告げ口心臓
本当なのです!
……神経過敏なので御座います……とても、とても恐ろしい神経症を患っておったのです。エェ、今だってそうなのです。なのに、どうして、貴方様は私の気が狂ってるだなんて仰ろうとするんですか? この病気のせいで、私の五感は磨ぎに研ぎ澄まされてしまったので御座います……ハイ、壊れてしまったのではありません……鈍重になったわけでもありません。エェ、とりわけ聴覚が鋭くなったので御座います。天国の声や此の世の全ての事柄が聞こえてきて、地獄の多くも耳にしました。アァ、それなのにどうして……どうして狂ってると仰るのです? よくよくお聞き下さいまし! 私がどれだけ健全に……どれほど落ち着いて、貴方様に事の顛末をお話し出来るかを、しっかりと見極めていて下さい。
さて、あのような考えが、初めにどういう具合で私の頭の中に舞い込んで来たのか。そう云われましても、それをお話しするのは無理というもので御座います。けれど、一度あのことが頭の中に浮かびますと、それは昼も夜も私に付き纏って離れないのです。ですが、それでも、動機なんていうのは全く分からないので御座います。癇癪を起こしたわけでもありません。それどころか、私はお爺さんのことが大好きだったのです。あの人に打たれたことなんて一度だってありませんし、私に嫌味の一つも言ったことは無かったのですから。エ? お金目当てだなんて……そんなこと、思ったことも御座いません。……ハイ、そうですね、全ての発端はあの人の『眼』だったのだと思います。アァ、そう、そうです、あの『瞳』のせいなので御座います! 禿鷲のようなあの冷酷な眼が……青褪めて霞がかったあの瞳のせいなのです。その眼を見ると決まって、私の全身の血液がヒンヤリと冷たくなっていったのです。エェ、それから徐々に……気づかぬほどユックリと……『何とかして、あの眼の呪縛から逃れなければ……お爺さんの生命を奪い取ってしまわなければ……』と、そんな心持ちになっていったので御座います。
さて、今の処はこれが大事なことなので御座います。貴方様は私が気狂いだと、そう思い込んでおりますね。狂人ならば考えることなど何もしませんよ。ハァ、それにしても貴方様が、あの時のことを御覧になってらっしゃればよかったのですが。エェ、私がどれほど賢明に……周到なる用心をして……出来る限りの慎重さで以て……出来る限りの隠蔽を謀りながら……どのようにして事に臨んだのか……それを貴方様がしっかりと見ていて下さればよかったのに!
お爺さんを殺す前のまるまる一週間……あの頃以外にあの人に優しくしたことは有りませんでしたよ。私は毎晩、深夜の時分になるとあの人の部屋の扉の閂を外して、その扉を開けてあげていたんです……アァ、なんて親切なんでしょうか! そして、頭が一つ入るのに十分なくらい扉を開けますと、真っ暗な龕灯を部屋の中に差し入れたのです。エェ、一筋の光も漏れ出さないようにすっぽり覆いに覆った龕灯で御座います。そうして部屋の中へ、自分の頭部を突き込んだので御座います。アァ、私がどれだけ抜け目の無いようにして頭を押し込んだのか、それを想像されて貴方様はお笑いになっているのですね! そうですとも、私は頭をゆっくりと……トテモ、とてもユックリと頭を動かしたのです。勿論、お爺さんの眠りの邪魔をするわけにはいきませんでしたから。扉の隙間に頭を入れて、ベッドの上で横になっているお爺さんの姿が見えるようになるまでに一時間も掛かかりましたよ。アハッ……狂人がこんな恐ろしく賢いことをしますかね? ハイ、そして頭
が上手い具合に部屋の中に入りますと、私は慎重に龕灯の覆いを取り去ったのです。……そう、とても慎重に……慎重に(何しろ蝶番の部分が軋み易く、下手をすれば音が出てしまいますから)……そうして龕灯の覆いを慎重に外しますと、ちょうど一筋の淡い光が、あの禿鷲のような目を照らすので御座います。
