第12話「戻った宝石」
一方、シャープはチルダと共に無事に屋敷に戻っていた。
シャープはリビングのソファーにチルダを寝かせ、その隣に腰を落とした。
チルダはスースーと穏やかな寝息を立てて眠っている。
「チルダ……良かった……無事で」
体は疲れ果てていた。昼からチルダを探して走り周ったからと言うのは勿論だった。だが、そう言う意味ではなくずっと疲れていた。ずっと心が休まらないのだ……
「あいつ……どうなったかな」
そう呟き、指にある契約の石を顔の高さに上げてそれを見た。
「外れないって事は無事やな……」
『私が死んだ方がシャープには好都合ですよね?』
別れ際のウィンの言葉を思い出していた。ウィンが自滅すれば、シャープの契約は自然解除されるという事だ。
(でも……あいつ)
『必ず助けますよ』『安心してください』ウィンの発した言葉がシャープの頭の中をグルグルと回っていた。
(違う……!バレディも俺とチルダを従順にさせておくためにいくらだって優しい言葉を吐いた。そして不要になれば……)
重い腰を上げてリビングを出る。キッチンを見つけると、そこで小ぶりだがよく切れそうなナイフを見つけた。
それを手にすると、シャープの中でバレディを刺した時の記憶と感触が蘇った。
「恐れたらあかん……」
この後刺そうとしているのは『元主』ではなく『主』だ。契約中の魔物にとって、それは自分自身の死を意味した。
「恐れてたら失敗する……」
シャープは、そう自分に言い聞かせた。
(バサバサッ!)
「!」
リビングに戻るとピリオドが飛び込んで来た。
「ネコちゃーん!ニャンニャンするぞえー……ムニャムニャー!……」
(ドサッ……)そして床に落ちて寝てしまった。
「あー……ピリオド床で寝るなんて」
「!」
振り返るとウィンが扉前に立っていた。シャープは慌ててナイフを持つ手を後ろに隠した。
「大きな魔物に変身して疲れたんでしょうね」
次にその視線がチルダに向けられる。
「怪我などしていませんでしたか?」
「薬で眠ってるだけや……」
「良かったです」
ウィンはシャープを見る。
「シャープは?怪我してませんか?」
「俺は……別に……」
(怪我などしていない……ウィンが俺とチルダをあの場から真っ先に逃したから)心の中の声を口には出さずに飲み込んだ。
「良かったです」
ウィンはひざ掛けを手にすると眠るチルダに近づいた。
「!」
シャープは慌ててチルダの前で身構えた。
「そのままじゃ風邪をひいてしまいますよ」
そう言ってチルダの体にソッとひざ掛けをかけ、眠るチルダの顔を見る。
「チルダが家を抜け出していたのはただ遊んでいた訳でもないでしょう」
「……え?」
「毎日疲れて帰って来るシャープのために何か出来る事は無いか?と一生懸命考えていたのだと思いますよ」
そういえば……とシャープは思い出した。
チルダが森で花を摘んで来た事があったのだ。シャープはそれに対して勝手に家を出た事をただただ叱った。あの時、チルダは疲れて帰宅する自分のために綺麗な花を用意したのでは無いか?そう思った。
「シャープも、人間と偽り生活するのは大変でしょうね。出会ってからずっと張り詰めた顔をしています」
そう言いながら無防備にシャープの前に立った。
「チルダは、昔のようにあなたに穏やかに笑って欲しいとそう願っているんだと思います。ちなみに私もそれを見たい!」
「そんなの……出来る事ならそうしたい。だけど、俺が守らんとチルダは……あいつはあーいう容姿やから魔物にも人間にもスグに目を付けられる……」
「逆に言えばマニアな人間に可愛がられるでしょう?昔のように」
「アカン!そんな人間はチルダがあの目を失えば!」
「マニアはオッドアイと言う部分に価値を見出しますからね」
「なんで?……なんでなん?」
シャープはそれまで感情を押さえ込んでいた。それがプツリと切れた。
「俺もチルダも好きでオッドアイに産まれた訳やない!ただ、普通に穏やかに暮らしたいだけやのに!人間はなんでそうさせてくれへんねん!」
シャープの片目から涙がボロボロと落ちた。それは怒りと、悔しさからのものだった。
「オッドだ!獣人だ!ってチヤホヤしてっ……優しい言葉かけて……そんで……価値が無くなれば処分するっ…………人間は……勝手や……」
「ええ、本当にそう思います」
