序章 第4節
(ここは…… どこだ?)
章太郎の胸中に浮かんだのは先ずそれだった。
今、彼を囲む景色は全てが見慣れぬものばかりであった…… が何処かとても懐かしく感じさせた。
目の前にそびえる立派な純和風の屋敷、そして屋敷の前に広がる立派な庭園を見るとなぜか心が締め付けられるような気がした。
(何故だ…… 何故俺はこんなにも……)
涙が出そうになっているのか? いや、あるいはもうすでに出ているのか?
章太郎は自分の目元を確認しようと腕を動かそうとするのだが…… 動かない。
(何が起きたんだ?)
自身に起きた異常を探るために四肢に力を入れるがビクともしない…… それどころか自身の意思とは別に体が動き出したのだ。
(夢……か?)
章太郎は漸くこれが夢だと思い当たる。
(だとしたらやけにリアルだな……)
彼がそう思うのも無理は無い。
身体こそ自由には動かないが、草木の匂いや日光の暖かさ…… 風が運ぶ心地良さやジャリジャリと玉砂利を踏みしめている感覚が生きているのだ。
まさに身体の主と感覚だけを共有している状態なのである。
(……まるで幽霊になったみたいだな)
そんなことを考えていると身体の主は何かを見つけたように駆け出す。
(どうやら子供っぽいな)
章太郎は走り方や自分の目線の低さ、また時折みえる手や足の大きさから身体の主がまだ小さな子供だと推測する。
しかし、走り方がおぼつか無い。
いつ転んでもおかしくないぐらいに不安定な走り方なのだ。
(あ、転んだ)
どうやら痛覚は共有していないようで痛みは感じないのだが、視覚の情報だけで主が転んだ事が理解できた。
(こりゃ、泣いてんな)
いつまで経っても自分の目が地面を写している事から、主が転んでぐずついているのが章太郎の目に浮かんだ。
(ん~これが俺の身体じゃなきゃ、さっさと起こしてあやす事が出来るんだがな……)
彼がそう思っていると……
(お?)
一瞬の浮遊感の後、足が地面に立っているのがわかった。
(誰かに起こしてもらったか)
主の服の汚れを落とすように優しくはたくその手を見て理解する。
章太郎はその手に目を留めた…… 女性の手だ。
彼女の手が振られるたびに甘く何処か懐かしい香りがした。
主も手の主に興味が湧いたのか視線を上に向けた。
するとそこには……
(やっべ…… 超美人だ)
紺色の袴と藤色の着物という大正時代の女学生のようないでたちの女性がいたのだ。
服の彩色こそ地味であるが……… 関係なかった。
鴉の濡羽のような髪は柔らかく一つに束ねられ肩に流されており、優しく主を見る黒の瞳や薄い紅を塗った唇艶々としているのが目に取れる。
完璧なる日本美人―― それが彼女だろう。
(うお、馬鹿! もっと見させろ!!)
主が突然視線を外したのだ。
彼女に見とれていた章太郎は大人気なく主に怒るのだが…… 次の主の行動に歓喜する事になる。
パフ
顔に柔らかいものが当たる…… 主はそのままスリスリと顔を動かす。
(こっこりはましゃか!?)
そう主は太ももに顔を突っ込んでいたのだ。
主にとっては甘える行動でも感覚を共有している章太郎にとっては…… 未知の体験だった。
(いっいや!? 待てこれは違うぞ俺がやってんじゃないんだぞ!? しかし、感じる柔らかさは現実のもの? 違う! 落ち着け! リアルでこんな事あるわけない!? そうだありえないんだ!! じゃぁなんで柔らかいんだアアアアアア!!?)
年齢=彼女いない暦…… 悲しい事に章太郎はこの図式に当てはまる男だった。
章太郎が一人混乱している中、主は満足したのか離れるとまた和風美人の顔を見上げる。
(お……終ったか?)
