第三章 名前のない場所で
母の容態が悪化したのは、三月のことだった。
肺炎を起こして、そのまま入院した。高齢者にとって、肺炎は命取りになることがある。年齢と認知症の進行を考えると、回復は難しいかもしれないと医師は言った。
「最悪の場合、覚悟しておいてください」
医師の言葉は、事務的だった。何度も同じことを言い慣れた人の声だった。
私は頷いた。頷くしかなかった。
◇
私は毎日、病院に通った。
仕事は休みを取った。上司に事情を説明すると、「お母様のそばにいてあげてください」と言ってくれた。ありがたかった。でも、そばにいて、何ができるのだろう。
母は眠っていることが多くなった。目を開けていても、どこを見ているのかわからなかった。私が話しかけても、反応がないことが増えた。
「お母さん、美咲だよ」
私は毎日、同じことを言った。
返事はなかった。でも私は言い続けた。
病室は静かだった。機械の音だけが、規則正しく鳴っていた。心電図のモニター。酸素濃度を測る機械。点滴のポンプ。
母の呼吸に合わせて、胸が上下していた。その動きを見つめながら、私は思った。
私は今、何をしているのだろう。
母は私の言葉を聞いているのだろうか。私が誰かわかっているのだろうか。私がここにいることを、感じているのだろうか。
わからない。
でも、私はここにいる。
わからないまま、ここにいる。
◇
夜、病室で眠れないとき、私は母の手を握った。
冷たくなった手。骨と皮だけになった手。でも、確かに母の手だった。
私が子供の頃、この手に引かれて歩いた。この手に頭を撫でられた。この手で作られたお弁当を食べた。この手で、何度も抱きしめられた。
その記憶は、私の中にある。
母の中には、もうないかもしれない。でも私の中には、確かにある。
それは、「共有」と言えるのだろうか。
母と私は、同じ時間を過ごした。でも、母の中からその時間が消えていく。
残るのは、私の記憶だけ。
それは、「繋がっている」と言えるのだろうか。
わからない。
でも、私は母の手を握り続けた。
◇
ある夜、母が目を開けた。
珍しく、はっきりとした目だった。私を見ているのか、私の向こうの何かを見ているのか、わからなかった。
「お母さん?」
母の口が動いた。何か言おうとしている。
私は耳を近づけた。母の唇が震えている。
「……ごめん……ね」
かすかな声だった。消えそうな声だった。
「何が? 何がごめんなの?」
私は聞いた。でも母はもう目を閉じていた。呼吸は規則正しく続いていた。眠りに戻ったのだ。
ごめん。
母は何を謝ったのだろう。
私を忘れたこと? 病気になったこと? 迷惑をかけていること?
それとも、もっと昔の、私が知らない何かを?
私には「わからなかった」。
◇
母が亡くなったのは、その三日後だった。
静かな死だった。私が手を握っている間に、呼吸が止まった。
機械が警告音を鳴らした。看護師が駆けつけた。医師が来て、瞳孔を確認した。
「ご臨終です」
その言葉を聞いても、私は泣かなかった。泣けなかった。
ただ、母の手を握り続けていた。まだ温かい、母の手を。
少しずつ、冷たくなっていく手を。
窓の外では、春の雨が降っていた。
◇
葬儀までの数日間、私は実家で過ごした。
母がいなくなった実家は、驚くほど静かだった。時計の音。冷蔵庫の音。たまに通る車の音。それだけだった。
母の部屋に入った。
ベッドはきちんと整えられていた。施設に入る前、母が最後に寝たベッド。枕には、まだかすかに母の匂いが残っていた。
机の上には、母の眼鏡があった。老眼鏡。もう使う人がいない眼鏡。
クローゼットを開けると、母の服がきちんと並んでいた。花柄のブラウス。紺色のカーディガン。母が好きだった、淡い紫色のワンピース。
私は、紫色のワンピースを手に取った。母はこれを着て、よく私と出かけた。「このワンピース、お父さんが買ってくれたのよ」と言っていた。
父は十五年前に亡くなった。母はそれから一人で暮らしていた。寂しかっただろう。でも母は、弱音を吐かなかった。