自分も人間だというのに、ウィンはまるで他人事のような返事をした。
「く……だから……俺がチルダを守ったらな……チルダには俺のような思いをさせない……やからっ!」
隠していたナイフを構える。
「お前を殺して、チルダを自由にする」
ウィンはナイフに視線を落とした。
「手、震えてますよ?」
「本気や……」
「契約中の主の命を奪うと言う事は自身も命を落とすと言う事ですよ?」
「勿論知っとる上でや」
ウィンは深いため息を一つ吐いた。
「どうぞ」
「え?」
刺せと言わんばかりに無防備に手を広げウィンは言う。
「使い魔がその命を落としてまでそうすると言うのならテイマー失格ですからね」
「……」
「でも、そうなるとチルダちゃんを誰が守るのですか?」
「!」
「シャープさっき言ったばかりですよね?自分がチルダを守ると」
「……っ」
その通りだった。今、チルダを自由にした所でまた違う人間から狙われるだけだろう。それがずっとずっと続く、シャープにだって解っていた。そのループに疲れ果てていた。
(俺は本当はチルダの事も何もかも忘れてただ消えたいだけなのかもしれない……)
「提案なんですけど、別に今すぐ私と心中する必要無いんじゃないでしょうか?」
「え?」
「私とシャープはこの先もずっと一緒なんですから、いつでもチャンスはあると思いますよ?」
「ぇ……」
「チルダが自立出来るまでは傍で守って差し上げたらどうでしょう?心中についてはその後でも」
冗談なのか本気なのかよく解らない口ぶりで話す。
「ずっと……?ずっと契約するって事か?」
「当たり前です!愛らしいニャンニャン絶対手放しませんよぉ~!」
シャープは考えた。ずっととは具体的にいつまでなのだろうか?……と。
「でも、俺と契約したのは側にチルダがいるからやろ?チルダが俺から離れたら俺はもう要らないんじゃ……」
「なぜそうなるのですか?私は目の色なんか興味無いですから、興味があるのはシャープとチルダ自身です」
「獣人やから?」
「そう言う事です、シャープが何を失おうと獣人である限り手放しません」
「なんでそこまで?」
「愚問です。私は『魔物』が好きなのです」
そう言ってウィンはシャープの目の前に立った、その体にナイフの切っ先が触れていた。
「あ……」
「ねぇ?シャープ」
囁くようにシャープに言う。
「もうその体に心に傷を増やす必要はありません。あなたもチルダも私が必ず守りますので」
気が付いた時には体をウィンに抱きしめられていた。
「え……」と短い声が出て、手からナイフが落ちた。
「ずっと一緒です。それがお嫌になったら、いつでも刺してくださいね」
ナイフが無くてもシャープには爪と言う武器があった。なのに、体は抵抗を忘れていた。
「シャープはなぜそこまで私が魔物……獣人が好きなのかと問いましたね?」
ウィンはシャープの顔を覗き込んだ。
「この可愛らしい顔立ちも、美しい髪も」
そっとシャープの髪を撫で、続けて頬に手を当てた。
「香まで……獣人は人が人のために作り上げた生き物です。そして……」
シャープは抵抗もせずされるがままだった。
「それはとても……」
ウィンは一旦言葉を置く。そしてシャープの瞳を覗き甘い声で続けた。
「とても……愛おしい存在です」
愛おしい……
自分をそんな風に表現されたのは初めての事だった。可愛いとか、美しいとか、それが人間が獣人を見る時の評価なのだと認識していたからだ。
ウィンの腕の中でシャープはすっかり大人しくなっていた。ウィンはその様子を見てフフッと笑った。
「それにしてもシャープって私の事結構好きだったりします?」
シャープは「はぁ!?」と声を上げた。
「だって、こーんなにずっと抱いているのに嫌がりませんよね?これって合意では?」
少し考える時間を作ってしまい、すぐにウィンのニマニマ顔と目が合ってハッとした。
「ちゃうわっ!合意なんかしてへんっ!なんかお前の変なトーンに流されただけやっ!!」
「えー?そうなんですか?全然嫌がらないから最後までニャンニャンしていいのかと思いました」
「ニャンニャンってだから何やねん?」
「えーそりゃ……」
シャープの耳に顔を寄せウィンはとコソコソと囁いた。
「はぁぁー!?な……そんな事……する訳無いやろっ!」
「それはどうでしょうねぇ?初日でここまで気を許すなんて……その内シャープの方からニャンニャン誘って来るようになったりして♡」
