1話
――この気持ちが晴れる日が来るだなんて――。
私の目の前で倒れ伏す愚か者を見て、今まで私は何をやっていたんだろうって。
守るのは当然。守れないのなら守らせればいい。こんなに簡単な事だったんだ。
だから……私は…………。
「田淵さん、進路希望のプリントの提出期限は今日までだから、提出して欲しいのだけれど」
派手な髪の三色組み。
赤、青、黄色。最後のは金髪なんだろうけど、安っぽい黄色にしか見えない。
三人組みは私が話し掛けると談笑を止め、『またか』と言う感情と『鬱陶しい』と言う感情をそれぞれ隠そうともせず浮かべる。
黄色……田淵は軽薄な薄ら笑いで『あー……』とまるで今言われたかのようにカバンを漁った。
「ゴメン。まだ何にも書いてない。俺のはいいわ」
内心で舌打ちをする。このクズ。
「ダメ。期限は今日までで、私がこれから先生のところに持っていくの。クラスの分が揃ってないと私の所為になるわ、今書いて」
私の言葉に男共は眉間に皺を寄せる。しかし互いに顔を見合わせると、黄色はプリントに汚い字で素早く希望を書き込む。
適当に書いた事は明白だが、私はプリントを集めるのが仕事であって、この黄色の将来まで知った事ではない。
黄色がプリントを押し付ける様に私に渡してくる。
雑談する間柄でもない為、無言で受け取って自分の机に置いてある残りのプリントと一緒に纏める。
「委員長でクール系でめっちゃ美人だけど、ルール、ルールってウルサすぎ。少し愛想よくすれば爆モテだろうにな」
「バーカ。あの女は何よりも決まりを守るのが趣味なんだよ。付き合ったら小言が多すぎて発狂するぜ」
「ま、委員長も使い用ってな。ルールを破らないから面倒事を押し付けるのには都合がいいじゃんか」
私が直ぐ近くでプリントを纏めているのに陰口か。聞こえるように言ってるんだろう。気持ち的にはぶん殴りたいけれど、この国は……いや何処の国でも暴力は立派な犯罪。ルール違反である。なので頭の中でぶん殴るだけにしておく。
尚も小声でグチグチと何か言っている奴らを無視する為に別の事を考える事にする。
この学校の弱点は愚か者でもお金さえ積めば入学出来る点。お金がある人はお金をかけて名門出と言う肩書きを手に入れる。
反対に学力や運動で秀でていれば、お金が無くても入学できる。
だからか、真っ当な人間と愚か者の差が激しい気がする。
けれど学力が優秀でも学校のルールを守れない者の何て多い事か。
「はぁ……」
プリントを見苦しくないように纏めると、職員室へ。
道中、平然と廊下を走って行く者がいる。
その有様を見ても先生は無反応。
「なんの為のルールなのよ……。守らせる気がないのなら、最初から作らなければいいのに」
小さく吐き捨てる。
(勿論、それぞれに事情や理由があるのだろうけど……。そう頭で分かっていたとしても、腹が立つのは私の器量が狭いからでしょうね)
職員室にプリントを届けて、帰り支度をする。
私は部活には入ってないので、意味もなく学校にいる訳にはいかない。
「私の価値観をみんなに押し付けているんでしょうけど……。でも、だったら何の為のルールなのよ。守る為に作ったなら守る事が絶対に正しい筈なのに……」
思わず1人り呟いてしまう。
けれど呟きは放課後の濃いオレンジ色の教室に消えていく。
「帰りましょう」
帰って趣味のゲームでもしよう。
ゲームはいい。ゲームの中ではルールを守るしかないからだ。
たまにバグやチートが横行してその限りではないけれど、ゲームをプレイしていて何でもありになったらみんな詰まらないと言い出すと思う。
そんな事をつらつらと考えながらカバンを手に取り……。
突然、視界が歪んだ。
「っ!」
立ち眩み?
今日は別段体調が悪い兆候は無かったけど……。
(不味い)
立ってられない。頭がガンガンする。机に手を掛けて、倒れるのを回避する為に、ずるずるとゆっくりヘタリ込む。
「うっ、くっ」
追加で吐き気、更には視界が回り始める。
(一体なんなのよ――)
誰に悪態を付けばいいのか、兎に角誰かに当たるしかないぐらい具合が悪かった。
しかしそれも直ぐに終わる。
私の意識は完全に落ちてしまうからだ……。
私の枕はこんなに寝心地がよかったかしら。
とても寝心地が良くて頭を上げたくない。
けれど遅刻などという失態は絶対に許さない。諸事情で遅れる?
