第71話「これじゃあまるで・・・」
シャープが屋敷に戻ると、セディユが待ち構えていた。
「シャープ、ウィンが倒れました」
「!?」
手に持つ荷物が落ちる。
「あ……と言ってもただの貧血です」
シャープがあまりにも驚いた表情を見せたので、セディユは伝える順番が悪かったと謝る。
「チルダとコロンが今日の食事を楽しみにしていたようですが、少し伸びると私からお話しておきましょう」
そう言って落とした食材に視線を向ける。
「シャープも楽しみにしていたようですが、また快気祝いは後日お願いします」
「それはいいけど……ウィン、本当に大丈夫なん?やっぱりまだ体に負担が残ってるんやろうか……」
「シャープが気に病むのは解ります。が、正直悪化させているのはその後のウィンの行動なので……シャープが気にする必要は無いですよ」
「え?それはどういう……」
セディユは耳打ちするように小声で言う。
「ウィンが大人しく寝ていたのは実は最初の数日だけで、後は夜起きて研究室に閉じこもっていたようですよ?」
「え?」
「で、朝みんなが起きる前に自室のベッドに戻っていたようです」
「……」
「回復が遅いので、問い詰めたら白状しました。昼は静かに休みたいから、他の方にはイラナイ事を言うなと口止めされました」
オチビ達の耳に入れば『心配』と言う名の大騒ぎをし、悪魔達の耳に入れば『心配』と言う名の悪態をつくのが想像出来た。本来なら、シャープも後者に入るだが、倒れた過程を考えればそうはいかなかった。
「でも、なんで?体調悪い時くらい研究を休んだらええのに」
「そうもいかないんでしょう」
「研究ってそんな大事なんかな?」
「え?」
目を丸くしてシャープを見る。
「それは……大事でしょう。常に焦っていると思いますよ」
「え?……焦る?何に?」
「それは……もちろん、獣人の研究でしょう」
キョトンとするシャープ。以前からウィンが『獣人の延命』について研究している事は知っている。
「でも、ウィンが焦るなんて……」
半笑いで言う。シャープから見たウィンはいつだって余裕を見せていたからだ。
そんなシャープにセディユは一切表情を崩さずに返す。
「焦ってます」
「で……でも、俺にはそんな風には見えへんけど?……」
シャープがそんな風に受け取るのも仕方なかった。なぜならウィンがそう思わせる態度を取り続けていたからだ。
セディユはウィンの意図に気が付く。
「ああ……そうか……そうですね……」
「な……何が?」
「シャープ、アナタは今まで通りでいいんです……だから私は余計な事を言ってしまった事になります……ウィンには申し訳ない事をしました」
「え?え?」
「忘れて下さっていいです」
そう言ってニコッと笑った。
――――――
その晩、食事の席にウィンは姿を現さなかった。
チルダとコロンはガッカリしていたが、極厚ステーキを出すと悪魔と共に大喜びした。
切れ端で作ったビーフシチューもトロトロで美味しく出来ていた。
(これならウィンでも食べやすいかもしれない。明日の朝ご飯に出してみよう。)シャープはそう考えて、明日こそちゃんとウィンの顔を見ようと決心を固める。
その後、チルダとコロンを寝かしつけて、屋敷の戸締りをする頃には夜も更けていた。
シャープも自室でやっと一息つく。しかし、ベッドに入って寝付こうかと思うがなかなか眠れない。
リーダとの会話、セディユとの会話が頭の中でグルグル回っていた。
(俺はウィンの事を何も解っていないのではないか?)
事実、好物だって、研究の事だって何も解っていなかった。
時計に目を向ける。
(ウィンはまだ起きているのだろうか?セディユさんの言っていた通り今晩も研究室に?食事もせずに大丈夫だろうか?)
少しだけ様子を見に行こうか?と考え出す。
「あとそうや!今日買い物が不便やった話をして……仕方ないからまた契約して貰わな」
左手の薬指を見る。
いつの間にか、あの紫色の石がある事が普通に感じていた。
無いとなんだかちょっと落ち着かないシャープなのだった。
シャープは温めたシチューをトレーに乗せる。
コンコン
ウィンの部屋の扉。
起きていれば聞こえる、しかし寝ていれば聞こえない程度の小さなノックをする。
しばらく待つが反応は無い。ドアノブに手をかけて音を立てずに回した。
部屋の中は静まり返っていた。ベッドにウィンの姿は無かった。
(部屋にいないと言う事は、やはり地下の研究室か?)
シャープはそう考えて悩む。なぜならそこは、屋敷内で唯一ウィンが 『勝手に入るな』 と釘を刺している場所だったからだ。
「入るんやないし……食事渡しに行くくらいエエよな」
もう諦めるという思考が無かった。この時のシャープは無性にウィンの顔を見たかったのだ。
カツカツカツ……
地下へ続く階段はヒンヤリとしていた。
近づいてはいけないと言われていたし、さほど興味も無かったから初めて降りた。
地下には2つしか部屋は無く、手前の1つは書庫だった。
奥のもう1つの扉の隙間から明かりが漏れていた。
(あれが研究室だろう……)シャープはその扉の前で足を止めた。
「……」
心臓がバクバクと激しく音を立てた。
(食事を持って来ただけ、この単純な行動にナゼこんなにも緊張しているのか?)
