第27話「変わったこと、変わらないこと」
# 第27話「変わったこと、変わらないこと」
スキル成長の報告を受けてから、三日が過ぎた。
神代悠斗は、いつもより少し早く目を覚ました。
窓の外から聞こえてくるのは、新東京第三居住区の朝を告げる交通案内の音声と、遠くを走る魔石動力車の低い駆動音。築八十年を超える集合住宅の一室は、今日も変わらず狭く、台所からは母の美咲が朝食を準備する音が聞こえてくる。
「悠斗、起きてるなら食器を出してくれる?」
「了解」
返事をして、悠斗は布団から起き上がった。
机の上には、二冊のノートが並んでいる。
一冊は授業や訓練の記録をまとめたもの。もう一冊は、自分のスキル《採集士》に関する変化を記録するためのものだ。
昨日の夜も、悠斗は二冊目を開いていた。
スキル成長の通知を聞いてから、自分の中で何かが変わったような気がする。
以前なら、目の前の植物を見ても、食用になるのか、薬の材料になるのか、売り物になるのか――そうした情報を知るためには、教科書や資料を思い出し、ひとつずつ確かめる必要があった。
今も、その必要がなくなったわけではない。
ただ、観察を始めたときに、どこを見ればよいのかが以前より少しだけ分かりやすくなった。
葉の形。
茎の傷。
根元の湿り気。
周囲に生えている植物。
それぞれの情報が、頭の中で以前より整理しやすい。
けれど、それだけだ。
知らない植物の名前が突然浮かんでくるわけでもなければ、売却価格が見えるわけでもない。
ましてや、危険な素材を手に取った瞬間に警告が聞こえるわけでもない。
「……結局、地道に調べるしかないんだよな」
悠斗はノートに一行を書き加えた。
『変化した可能性:観察対象の確認項目を整理しやすい』
その下に、続けて書く。
『変わっていないこと:知識がなければ判断できない。確認を省略すると間違える可能性がある』
最後に、少し考えてから、もう一行。
『今までどおり、分からないことは分からないと書く』
書き終えると、悠斗はノートを閉じた。
「まずは金だな」
小さくつぶやいてから、首を横に振る。
「……いや、今日はその前に訓練か」
朝食の匂いに引かれるように、悠斗は部屋を出た。
いつもの朝。いつもの家族。いつもの家計。
スキルが成長したからといって、家賃が安くなるわけではない。
それでも、昨日までより少しだけ先へ進めるのなら、その一歩を無駄にするつもりはなかった。
*
第三探索者育成学園の実習室には、六人がそろっていた。
「おはよう」
月城美鈴が、いつもどおり落ち着いた声で挨拶する。
「おはようございます。今日は比較記録の続きですね」
白石凛は、手元の資料から顔を上げた。
「そうそう。成長したって言われても、何が変わったのか分からなきゃ、使いようがないもんね」
東雲紅葉が、机の上に訓練用の小さな魔石灯を置く。
「それを確かめるために、先生が昨日から準備していたんだろう」
桐谷健吾は、訓練用具の入った箱を机の端へ寄せた。
「準備はできてる。記録用紙も六人分ある」
九条レオンが、人数分の用紙を配った。
悠斗は受け取りながら、五人の顔を順番に見た。
通知を聞く前と、何かが劇的に変わったわけではない。
美鈴は相変わらず姿勢がよく、健吾は誰よりも先に周囲の安全を確認している。紅葉は気になるものを見つけるとすぐ試したがり、凛は資料を読み込むことに夢中になる。レオンは口数が少ないまま、全員の動きを静かに観察していた。
けれど、以前とは少し違う。
六人とも、自分の得意分野だけでなく、ほかの仲間が何を見ているのかにも目を向けるようになっていた。
それは、スキル成長の通知がきっかけだったのかもしれない。
あるいは、それ以前から積み重ねてきた訓練の結果なのかもしれない。
どちらにしても、悠斗には悪い変化には思えなかった。
「全員そろったな」
実習室の扉が開き、鬼塚蓮司が入ってきた。