「美咲は自分の家庭があるでしょう。心配しないで」
母はいつもそう言った。
私は、もっと母のそばにいるべきだったのだろうか。
もっと早く、母の変化に気づくべきだったのだろうか。
もっと、母のことを「わかろう」とすべきだったのだろうか。
でも、「わかろう」としたところで、何が変わっただろう。
私は母のことを「わからなかった」。最後まで、わからなかった。
それでも、私は母の娘だった。
そのことだけは、変わらない。
◇
葬儀は、小さなものだった。
母の友人はほとんど亡くなっていた。親戚も少なかった。来てくれたのは、数人の近所の人と、施設のスタッフだけだった。
田村さんも来てくれた。黒い服を着て、静かに焼香した。
「芳江さん、穏やかなお顔でしたね」
田村さんは言った。
「そうですね」
私は答えた。
母の顔は、確かに穏やかだった。苦しそうではなかった。何かを待っているような、静かな顔だった。
母は最後に、何を見ていたのだろう。
窓の外に見えていた「誰か」に、会えたのだろうか。
わからない。永遠にわからない。
◇
葬儀が終わり、母の遺品を整理していたとき、古い日記を見つけた。
母が若い頃につけていた日記だった。私が生まれる前のもの。結婚する前のもの。
押入れの奥、古いダンボールの中にあった。埃をかぶった、革表紙のノート。何十年も開かれていなかったようだった。
開くかどうか、迷った。母の許可なく読むのは、プライバシーの侵害だと思った。でも母はもういない。許可を求める相手が、もういない。
私は、日記を開いた。
日記には、知らない母がいた。
二十歳の母。恋をして、失恋して、夢を持って、挫折して。
母は画家になりたかったらしい。美術大学を目指していた。でも受験に失敗して、夢を諦めた。
「今日、二度目の受験に落ちた。私には才能がないのだと、ようやくわかった。それを認めるのに、五年かかった」
そんなことが書いてあった。
私は知らなかった。母が絵を描いていたことを。母に夢があったことを。母がその夢を諦めていたことを。三十八年間、一緒にいたのに。
日記をめくると、母の若い頃の写真が挟まっていた。キャンバスの前に立つ母。筆を持って、真剣な顔で絵を描いている母。こんな母を、私は知らなかった。
写真の裏には、「1975年、美術予備校にて」と書いてあった。私が生まれる八年前。母はまだ二十歳だった。写真の中の母は、輝いていた。夢を持っていた。未来を信じていた。
日記を読み進めると、私のことが書いてあった。
「今日、美咲が絵を描いた。人の顔みたいなもの。『これはママ』と言った。世界で一番へたくそで、世界で一番素敵な絵だった」
「美咲が学校で絵を褒められたらしい。私の血を引いているのかもしれない。嬉しいような、怖いような」
「美咲は絵より、算数の方が得意みたいだ。正直、ほっとしている。絵の道は、辛いことが多いから」
母は、ずっと私のことを見ていた。諦めたはずの絵のことを気にかけながら、私が絵を描くかどうかを、見守っていた。
父との出会いも書いてあった。
「今日、面白い人に会った。絵のことなんか何も知らないくせに、私の絵を『いい』と言った。馬鹿だと思ったけど、なぜか嫌じゃなかった」
父は、母の絵を見たことがあるのだ。私は知らなかった。
「あの人は、私が絵を諦めたことを知らない。知らなくていいと思う。知ったら、きっと悲しむから」
母は、父に秘密を持っていた。私は知らなかった。
日記の最後の方に、こんな一節があった。
「美咲が生まれた。小さな手。小さな足。赤くてしわくちゃで、猿みたいな顔をしている。でも、世界で一番かわいい。この子のために、私は何ができるだろう。この子に、何を伝えられるだろう。私は絵を諦めた。でもこの子には、諦めない人になってほしい。どんなときも、自分の道を歩いてほしい。私が歩けなかった道を」
私は、日記を閉じた。
涙が止まらなかった。
母は私に、何も言わなかった。夢のことも、挫折のことも、私への願いのことも。でも母は、私を見ていた。三十八年間、ずっと見ていた。
