第11話
ジッパは酒場の入り口付近に設置してある幾つもの紙が張り出された依頼ボードを一瞥する――ざっと百を超える依頼が張り出されている。
ボードの手前には数人の冒険家が品定めでもするように薄汚れた紙を見つめていた。
依頼を受けて報酬を稼ぐかどうかは冒険家が決めることだ。決して強制では無い。
――冒険家は世界を救う為に居るわけでは無い。
依頼を達成して依頼主から報酬を貰うも良し、そんな物には目もくれず、独り身でダンジョンに潜り一攫千金を狙うのも又一興。金銭には目もくれず、自由とロマンだけを求めて世界の真実を求め続けるのも――世に蔓延する“魔粒子”が創り出す奇異なアイテムを手に入れるためローグライグリムを股にかけるのも皆、冒険家だ。
ジッパは、そんな自由気ままな冒険家の生き様に憧れに似た気持ちを持っていた。
難しい顔で依頼ボードを睨み付けている冒険家たちの後ろで、うろうろと頭まで外套で隠した一人の女性が落ち着き無く小動物のように歩き回っている。
何をしているんだろう――とジッパが思った瞬間、隣でやけに元気の良い声が響いた。
「冒険家試験はどこで開催されますか! わたし知りたいです」
「いやだからね、お嬢ちゃん――」
幼さを残した溌剌な声は子供のように、純真な心まで垣間見える気さえする。その魅力的な声音の持ち主は、話し相手の返答を今か今かと心待ちにしているようだった。
対面の酒場のマスターらしき紳士的な風貌の男は、少女の大きな声にたじたじとなっていて、酒飲み冒険家たちが昼から滞在する騒がしい店内で際立つ黄色い声を制するように応対しているつもりかも知れないが、あまり意味は無いように見える。
「んふっ、あそこまで素直だと教えたくもなっちゃうかもねー、あんなに困ってるマスターなんて久しぶりに見たよ、あたし」
褐色肌の女は隣で行われている寸劇に目をやると、微笑を浮かべながら、取りかかっていた食器磨きに戻る。
「どうして教えてくれないんですか? そんなのずるですよ、わたしは試験を受けたいんです、絶対に冒険家になりたいんです! イジワルは良くないと思います。そっちがその気ならこっちにだって考えがあるんですよっ」
「いやだからね、意地悪とかそういうのでは無いんだけどね……うーん、ちょっと黙っててくれるかなあ、お嬢ちゃん」
やや困り顔の酒場店主は、眉根を押さえ、世話のかかる愛玩動物を見るような瞳で頬を緩める。しかし、少しばかり嬉しそうでもある。
端から見れば何とも微笑ましい光景であり、黙って見ていたい衝動に駆られる。しかし――それを叩き壊すように大柄な男が少女の隣に立った。
「何だったら受けさせてやんぜ、俺の冒険家試験をな……うっへっへ」
「本当っ!?」
少女は無邪気にぱっと表情を明るくさせると、ミディアムロングの綺麗な金髪を靡かせて、宝石のように潤んだ大きな青色の瞳を煌めかせた。
活発そうな第一印象とは裏腹に身なりはとても清楚で、控えめに装飾が施されたシャツに、可愛らしさを前面に押し出したフリルのスカートは少し短めでいて、彼女の元気の源を体現しているかのようだ。特徴的な金の髪も、側頭部にかけて丁寧に編み込まれていて、花咲くように毛束が開いている。声をかけてくれた冒険家にとても嬉しそうに顔を向けて、にこにこと表情を緩める――そんな顔をされてしまえば、大抵の男は鼻を伸ばし何でも言うことを聞いてしまいたくなるだろう。そのくらいに美人な娘だった。
「こいつは驚いた……とんでもねえ上玉じゃねえか」
「ジョーダマ? なあにそれ」
声をかけたはずの大柄の冒険家は、その精悍な顔つきを一瞬にして骨抜きにされてしまう。一方少女の方はあっけらかんとしており、男の顔をじっと見つめてからにっと笑みを返す。
「おい、待て……その女は俺が最初に目を付けていたんだ」