赤鬼先生は、六人の机に置かれたノートを見渡す。
「今日は、お前たちが感じた変化と、変わっていない部分を比較する。先に言っておくが、成長を証明するための試験じゃない。成長したと聞いたからといって、無理に成果を出そうとするなよ」
「はい」
六人の返事が重なる。
「通知の内容は記録してあるな?」
「はい。聞こえた内容と、聞こえた状況を別々に書きました」
凛が答える。
「よし。では、その通知をいったん脇へ置け。今日見るのは、実際の行動だ。以前より正確になったか。見落としが減ったか。判断を急がなくなったか。反対に、まだ苦手なところはどこか。そういう部分を確かめる」
鬼塚は訓練用の植物標本を並べた。
どれも学園が管理する実習用の標本で、危険性のないものばかりだ。名前が分かっているものもあれば、特徴が似ていて見分けにくいものもある。
「今日は、名前を当てることが目的じゃない。特徴を整理して、何が分かり、何が分からないのかを説明する。分からないものを無理に正解へ持っていこうとしたら減点だ」
「分からないことを正直に書けばいいんですね」
健吾が確認する。
「そうだ。探索者に必要なのは、何でも知っているふりをすることじゃない。知らないことを把握して、どう確認するかを考えることだ」
鬼塚の言葉に、悠斗はうなずいた。
それは、この数日間で何度もノートに書いたことだった。
ただし、書いて覚えることと、実際にできることは別だ。
今日の訓練で、それを確かめることになる。
*
最初の課題は、三種類の植物標本を比較することだった。
悠斗は一つ目の標本を手元へ引き寄せた。
細長い葉。葉の縁には細かな凹凸があり、茎の表面には薄い斑点がある。
以前の自分なら、まず教科書で見た植物の形を思い出そうとしていただろう。
今は違う。
葉の形と茎の斑点を確認したあと、悠斗は根元の状態に目を向けた。標本なので根の一部は残されているが、採取時に傷んだ箇所がある。さらに、乾燥の程度にも違いがあった。
どれも、素材を見分けるための手掛かりになる。
そう考えると、頭の中で確認する順番が自然にまとまっていく。
「葉の形、茎の模様、根の状態……それから傷み具合か」
悠斗は独り言のようにつぶやき、用紙に記録した。
次の標本へ移る。
似た形の葉だが、茎の斑点は少ない。根元には乾燥によると思われる変色が見られた。ただし、乾燥が原因なのか、もともとの特徴なのかは、この標本だけでは断定できない。
悠斗は、そこに線を引いた。
『変色あり。原因は不明。乾燥との関係は未確認』
以前よりも、見るべき項目を思いつきやすい。
その感覚は確かにある。
しかし、確認項目を増やせば、正解へ近づけるとは限らない。知識が足りなければ、見つけた特徴をどう解釈すればいいのか分からないままだ。
「神代、進み具合はどうだ?」
鬼塚に尋ねられ、悠斗は用紙を見せた。
「確認する順番は前より決めやすいです。ただ、二つ目の標本の変色が、乾燥によるものかは分かりません」
「それでいい。原因を知っているふりをするより、未確認だと判断できたほうがいい」
鬼塚は用紙に目を通し、短くうなずいた。
「前回の記録と比べると、特徴と状態を分けて書けているな。だが、これだけでスキルの成長によるものだとは言い切れない。記録を続けてみろ」
「はい」
悠斗は返事をして、次の標本へ取りかかった。
その隣では、美鈴が標本を正面だけでなく、横からも確認していた。
「この葉、形は似ているけど、茎の付け根の角度が少し違う」
「本当だ。正面から見ただけだと分かりにくいね」
紅葉が身を乗り出す。
「光の当たり方でも、葉の色が違って見える。角度を変えて確認したほうがよさそう」
「なら、見る角度を変えたことも記録しておこう」
凛がすぐに書き留めた。
レオンは三人のやり取りを聞きながら、標本を置いた台の位置を少し変えていた。