疲労困憊した章太郎も見上げると彼女が懐から何かを取り出しているものを見て何か気がつく
(あれは…… )
彼女が取り出したのは章太郎にとって見覚えのあるものだった。
首に掛けれる程の紐がついた藍色の小さな巾着。
そのまま彼女が主の首に掛けようとしたのを見ると
章太郎の意識は靄がかかったように白んでいったのだった。
………
………
………
「なんちゅー夢じゃ」
開口一番、目が覚めるて呟くと同時に彼は目元に指先を這わす―― 微かに湿っていた。
(やっぱ泣いてたか)
指先に視線を向けながらそんなことを思う。
夢なんて今まで何度も見ているが、目が覚めれば大概忘れている。しかし、さっきまで見ていた夢は章太郎が目を覚ました後もはっきりと記憶に残っていた。
(俺のガキの頃の記憶なのか?)
彼には血の繋がった親族はいない。
物心ついた頃には施設に預けられており幼少期はそれを酷くコンプレックスに感じていた時期もあったが、血の繋がりよりも濃い家族を持った今となってはそれもほぼ感じなくなってはいたが……
(そーいやあの巾着って)
最後に出てきた良く知る巾着を思い出し自分の胸元…… 正しくは首に掛けられたそれを見る。
何度も変えた紐や所々ほつれてはいるが夢で見たものと同じ巾着がそこにあった。
章太郎はおもむろに巾着の口を開くとそこに指を入れ中にあるものを取り出す。
それはただの丸くて青い石…… それこそ何の変哲も無いそこら辺にあるビー玉と言ってしまえばそれにしか見えないだろう。
だが、章太郎にとってはただの石と思えなかった…… じゃなければ10年以上も大事に身に着けてはいない。
(まっ、なんで大事なのか自分でも解らないんだけどな)
朝日を蒼く反射するそれを掌の上で転がし、暫くして巾着に戻すと今度は深く溜息をついた。
「そんなおセンチな性格じゃないのは自分で知ってるはずなんだがな……」
一人呟く。
覚えてない子供の頃の記憶を思い出し干渉に浸る―― そんな自分に苦笑しながら傍らに置いてあったペットボトルのぬるい水を飲み、煙草をくわえ火をつける。
(勇馬の厨二病にあてられちまったか?)
そんなことを思いながらゆらゆらと彷徨う紫煙を呆と眺めていた――
………
………
………
騒ぎ始めた蝉の声や、熱を帯び始めた朝の日差しを感じさせない空間がそこにはあった。
ここは、園宮家の裏にある道場である。
外に比べればまだ比較的涼しい道場では、いま道着姿の一人の少年が剣を振っていた。
受け流し、切り返す。
流れるような足運びから突き崩す。
素振りなどの基本的な動きでなく、実戦に近い動きをしている。
しかし、少年に対峙している相手はいない…… だが少年の剣はまるで誰かがそこにいるかのように振るわれていた。
ダン
踏み込みで床を鳴らすと少年の剣が胴を薙いだ形で止まる。
手から流れ出た汗が木刀を伝い道場の床を濡らし…… 少年は息を吐いた。
「朝から精が出るな」
少年とは違う男の声が道場に響く―― 章太郎である。
「兄さん、おはよう」
少年―― 勇馬は章太郎の姿を確認すると袂を直すとそのまま彼に向き直る。
「おう、おはよう」そういうと章太郎は神前に一礼し道場に足を踏み入れた。
「どうだった?」
おもむろに章太郎が勇馬に聞いた。
「無理無理、今日も負けたよ…… あ~父さんに勝てるようになるのも何時になるんだろう」
「まぁそうだろうな…… 毎度毎度思うけど、よくもまぁ想像だけでそこまで動けるな?おまけに自分と立ち会った時の動きじゃなくて先生が俺とやったときの動きだろ」
「う~ん…… ひとえに集中かな? 集中して目の前に相手を作って父さんの動きと速さをトレースしてるだけなんだけどね」
