転生した悪役令嬢様は本日も断罪をご所望です。
「さて、どうしたものか。」
ライデン王国第一王子、ケイン・ライデンはひとりごちる。ライデン王家の象徴にもなっている銀色の瞳に銀色の髪は周囲に冷たい印象を抱かせるが、彼はその実、優しい心根をもった青年であることを国民は知っている。
王宮で開催された晩餐会。煌びやかに彩られた会場は静寂に包まれ、ケインはほとほと困り果てていた。
ケインの目の前には彼の悩みの種であり、この静寂の立役者である婚約者のシャルロッテ・トレンシアが座りこんでいる。小刻みに震える彼女は誰が見ても痛々しいほどに狼狽していた。彼女の零した赤ワインはシルバーベージュの髪から滴り落ち、薄桃色のドレスに斑模様をつける。
「ケイン、私は第一王子である貴方に相応しくない不器用な人間です。このように何もないのに頭からワインを零してしまうような不出来な人間です。私のような存在が貴方の婚約者だなんて、この国の存命に関わる。だから、婚約破棄でも、国外追放でも何でもしてください。」
わなわなと震えるシャルロッテはケインにとっては聞き飽きたであろう台詞を口走った。その声はところどころ聞き取れないほどに震えている。碧色の瞳が今にも零れ落ちそうなほどの涙を蓄え、真っ直ぐにケインを見つめる。一部始終を眺めていたケインは諦めたようにため息をつき、口を開いた。
「婚約破棄も、国外追放も俺がするわけがないだろう。俺が貴女を見限ることは今後一切ない。どんな失態を犯そうが、どれだけ嘲笑に会おうが、俺は貴女を手放すはずがない。だから諦めなさい。」
「で、でも。私は断罪されるべき人間なんです。お願いですから、婚約破棄してください。国外追放してください。そうしなければ、この国は……。」
「なぜ決まってもない未来の事をそこまで危惧する?貴女は俺と結婚する。俺が貴女と結婚したいんだ。俺のことが嫌いならば仕方がない。貴女から婚約破棄を申し出ればいい。貴女は俺のこと嫌いなのか?」
自身を否定し続けるシャルロッテに痺れを切らしたようにケインは彼女の両肩を掴んだ。まくし立てるように言葉を紡ぐ彼の瞳は真剣そのもので誤魔化しや逃走を許さない。
彼女を勇気づけるかのような力強い口調の中には僅かに恐れや不安が孕んでいた。
「わ、私が婚約破棄なんてそんなことできません。それに、嫌いなわけ、ないじゃない。だって、私、貴方のこと愛しているから。」
ぽろぽろと瞳から涙を零す姿は儚くも美しく、ケインの庇護欲を刺激する。口元を緩め、愛おしそうに彼女を見つめる瞳は普段の鋭い眼光からは想像がつかないほどに慈愛に満ちている。
──あなたって人は本当に可愛らしい。──
ケインはワインの汚れを気にも留めずシャルロッテを抱きしめる。
「俺も愛しているよ。」
その刹那、二人を取り囲んでいた観衆は静寂を破り、大きな喝采を彼らに浴びせた。
「いいぞ!もっとやれ!!」
「俺は一生二人についていきます!」
「ケイン王子!絶対手放すんじゃないぞ!」
***
晩餐会は終了し、閑散とした王宮を二人は歩いていた。
静まり返った夜道には何かを引きずるような音が規則正しく響いている。その音の正体はシャルロッテだ。足を引きずって歩くシャルロッテは公爵家の令嬢とは思えないほどに不格好な印象を周囲に与える。
気にする素振りを見せないシャルロッテと、心配そうに見守るケイン。相反する二人は寄り添うように目的地に向かっている。
「シャルロッテ大丈夫かい?ほら、捕まって。」
「ええ、ありがとうケイン。今日は少し疲れちゃったみたい。」
短く言葉を交わし、ケインはシャルロッテを横に抱きかかえた。
当然のように振る舞う彼らは何度も繰り返しこのやりとりをしてきたのだろう。そう思えるほどに洗練されていた。
「ねえ、ケイン。私、同情なんていらないわ。私はきっと貴方に少なくない不幸をもたらす。同情だけで私との関係を続けているのだとしたら、それは要らない。だから、いつでも婚約破棄してね。」