「台の端に近いものは、影が落ちている。見えにくい部分を見落とす原因になるかもしれない」
「なるほど。置き方も条件に入るわけか」
健吾はうなずき、標本を並べる間隔を広げた。
誰かが気づいたことを、別の誰かが確認する。
それだけのことだった。
けれど、六人が集まって訓練を始めたころには、こうしたやり取りはまだ少なかった。自分の課題をこなすだけで精いっぱいで、ほかの人間が何を見ているのかまで気にする余裕がなかったからだ。
今は違う。
美鈴が気づいた角度の違いを、紅葉が光の条件と結びつける。レオンが置き方の問題を指摘し、健吾が実際に見やすい配置へ直す。凛がその過程を記録し、悠斗が素材の特徴と状態を分けて整理する。
六人それぞれの得意分野が、少しずつつながっていた。
鬼塚は何も言わず、その様子を見守っていた。
*
次の課題は、採集を想定した模擬訓練だった。
実習室から、学園が管理する屋外訓練区画へ移動する。そこには、採集対象に似せた訓練用の植物や、足場を確認するための岩場、見通しの悪い植え込みなどが配置されていた。
実際のダンジョンではない。
魔物との遭遇も想定されていない。
それでも、採集の手順や安全確認を練習するには十分な環境だった。
「今回の目的は、対象を見つけて、採集できるかどうかを判断することだ。採集できるものを見つけた数で競うわけじゃない」
鬼塚は訓練区画を指さした。
「対象に似ていても、根元が確認できないものは無理に採るな。足場が悪ければ、先に安全を確保する。判断に迷ったら報告する。前回までの訓練で学んだことを、実際の動きに反映させろ」
六人は小さくうなずいた。
「それじゃ、いつもの役割で確認していこう」
健吾の提案に、全員が同意する。
まず、美鈴が周囲を確認しながら進行方向を見定めた。剣を振るうための空間だけでなく、全員が通れる幅や足場にも目を向けている。
健吾は後方から全員の動きを確認し、足元の不安定な場所を見つけるたびに声をかけた。
紅葉は植物の色や形を確かめ、光の当たり方によって判断が変わらないかを確認する。
凛は、採集対象としての特徴と、状態を判断するための特徴を分けて記録していた。
レオンは植え込みの陰や通路の先を確認し、見落としやすい場所を仲間へ伝えていく。
悠斗は、見つけた植物の特徴を整理し、採集に必要な情報がそろっているかを考えた。
最初に見つけた対象は、葉の形こそ資料にあるものと似ていたが、根元が岩の隙間に入り込んでいた。
「根の状態が見えない。今の位置からだと、採集できるか判断できないな」
悠斗が報告する。
「周囲の岩を動かせば確認できるかもしれないけど、無理に動かす必要はないね」
美鈴が足元を確認した。
「岩を動かしたときに、下の土が崩れる可能性もある。今は別の対象を探そう」
健吾が判断を補う。
「記録には、根元が見えないため採集を見送った、と書いておくね」
凛が記録用紙を開いた。
悠斗は一瞬、植物をもう少し詳しく見たいと思った。
以前よりも特徴を整理しやすくなったのだから、何か新しいことが分かるかもしれない。
けれど、それは採集を続ける理由にはならない。
「了解。次へ行こう」
自分からそう言えたことに、悠斗は小さな手応えを感じた。
スキルの成長が関係しているのかどうかは分からない。
だが、以前よりも確認すべきことを意識できている。そして、仲間が見つけた危険や疑問を、自分の判断に取り入れられるようになっていた。
少し先で、紅葉が手を挙げた。
「こっちに似た植物があるよ。でも、さっきのとは葉の縁が違う」
「位置を変えて見てみよう」
レオンが周囲を確認し、健吾が安全に近づける場所を示す。
美鈴が横から特徴を確かめ、凛が資料の記述と照らし合わせる。
悠斗は葉の形、茎の模様、根元の状態を順番に確認した。
今度は必要な特徴がそろっている。