「それがどれだけ難しいか解ってないだろ…… 」
章太郎が呆れながら言うと「ははは……」と勇馬は笑って答えた。
「流石に限界はあるけどね…… 俺が相手のときは父さんはあくまで稽古だったし、父さんが本気っぽい動きしたのは俺が知る限り兄さんの時だけだったしね」
「問答無用にボコボコにされたけどな」
苦笑いしながら章太郎は勇馬の父、英馬と立ち会った時の事を思い出す。
章太郎が拳で英馬が剣という得物の差があったが、そんなことは関係なかった。
(俺が一発入れようと前に進むといつの間にか後ろにいるんだもんなぁ)
世の中には上がいると思い知らされたときでもあった。
章太郎の武器は人のカテゴリーから大きく外れた打たれ強さと膂力である。それこそ、木刀で打ち据えられたぐらいではどうにもならないのだが。
あの時の英馬の一撃一撃が身体の芯まで響いていたのを今でも覚えている。
園宮英馬…… 職業は教師と言いながら自分の家の裏に道場を持ち、その腕前も人間の域を超えているという男であった。
(別に流派とか構えているわけじゃないんだけどね…… じゃあなんでそんなに強いのかって? いつか教えてあげるよ)
英馬が生前そんなことを言っていたが…… 結局、真相は解らずじまいであった。
(事故に巻き込まれてだもんな……)
家族で出かけていた時に自動車事故に巻き込まれたらしく英馬と美月は亡くなった。
勇馬と安寿は軽傷ですんだというのが不幸中の幸いと言える。
(先生…… 美月さん…… 二人は元気でいますよ?)
章太郎は天国の二人に語りかけるのであった………
クラッシュ!! 完
「じゃねぇよ! 始まったばっかじゃ!!」
「……どうしたのいきなり?」
いきなり大声を上げた章太郎に首をかしげる勇馬。
「いや…… なんでもない。まぁあれだな、あえて言うとしたら昨日のお前の厨二に当てられたと言っておこう」
「だからあれは厨二じゃなくて! ……お!?」
反論しようとした勇馬に章太郎は頭からタオルを被せてそれを防いだ。
「もうそろそろあっこを起こすから、お前もさっさとシャワー浴びてこいメシにすんぞ」
同時に章太郎はスポーツドリンクを投げ渡し、それを受け取った勇馬は……
「……はーい」
不承不承といった風に声を返すのであった。
………
………
………
園宮家の朝食は基本、勇馬が作る。
朝が早い勇馬が朝食を作り、夜は仕事で遅くならない限り安寿を迎えに行った章太郎が作る事になっていた。
食事当番が決まっているわけではないがこのローテーションで周っていた。
昼は平日なら安寿は給食、章太郎と勇馬は適当に済ませると言った感じである。
しかし、今日は土曜日…… 剣道部で出かけた勇馬以外の休日の二人は昼食を準備しなければならない。
(さて昼はどうしようか?)
掃除機を掛けていた手を止めて章太郎はふと考える。
時計を見るともうそろそろどうするか考える時間帯である。
「おーい、あっこ」
「なーにー?」
「昼飯どうする?」
部屋で大人しく絵本を読んでいた安寿に章太郎は尋ねた。
安寿は「ん~」と可愛らしく考えるとふと閃いた様に
「おべんとう!」
と答えるのであった。
「弁当?」
「うん!おべんとうもっておそとでたべるの!!」
「ピクニックか……」
外は晴天…… 天気予報でも今日、明日は晴れと言っていたのを思い出す。
日射病にさえ気をつければ絶好のピクニック日和だといえるだろう。
「よし! 今日はピクニックデートと洒落込もうぜ!」
「わーい! 章太郎ちゃんとデートだああ!!」
顔を輝かせながら喜ぶ安寿、対して章太郎は……
(かッ悲しくなんかないもん!)
