【1話】天使の能力
天気の良い朝の春の日差しの中を奈々は歩いていた。肩くらいまで伸びている髪の毛を春の風がそっと撫でていった。
「ママ、いってきまーす。」
奈々が歩く場所から数件前の家からピカピカのランドセルを背負って元気そうな男の子がでてきた。
「いってらっしゃい、車には気を付けるのよ。」
男の子の母親もドアの外まででてきて手を振っていた。
幸せそうな時間だった。
しばらく母親に手を振り返していたその子は満足したのか、くるりと逆のほうを向いて走っていく。
その子の前には信号のない小さな交差点があった。その子が交差点に飛びだした瞬間であった。
「っ!!」
甲高いブレーキ音を響かせながら横から走ってきた車がその子が立っている場所を通って行った。
あまりに現実離れした出来事に母親もしばらくその場でかたまっていたが、「拓海っ!」とわが子の名前を叫びながらその子、もとい拓海が轢かれた現場へ走っていった。
幸せな時間が一瞬にして悲劇の時間へと早変わりした親子の姿を見ていた奈々も、轢かれた現場へと向かった。
奈々が路地を曲がると早くも数人の人が集まっていた。円を描くようにむらがる人々の中心には、泣いている母親に頭から血を流し気絶して膝枕されている拓海の姿と、その親子の前で顔を真っ青にして何度も土下座を繰り返している男性がいた。
「きゅ、救急車だ!誰か救急車を呼んであげてくれ!」
「お、おう」
周りの集団の中の誰かが声をかけると、それに応じ誰かが携帯を取り出していた。
しばらくその光景を眺めていた奈々は、ゆっくりと親子に向かって歩いて行った。
奈々はそのまま親子の近くへ行き、怪訝そうにしている母親に向かって、
「大丈夫ですよ、まかせてください。」
と言い、微笑んだ。
奈々は手を伸ばし,やさしく拓海に触れた。そのまま奈々が目を閉じると奈々の体が白い光に包まれた。
その光は奈々の腕を伝って拓海の体に流れていく。やがて奈々と同じく拓海の体も光が包む、すると拓海の傷が徐々に癒えていった。
「えっ……!?」
母親が小さく声をあげた、周りの人の中からも息をのむ声が聞こえた。
拓海の傷が癒えるにつれて、光は少しずつ消えていった。
「一応応急処置はしました。ですが万が一のことがあるといけないので病院で検査をしてもらってください。」
光が消えた後奈々は目を開けて母親に言った。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
母親は何度も奈々に頭を下げた。
奈々はやさしく笑ってうなずいた。
やがて救急車が到着し、拓海と母親を乗せて病院へ行く。その傍らでは少し顔色のもどった車の運転手が警察から事情聴取を受けていた。
「助かってよかった。」
奈々は一人ででつぶやくとまた歩き出した。目の前からは明るい春の朝日がさしていた。明るい光の中を歩いて行く。徐々に奈々の視界は白くなっていく。徐々に地面の感覚も薄くなり、まるで宙に浮いてるかのような感覚になる。
「……ん……。」
自室のベットの上で奈々は小さく声を漏らして目を開けた。そのまま未練があるかのように布団にくるまる。しばらくそのままでいたが、一息に起きあがった。そして一人でつぶやいた
「夢かぁ……」
奈々は妙にはっきりと覚えている夢が少し気になったが、朝食の準備に取り掛かることにした。
奈々は高校2年生で一人暮らしである。元々は家族も住んでいたのだが、奈々の高校が決まった時に父親が転勤することになり、父親についていく形で母親と妹は引っ越した。もちろん奈々にも一緒に来ないかと誘われていたのだが、高校が気にいっていたことやアニメなどの影響で一人暮らしに憧れていたのもあり奈々はのこることにしたのだった。いまではすでに慣れて自炊なども自分でできるようになっていた。
奈々は慣れた手つきで野菜を切っている。ただ頭の中はまだ夢の出来事のことでいっぱいで手つきが非常に危なげだった。今にも指を切ってしまいそうである。
「痛っ……!」
やはりというべきか、包丁は奈々の人差指に向かっていき、ぎりぎりで我に返って包丁を止めようとしたのも間に合わず、指を切ってしまった。指を見ると切り口から徐々に血が出てきた。幸い傷はあまり深くないようだ。
奈々は絆創膏を取りに行こうとしたとき、
「……え!?」