七日に渡る長い夜の間……それも毎晩、ちょうど真夜中に……私はこのようなことをやっていたのですよ。毎晩そんなことをしていると或る事実に気付きまして、実は、お爺さんのアノ眼は毎夜しっかりと閉じられたままだったのです。私を悩み苦しめていたのはお爺さんそのものなんかじゃ無く、あの人の禍々しい眼だったのですから、どうしても『仕事』に取り掛かる気にはなれませんでした。閉じられた眼を前にしては事を起こすに起こせなかったので御座います。
それから夜が明けると、私は毎朝、大胆にもその寝室に入って行き、勇気を振り絞ってお爺さんに話し掛けていたのです。それも真心の籠った声であの人の名前を呼び、『昨夜はいかがお過ごしでしたが』なんて尋ねるのですよ。毎晩、自分が寝入っている間……それもキッカリ十二時に……私があの人をじっと見つめているというのに。もし、その気配に感づいて色々と怪しみ、疑い出すような御方なら、あの人は並外れた思考の持ち主ということになるのでしょうけど……それについては貴方様もよく御承知のことだと思います。
さて、八日目の夜になると私はいつも以上の慎重さで、寝室の扉を開いていたので御座います。何しろ懐中時計の長い針の方が、私よりズッと速く動いておりましたから。私の能力……エェ、自分が恐ろしく聡明であると痛感したのはあの夜が最初で最後のことだったでしょう。勝利の気持ちを抑え付けることなど、私にはとても出来るものではありませんでした。私はすっかり気分を良くして笑っていたので御座います。私が部屋の前に居て毎晩少しづつ扉を開けているのに感付くことも無く、私の秘めたる思いや行動を夢に見ることも無い……そんなお爺さんのことを思えば自然と笑いが込み上げて来たのです。するとおそらく、その笑い声を耳にしたのでしょう……まるで驚きを隠せないかのように、お爺さんは突然ベッドの上でモゾモゾと寝返りを打ち始めたので御座います。
さて、おそらく貴方様は今、その場から退き下がる私の姿を想像しているのでしょう。……しかし、残念ながらそれは間違いに御座います。あの真ッ暗闇の中では、開いてる扉に気付くことなんてお爺さんには出来なかったのですから。実を言うと、あの部屋は深い夜闇のせいで瀝青のように真ッ黒でして(なにせお爺さんは強盗を恐れて鎧戸を全てぴっちりと閉めておりましたから)、それを私はちゃんと理解していたのですよ。ですから、シッカリと、しっかりと扉を押し続けて前に歩みを進めていたので御座います。
そして私は部屋に頭を入れつつ、龕灯の覆いを全て取り去らんとしておりました。ですがブリキ製の留め具に手を掛けたときです……軋み易い金具の上で、私の親指はスルリと滑ってしまったのです。すると、お爺さんがベッドから跳び起きて「誰じゃ、そこに居るのは!」と大声で叫んだので御座います。
私はジッと声を押し殺しておりました。一言も漏らすことなく、一時間ずっと身動ぎさえせずにジッとしていたので御座います。それでも、お爺さんの寝息などは少しも聞こえてこなかったのです。きっとあの人は耳を欹てながら、寝台の上で息を殺し、ジッと目を見開いていたのでしょう……エェ、ちょうど私が毎夜毎夜そうしていたように……カチカチと死を刻む壁中の死番虫の音に、ジッと耳を傾けていたので御座います。
やがて弱々しい唸り声が聞こえて参りました。きっとそれが避け難き死が生み出す恐怖心だったのですよ。心痛や悲嘆から零れる苦悶の声では御座いません……エェ、違いますとも! ……恐怖が心に満ちるとき、必ず、魂の奥底から立ち昇って来る……あの息が辛くなるような重苦しい声音で御座います。それは、とても聞き覚えのある音で御座いました。幾夜も、真夜中の真ッ只中、物皆全てが寝静まる頃、いつもその音が私の胸の奥から湧き上がっておりました。その酷く恐ろしげに木霊する音が、心苦しい恐怖や怯えを、底知れぬ深い淀みに変えていったので御座います。