「貴女はいつもそうやって未来を悲観的に捉えるんだな。貴女がどんな障害を抱えていようが、未来までもが不幸に塗れてしまうわけじゃないだろ?俺は貴女の事を愛しているってさっきも言ったはずだ。同情なんかで貴女と一緒に居るんじゃない。」
──だって事実なんだもの。私は別にこの身体を悲観して言っているわけじゃない。──
「わ、私は、別に悲観なんかしていない。ただの事実を言っているだけよ。私と結婚してしまったら、多くの人間が不幸になる。シャルロッテ・トレンシアは断罪されなければならない運命なの。」
「貴女は何度言ったらわかるんだ。俺は断罪なんてしない。俺は貴女を愛している。貴女も俺を愛している。その二人が婚約し、時が来れば結ばれる。それでいいじゃないか。俺たちにこれから先、不幸や苦悩が待ち受けていたとしても、俺たちは協力してそれを乗り越えるそれでいいじゃないか。」
シャルロッテが断罪されなければいけない運命だと言った途端にケインの瞳は鋭く光った。抱きかかえたシャルロッテを見下ろし、ケインは唇を噛み締める。
「確かに貴女は昔、心にも身体にも深い傷を負った。俺はずっとその傷を癒してやりたいと思ってきたし、今だって思っている。俺なりに貴女と関わってきたつもりだ。だけど、貴女は本当に幸せになろうとしているのか?俺にはそれが分からない。幸せになろうとしていない貴女を俺はどうやって幸せにしてやればいいんだ?」
「幸せに?そんな事……許されるわけないじゃない……。だって、私は悪役令嬢、シャルロッテ・トレンシアだもの。」
怒りに震えるケインを見ても尚、自身の幸福を許そうとしないシャルロッテは確信に満ちたように話をする。確信めいた発言とは裏腹にその瞳は苦痛に歪み、手は小さく震えていた。
「許されるわけないって、誰にだよ。いいんだよ。いいに決まってるじゃないか。貴女は幸せになっていい。誰かが貴女の幸せを許さないんだとしたら、俺は貴女が幸せになろうとしない事を許さない。貴女の不幸を望む奴がいるんだとしたら、例え貴女であっても許さない。」
──それでも、シャルロッテは幸せになってはいけないの。──
「でも、それでも、私は断罪されるべき人間よ。」
「なんで貴女はそんなにも頑ななんだ。」
小さな震えは収まり、真っ直ぐに自身を否定する彼女は強い眼差しをケインに向ける。どんな言葉を掛けようが自己否定をし続ける彼女にケインはまたしても唇を噛み締めた。
***
ケインとシャルロッテの結婚は二人が生まれる前から決まっていた。
物心つく前から当然のように婚約者として隣に居た彼らはそれを疑うこともなく、受け入れていた。
ケインにとって、婚約者と言えばシャルロッテであり、シャルロッテと言えば婚約者であった。そこに恋や愛、お互いを想いあう感情などなく、事実として存在するだけであった。
そして、それはシャルロッテにとっても同様だった。
その関係性が変わったのは5年前の事件からだ。
まだ幼かったシャルロッテの屋敷に強盗が侵入し、風邪で寝込んでいた彼女に危害を加えた。彼女の特徴的な歩き方はその時の怪我による後遺症だ。
その事件を契機にシャルロッテは人が変わったようにケインに断罪を求めるようになっていったのだ。
道端で転べば運動の出来ない私はケインに相応しくないと言った。
手が滑ってスープを零せば、このようなミスを犯してしまう私がケインと婚姻すれば不注意で国を滅ぼしてしまうと嘆いた。
風邪を引けば、身体が強くない私はいずれこの国に厄災をもたらすと悲観に暮れた。
周囲の人間はそんな彼女を心にも身体にも傷を負ってしまった哀れな令嬢だと同情したが、実際はただ、その怪我によって彼女が前世を思い出しただけの話であった。
前世での彼女は乙女ゲームで描かれるケインに心酔するほどに惚れていた。彼と結ばれることを夢見ていた。それなのに彼女は、シャルロッテは断罪されるべき人間だと信じて疑わない。