デートに誘えるのが安寿しかいない現実を確認しちょっぴり切なくなっていた。
………
………
………
「戸締りオッケー?」
「おっけー!!」
戸締りを確認し、作った弁当と水筒を持って二人は外に出る。
「んじゃ、ちょっと待ってろよバイク出すから……」
そういうとズラッと並んだ中から、カプセルを一つを取り出し指紋承認してから投げる。
すると、今まで何も無かった所に大きいサイドカーが付いたごついバイクが現われた。
(いつ見ても不思議だな……)
ここ数年で普及し始めたカプセルをまじまじと見ながらそう思う章太郎―― 勿論、その原理を彼が理解している筈もない。
(まぁ場所はとらんし便利だからいいんだけどな)
その他に常に貴重品を身に着ける防犯性もこの製品の売りなのだが…… この男のカプセルには関係ない。
何故かというと…… 章太郎が持つこれ、欠陥品なのである。
収納が出来ても収納した物の重量はそのままであるという普通なら使えたものではないのだ……… 誰にも運べないのだからある意味究極の防犯なのであるが。
(まぁ貰いもんだから仕方ないけどな…… 重量はあまり気にならないし、普通のより頑丈だし………)
とあるトラブルに巻き込まれた時にタダで手に入れた事、欠陥が欠陥にならなかったため章太郎はお気に入りにしていた。
そして、お気に入りと言えばこのバイクである。
このバイクは章太郎が『法的に免許が取れない頃から』愛用していたバイクである。
その上昔一緒にヤンチャをしていたバイク屋や職人達と共に改造に改造を加えており、どんな悪路だって走破できる化け物バイクに仕上がったのだ。
化け物と言われる由縁はそれだけでない。
現在の主流である太陽光を燃料にする光エンジンのほかに…… 今となっては珍しいガソリンエンジンを搭載しているのだ。 今ではバイク愛好者の中でも物好き位しか積まないというガソリンエンジン…… 章太郎もその物好きの一人だったのだ。
(ガソリンの匂いがたまんねぇ)
というのが本人の談…… けしてシンナー中毒者ではないと言うのをここに記しておこう。
そしてダブルエンジンを搭載した結果…… グリップに付けられたボタンを押すことによってバイクの限界を吹っ飛ばしたパワーが出るのである。
もちろん、車体も本人もそれに耐え切れると言う…… 持ち主共々化け物と言っても差し支えないだろう。
勿論、本日のピクニックでは光エンジンのみを使った普通の運転である。
(まぁ、ここ数年調整のみで全然使ってないんだけどな)
……それだけ彼が丸くなったということだろう。
網膜承認からスターターを入れエンジンを温める―― すると安寿は手馴れた様子でサイドカーに乗り込み子供用のシートベルトをしていた。
頭には「安寿」と小さく記されたピンクシルバーのヘルメットを被り、今か今かと待っていた。
その姿に笑みを浮かべて章太郎はバイクに跨り。
「そんじゃ、出発しますか?」
「しゅっぱ~つ!」
アスファルトで舗装された道を走るのであった。
………
………
………
「章太郎ちゃんあっちいこ、あっち!」
「わかった、わかった」
今二人は街から少し離れた運動公園まで足を伸ばしていた。
安寿は久しぶりの章太郎とのお出かけにはしゃいでいるのか、先程からずっとこの調子である。
「! ここにしよ!? おべんとたべるの!」
安寿が示したのは大きな木で木陰ができた所だった。
他にも、ビニールシートを敷いている家族らしき人たちが数組いたが…… そこに新しく入っても問題ないだろう。
「よし、んじゃビニールシート敷くの手伝えよ」
「らじゃー!」
章太郎は近くにいる人たちに軽く頭を下げると作業に入る。
草むらにビニールシートに敷いてまったりしていた人たちは、小さな少女に手を引かれる厳ついサングラスの男という図に一瞬驚くが、少女がとても楽しそうにしているのを見てにこやかに二人の様子を見つめている。
先程から二人を見てそのような反応をする人達ばかりである。
まぁ二人を見ていると『やんちゃな娘と大好きなお父さん』という図式がそのまま当てはまるのだから当然だろう。