それでも、採集してよいかどうかは、状態と周囲の環境も含めて判断しなければならない。
「特徴は資料と一致している。根元も確認できるし、足場も問題なさそうだ。採集候補として報告する」
悠斗の報告を受け、鬼塚が近づいてきた。
「よし。周囲を確認してから、指示どおりに採集しろ」
六人は手順を確認し、慎重に作業を進めた。
採集そのものは、特別な出来事もなく終わった。
だが、作業後の記録には、以前より多くの情報が残っていた。誰が何を確認し、どの時点で判断し、何を理由に採集を見送ったのか。成功した作業だけでなく、見送った判断にも根拠が書かれている。
鬼塚は記録を読み、六人を見渡した。
「悪くない。以前より確認の手順がそろってきたな」
「スキル成長のおかげ、でしょうか?」
紅葉が尋ねる。
「そうかもしれん。訓練の成果かもしれん。両方かもしれん。今の段階では断定できない」
鬼塚は、いつもの厳しい表情を崩さなかった。
「だが、理由が何であれ、今日のお前たちは互いの確認を生かしていた。それは記録に残せる事実だ」
その言葉に、六人は顔を見合わせた。
確かに、それは今日の訓練で起きたことだった。
通知の正体が何なのかは、まだ分からない。
スキルがどこまで成長したのかも、はっきりとは分からない。
それでも、六人の行動には変化が表れていた。
*
休憩時間になると、六人は訓練区画の端にあるベンチへ集まった。
健吾が持参した水筒を取り出し、紅葉はタオルで額の汗を拭う。美鈴は剣の留め具を確認し、レオンは先ほどの訓練で気になった場所をノートに書き込んでいた。
「ねえ、みんなは通知を聞く前と後で、何が一番変わったと思う?」
紅葉が唐突に尋ねた。
「急に聞くなよ」
健吾が苦笑する。
「だって、今日の訓練で少し分かった気がするんだよ。私の場合、火術を使う訓練じゃなかったから、直接の変化は確認できなかったけど。対象を見るときに、色だけじゃなくて、光の当たり方も気にするようになった」
「それはスキル成長の影響というより、これまでの訓練で学んだことかもしれないわね」
凛が指摘した。
「うん。それもあると思う。でも、以前より自然に気づけた気がするんだよね」
「その感覚も記録しておけばいい。感覚があったことと、スキルが原因だという判断は別だから」
「凛は本当に記録が好きだねえ」
「好き嫌いの問題ではありません。あとで検証するために必要なの」
紅葉は「はいはい」と笑った。
いつものやり取りだ。
けれど、悠斗はその光景を見ながら、少し不思議な気持ちになっていた。
以前なら、こうした話題になったとき、自分は聞き役に回っていたかもしれない。
《採集士》というスキルは、戦闘向きではない。剣の腕が伸びたわけでも、魔法が使えるようになったわけでもない。だから、成長の話をしていても、自分が話せることは少ないと思っていた。
だが、今は違う。
「俺も、似たような感じだな」
悠斗は口を開いた。
「前より、何を確認すればいいのかが整理しやすい。でも、知らない素材を見ただけで正体が分かるわけじゃない。状態が悪い理由も、見ただけじゃ判断できないことがある」
「それでも、採集する前に確認する順番が決まっているのは便利だと思う」
美鈴が言った。
「今日も、最初の植物を無理に採ろうとしなかったでしょう。あれは、悠斗が判断に必要な情報を整理してくれたからだと思う」
「いや、根元が見えなかっただけだよ」
「その『見えなかった』ことを、判断材料にできたんだろう?」
レオンが静かに口を挟んだ。
「見えない部分があるのに、見えた部分だけで決めつけなかった。それは重要だと思う」
悠斗は少し考えた。
確かに、以前の自分なら、植物の特徴を確かめることに夢中になり、見えない部分をどう扱うかまで意識できなかったかもしれない。
「そう考えると、俺一人じゃ気づけなかったこともあるな」
「それは、私たち全員に言えることじゃない?」