突然傷口にありえない冷たさを感じ、驚いて傷口を見る。傷口の周りには白い光が耀いていた。奈々が驚愕に目を見開くのをよそに、その光は傷口にも広がっていき、ひときわ強く輝いたかと思うと徐々に消えていった。傷は消えていた。奈々はしばらく傷があっというまに治った指を見つめていた。こんなこと普通の人間なら不可能である。そう、普通であれば、というからには普通ではない人間もいるわけで、奈々も噂で耳にしたことがあった。傷を瞬時に治癒することができる、そのような能力を持つものは、
「天使……の能力!?……私は、天使になっちゃったの?……」
奈々は呆然とつぶやいた。
天使、それは人間のように生きていると言われている別種である。
容姿は人間と同じだといわれている。人間と同じ姿をしているために見分ける方法が少なく、外見で見分けがつくのは天使が能力を使っている時だけだといわれている。天使の体を調べてみたいから出て来てくれ、などと言っても実際に出てくるようなお人よしというわけでもないので、情報は噂程度のものでしかなかった。ただ、天使を目撃した人の中で共通しているのが、翼がある女性に傷を治してもらった、という情報であるため、天使は人間にはない能力を持っている可能性が高いといわれている。その能力には傷を治す効果から,
”完全治癒能力”
という名がつけられた。そして、その能力を聞いて色めきだったのが医療関係者だった。その能力を研究して使えるようになれば医療がかなり進歩すると予想されたからである。ただ、自分の身の安全も満足に保証できない研究に協力してくれる天使はいなかった。そのうちに、医療関係者の興味も徐々に薄れてしまい、天使の研究はあまりに大きすぎる壁に当たって止まったかのように見えた。しかし、医療関係者の中でも決して研究を諦めないと決断している人もいた。その人たちは徐々に集まり、一つのチームを作った。
完全治癒能力研究・開発チーム
天使に協力してもらい完全治癒能力を人工的に作ろうとする、というのが目的だった。チームが発表された当初はテレビや新聞などで取り上げられ一時注目を上げた。しかし、現時点で天使に協力してもらうということが実現不可能だと言われていたため、一部の人々からは余計なことにお金を使う変人と言われていた。
注目を集めたのもほんのわずかの時間だけであり、成果もまったくだせなかったためいつしか忘れられていってしまった。人に忘れられ、まったく成果も上げられていなかったチームは焦り始めたのか、
「我々が天使が持つといわれている完全治癒能力の開発に成功すれば、これまでは治療不可能といわれてきた病気も完治させることができるようになるでしょう。それどころか、不慮の事故などで失ってしまった四肢を治すこともできるようになるはずです。皆さんが協力してくださればその未来も実現できます。そのような未来を実現できるよう、人々に隠れている天使の方を説得してください。お願いします!」
と、テレビで頭を下げたこともあった。しかし、天使にとっては幸運なことに、人々にとっては低確率の事故や病気のことよりも日々の仕事や勉学のほうが重要視され関心をもたれることは少なかった。そのことに腹を立てたのか、ついに、
天使捕獲作戦
という、禍々しい名前の作戦が発表され、テレビなどで再び注目を集めることになった。
具体的な内容は、一般人が天使の居場所、容姿、などをチームに報告すると報酬金がもらえ、さらに捕獲していた場合はさらに多くの報酬がもらえるというものだった。
天使の人権をまったくといっていいほど考えていない作戦内容に、人々が反対しないわけがなかった。
「天使の人自体の人権は考えていますか?」
という取材班の問いに対して、
「天使を捕まえても殺すわけではありません、研究が終わり次第釈放するつもりでいます。さらに言うと、天使は天使です。人は翼を持たず、治癒する能力も持ってない、天使は人とは別の生き物です。あなた方は水族館や動物園にいる動物を見て、捕まっているからかわいそうなどと思いますか?思わないでしょう?それは何故でしょうか?無意識に人とは別の生き物であると思っているからではないですか?天使は人と同じ容姿をしていますが、まどわされてはいけません。天使だって人とは違う生き物なのですよ。なら人権は関係ないことですよね?」
などという理論を繰り広げた時には一般人からもひかれてしまい、いつしか”天使狩り”という笑えない呼び称が付いた。