シートを敷くと章太郎があぐらをかく。
すると安寿は……
「へへ~ あたしのせきはここ!!」
章太郎のまたぐらに入るように座るのだった。
行き成り座る安寿に一瞬驚きながらも、すぐ笑いながら章太郎は、
「おぉ座れ座れ」
と言うのだった。
「ねえねえ、きょうのおべんとうは?」
二人分というにはかなり大きい弁当箱を見ながら待ちきれないという風に安寿は章太郎に聞く。
園宮家の食事は基本激盛りである。
安寿はともかく男二人―― 勇馬と章太郎がとにかく食べるのだ。
食べる、とにかく食べる。
前の話だが食べ放題の店で二人が限界に挑戦したところ……
「もう勘弁してください」
と店長が頭を下げたのだから想像はしやすいだろう。
そんな章太郎が作った弁当なのだ……… 勿論――
「ハッハー! 激盛りサンドイッチセットだぜこのやろー!!」
から揚げにポテトサラダ等のおかずや、彩り鮮やかなサンドイッチが弁当箱の中に詰められていた。
「んでデザートが…… あっこの好きな杏仁豆腐じゃい!」
そういいながら章太郎はタッパーに移し変え保冷材で冷やしていた杏仁豆腐を安寿に見せる。
元々昼食のデザートにする予定だったのだろう、手作りにしては完成度の高い杏仁豆腐は涼しげな魅力に溢れていた。
「きゃー」
悲鳴を上げるように喜びを表す安寿。
「それじゃ……」
「「いただきます!!」」
二人でそういうと濡れタオルで手を拭き、章太郎は早速サンドイッチに手を伸ばす―― が安寿は動かない。
それどころか、章太郎の顔と手に持たれたサンドイッチを交互に見た後にっこり笑って、「あーん」と口を開けてまっている。
その意図に気付いた章太郎は少し照れくさそうにしながら、その小さな口にサンドイッチを運ぶのであった……
………
………
………
弁当を平らげ、食後の運動という事で遊んだ後休憩といったように二人はまったりとしていた。
「時間だな」
少し傾いた太陽を見て章太郎はシートの片付けを行おうと立ち上がるが。
(ん?)
何かが自分の服を引っ張っているのを感じた…… 勿論、安寿である。
服の裾を引っ張る安寿はスヤスヤと眠りの世界に旅立っていた。
それを見た章太郎はやれやれと言った風にすると、安寿を片手で抱き上げながら器用に片手でシートを畳む。
そのままシートを脇に挟み、片手には荷物を持ち片手には安寿を抱いたまま帰路に着く。
「重く…… なったな」
ふと言葉が漏れる。
章太郎がとある理由で園宮家にお世話になったのは、中学二年から高校卒業までの4年間である。
安寿が産まれたのは三年目の時、章太郎が高校二年の時だった。
産後の美月から生まれたばかりの安寿を抱かせてもらったのを章太郎は今でも覚えている…… それどころかその場で涙を流してしまったのも今では良い思い出である。
美月の家事の手伝いの他に安寿の面倒を見ていたのも思い出す。
華や竪琴、茶道の指導をしていた美月は多忙な時がたまにあり、その時は章太郎が安寿の相手をしていたのだ。
やれ、ミルクをこれだけ飲んだ――
やれ、泣き止まない――
やれ、オシメってどこ!?――
等その日の食卓で話の種が尽きる事がなかった。
大変だったが、それだけ充実していたと言えるだろう。
そして、高校卒業と同時に章太郎は家を出た。
英馬と美月―― 勇馬からは引き止められたが働けるようになったのだから何時までもお世話になるわけにはいけない…… そう考えたのだ。
英馬から紹介された建築会社…… 現在お世話になっている社長の会社でアルバイトをしながら貯金を溜めて一年……… 章太郎の耳に信じられない話が飛び込んだ。
英馬と美月が亡くなったと………
恩人たちの訃報を聞いて急いで家に戻って見れば、そこには黙ってジッと耐える勇馬と父母が亡くなった事にいまだ気付かない安寿―― そして――
見たこともない『自称親戚』の大人たちだった。
勇馬達そっちのけで遺産の話をしている『自称親戚』にブチキレタ章太郎は一人残らず家の外に叩き出し
「こいつらは俺が面倒を見る…… 手前らは去ねやぁ!!」
と叫んだのであった。
