【2話】秘密が増えた日常
奈々は突然の出来事に傷が癒えた自分の指を見たまま固まった。しばらくそのままでいたが、奈々はもう一度包丁を手に取った。
「本当に天使なら、もう一回傷を付けてもすぐに治るのかな……」
動揺したままなのか独り言が多い、ということにも気づかなかった。奈々は包丁を自分の指にあてる。
金属の冷たい感触が指から伝わる。少しだけ、と思っていてもやはり怖い。
「……ちょっと確認するだけ……。」
奈々はつぶやき目をつむった。ゆっくりと深呼吸をする
「えいっ!」
そして深呼吸をした後目を開き、包丁を握っている手に力を込めた。
「いつっ……!!」
奈々は覚悟していても抑えきれなかった声を出しながら、再び傷がつき血が出はじめた指をまじまじとみつめた。
すると間もなく再び光が奈々の指を包み、光が収まった時には指につけた切り傷は完全に治っていた。
「私……。本当に天使になっちゃってる……」
天使の研究は全くといっていいほど進んでいないため、どのようにして天使が誕生するかということも謎だった。奈々は自分の身をもって天使になることを体験したわけだ。そして奈々は天使という狩られる側の存在になった。昨日までごく普通の高校生だった奈々にとってはかなり重大な出来事だった。
奈々はとりあえず作りかけだった朝食を食べた後、インターネットやテレビを使って天使に関する情報を集めることにした。高校は今日から夏休みになるうえに、部活に入っていないため問題ないかもしれないが、今日は午後からスーパーマーケットに買い物しに行く予定なのだ。天使に関する情報をできるだけ集め、天使であることがばれない行動をとるしかない。
もし転んだ時はなんとか誤魔化せるかもしれないが、奈々が危惧しているのは翼のことだった。インターネットによると”翼がある女性”と書いてあるが、奈々の背中には翼がないのだ。どういう条件になれば翼が現れるのかということは、出かける前に知っておきたいことだった。
▽▽▽
その日の午後、
(転ばないように……。なるべく人どうりの少ない道を通って……)
奈々の住むマンションから最寄りのスーパーマーケットに行く道の途中に奈々の姿はあった。残念ながら情報はあまりのっていなくて、一番知りたかった翼の出現条件ものっていなかった。目立たないように努力をしようとすればするほど怪しまれると思った奈々は、普段どうりの服を着て普通に歩いているように見える。しかし内心は、天使であることがばれないか、とういう不安でいっぱいだった。
しかし、最初こそ不安だらけだった奈々だったが、時間が立つにつれ徐々に慣れていった。よく考えれば簡単なことで、毎日歩いているが歩けば転ぶというわけではないのである。奈々が転んだ記憶もかなり昔のことになっている。それがわかれば気持ちは一気に軽くなった。帰路につく頃にはほとんど天使であるという意識をしなくなっていた。あともう少しで何事もなく家に帰れるかと思われた時だった。
「ちょっと那美?……どうしたの?顔色悪いよ?」
奈々の少し前を歩いていた女性2人組の1人がもう1人に心配そうな声で話しかけているのが聞こえた。
「……大丈夫……。 少し……気分が悪いだけだから……」
「やっぱり具合悪いんじゃん。ねぇ、少し休もう……って、那美?那美!?」
那美と呼ばれていた女性が突然ふらりと倒れた。
もう1人の女性が大慌てで那美を日陰の歩道の端まで運んでいた。
「那美。救急車よんだから大丈夫だよ。がんばって。」
ここまでを見ていた奈々は純粋に、那美を助けたい、と思った。今であれば救うこともできるかもしれない。しかし、それは同時に天使狩に見つかる可能性もあるということだった。奈々がそのまま通りすぎてしまえば、やがて救急車が到着し那美を病院まで運んでいくであろう。重大な病気をかかえていないなら死ぬ可能性も低いと思われた。
奈々の助けたいと思う気持ちと、自分が危険になるかもしれないと警告する本能とが、奈々の頭の中でぶつかり合っていた。
「がんばって。もう少しの辛抱だよ。」
心配している女性のその声が聞こえたとき奈々は決心した。
奈々は周囲を見渡し人がいない、そして那美が見える路地に移動した。
{奈々はいつもおひとよしなんだから。}
母にことあるごとに言われた言葉が聞こえた気がした。
どうすればいいかは何故かわかっていた。那美をじっと見つめ片腕を那美の方向に伸ばす。
(元気になって!)
そう強く想った。すると奈々の体が白く輝きだした。それと同時に奈々は気づいていなかったが、しゃららん、という美しい鈴のような音をたて、奈々の背中に純白の翼が出現した。
奈々の周りの白い光は直接那美へとは向かわず、一度消えてから那美の近くで再び輝きだした。
「へ!?な、なに……?」
那美の近くで輝く光を見た女性の戸惑った声が聞こえた。
幸い、周りの人も那美のほうに気を取られており、奈々に気づく人はいないようだった。
光が消えた後の那美はまだぐったりしているものの、顔色は先ほどと比べてだいぶ良くなっていた。
「よかった……。」
奈々がそうつぶやいたときだった。
「あなた……天使ね?」
後ろから女性の声が聞こえた。
「ひっ!?」
突然後ろから声をかけられて驚いた奈々は勢いよく後ろを振り向いた。
奈々の後ろにいたのは若いロングヘアの女性だった。
「動かないほうがいいわよ。あなたが天使だということを知られたくなかったらね。」
驚愕と恐怖で動けない奈々は早鐘のように打つ自分の心臓の鼓動が聞こえた。