第44話
「……パール……だって?」
驚愕した表情で、ジッパはカイネルを睨み付ける少女に目をやった。その名は、数日前に自分たちにとんでもない依頼を押しつけてきた張本人と同じ王族の名前。
「パール姫様には少々ご同行頂きたくてね。お願いできますか」
カイネルはジッパの張り詰めた表情を無視してコーラルに近づいた。
「…………カイネルくんっ、どうして」
「《緋色の泪雫》というアイテムを手に入れるためです。その為には貴女が必要不可欠だ。是非とも我が『心許ない爪元』と共に【封印のダンジョン】への扉を開いて頂きたい」
「カイネル……君が『心許ない爪元』……?」
カイネルはジッパを嘲笑ったあと、指を鳴らして外套を纏った者たちに手首を縛らせた。
「ジッパ。悪いけどあんたにも付いてきてもらうぞ、オレたちの仕入れた情報じゃかなり厄介そうなダンジョンでね、難易度ランクも文句なしのレベル10だ」
くくくと不気味に喉を鳴らしながら、カイネルはセピア色の町並みを見下ろし――「【古代サンドライト王国】……本当にあったとは……」
なにやら満足した表情で、黄緑色の外套を翻し奥へと歩みを進めていく。
『心許ない爪元』と名乗る団員は全部で七人。捕虜を取り囲む檻のような隊列には隙は無く、少数精鋭の実力派集団といった感じだ。おまけにカイネルは彼らを束ねる統率者らしい。――流石にここで何かしらの行動を起こせば、コーラルやラーナ、クリムに危害が加えられるのは間違いないと踏んだジッパは、口を紡ぐしかできなかった。
カイネルの矢を丸ごと飲み込んだ《異界への鞄》は当然のように略奪され、遂には抵抗する手段さえ失ってしまった一行は、『心許ない爪元』に拉致される形となった。
【古代サンドライト王国】らしき廃墟と化した、かつての王都を進んでいく。気絶してしまったラーナは、カイネルの命により丁重に背負われているが、油断は出来ない。それは人質に取られているのと何ら変わらないのだから。
隅で青白く光る二つの燭台が揺らめき合いながら、そこに挟まれるようにして大きく聳え立った白い扉が、ジッパたちの前方に見えた。
「ここが【封印のダンジョン】への扉か……パール姫様、ここでは貴女のサンドライト王国の王族たる純潔の血と、その胸で光っている《開封のブローチ》が必要となるのです」
カイネルは丁寧に説明しながらコーラルに近づき、白い手首に優しく触れる。
「…………」
コーラルは黙り込む子供のような表情でわかりやすく、ぷいと顔を反らした。
「……大分嫌われてしまったようで。これではお綺麗な血が頂けない。しかし――無理矢理にお姫様の血を奪うようなことは、フェミニストたるオレ自身が断固許可できない」
カイネルが視線をぐらりとジッパに向けて、人気役者のような顔で微笑みかける。
「ジッパ、悪いが早速オレの役に立って貰おうじゃないか」
次の瞬間、カイネルの右拳がジッパの腹部に鈍い音と共に入り込んだ。コーラルの応急処置で止血されたはずの傷口から再び出血が始まる。
「ぐあぁっ!!」
「ジッパッ!!」
コーラルの悲鳴にも似た叫び声が反響した。
「男を殴る趣味なんてこれっぽっちも無いんだが、仕方が無いだろう? お姫様が血をくれないというのだから、あんたの血はいらないぞ。泥臭い庶民の血だからな」
カイネルは拳に付着した鮮血を振り払いながらに言う。
「お主ッ……いい加減にしておけよ」
クリムが眉間に皺を寄せて、床に倒れ込んだジッパの前に立ちふさがる。その鋭く尖った黒い瞳には確実な敵意が含まれていた。
「……おや、一体あんたに何が出来るって言うんだ。『竜族』と言ったって『力失われし竜』なんだろう? そんな訳ありのドラゴンなんざ、怖くも無い」
カイネルが鼻を鳴らしながら、小さな竜を踏みつぶそうと足を上げたとき――。
「止めてッ! わたしの仲間にこれ以上酷いことしないで!!」
下に潜り込み、クリムに向かっていくカイネルの靴裏を、素手で必死に支えたコーラルは、ぷるぷると身体を震わせながら、微笑み面の男を睨み付けた。
「おぉ……パール姫様。なんたることを……オレ、こんなの何かに目覚めてしまいそうです、ああ……なんて健気なんだ……一国の姫たるお方が……このオレの靴裏を支えるだなんて……そんな……とても……イイッ」
気持ちよさそうに満悦した様子のカイネルはそのまま足を引くと――わざとらしく踵をジッパの後頭部に思い切り直撃させる。
「ぐっ」
「あぁっ……ジッパ!! もうお願いっ……わたしのことは好きにしていいから! ……もうこれ以上……みんなに乱暴をするのは止めて……!」
「小娘……」クリムは哀れむ表情でコーラルを見据える。
カイネルは、その言葉を待っていたとばかりに手を叩き、懐からナイフを取りだした。
「では頂きましょう……サンドライト王家処女の血をね……ハッハッハ、しかしそんなに駆け引きがお下手では到底冒険家などには慣れませんよ、お姫様。少しはずる賢く生きていかねば。オレのように」
コーラルはナイフを手に取ると、刃に映る怯えた自分が見えた。
「……コーラル、いいっ、止めるんだ……そんなこと……君がすることじゃない」
「ジッパ…………わたし、すっごく怖いよぅ……身体を自分で傷付けるなんて……そんなの……でも、でもっ、これをしないとあなたがっ……」
突き付けられる目の前の恐怖と、助けたい大切な仲間を天秤にかけられたコーラルは――迷うこと無く仲間を取った。
「おおっ……実に美しい」と、カイネルは注目するようにコーラルの肌を凝視する。
コーラルの白い腕からは、真紅の鮮血が美しく垂れ流れていく。
「痛ッ――」
涙目のまま、コーラルは自分の身体から流れる真っ赤な血液を初めて目にした。それを見るだけで少女は怖くなって腰が抜けてしまう。涙が止まらない。途端に様々な不安が身体の内側に入り込んでくる。
「その血をブローチにかけてください」カイネルに言われるがまま、コーラルは憧れの人物からもらった大切なブローチを血に染めた。
すると、突如ブローチが赤く発光し、白い扉がゆっくりと――開いた。
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