美鈴が穏やかに笑った。
「私は剣の動きや足場を確認することに集中しがちだった。でも、健吾が全員の通り道を見てくれるようになってから、前より周囲を広く見られるようになった」
「俺も、美鈴が進む方向を考えてくれるから、後ろの安全を確認しやすいんだ。全員の動きを一人で見ようとしたら、どこかに意識が偏るからな」
健吾は自分の盾を軽く叩いた。
「守るって、自分が前に立てばいいわけじゃないんだなって、最近よく思う」
「私も、資料を調べるだけでは分からないことがあると実感しています。現場で見たことを、みんながそれぞれ違う角度から報告してくれる。その情報があるから、資料のどこを確認すればいいのかが分かるんです」
凛はノートを閉じた。
「一人で調べるより、確かめられることが増えました」
「それって、けっこうすごいことじゃない?」
紅葉が笑顔を向ける。
「だって、私たちがそれぞれ得意なことをやって、足りない部分を補えるってことでしょ?」
「まだ訓練段階だ。実際のダンジョンで同じようにできるとは限らない」
レオンは慎重だった。
「そのとおりだな」
悠斗はうなずく。
「でも、実際のダンジョンでいきなりできるようになるわけでもない。今のうちから、誰が何を見ているのか分かっていたほうがいいと思う」
「同感だ」
健吾が答えた。
六人の間に、短い沈黙が流れた。
気まずい沈黙ではなかった。
誰かが無理に話を続ける必要もない。全員が、それぞれの言葉を自分の中で考えているような時間だった。
やがて、紅葉が勢いよく立ち上がった。
「よし! じゃあ、これからも六人で記録を続けようよ。スキルが成長したかどうかだけじゃなくて、みんなが何をできるようになったかも!」
「賛成です。個人の記録と、全員で共有する記録を分けると整理しやすいと思います」
凛がすぐに反応する。
「共有するなら、記録の形式もある程度そろえたほうがいいな」
レオンも続いた。
「訓練後に、気づいたことを一つずつ報告するのはどうだ? 長い報告会にする必要はない。見落としやすい点だけでも共有できれば、次に生かせる」
「それなら、俺でも続けられそうだ」
健吾がうなずく。
「私は、剣の訓練で気づいたことも共有するわ。採集とは関係なさそうに見えても、動きや足場の確認なら役に立つかもしれない」
美鈴の提案に、悠斗は笑った。
「じゃあ、俺は採集の確認項目をまとめてみるよ。分かっていることと、分からないことを分けておけば、みんなも使えると思う」
「決まりだね!」
紅葉が手を差し出した。
「……何をしているんだ?」
健吾が戸惑う。
「こういうときは、手を重ねるんじゃないの?」
「訓練の記録を続けるだけだぞ?」
「いいじゃない。気合いを入れるの!」
紅葉が笑うと、美鈴が小さく肩をすくめながら手を重ねた。
凛は一瞬だけ迷い、それから自分の手を乗せる。
「記録の継続を確認する、という意味なら合理的ですね」
「その言い方、どうにかならないか?」
レオンが言いながら手を置いた。
健吾も加わり、最後に悠斗が手を重ねる。
「じゃあ、続けていこう。無理はしない。分からないことは決めつけない。気づいたことは共有する」
「おう!」
五人の声が重なった。
その瞬間、悠斗はふと思った。
スキルが成長したという通知を聞いたとき、自分たちはそれぞれ、自分の中で何が変わったのかを確かめようとしていた。
けれど、今は違う。
自分だけでは分からないことを、仲間に尋ねられる。
仲間が見つけた違和感を、自分の判断に取り入れられる。
そして、自分が気づいたことを、仲間の役に立てられる。
スキルの成長が、六人を直接つないでくれたわけではない。
通知を聞いたからといって、互いのことを理解できたわけでもない。
ただ、その出来事をきっかけに、六人は自分たちの変化を確かめるため、何度も話し合い、記録を見せ合い、訓練を重ねてきた。