「くそっ……!」
自身を一喝すると、扉をノックした。
コンコン
ノックの音が響くだけで返事はない。
「寝てるんかな……」
ノブに手をかけ回してみる。
「あ……」
中から鍵がかけられる事も無く、扉は開いた。シャープは隙間から中を覗く。
「……」
燭台に照らされた部屋はゴチャっとしている。
分厚い本や、何に使うのかシャープにはさっぱり解らない不気味な材料が所狭しと並んでいた。
その奥、机に向かうウィンの背を見つけた。頬杖をついているが角度が随分と斜めな事にシャープは気が付く。
「あれは寝とるな……」
(うたた寝するほど疲れているなら、無理せずに自室のベッドで寝むればいいのに)
そう考えるが、無理をするほどウィンは研究に焦っているとセディユが言っていた事を思い出す。
(俺は一体何をしたいのだろう?セディユさんも言ったではないか?『あなたは今まで通りでいいんです』と。いつもの俺なら間違いなくこんな事しない。こんな事は俺らしくない)
シャープは自分の行動を冷静に見つめ直して、扉を閉めようとする。
その時にもう一度ウィンの背に視線を向ける。
「あ……」
珍しくウィンが黒い上着を脱いでいる事に気が付いた。室内だしドチラかといえばソレのが普通なのだが、ウィンの場合は室内でも脱いでる事のが珍しかった。
研究室はウィンにとって、それだけ『自分の場所』と言う感覚なのだ。
シャープは、尚更踏み入ってはいけないと感じる。
しかし一方で(あんな薄着でうたた寝なんてしたら、体調が悪化するのではないだろうか?)という思考も沸き上がった。
上着を探すと、それはウィンの背後にあるテーブルの上にあった。
(あの上着を起こさないようにかけてやるだけ……)
そう自分に言い聞かせるシャープ。
もう本人も解っているのだ、なんだかんだと理由を付けてウィンの傍に近づきたい事を。
足音を立てずに部屋へ入る。
テーブルに持ってた食事を置くと、代わりにウィンの上着を手に取った。
ウィンの背に近づくと、その肩越しに机の上のものが見えた。
紙にビッシリと何かが書かれている。ソレはシャープにはサッパリ解らない呪文などの羅列だった。
机にはそんな計算式のような手書きの呪文の紙が山積み状態でその数はここ数日の量ではない。
セディユの言う通り、ウィンは随分前からこんな研究を続けていたのだ。
「……」
何か見てはいけないものを見てしまった。そんな、罪悪感にシャープは襲われた時だった。
「ココには入るなと言ったのに……悪い猫ちゃんですねぇ~」
「!?」
持ってた上着をシャープは落としてしまう。
寝ていたと思っていたウィンだが、振り向いたその顔は寝ていたような顔では無かった。
ソコでシャープは 『入って来るか試されていた』 事に気が付く。
「あ……いや……その……食事を持ってきて……」
「持ってきて?」
「その……うたた寝してるかと思って……」
「思って?」
「その……だから……」
ウィンはニヤニヤと楽しげだ。
「だからっ!俺のせいで怪我したんやし!少しは俺かって気ぃ~使ってるんやっ!」
「へぇ~、そうなんですか?あ、じゃあ1つお願いしてもいいですか?まだ少し体が痛くって」
(そうだ……いくらセディユさんの回復魔法が凄くても、一時はあれだけの傷を負ったのだ。痛みが残っていておかしくはない)
そう考えて強く頷く。
「勿論や!それは俺が手伝う義務があるんやし、何でも言ってや」
「本当ですか?助かりますぅ~☆じゃあさっそく」
「ん……?」
ウィンはそう言うと椅子にふんぞり返り、手でチョイチョイと指を指す。
指した先は足の付け根、つまり股間。
「……は?」
「いやぁ~。体が痛くって……本当にいい所に来てくれました」
「!!!!」
アホかっ!と出かけた言葉をシャープはグッと飲み込む。
確かに不便は不便だろう。自分も男だし解らなくも無いのだ。だが、体が痛いのとソレは関係あるのか?それほど体が痛むのか!?