シャルロッテは良くも悪くも周囲への関心がない人間だった。自身に与えられた役割を粛々とこなし、そこに彼女の感情というものはなかった。疑いもせずに人の悪意も善意も受け取り、与えられた運命を受け入れていた。
強盗事件はそんな何に対しても無感情、無感動な彼女をさらに歪めていった。人は人に危害を与えてもいい。傷つけられた人間は同じように人を傷つけてもいい。そんな偏った認識をしてしまったシャルロッテは悪役令嬢として突き進み、ケインを、ライデン王国を不幸に導くことになる。
彼女はそんなシャルロッテを何度も見ていたから、断罪を迫るようになったのかもしれない。自分が断罪されればケインを、王国を不幸に導かなくていいとそんな馬鹿みたいな考えに支配されてしまったからなのかもしれない。シャルロッテが歩むはずであった人生と、彼女が今歩んでいる人生は全く違うものなのに、彼女は未だにゲームのシャルロッテに囚われている。
***
「シャルロッテ、着いたよ。俺が見せたかった景色だ。」
目を覚ましたシャルロッテの瞳に飛び込んできたのは一面のバラ畑だった。
赤、青、黄、様々な色で咲き誇るバラは棘があることを忘れて触れてしまいたくなるほどに美しい。シャルロッテは見惚れるように目を細めている。
「今年も綺麗に咲いたわね。本当に、綺麗。きっと沢山の人が手をかけて育ててくれたおかげね。私は後何回この景色を見る事ができるのかしら。」
「後何回って、何度だって見せるよ。俺は貴女がこのバラに見惚れている姿をみて初めて貴女に恋をしたんだ。バラを見つめる貴女はどんな花よりも美しかった。」
ケインは優しく微笑み、シャルロッテにあたたかな眼差しを向ける。ケインがただの婚約者でしかなかったシャルロッテに対して特別な感情を抱き始めたのは、シャルロッテの怪我が回復してから少し経った頃の事だった。
「俺は正直、貴女の事を特別視などしていなかった。ただ、婚約者として定められた運命としか思っていなかった。王族や貴族同士の結婚なんてそんなものだろう?あの事件によって傷ついた貴女に対しても同情や心配はしたが、それも知り合いに向ける程度のことでしかなかった。」
強盗事件の後、思い出した前世の記憶で混乱していた彼女は今よりも不安定だった。一度に様々なことを思い出したからだろう、彼女は今以上にケインに断罪を迫っていた。
「あの時から否応なく貴女は変わっていった。貴女にとっては不幸な出来事だったのかもしれない。だけど俺は変わった貴女に徐々に惹かれていったんだ。断罪を迫ってくる貴女には頭を抱えたが、何にも興味を示さなかった貴女が俺に微笑みかけてくれるようになった。使用人の体調に気を使い、侍女の心遣いにすら感謝を告げるようになった。」
シャルロッテとは違い、彼女は周囲に気を使う人間だった。
気を使いすぎたせいで彼女はあんな決断をしてしまったのかもしれないけれど、それでもその一面が彼女の美点であることは疑いようのない事実だ。
そして、ケインはそんな彼女の心遣いにも気づけるような人間だった。
常に周囲の人間を気にかけ、他人の苦痛に心を割く彼女を聖母なんて称したのは誰だっただろうか。
「俺は不謹慎にも事件が貴女を魅力的な人間に変えたんだと思ってしまったよ。そう思えるほどに貴女は優しい人間になった。貴女に暖かさを感じるようになった。俺はもっと貴女を笑わせてやりたいと思うようになった。あの時俺は必死だったよ。どうやったら笑わせられるだろうって四六時中考えていたさ。貴女が花を好きだってことを知ってこのバラを見せたよね。その時の貴女の顔を見て、俺は貴女への恋心を完全に自覚した。」
ケインの話を静かに聞くシャルロッテは泣き笑いのような複雑な表情を浮かべていた。花に囲まれ、月明りに照らされた少女は幻想的な雰囲気を醸し出す。
「だから、俺と結婚してくれ。」
シャルロッテは一度目を見開き、でも、と話はじめた。
「私、貴方を不幸にしてしまう存在よ。」
「貴女と結ばれない事のほうが不幸だ。」