私はそのことを十二分に理解しておりました。ですから、そのときお爺さんが何を思っていたかなんて手に取るように解りましたし……心の底ではクスクスと笑っておりましたが、あの人を憐れんでいたので御座います。初めに私が小さな笑い声を洩らして、あの人が寝返りを打ちましたね。あの時からずっと、あの人はずっと目を見開いて横になっていたのです。左様なことも私はもちろん知っておりました。お爺さんの恐怖というものは、その時からずっとあの人の中で大きく育っていったので御座います。それを気のせいだと思い込もうとしたのですが、その願いが叶うことは決してありませんでした。お爺さんはこんな風にして自分自身にずっと言い聞かせておりました。『煙突に吹き込むただの風じゃ、そうでなければ床を奔り回る鼠に過ぎぬ」や『孤独に鳴くただの蟋蟀虫に決まっておる』とね。エェ、こんな思い込みで以てあの人はご自分を慰めようとしていたのです。ですが結局、それは全て無駄なことだったのです。エェ、お爺さんは気付いてしまったのですね。言うならば、死が黒い影を纏いながらお爺さんの下に忍び寄り、姿を見せたかと思えば、そのまま贄をまるまると呑み込んでしまったので御座います。瞳に映らぬ暗い影が、あの人に悲愴しき第六感を与えたもうたのです。見えないはずなのに、聞こえないはずなのに、迫り来る死の影があの人に教えてしまったのです……エェ、寝室に潜む他人の首頭に、とうとう気付いてしまったので御座いますよ。
それでも辛抱に辛抱を重ね、お爺さんが寝静まるのを私は唯々待っておりました。ですが、微かな寝息すら聞こえてこなかったのです。ですから、龕灯の覆いをホンの少しだけ取り払い……とても小さく、とても細い灯りで以て、この真ッ暗な視界を照らしてやろうと思い立ったので御座います。しかし光を灯したとき目にしたのはお爺さんの顔でも身体でもありませんでした。エェ、まるで本能がそうさせたかのように、私はシッカリとあの忌々しい一点にだけ真ッ直ぐ光を当てていたので御座います。
アァ……そういえば、貴方様は私のことを気狂いだと申しておりましたね。あれは五感が少し鋭くなり過ぎただけで御座いますと、そういう風にご説明したはずですが……エェ、それならいいんですが……ハイ、ならば続きをお話しましょう。そのとき、低くてハッキリとしない、それでいて気忙しい音が私の耳に飛び込んで来たので御座います。そう、まるで真綿の奥深くで針を刻む時計のような音……聞き覚えのあるその響き……あれこそが、お爺さんの、脈を刻む心臓の音だったのです。耳に残るその音が、私の怒りをますます大きく膨らますのです……さながら戦場を盛り上げる軍楽太鼓が、兵士の心を熱く昂ぶらせ奮い立たせるような……そういう具合で御座いました。
それでもまだ、私はズッと、ジッと我慢を続けておったのです。ジッと静寂を守っていたので御座います。思えば、息もほとんどしておりませんでした。そして、龕灯を動かさないようにして、その灯を途切れさすことなく、延々とアノ瞳に当て続けられないか……と、ずっと四苦八苦していたので御座います。その間にも、あのトクントクンと打ち鳴らす地獄の鼓動はさらにさらに強くなっていくのです。一回脈打つ毎に、拍動はますます速く、ますます大きくなっていきました。エェ、その時、丁度、お爺さんの恐怖も極限に達していたに違いありません! 脈動はさらに大きく、アァ……そうで御座いますとも、一瞬一瞬毎に大きく鳴り響くので御座います!
ちょっと、真面目に聞いて頂けますか! 先程から申しておりますように、私は神経過敏だったのです。異常なまでに神経が研ぎ澄まされていたので御座いますよ。
……さて、その夜も死の刻がやって参りました。古びた家屋の、恐ろしい静けさの真ッ只中で御座います。先程から申し上げているように、あの酷く奇怪な音のせいで、不快極まりない恐怖心が私の胸中に生まれたので御座います。けれどもしばらくの間は、その恐怖心を抑え付け、ジッと息を押し殺しながら、ジッと堪え忍んでおったのです。なのに、お爺さんの鼓動は、また更に更に大きくなるので御座います! 心臓が破裂したのでは、とも思いましたが……それよりも、また別の恐ろしさが私を襲ったので御座います……アァ、隣家の人がその音を聞いているのではないか、という恐怖に御座います!