「そ……そんな事あるかぁ!」
シャープは思った。
こいつは獣人全部にこんな言葉を使うのだろう。他の人間と同じように獣人へ歪んだ思考を持っている。ただ、望む事を強要する事も出来たはずなのに、そうしなかったのはナゼなのか?……と。
この時のシャープはまだ知らない。実はこの先も、ウィンはシャープに強要を強いる事は無いのだ。
それを『もどかしい』などと感じるようになる事を、この時のシャープに想像など出来るはずも無いのだった。
――――――
「わーい!おじたん!おはようだおっ!朝ごはん食べるお!」
「煩いガキぞえー!お前をミンチにして朝ゴハンにしてやるぞえっ!」
チルダに手を引かれてウィンはダイニングに入った。
常に身だしなみには気を付けているウィンだが、髪がやや乱れている事で相当チルダに急かされた事が見て取れた。
(昨日まで静かな生活だっただろうに、すでに嫌気でも刺したのではないか?)そう思いシャープはウィンの顔を見た。チルダを見るその表情はデレっとしていて幸せそうだった。
「おはようございます」
ウィンはシャープに丁寧に朝の挨拶をした。シャープはどう返していいか分からず口をへの字に曲げる。
「よく眠れましたか?」
「走り回って疲れてたからな」
シャープはそっけなく返した。
実はシャープはいつも以上に熟睡して眠れたのだ。それは与えられた部屋のベッドがとんでもなく良いベッドだったというのもある。が、チルダを守ってくれる自分以外の存在に安心出来たのが大きかった。
「すごいです!朝ごはん!これシャープの手作りですか⁉︎」
ウィンは食卓に並ぶ料理を見て声を上げた。
早起きしたチルダに起こされて、時間を持て余したシャープが作ったものだった。
「別に普通やろ……つーか、お前普段料理してるんか?キッチン使ってる気配なかったで?食材庫に食材はいっぱいあったけど、全部加工品ばっかやし」
「料理って苦手なんです」
「そうぞえー!ウィンが料理したら指が飛ぶぞえ!」
「え?」
「失礼な!指なんて飛びませんよ!ちょっと血飛沫が飛んだだけです」
何事もそつなくこなすウィンだが、料理だけは絶望的に苦手だ。
「じゃあこれからはお兄たんが料理するお!お兄たんの料理は最高に美味しいおっ!」
「えー!本当ですか!」
シャープにとって料理は唯一の趣味と言ってもいいくらい得意だった。
「まぁ、2人分作るのも3人分作るのも……いやカラスも食うの?じゃあ4人分作るのも同じやしな」
「俺様は子猫の丸焼きが食いたいぞえー!」
「チーたんは鳥さんの丸焼き大好きだおー!」
「ぎえー!このガキくそ生意気ぞえー!」
チルダとピリオドが追いかけっこを始めた。
「こらー!食事の前で走んなっ!」
あまりの騒がしさにシャープは溜息を吐いた。しかし、ウィンはと言うとはしゃぐ2人を嬉しそうに見ている。
「はぁ~!いいですね!私の目指すべくハーレムに一歩近づきました!」
ウィンはだらしない顔を見せて喜んだ。シャープはそれを呆れたように見た。昨日までは恐怖を感じた存在だが、今はただの変態にしか感じなかった。
食事を並べる手を不意に止め、しどろもどろにウィンに問う。
「なぁ……昨日お前が言った事……信じてええの?」
「ええ、勿論ですよ」
ウィンは曇りなく答えた。
「次は振動するオモチャを用意しとくってやつですよね」
「いつ言うてん!?」
咳払いを一つして、視線を逸らしながら続ける。
「絶対に手放さん……ずっと一緒……てやつや……」
「ああ、そっちでしたか。勿論です」
「もし……チルダの目がオッドアイじゃ無くなっても?」
「勿論です」
「俺の目が両方無くなっても?」
「勿論」
「……」
「というか、こーんな愛しい猫ちゃん達!手放す訳がありません!」
愛しい……
シャープはその言葉の真意を考えたがやっぱりよく解らないでいた。だからウィンが自分を傍に置きたい理由や感情はよく理解出来ていなかった。
だけど、当初考えていた『すぐに離れる』というのは先延ばしにする事にした。
「……」
指にある契約の石を見る。それはアメジストも霞むような美しい紫色をしていて、シャープが『幸せと共に失ったモノ』によく似ていたのだ。
この石を選んだウィンの事を少しだけ信じてみる気になったのだ。