そして母も、きっと私のことを全ては知らなかったのだ。私が何を考えているかを。私がどんな人間になったかを。でも母は、私のそばにいた。
母が病室で言った「ごめんね」の意味が、少しわかった気がした。
母は、私に何かを伝えたかったのかもしれない。夢を諦めたことを。それでも私に希望を託したことを。十分に伝えられなかったことを。でも言葉にならなかった。記憶が混乱して、思いが形にならなかった。だから「ごめんね」としか言えなかった。
私は母に「大丈夫だよ」と言えなかった。何が大丈夫なのか、わからなかったから。
でも今なら、言える気がする。
「大丈夫だよ、お母さん。伝わったよ。全部じゃないけど、何かが伝わったよ」
◇
後日、施設を訪ねて田村さんに報告した。
田村さんは休憩室でお茶を飲んでいた。私を見ると、静かに立ち上がった。
「美咲さんは、お母様のことを、わかりましたか?」
私は少し考えた。
「わかりません」
「そうですか」
「でも」私は続けた。「わからないまま、そばにいられた気がします。最後まで」
田村さんは微笑んだ。
「それが、一番大切なことだと思います」
◇
私は最近、介護の仕事に興味を持ち始めていた。田村さんのように、ただそばにいる仕事。
夫に相談した。
「介護の仕事、やってみようかと思うの」
「いいんじゃないか」
夫は言った。
「お母さんのことがあったから?」
「うん。でも、それだけじゃない」
私は言葉を探した。
「私、ずっと『わかる』ことが大切だと思ってた。でも、わからなくても、そばにいられることがあるって、お母さんが教えてくれた気がする。それを、誰かにも伝えられたらいいなって」
夫は微笑んだ。
「お義母さんも、喜ぶと思うよ」
◇
季節は巡り、桜の季節が来た。
私は一人で、桜を見に行った。母と一緒に行った場所へ。
母は毎年、「きれいね」と言った。私も毎年、「きれいね」と言った。その言葉の奥に、母が何を思っていたのか。わからない。でも、母と一緒に桜を見た時間は、確かにあった。
今年は、一人で「きれいね」と呟いた。
隣には誰もいない。でも、母がいないわけではない。母は、私の中にいる。
花びらが一枚、私の肩に落ちた。それは、母からの手紙のように思えた。読めない手紙。意味のわからない手紙。でも、確かに届いた手紙。
私は花びらを手のひらに載せた。
「ありがとう、お母さん」
風が吹いて、花びらが飛んでいった。
母が遺した日記の最後のページには、小さな絵が描いてあった。桜の木の下に立つ、小さな女の子。たぶん、私だ。
母は、絵を諦めたと言っていた。でも、描いていた。私のことを。言葉にならない想いを、絵にしていた。
◇
私には、母のことがわからない。
母が窓の外に見ていた「誰か」は、誰だったのか。若い頃の恋人だろうか。亡くなった祖母だろうか。画家になれなかった自分自身だろうか。それとも、私が知らない、もっと別の誰かだろうか。永遠にわからない。
認知症という病気は「理解」できた。症状の名前を覚えた。進行のパターンを学んだ。でも母という人間は、「理解」の向こう側にいた。私の知識の外側に。私の言葉の外側に。
人間は「わかる」と「わからない」の二つの言葉しか持っていない。
でも実際には、その間に広大な領域がある。
「完全にはわからないけど、何かを感じている」状態。
「言葉にはできないけど、確かに伝わった」状態。
「説明はできないけど、そばにいられる」状態。
その状態に、名前はない。
でも私たちは、その「名前のない場所」で、誰かと繋がっている。
母の日記は、今も私の本棚にある。時々開いて、読む。読むたびに、新しい発見がある。母の字の癖。母の言葉の選び方。母が何度も書き直した跡。
それを見て、私は何かを「感じる」。「理解」ではない。「共感」とも違う。もっと漠然とした、名前のない何か。でもその「何か」が、私と母を繋いでいる。
母はもういない。でも、その「何か」は消えない。
私は母のことを「理解」したかった。でもできなかった。
それでも、母の想いは、感じている。
それで、十分だ。




