもそんな行動はとらないのだ。
「ダメだダメだダメだ、そりゃ良くないっての!」
同じ逃げるにしてもこちらの都合というモノがある。本来の出入り口ならば良い。そちらからならばすでに逃げたルチア達を含め、周りの兵士や魔法使い達もいる。ルチアの手によって中の惨状は伝わっているはずなのでなんらかの手が打たれていると思われる。
不充分とはいえ迎撃態勢が整っているのと、そうでないとでは話が違ってくる。全く予想外の場から出てしまえばどうしてもこちらが後手に回る。後手に回ってしまえばそれだけ被害が出てしまう。その事態は何としてでも避けなければならない。
「クソッ!」
俺はすぐさま天へと逃げるその身体に銃の照準を合わせ、引き金を引く。しかし手に伝わるのはカチンっという金属音だけ。
それもそうだ。今回、俺は祭の場という理由で弾倉を二つしか持ってきていないのだ。それらはすでに撃ち尽くしている。
「ああ、もうっ! 俺はいつもこんなんだッ!」
己の不甲斐無さに腹が立つ。肝心なところで爪の甘さが出てしまう俺の精神性に。
自分を責めても意味は無い。そうこうしている間に蜘蛛は天井に近付き、その前足を空への障害に突き刺し、空の光を場内に注がせる。外の光がここまで憎らしく感じるのは初めての経験だ。
あれよあれよと言う間に前足で天井を突き崩し、ついにはその巨体を余裕で脱せられるほどの穴が開いてしまった。
「ギュウイアアァァァッッッ!!」
天井から崩れ落ちる瓦礫の音に合わせて叫ぶ蜘蛛の声はもはや負傷からのモノではなく勝利の雄叫びにも聞こえる。
「どうすれば……何か手を……ん?」
撃つ手がなく歯痒い思いをして見上げる俺の視線にチラリとあるモノが映る。
それは夕暮れに傾く陽の光に照らされ、オレンジ色の空に一本の軌跡を描き、こちらに近付いていた。
「グロリアス式槍斧術。剛雷ッ!」
慎ましく、それでいて力強い女性の聞こえ、それと同時に雷のような爆音が響く。咄嗟に両手で耳を塞ぎ、身を屈めて地面へと伏せた俺。
次に顔を上げると信じられない光景が文字通り広がっていた。
「ま、真っ二つ……?」
見上げるほどの巨体で、俺の視界全てを埋めていた蜘蛛の身体が綺麗に両断され真っ二つになっていたのだ。多眼を持つ頭から強靭な顎へ、一発撃ち込んだ腹からケツの穴に撃ち込んだ尻の部分まで、文字通りに真っ二つなのだ。
戸惑う俺が空を見上げると大きな飛龍が誇らしそうに見下ろしていた。そしてその背中に乗る槍斧を構えたリーファも誇らし過ぎる顔で俺を見下ろしていた。