この瞬間、まさに死の刻が訪れたのです。エェ、お爺さんが死ぬ刻がやって来たのですよ! 私は大きな声で叫び、龕灯の覆いをサッと取り去って、そのまま寝室に飛び込みました。ですが、あの人の悲鳴は一度だけ……エェ、一度だけで御座います。直ぐ様、私はお爺さんを床に引き摺り落とし、重々しい寝台を手元に引き寄せました。そして、それであの人を押し潰したのです。
……漸く事が済んだのだ、と気付きますと、私の喉から陽気な笑い声が零れ始めたので御座います。
ですが、それでも暫らくの間、お爺さんの心臓は微かな音で鼓動し続けていたのです。しかしマァ、私を当惑させるほどものでは御座いませんでした。何しろ、それは壁越しでは聞こえぬほど微かな音でしたし……結局、その脈動もいつしか途絶えておりましたから。
エェ、お爺さんは死んだのです。私はベッドを退けて死体を調べました。……アァ、そこには石のように固くなったお爺さんの亡骸が。私は暫らくの間、その胸元に手を置き続けましたが、その心臓が再び脈打つことなど御座いませんでした。ハイ、あの人は石になって死んだので御座います。あの人のアノ眼が、私を苦しめることなど、もう二度と無いので御座いますよ。
もし、狂人だとまだ疑っておいでなら、私がどのように死体を隠したのかをお教えしましょうか。エェ、私の賢明でいて慎重な行動についてお話しすれば、きっと貴方様も思い直して呉れることでしょう。
……そうですね、あの夜は月の欠けた夜でありました。性急を心掛けてはおりましたが、それでも静かに事を運んだので御座います。まず初めに死体をバラバラに切り刻みました。頭も、腕も、脚も、みんな切り落として差し上げたのです。それから、寝室の床板を三枚ほど剥がしまして、バラバラにしたあの人の身体を皆、角材の小さな隙間に仕舞い込んで上げました。そして、何もオカシな点など無いように……もちろんお爺さんの眼でさえも見抜けぬよう、酷く巧妙に、酷く狡賢く、私はその分厚い床板を元通りに嵌め直したので御座います。実際に、その床を貴方様が御覧になっても、何も洗い出せはしませんよ。どれほど小さな染みも……ただ一滴の血痕すらもありませんから。この事については異常なまでに注意を払っておりましてね、血も、何もかも皆、ちゃんと風呂桶が受け止めて呉れたんです……アハッ、アハハッ!
こんな風に仕事を終えてみれば、時計の針がちょうど四時を指しておりました。まだ真夜中のように真ッ暗でしたが、刻を告げる時計の鐘が鳴り響く……ちょうどそのときで御座いました……通りに面した扉が音を立てたのです! 誰かが叩打でもしているのでしょう。ですが、その頃の私はとても明るい心持ちで階段を降り、玄関を開けて差し上げたのです……エェ、もはや、恐れることなど何も無いという風に……。
扉を開けると、三人の男の人が立っておりました。その人達はとても上品な口振りで、自分のことを警察の人間だと仰ったのです。隣家の人が真夜中の悲鳴を聞きつけたそうで……何か犯罪の臭いを嗅ぎ取ったのでしょう……その知らせが警察の下にに届きますと、その方々はそれが事件か否か調べるよう命じられ、此処に馳せ参じたという次第で御座います。
唯々、私は笑っておりました……だって何を怖がるというのです? 歓迎の言葉で以て紳士な警察の方々を家に上げ、こうお話しして上げました……『ハイ、その悲鳴は、私が寝呆けて叫んだモノで御座います』とね。そして『今、その御老人は田舎に出掛けてらっしゃるそうですから、生憎、此処には居りませんよ』と付け加えて上げました。そのまま私は家の隅々まで来客の方々をご案内いたしまして、家中を捜査してもらうよう、その人たちにお願いしたのです……エェ、『よくよくお調べ下さりますように』と、お願いしたので御座います。
そう、そしてとうとう、私はその人たちをお爺さんの寝室に連れて行ったので御座います。勿論、あの人のお金が厳重に保管されていて、それが少しも荒らされていないことを、その両の眼でチャンと確かめさせたのです。その頃になると、自信というモノが胸の内で次第に熱を帯び始めまして、私は何処かから椅子を持って来るなり『お疲れでしょうからココに腰掛けてお休み下さいな』と警察の方々にお薦めしたたので御座います。勿論、私も腰を下ろしましたが、完全犯罪を成し遂げた、という満足心が狂気じみた大胆さを生み出したのでしょうね……エェ、床下では被害者の死体が眠っている……丁度その真上に、私は腰を下ろしていたので御座います。