その積み重ねが、少しずつ六人の結束を強くしていた。
*
訓練の最後に、鬼塚は六人を集めた。
「今日の結果をまとめるぞ。まず、神代。観察対象の特徴を整理する力は、以前より使いやすくなっているように見える。ただし、未知の素材を即座に判別できるわけではない。今後も知識と照合を続けろ」
「はい」
「月城。動作前の確認が習慣になってきた。だが、確認に時間をかけすぎて判断が遅れる場面がないか、今後も見ていく必要がある」
「分かりました」
「桐谷。周囲の安全を考えた動きが増えた。一方で、全員を守ろうとして自分の負担を増やしすぎるな」
「はい!」
「東雲。対象の特徴をよく見ているが、一つの特徴だけで判断しないこと。白石は、情報を整理するのが上手くなった。ただし、記録を増やすこと自体が目的にならないように。九条は、周囲の変化を拾えている。だが、違和感を見つけたら、必ず確認と報告を行うこと」
鬼塚はそこで言葉を切った。
「お前たちは、通知を聞いたことで自分の成長を意識するようになった。それ自体は悪くない。だが、成長したという言葉に引っ張られて、何でもできるようになったと思い込むな」
「はい」
「反対に、変わっていない部分があるからといって、成長していないと決めつける必要もない。剣の動きが急に別人のようになるわけじゃない。盾の扱いが一日で完璧になるわけでもない。知識も経験も、少しずつ積み上がっていくものだ」
鬼塚は六人の顔を順番に見た。
「それから、今日の訓練で一番よかった点を言っておく」
全員が姿勢を正した。
「誰か一人の判断だけで進めなかったことだ。気づいたことを伝え、別の視点から確かめ、必要なら判断を修正した。実際のダンジョンでも、それを忘れるな」
その言葉に、悠斗は自然と仲間たちを見た。
美鈴は静かにうなずき、健吾は真剣な顔で話を聞いている。紅葉はいつになく落ち着いた表情で、凛は最後の一言までノートに記録していた。レオンは鬼塚の話を聞きながら、仲間の反応も見ている。
みんな、考えていることは違う。
得意なことも違う。
これから先、意見が合わないこともあるだろう。
それでも、違いがあるからこそ、一人では見えないものが見える。
悠斗は、今日の訓練でそれを実感していた。
「以上だ。次回も通常訓練を続ける。スキル成長の再現を試みるようなことはするなよ。通知が聞こえるかどうかではなく、目の前の課題に集中しろ」
「分かりました!」
六人は声をそろえた。
訓練が終わり、片づけを済ませたあとも、彼らは自然と一緒に歩いていた。
「そういえば、記録の共有って、どこでやる?」
健吾が尋ねる。
「授業後に少し時間を取ればいいんじゃないかな」
美鈴が答えた。
「毎回だと、長くなりすぎるかもしれません。共有する内容を一つか二つに絞りましょう」
凛が提案する。
「じゃあ、まずは今日みたいに、気づいたことと、まだ分からないことを一つずつ出す。それなら続けやすいと思う」
悠斗が言うと、レオンがうなずいた。
「記録の形式は俺が簡単な案を作っておく。使いにくければ修正すればいい」
「おっ、レオンが作ってくれるの? 助かる!」
「大げさだ。記録用紙を整えるだけだぞ」
「でも、誰かがやってくれると助かることってあるよね」
紅葉の言葉に、健吾が笑った。
「それなら、俺は訓練用具の確認項目をまとめよう。装備の不具合は、実際の探索で困るからな」
「私は、採集対象の確認項目を整理してみる」
悠斗も続けた。
「特徴だけじゃなくて、採集していいか判断するために必要な情報も分けておくよ」
「では、私は資料との照合と、確認できた事実の整理を担当します」
凛が言う。
「私は、剣の動きや周囲の空間について、訓練で気づいたことをまとめるわ」
美鈴も加わった。
「じゃあ、私は魔術の制御と、対象の見方についてかな!」
紅葉が元気よく手を挙げる。
いつの間にか、六人の間で役割が決まり始めていた。