彼女の口から出る言葉はまたしても自己否定の言葉だった。ケインにとっては耳にタコができるほど聞いた言葉だ。
「でも、国を危険に晒すかもしれない。」
「俺がそんな事はさせない。」
何度も自身を否定する彼女の手をケインは決して離さない。何度も彼女が否定をするなら、ケインは何度も彼女を肯定する。
「でも、私、貴方に迷惑しかかけていない。」
「迷惑だなんで思っていない。俺がしている行動は全部俺がしたくてしていることだ。」
何度も彼女を肯定し続ける彼の瞳は相も変わらず暖かい。彼女を幸せにするその覚悟が眼差しからは滲み出ている。
「だって、私、悪役令嬢。神様にだって断罪を望まれている。」
──沢山の人々を不幸に導いた君に転生のチャンスをあげよう。──
昔、私が口にした言葉が蘇る。彼女をシャルロッテに転生させたのは私だ。彼女が惚れていたケインの婚約者に転生でもさせれば、自身を見つめ直してくれるんじゃないかと思っていた。自分を肯定できるようになるんじゃないかと思っていた。自分のした選択がどれだけ馬鹿な考えなのか分かってくれると思っていた。
「そんな神様の望み叶えてやるか。」
「私、神様に言われたの、シャルロッテに生まれ変わって、罪を償いなさいって。沢山の人を不幸にするはずだったシャルロッテに転生して沢山の人を救いなさいって。」
──君は沢山の人を悲しませるような決断をしてしまったね。──
──はい。──
──自分で自分を殺して、それがどれだけ沢山の人を悲しませることなのか、君は知らない。
──
──でも、私はそうするべき人間なんです。──
──君のする自己否定がどれだけ他人を傷つけてしまっているのか、君は知らない。だから、転生をさせよう。君が好きなケインの婚約者だ。──
──私はそんなこと望んでいません。早く成仏でもさせてください。もう、全部忘れたいんです。早く消してください。──
──君の望む、望まぬに関わらず転生はさせる。断罪でも何でもされればいい。ちゃんと生きるんだ。ちゃんと生きて、悲しみも苦しみも喜びも楽しみもちゃんと知って、自分のしでかしたことを悔やめばいい。そうやって罪を償うんだ。それでいつか沢山の人を救いなさい。だから、──
──沢山の人々を不幸に導いた君に転生のチャンスを与えよう──
転生して、ゲームの設定にはなかった幸福を掴むなんてものは、悪役令嬢ものの定石だから、彼女もきっとケインと愛を育み、自分なりの楽しみを見つけて、幸せになってくれるものだと思っていた。
だけど、彼女は私の想像以上に頑なで、厄介で、物語に忠実だった。自分を蔑ろにしてまで、他人を優先する馬鹿な女の子だった。
「神様に言われたことなんて気にするな。そんなにも断罪されたいのであれば、死んだ後にその神様に断罪されればいいじゃないか。」
「でも……。」
幾度となく彼女を肯定するケインと、否定する言葉を見失ってしまった彼女。月の光を反射し、輝きを放つ瞳は言葉を探すかのように彷徨っている。
「自分を幸せに出来ないような人間が、他人を幸せにすることなんて出来っこないだろう。」
「だって……。」
ケインが彼女の瞳を捉えて離さない。否定の言葉を探すことすら彼はもう許さない。
「それに、貴女を失ったら不幸になってしまう人間は沢山いるんだ。俺は貴女の居ない人生がもう考えられないほどに貴女に心を奪われてしまっているんだ。貴女がもし、何か償わなければいけない罪があるんだとしたら、幸せになって償うんだ。」
だから、と言葉を区切ると、ケインはまた話始めた。その言葉にはきっと伝わってほしいと言う願いが、祈りが込められている。
「俺と結婚してくれ。」
シャルロッテは涙を滲ませ、静かに首を縦に振った。
──ごめんなさい、神様。断罪はちゃんとされます。この人生が終わったら地獄にでも何でも連れて行ってください。だから、今だけは。──
彼女は本当に呆れるほど、どうしようもないほどに馬鹿な女の子だ。
私が、自分の幸せを望み始めた君に断罪などするわけがないだろう。