次々と立ち上がる好色な冒険家たちは鼻の下を伸ばしながら少女を取り囲んでいく。
「わあ、あなたも冒険家試験について教えてくれるの? 嬉しい!」
少女はこれから自分の身に何が起こるのか、全くわかっていないらしく、無防備に美麗な肌を鼻息の荒いふしだらな冒険家たちに好きなだけ見せている。
巷では彼女のような一度もダンジョンに潜ったことの無い女性のことを“ダンジョン処女”と呼んでいるらしいが、まさに彼女はそれであった。無防備でいて、世間知らず。誰にでも笑顔を見せる無垢な少女。純潔なその心を蝕まれてしまうのも時間の問題だ。
青年は下心が全く無い、というわけではなかったが、それでも心を奪われそうになる無垢な笑顔が可愛らしい――その横顔を放ってはおけなかった。
「……やめましょうよ、こういうことは」
「あ? なんの話だよ」
「貴方たちがやろうとしていることです」
ジッパがそう告げた瞬間――急激に迫ってくる岩石のような拳を頬に受け、身体ごと吹っ飛ばされる。
「ジッパ!」とクリムが歓声に声をかき消されながら叫んだ。
「えっ」
驚いた表情の少女を、青年は一瞬視界の端で確認する――一方酒場は一斉に盛り上がり始め、どっと声援と罵声が送られてくる。酒場での冒険家同士の取っ組み合いは、ある意味名物であり、一つのショーといえる。
「何だよ、デカい面して出てきたと思ったら大したことねえじゃねえか」
少し朱が差した頬で、男は酒臭口でにたにたとジッパを見下ろす。
「くっ……いきなり殴るとか、乱暴だなあ……もう、いって……」
じんじんと少しずつ痛みが現れるのを頬に感じジッパは眉を顰める。
「なんだよ、お前“地図無し”の癖に“短剣差し(ダガナイ)”のこの俺に刃向かおうってのかよ」
男は、自身の暑い胸板で地図に短剣が刺さった絵柄のバッジを光らせる。
――それが《冒険家の証》であることは青年にも察しがついた。
(ジッパ、落ち着け。今のは自業自得だぞ、余計なことに首を突っ込むから――)
服の中から気付かれないように首だけひょこりと出して、クリムが心配そうに青年の顔を見上げる。
「いや、刃向かうもなにも無いけど……《冒険家の証》はあくまで冒険家の身分証明であって、その人の社会階級を表す類いの物ではないと思っていたんだけど……それであってる? まだこの街に来たばかりで実はよくわかってないんだ。
もしよかったら教えてよ、怖い顔のおじさん。それにそんなに偉そうな口を叩いているわりには昼間っから酒飲んで冒険家稼業は順風満々? さっきから依頼ボードの前でうろうろしてる人だっているよ、仕事は山ほどあるんだから、こんなところで女の子に言い寄ってないでダンジョンの一つや二つにでも潜ってきたら? 凄腕の冒険家なんでしょ? 物腰からするとあまり凄味は感じないんだけどなあ
……ははあ、わかった。実は何かの拍子に“ダガナイ”のランクになってしまったけど【王国のダンジョン】の申請の仕方さえわからない実経験の無い冒険家さんなんでしょう……だったら、さっき僕教えてもらったばかりだけど、“地図無しの”僕が教えましょうか? “ダガナイ”のおじさん」
皮肉たっぷりに得意のお喋りで冒険家の男に言い寄るジッパ。言われている方は気持ちのよい酔いも何処かへ飛んいってしまったのか、顔をより赤くさせて今にも殴りかかりそうな勢いだ。
「てめえ……俺をコケにしてんのか……?」
「コケ? なんですかそれ、おじさんの名前かなにか? すごいかっこいいですね」
「てめえ、ぶっ殺す!!」
――頬を叩く風圧。ジッパの特徴的な帽子が微かに揺れる。
ジッパに襲いかかろうとする男の岩石のような拳を受け止めたのは――さっきまで少女にたじたじになっていた、この酒場のマスターだった。
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