シャープは随分と長い間長考する。
「シャープどうしたんですか?いつも通り、アホか!って一喝すればいい事じゃないですか?それとも実は私のを舐め舐めしたいんですかぁ~?」
そう言ってクククと笑う。
(ああ……そうだ……《《いつもなら》》そうしている)
いつものシャープならウィンのこの態度を見て、間違いなく憤慨して部屋を出て行くだろう。
だが、ここ最近の出来事や第三者からかけられた言葉でシャープにも判った。
ウィンは《《わざと》》部屋を出て行くようにしむけているのだ。
だからシャープはいつまでもいつまでもウィンの本質に気が付けないままだったのだ。
「本当にメンドクサイ性格してるなぁ……本当にそれがやってほしい事なんやったら……」
そう言ってウィンに近ずくとその前にしゃがみ込む。
シャープは自分でも開き直っている事は解っていた。だが、何もせずにモヤモヤしているのももう嫌だった。
「……」
「?」
そんなシャープをウィンは何も言わずにジット見ていた。
「な……なんやねん?ああ……これは……その……合意という事でええよ」
「そうですか。ではとりあえず、それはまた後日お願いします」
「はぁ!?なんやそれ!」
いつも通り突っ込もうとしたが、ウィンの顔を見て言葉を失う。その顔はまったく笑っていなかった。
「今は、やって欲しい事より『やらないで欲しい』事があります」
(あれ?声のトーンがいつもと違う……これは……?もしかして……怒っている?)
血の気がサーと引くのを感じた。
「え……と?」
「ここに二度と立ち入らないで下さい」
「あ……ソレは……その……確かに言われてたけど」
「それだけです」
ウィンのその短い言葉は 『だから早く出て行け』 とそう告げている。
シャープはと言うと、その言葉に大きなショックを受けていた。
ウィンは決まり事を大事にする、だからソレを破った事を怒るのは当然だった。理不尽な事で怒られてる訳でも無い、なのにシャープは素直にそれを受け入れられない。
「その……」
「……」
「えっと……」
「……」
「だから…………」
しまった……なんて思う間もなかった。
最初に落ちた一粒を皮切りに、シャープはボロボロと流れる涙を止める事が出来なかった。
「……何を泣いてるんですか?」
「う……だって……やっぱり……俺の事呆れて……」
「呆れました……まさか、こんな事でそんなに泣くなんて……正直驚いてます、私が悪いんですか?」
「……?」
今度のウィンは少し戸惑っていた。
「すいません……少し言い方がキツかったんでしょうか?……でも、この部屋にはあまり見せたく無い物が沢山置いてあるんです」
そう言って困ったように視線を泳がした。
「シャープ……どうしちゃったんですか?最近少し変ですよ?」
「へ……?ちゃ……ちゃうやん……変なのはウィンやろ?」
「変?私がですか?……別に私は変わったなんて思えませんが?というか……シャープが変な行動するから正直対応に困ってるだけです。最近妙によそよそしいですし、あんなに入るなって言ってた研究室に入って来るし、この程度の事で急に泣き出すし……ホント、どうしちゃったんですか?」
どういう事だ?とシャープは思う。
(ウィンは俺が変だから、自身の態度も変になる)とそう言っているのだ。
「……ち……違うやん……逆やん……変なのはウィンやん……急に優しくなんかするから」
「急に?私は魔物ちゃん達にいつでも優しいつもりでしたが」
「で……でも……今回は話が違うやん……俺を守って……一歩間違えば、お前……死んどった」
「そりゃ守りますよ?そこに、擦り傷か大怪我かの差なんてありません?……ソレはそんなに意外でしたか?」
「あ……」
確かに、ウィンが怪我をしたというのが意外なだけで、ウィンはいつだって周囲を優先で守っていた事に気が付く。
「で……でも、今かって無茶して研究して……獣人の寿命の研究なんやろ?」
「そうですよ、私のメインの研究は獣人の寿命についてですから……しかし、それはもう随分昔からです。あと、私が夜中研究に没頭するのも今に始まった事じゃ無いですし」
以前も言いましたよね?と言う顔でウィンはシャープを見る。
「最近はシャープの食事のお陰で健康的でしたが……昔はそりゃよく倒れていましたよ?」
「……」
「シャープ……もしかして、私の事『完璧人間』とでも思ってました?」
「……そういうイメージは……あった」
その言葉にウィンは笑う。
「なるほどねぇ……それでシャープ、全部『自分のせい』だと思って私に気を使ってくれてたのですかぁ~?」
「……」
「だったらそれはシャープの思い込みです、どちらかというと、そんな気を使われる方が調子狂っちゃいます」
ウィンは気を使ってそう言ってるのではなかった。それはシャープにも伝わった。
「しかし私の愛情がそれ以前は伝わって無かったって事ですよねぇ?むぅ……その点は私の力不足です!ニャンニャンが足りていなかったという事ですね!」
「……」
「まぁ、随分と萌え萌え~なシャープを見れたのでラッキーでしたがぁ~♡」
デヘヘといつも通りのキショイ顔を見せる。
言われてみればウィンは別に何も変わってなかった事にシャープは気が付く。
『俺のせい』で大怪我した訳でなく……ここにいる誰のためにでも大怪我をしたのだ……
『俺のため』に研究しているのではなく……魔物のため、に研究をしているのだ……
突如、シャープの中に妙な空しさが沸いて来る。
「シャープ?」
(あれ?……あれ?……これじゃあまるで……)
「俺は……本当は……」
「?」
(本当は……全部俺のせい……つまり 『俺のため』 であって欲しかった?)
「あれ?おかしいやん?これじゃあ……」
(これじゃあまるで……俺が……ウィンの事を……)