第62話「晴天霹靂-1」
すっかり消沈したセディユ、それを見計らってシャープが口を挟む。
「おい、お前のどうこうはどうでもええねん。ここに辿り着いたら願いをってやつが本当なんかそれだけ教え……ムガッ」
言葉は遮られる。ウィンがその口にお魚の形のパイを押し込んだのだ。
「家の猫ちゃんは猫ちゃんなのにせっかちで申し訳ありません。私はクォートさんの事に興味があります、むしろそれにしか興味が無いくらいに」
「クォート……取り乱してすいません。私もあなたに『あの日』何があったのかを知りたいです」
ウィンとセディユの言葉にクォートは頷く。シャープだけが腑に落ちない顔でお魚のパイをモグモグしていた。
「そう『あの日』だ。人間界に降りたあの日……ボクは待ち望んだ存在に出会ったんだ……」
「待ち望んだ……存在?」
「そうだったんだよセディユ……ボクの待ち望んだ存在は天界になんか居なかったんだ」
クソートは過去の出来事を美しい声で語った。
――――――
あの日もボクは収容所に向かっていた。
足は重かった。
何年経とうと褐色の天使達は天使を妄信し、現状の不遇に目を背ける。ボクの人柄を慕ってくれていた人達も気が付けば消えている。特別に大事にしてもいなかった『家系』という後ろ盾だけがかろうじてボクを守ってくれていた。
「誰もボクの事を理解してくれない…………」
呟き収容所の前で足が止まる。
が、中が騒がしい事に気が付いた。ボクは急いで騒ぎの方に向かった。
「ああ!クォート様!大変です!子どもが、下界の穴に落ちてしまったのです」
「なんだって!?」
穴に視線を向ける。
集まっている天使達は離れた場所で穴を取り囲んでいる。皆怖くて近づきたくないのだ。
落ちた子どもの友達だろうか?2人の子どもが泣きながら話す。
「止めたのに……『人間は下等、天界族が最強だぞー!』って穴から下に言ってやるんだって……」
「それでここに忍び込んだのかい?」
「ううん……元々は呪われた汚い天使がここにいるって聞いて、皆で見に行こうって……ちょっとした怖い場所探索だったんだ」
「そしたらこの穴を見つけて……」
イライラとした感情が沸きあがる。子どもですら腐った思考が根付いている。
更に周囲の大人は自分可愛さにオロオロとするばかり。何が誇り高い天界族だ。
ボクは穴に向かう。
「クォート様!?何を?」
「助けに行く。当たり前だろう?地へ叩きつけられでもしたら命が無いよ?」
「ですが、この下は……人間界」
「それが何?人間を卑下する割に、人間を随分と恐れるんだね?」
天使達はビクッとして黙る。
ボクは穴に降りる前に空を見上げる。
そこには薄汚い色をした空が広がっていた。
天界を出るのは初めてだ。
恐怖が無い訳では無い……だが、落ちた子どもを見捨てるなど『ボクの誇り』としてあってはならない事だった。
雲を突き抜けると空気の雰囲気が変わった。
徐々に眼下に景色が広がる。天界のそれとはやはり異なる。
「これが人間界……」
ゴクリと息を飲む。
人間界の事を書いた本を読んだ事がある。そこにあった挿絵……それは目を逸らしたくなるような汚い光景だった。
悪い想像を頭を振って掻き消した。
今はそれどころじゃない、下降中子どもの姿は見当たらなかった。となると下まで落ちたのか?もし途中で気を失っていたら……地に叩きつけられれば命は無いだろう。
スピードを上げて下降する。穴の真下は群生した木々が広がる場所だった。
(バサッ)
翼を広げて地に舞い降りる。
子どもの姿を探そうと周囲を見回すと……すぐ傍に『黒い者』が立っていた。
「え?……なんで」
ボクは人間界に降りたはずだ。なのに目の前にいるのは……
「驚いたぞ。また天使が落ちて来た」
「あ……悪魔!?」
初めて見るが、間違いなく悪魔だ。
血色の悪い肌、縦に長い瞳孔、口から除く牙、頭に生える角、背には蝙蝠のような骨ばった翼……全てがまさに本で見た絵のまま『絵に描いた通りの悪魔』だ。
「悪魔だぞ」
悪魔はボクの呟きは間違っていないと言うように返す。
そして、気が付く。悪魔が腕に抱えている者……落ちた天使の子どもだ。子どもはグッタリとして動かない。
「あ……その子をどうしたんだ」
「上から落ちて来たから受け止めたぞ」
「そ……それで?何をしようと!?」
悪魔は首を傾げる。
「気を失って落ちて来た、そのまま落ちると死んでたぞ。だが、その言い方だと、受け止め無い方が良かったのか?それなら勝手な事をしたぞ」
「え……」
そこで気が付く。この悪魔は子どもの命を助けてくれたのだ。
状況を見れば解る事なのに……ボクは相手が悪魔だと言うだけで頭っから疑う姿勢だった。
「その子は……落ちたんだ。天界から……それでボクが助けに来た」
「そうか。良かったぞ!随分と長い間誰も迎えに来ないから心配したぞ」
「心配?……」
『悪魔が?』という言葉を飲み込む……
悪魔はウンウンと頷く。