家を早く出ればいい。
とても……とても後ろ髪を引かれるけれど、起きなければ。
「ん」
体を起こして目を開ける――そこは自分の部屋ではなかった。
「え?」
そういば、私は家に帰ってなどいない。教室で倒れて――。
「お目覚めになられましたか……」
真横、私の耳から差ほど離れていない距離から綺麗な、透き通る様な声が聞こえて小さくだが肩が跳ねる。
私は内心驚いていても、顔や仕草に出にくい。そのお陰と言うかは分からないけれど、どんな状況でも冷静だねとか言われる事が多い。けれど流石にこの状況には緊張してしまう。
「誰?」
ゆっくりと横を向く。誘拐、だろうか?
(でも倒れたのは学校の中よね……)
不審者が入って来られる場所ではないと思うけれど。
室内が薄暗く、光がろうそくのような物しかないので直ぐ近くにいると言うのに顔が余り分からない。
あ、メガネがないのか。
「これでしょうか?」
悟られない様にこっそりと手を動かしていたつもりだったけど、相手は特に警戒もせず私にメガネを掛けてくれた。
「ありがとう」
やっと鮮明になった視界で目の前の人物を見る事が出来る。「…………!」
クラスメイトではない。知り合いにもいない。
そしてそんな見ず知らずの彼女に膝枕をされていた、と推測する。
もう一度だけ彼女を見つめる。
(うん。会った事はない筈)
私は基本的に人を忘れない様にしている。会った人を忘れるのは無礼だからだ。
それに……彼女を忘れる事は出来ないだろう。
そう思わせる程、整った容姿をしている。垂れ目で顔のパーツの組み合わせから柔らかい印象を持ちそうだが、それに反して纏う雰囲気は固い。それは彼女が眉間に皺を寄せたまま私を睨んでいるからだろう。
「…………」
どうにも値踏みされている。そんな気がしてしまう。
(さっきからずっと見つめ合ったまま、ううん。正確にはにらみ合ったまま、か。拘束されたりしてないところを見るに誘拐とかではない……?)
「すみません、ここはどこでしょう? 私は学校で倒れた筈なんですが……」
「ガッコウ? と言うのは分かりませんが……。恐らく貴女様が今まで居た場所と違うのはわたくしが貴女様を召還したからでしょう」
召還……。
最近は現実世界から別世界に勇者として召喚され、冒険が始まるのはゲームでよく見る展開だ。
つまり今、その状況だと言う事。
個人的には嫌いな展開ではないのだけれど、頭が痛くなってきた…………。
とりあえず、立ち上がろう。嫌われ者の私を嵌めて笑い者にしようとするクラスメイトの仕業の可能性も十分ある。
しかし上手く足に力が入らず、ふら付いてしまう。のだが倒れこむ事なく抱きとめられる。
「大丈夫ですか?」
目の前の彼女が素早く支えてくれたようだ。
私は女性平均で言うと背の高い方だが彼女の方が更に高い。私より大分、体付きがしっかりしている。結構体を預けてしまっているのに全然ビクともしないのだから。そしてやたら甘たるい匂いがする。香水でもかけているのだろうか。
だいぶ密着したお陰で彼女の顔を至近距離で見る事になる。
初対面の時から今この瞬間でも眉間に皺を寄せたまま不機嫌そうだが、私に危害を加えようという事はなさそうだ。
「すみません」
謝ってから自力で立つ。なんとか足元も安定してきた。
もう大丈夫だと判断したのか、彼女は私から半歩距離を取り、そのまま片膝をついた。
「先ほど少し言いましたが、わたくしは貴女を別の世界から召還させていただきました。勝手は承知しています。されど、我々はもう別の世界の存在に頼らざるえない。どうか。我らを導いてはいただけないでしょうか?」
片膝をついて頭を垂れる彼女。ボブカットの髪が流れて、白いうなじが露になる。
今更ながら気が付いたけど、彼女の頭には羊の様な角が生えていた。
間近で見ているから分かるのだけれど、完全に頭から生えていると確信出来てしまう。
(これは……どうすればいいの?)
ゲーム、ライトノベルのジャンルで言うと異世界召還。
正直、私はこの申し出を受ける義理はない。
(でも此処で断れば私は元の世界には帰れないのでは?)
断れば元の世界に返してくれるのだろうか? いや。わざわざ使えない奴に労力を割く事はしない可能性は高い。
冷静に。判断を間違えれば簡単に野垂れ死にだ。
「分かりました。しかし私は何をすれば? それに勝手に召還してそちらの都合だけ言われも困ってしまうのが正直なところです」
さぁ、どう出る?
彼女の反応で今後私がどう動くか考えないと。
「今、渡せる物はわたくしの忠誠しかございません。わたくしは貴女様の下僕として働く所存です。どうぞ、何でも仰ってください。そしてみんなを……魔物達を救ってください。さすれば魔物達は貴女様に従うでしょう」
(今なんと?)
「魔物?」
「はい」
…………。勇者とかそんな物だと思っていたけれど、どうやら魔物側らしい。
それって魔王と呼ばれる存在では?
思わず、低い天井を見上げる私だった。