私の堂々とした立ち振舞いが警察の方々を納得させたのでしょうか、皆さん満足そうな顔をして椅子に腰を下ろして呉れました。とても気が楽になりましたとも。私が陽気に受け答えをしている間も、仲間同士で何か軽いお喋りをなさっていたようで御座います。
ですがその時、私の頭が急に疼き出したので御座います。そして、耳の中で何かが鳴り響くような感じがして参りました。やがて、顔がみるみると青褪め始め、私は警察の方々が早くお帰り下さるのを心の底から祈り始めたので御座います。ですが、あの人たちはまだ腰を落ち着けたまま、談笑を続けているじゃありませんか。
すると、耳の奥に響くその音は徐々にハッキリとその輪郭を現し始めました。鳴り続ける音、音、音が、ますますハッキリと私の耳の中で鳴り響くのです。この感覚を掻き消そうと、私はモット色々なことを、警察の人たちにモット沢山お話ししたのです。ですが音は未だ鳴り続け、その上、明瞭さを更に増していくので御座います。
……そのときになって、漸く気が付きました。その音は、私の耳の中から鳴り響いていたのでは無いのです。
もう疑いようの無いほどに、私の顔は酷く真ッ青になっておりました。……しかし、私はますます流暢に喋っていましたし、声も高らかに響いていたので御座います。ですが依然として音は強くなるばかり……アァ、私に何が出来るというのでしょうか? そうです、それは低くて、よく判らない、気忙しい音だったのです……真綿に包まれた時計が時を刻むような、まさにそんな音だったので御座います。
私は苦しそうに息を荒げていましたが、それでもまだ警察の耳にはその音が届いていないのです。私の口は、もっともっと速く言葉を紡ぎ出しました……私の喉は、モットモット激しく言葉を絞り出したのです。ですが、音は段々と強くなっていくばかりで御座います。椅子から立ち上がり、身振り手振りを交えつつ興奮した甲高い声で、酷く詰まらぬことも論じましたが、それでも音はシッカリと大きくなっていくので御座います。
この人たちは、どうして帰ってくれないので御座いましょう? 私はゆっくりとした歩みで、重い足取りで、床の上を歩き回りました。警察の捜査のせいで私が怒り出したと、あの人たちは思ったことでしょう。ですが……それでも音はどんどん強さを増していくので御座います。
アァ……神様、私に何が出来るというのですか!? 私は怒り狂い……怒鳴り散らし始めました……罵声も怒声も上げました! 私は椅子を頭上に振り翳し、あの床板の上へグイグイと押し付けたのです。床板はキィキィと音を立てて軋んでおりましたが、あの音が止むことはありませんでした。イェ、それどころか、あちこちからあの音が鳴り始めるではありませんか。それに呼応するように、音は以前にも増して大きく強くなっていくので御座います。さらに大きく……ますます大きく……モットモット大きくなっていくのです!
なのに、あの人たちはまだ楽しそうにお喋りをして、笑っておられる。あの音はあの人たちには聞こえないのでしょうか? 全知全能なる神様、そうなのですか?!
――イイエ、違います、違いますとも! ――あの人たちにもチャンと聞こえているのです! ――あの人たちは、私のことをまだ疑っておいでなのです! ――あの人たちは、もう全て御存知なのですよ! ――怯える私を嘲笑いモノにするつもりなので御座います!
――こういう風に考えておりました。そして今もそうなので御座います。
ですが、この激しい苦痛に比べれば、どんなこともマシに思えてくるじゃありませんか! この嘲笑に比べたら、どんなことだって我慢できますとも! あの形だけの笑顔には、もう耐えられなかったのです! 悲鳴を上げるか、それとも死ぬか……それしか無かったので御座います……そして、今だってそうなのです!
……アァ、またです……また聞こえて参りました! ……サァ、よく耳を澄まして下さいまし! 大きくなっていきます! 更に大きくなりますよ! モットモット大きくなるのです! それは、もう、トテモ、トテモ、大きくなっていくのです――!
「意地の悪い人たちだ!」
――私の叫び声が木霊します。
「しらばっくれないで下さいまし! 私がやったのですよ! ……ホラ、其処の床板を破り抜いて下さいまし……エェ、其処です、此処で御座います! ……此処で脈を刻んでいるのが、あの老爺の、忌々しい『心臓』で御座います!」
原著:「The Tell-Tale Heart」(1843)
原著者:Edgar Alln Poe (1809-1849)
(E. A. Poeの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)
翻訳者:着地した鶏