勿論、この後一悶着あったのだが…… 英馬と美月の友人達の助力と章太郎10代最後の補導によって何とか納まったのだった。
(色んな事があったなぁ)
二人の面倒を見させて欲しいと土下座をしたこともあった――
勇馬とぶつかりあったこともあった――
安寿の教育に苛立ったこともあった――
…… 夢を諦めて就職もした――
これもすべて、恩に報いるため……
(違うな)
最初はそうだったのかもしれない…… でも今は違う、自分が二人と一緒に居たいのだ。
毎日、勇馬と馬鹿をして――
毎日、安寿と遊んで――
毎日、メシを食うたびに家族が笑っている――
平凡だけど最高の生活。
章太郎にとって幸せは二人の事を指しているのだ。
「んぅ…… 章太郎ちゃん」
耳元で安寿が小さく寝言をこぼす……
(可愛い奴)
安寿を起こさないように抱き直しながらふと考える。
安寿は可愛い…… おまけに美男、美女といえる二人を父母に持つのだ成長したらとんでもない事になるだろう。
きっと男子にとって生物兵器に等しい美人になるのは確定だろう。
そしていつかは…… ふと考える。
「章太郎ちゃん…… 今までお世話になりました」
三つ指をつく安寿が見える。
「左…… 右…… ふふ、落ち着いてね?」
きっと先生の変わりに俺がヴァージンロードの父親役をやるんだろうな。
そして、前で待つ新郎の前に立ちウェディングドレスを身に纏った安寿の手を渡す………
前に一発殴る
いや、一発じゃ許さないサングラスと同じ幅の涙を流しながら章太郎は新郎に馬乗りになって一発一発と続けて拳を落とす……
「アカン…… 血まみれウェディングとか、ホラーを通り越してギャグだろ……」
新郎をレッツパーリィィィィ!!! し始めた妄想を消す様に頭を振る章太郎。
(まぁ…… とにかくだ)
「安寿を嫁に貰う奴は最低でも勇馬と俺を倒してもらわないとな」とそんな事を考えながら道を急ぐのだった……
………
………
………
「お兄ちゃんおそいねぇ……」
「……そうだな」
八時を回った時計を見ながら安寿と章太郎は言う。
勇馬が帰ってこないのだ。
夕食も食べずに待っていても電話すらかかってくる様子がない。
真面目な勇馬は遅くなるなら電話はきちんと入れる男である。
何かに巻き込まれたといっても勇馬の腕前なら大抵の事切り抜けられるはずなのだ。
(少し様子を見に…… ん、メール?)
「はーしーれー 光速のー」と歌う携帯を手に取り内容を確かめる。
勇馬だった。
『ごめん、もう着く』
簡潔に今帰る事を伝えていた…… というより簡潔すぎる。
(ん~ なんか切羽詰ってる感じがするな………)
メールの様子に何かいやな予感を感じていると……
「たっ、ただいま~」
妙に疲れた勇馬の声が玄関から響いてきた。
「おう、遅かった―― へ?」
その様子を確かめようとした章太郎が間の抜けた声を出す。
「お兄ちゃん…… そのひとだれ?」
「いやぁ~ その~ ハハハ……」
安寿が勇馬の抱きかかえる―― 世間一般的お姫様抱っこする『女性』について聞くが勇馬の歯切れは悪い……
美人…… 美人である、しかし―― 薄桃色がかかった踝まであるような銀髪…… 服は髪と同じような色の着物―― 所々動きやすそうに改造を加えたものを身に着けていた。
ここまででも、何かおかしいというのに極めつけに………
(角?)
耳があるだろう場所が髪に隠されそこから角らしきものがニョキと生えていたのだ。
(なんだこれ…… 形はDBの願いを叶える龍と似ているけど?)
まじまじと見ていると女性とバッチリ目が合う。
驚くほどに白い肌と…… 蒼い瞳だった。
その瞳の美しさに章太郎は狼狽するしかし、女性は声を絞り出そうと………
ぐぎゅるー
辺りに響く間抜けな音。
発生源は章太郎ではない。
視線を安寿、勇馬に移すがそれぞれ自分ではないと首に振ったりして反応を返す。
そして、最後に女性に視線を移す……… と女性は
「すっ…… すまないが」
一旦言葉を切り、顔を真っ赤にさせて言い難そうに
「食事を頂けないだろうか?」
というのであった。