「あまりに長い時間助けに来ないと困ったぞ、やっぱり天界族に人間界は合っていないみたいだからな」
悪魔は歩み寄りボクの前に立つ。その大きさはボクの倍ほどある、その威圧感に身構えた。
だが、悪魔は腰を落とすと、抱えていた子どもをボクの方に差し出して来る。その動きの1つ1つがとても丁寧で、優しく子どもを扱っている。
「あ……ありがとう」
子どもを受け取り抱える。そして悪魔の顔を見た。
全体的に黒い塊は見慣れないと言う意味で異質に感じた……だが、基本的な形はなんら天使と変わりないように思った。
いや、どちらかと言えば……ボクは目の前の悪魔を更にじっと見る。
腰まである漆黒の髪はビロードを思わせる気品があり、切れ長の目は研ぎ澄まされた刃物のような凛とした美しさがあった。
衣服は体のラインがはっきり解る物で、天界では羞恥の部類となるだろう。だが、程よく筋肉の着いた体と長身にはその衣装がとても似合っていた。
目の前の悪魔は、ボクの持っていた悪魔の印象とかけ離れていた。
「ほら、見てみろ」
悪魔が子どもを指さす。
ボクは腕に抱く子どもを見る。苦しそうに呼吸をしている。
「呼吸が苦しそうだぞ。やっぱり天界族に人間界の空気は合わないみたいだぞ」
言われてみれば何だかボクも息苦しさを感じる。
「やっぱり、人間界の空気が汚染されているというのは本当だったのか」
その呟きに悪魔はクスッと笑う。
「そうじゃないぞ、人間界はいたって普通だ。むしろ異質なのは天界だぞ」
「どう言う事?」
「落ちて来る天界の物を研究して薄々解っていたが、お前達を見て確信したぞ」
「なにを?」
「天界は全てを魔力管理しているのだろう?食べ物、自然、空気ですらも」
「それはそうだよ……でないと食物は病気になるし、木々や花も美しい色や形が出ないし、空気も埃や匂いで汚れてしまうだろ?」
「そう言う事だぞ。天界族は生まれてからずっと魔力管理された物を見て、口にして生きている。だから自然な物が異質に感じるんだぞ」
頭を叩かれたような気分だった。
「自然……?この人間界のが自然だって事?」
悪魔は頷くと周囲の森を見渡す。ボクも同じく見渡す。
森は様々な種類の木々が雑多に生え、岩はゴツゴツと形悪く苔むしている。
小川はウネウネと不規則に曲がって流れ、よく見ると小さな昆虫が飛びかい、木々には蜘蛛の巣がはっている。
天界であればこのような場所は『美しくない』とすぐに整備が入るだろう。
だが悪魔は満足そうに頷くと言う。
「このまとまりが無い所がまさに自然だぞ。木々も水の流れも虫達も自分に合った好きな場所で自由に生きている証拠だからな」
「自由に……?自然であるという事は自由に生きているという事……」
「その感じだと天界は『想像していた通りの美しい場所』なのだろうな。俺の研究通りだぞっと」
悪魔は嬉しそうに言うと、どこから出したのかノートを取り出しそこにカラスの翼で出来たペンを走らせる。
「研究?」
「俺は他の種族ついて本を書いている。作家というやつだぞ」
「作家?悪魔にもいるんだ」
「そりゃいるぞ!……凄く少ないけど」
悪魔は笑う。
「人間界の事はだいたい書き尽くしたから、天界の事を書きたいのだが……天界は行けないから筆が進まないぞ」
「だろうね」
「だから、ここにたまに落ちて来る天界の物を拾って研究してるぞ」
それでこの悪魔は丁度この場所にいたのか。
「そうしたら今日は天使の子どもとお前が落ちて来て驚いたぞ!」
「ボクは落ちたんじゃない。その子を助けに『降りて』来たんだ」
「あー!確かに!やっぱり天使は頭がいいぞ!」
悪魔はフンス!と鼻息荒くノートにメモを取る。そんな事までメモるのか……とついつい笑ってしまう。
「!おお……」
悪魔は更に目を輝かせてボクを見る。
「天使の笑顔には浄化の力があって悪魔には危険!これも本当だぞ」
危険と称されて少しムッとしてしまう。
「お?でもそのムスッとした顔でも浄化されそうだぞ?」
「その浄化ってどういう状況?」
「そのままの意味だぞ?」
ボクはまだ納得していなかったが、悪魔は子どもを指さす。
「そろそろ戻った方がいいぞ」
「あ……」
ボクとした事が悪魔との会話が楽しくてつい……
楽しくて?
一体どういう事だ?……相手は悪魔だぞ?
でも、ここ数年……いや、天界での生活でこんなに有意義な会話をした事があっただろうか?
「あの……名前教えて」
「アキュレートだぞ」
「ボクはクォート……ここに来ればまたアキュレートに会える?」
「会えるぞ。俺はしばらくここで天界から落ちて来る物を調べたいぞ」
「ボクに会えたらその必要ないんじゃ無いの?」
「天使そのもの!確かにだぞ!」
アキュレートはクスクスと笑う。心の中がウズウズと蠢く様で気持ちが悪い。
もしかすると、これがアキュレートの言う『浄化』なのかもしれない。
空を見上げる。
そこには驚くほどの晴天が広がっていた。