誰かが一方的に命令したわけではない。
それぞれが、自分にできることを考え、自然に提案していた。
悠斗は、その様子を見ながら笑った。
「なんか、ちゃんとチームらしくなってきたな」
「最初から同じ班だったでしょう?」
美鈴が首をかしげる。
「そういう意味じゃなくてさ。最初は、自分の訓練についていくので精いっぱいだっただろ。今は、みんなが何を考えているのかも分かるようになってきた」
「それは、私たちが何度も一緒に訓練してきたからだと思います」
凛が答えた。
「スキル成長の通知がきっかけになったのは確かでしょう。でも、それだけではありません。通知の内容を記録して、互いの話を聞いて、今日まで確認を続けてきた。その過程が大切だったのだと思います」
「うん。私もそう思う」
紅葉がうなずく。
「スキルが成長したから仲良くなった、というより、成長したことをみんなで確かめようとしたから、仲良くなれたんじゃないかな」
その言葉に、悠斗はしばらく考え込んだ。
確かに、そうなのかもしれない。
自分一人の変化を確かめるだけなら、仲間と記録を共有する必要はなかった。
でも、みんなで確かめようとしたから、互いの得意なことも、苦手なことも、少しずつ分かってきた。
その結果、以前よりも頼れる場面が増えた。
頼れるようになったからこそ、自分も何かを返したいと思うようになった。
「じゃあ、これからもよろしく」
悠斗が手を差し出す。
「こちらこそ」
美鈴がその手を取った。
「俺もよろしくな!」
健吾が加わり、紅葉、凛、レオンも続いた。
今度は誰も戸惑わなかった。
六人の手が重なり、すぐに離れる。
それだけの短いやり取りだった。
けれど、悠斗は、その感触を覚えておこうと思った。
いつか、本当に危険なダンジョンへ向かう日が来る。
そのとき、自分たちが今のように落ち着いて話し合えるとは限らない。恐怖で判断が鈍るかもしれないし、意見がぶつかるかもしれない。思いどおりにいかないことも、きっとある。
だからこそ、今のうちから互いを知っておく必要がある。
スキルが成長しても、変わらないものがある。
自分一人でできることには限界があること。
分からないことを、分からないままにしてはいけないこと。
そして、誰かと協力するためには、相手の話を聞き、自分の考えを伝える必要があること。
それらは、通知を聞く前から変わらない。
これからも、きっと変わらないだろう。
悠斗は帰り道、鞄の中にあるノートの重みを感じながら、明日の訓練について考えていた。
スキルがどこまで成長するのかは分からない。
自分たちが、どこまで強くなれるのかも分からない。
それでも、一人で考えていたころより、今のほうが少しだけ先を見られる気がした。
「まずは金だな」
いつもの口癖が、自然とこぼれる。
家族の暮らしを少しでも楽にしたい。
いつか、みんなを焼肉屋へ連れていきたい。
その夢は、何も変わっていない。
ただ、その夢へ向かう道の途中に、頼れる仲間ができ始めている。
それは、悠斗にとって思っていた以上に心強いことだった。
明日も訓練は続く。
変わったことを確かめながら。
変わらない大切なものを忘れずに。
六人は、少しずつ前へ進んでいく。
### 次回予告 第28話「確かめるための反復訓練」
スキル成長による変化と、日々の訓練による上達を区別するため、六人は同じ条件で繰り返し課題に取り組むことになる。
悠斗は《採集士》の情報整理能力を確かめようとするが、慣れによる上達との違いは簡単には見えてこない。一方、美鈴や健吾たちも、自分の得意分野だけでは解決できない課題に直面する。
記録を重ねるほどに見えてくる、自分の限界と仲間の強み。
六人は、焦らず成長を確かめる方法を見つけられるのか。
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