prisoner in other world
そこはなにもない空間でした。音も風も温度も、上下の感覚さえない薄茶色の世界。手を伸ばせばすぐに壁にぶつかるように見えるかと思えば遥か先まで茫々(ぼうぼう)とした空間が際限なく拡がっているようにも見えました。
わたしは視線をゼルヴォス様へと向けました。それ以外の所を見ると正気を保っていられないと思ったからです。
わたしたちは完全に異界の迷子と化していました。異界からわたしたちの世界に戻るには元の世界との繋がりが必須なのです。元の世界との繋がりとは転移者の縁、過去から今に至るまでの行い、平たく言えば記憶でした。故に転移が過去に行ったことのある場所にしかできない理由はそれでした。
今、その過去との繋がりがゼルヴォス様の意識と共に消えてしまっていました。繋がりがなければ元の世界を手繰り寄せることができないのです。なんとかしてゼルヴォス様の意識を取り戻したいのですが、呪いに侵食されているゼルヴォス様を無理に起こせば自我が崩壊してしまう恐れもありました。
ここはわたしがなんとかするしかありません。 今からでも転移の術式を組み直してみようかとも思いました。
そうすれば少なくともわたしが知っているところへ転移できるかもしれません。
ですが、ダメでした。異界ではどうしたものか魔力を集めることがまるでできないことが分かりました。これではマギアプレートを使うことができません。
まさに八方塞がりでした。
どうやらわたしたちは異界の虜囚と成り果てたようです。
わたしは途方に暮れながら抱き締めているゼルヴォス様へと見つめます。ゼルヴォス様は苦悶の表情で目を閉じたままピクリともしませんでした。ただ、浅い呼吸から生きていることは分かりました。
わたしはそっとゼルヴォス様の胸に顔を埋めました。
この人と一緒ならば、これはこれで悪くはない
そんなことを思いながらそっと目を閉じました。
「ふむ」
なにか違和感を感じてわたしは顔をあげました。一体どのくらいぼうっとしていたのでしょうか。
数時間?
数日? それともほんの数秒だったのかもしれません。どうも異界では時間の感覚がどんどんおかしくなってしまうようです。
わたしはゼルヴォス様へと再び目を向けました。ゼルヴォス様は相変わらず目を閉じたまま微動だにしません。次に周囲に目を移します。
相変わらず薄茶けたあやふやな空間が遠近感を喪失させます。とにかくわたしの違和感を刺激するようなものはなにも見当たりません。それでもなにか無性に胸騒ぎのようなものがしました。
なにかがおかしい
そう、わたしの頭の奥底で声がするようでした。違和感の元を懸命に探します。
「うん?」
わたしは近くに漂う土くれに気づきました。それはわたしたちが転移門をくぐる時に衣服についていた泥の類いです。それ自体はなんの変哲もありません。しかし、なにか気になり中空に浮かぶ土くれをじっと見つめていました。すると、その土くれたちはゆっくりとわたしたちから離れていっているのが分かったのです。
わたしはそっと抱きしめていたゼルヴォス様から手を離します。
するとゆっくりではありましたがゼルヴォス様との距離が離れていくではありませんか。
わたしは確信しました。
土くれやわたしが離れようと動いているのではなくゼルヴォス様が動いているのです。なぜなら異界での移動には縁が必要なのです。現世と隔絶してしまった自分や縁を持たない土くれは動くことができないはずです。ならばゼルヴォス様のなにかの縁が無意識の内にもゼルヴォス様を現世に引き寄せようとしているのでしょう。
わたしは再びゼルヴォス様にしがみつくと周囲を確認します。しかし、ゼルヴォス様を引き寄せようとする縁を見つけることはできませんでした。それでも当たりをつけた空間に手を泳がせてみました。すると微かになにかがひっかかる感覚がありました。蜘蛛の糸のように目に見えない細い縁なのでしょうか。
とにかくこれは僥倖です。
どこに繋がっているかは分かりませんがこれを手繰り寄せれば現世に戻れる可能性があるのです。戻れれば後はなんとかできるでしょう。
わたしはその可能性にかけることにしました。目に見えない縁を腕に巻き付けるようにして引き寄せます。後はそれを繰り返します。位置を確認する術がないためまるで動いていないようにも思えるのですが土くれが小さくなっていくのでわたしたちが動いているのことは間違いありません。一体いつ転移門に到達できるか分かりませんがわたしは粘り強く同じことを繰り返します。
必ずゼルヴォス様をお助けする。
ただ一心にそれだけで単調な作業を続けました。
それは全くの不意打ちでした。いつ終わるとも知れない手繰り寄せの作業を繰り返していると、突然に目も眩むような閃光がゼルヴォス様に突き刺さりました。
そして、衝撃。
ものすごい勢いでゼルヴォス様の体が動いていくのが分かりました。振り落とされないように手に力を込めます。
目をしばたたかせながらゼルヴォス様へ視線を向けると、胸のあたりに真っ白い光の棒のようなものが突き出ていました。棒というか糸というべきかでしょうか、それに引っ張られているようです。
縁のつながりです。
どういうわけが突然ゼルヴォス様の縁が外界とつながったようでした。
これなら現世に戻ることができるかもしれない
そう思った時です。進行方向の空間が歪み、薄茶色一色から灰色、次いで紫色、さらに……、なんと表現すればよいのでしょうか。水の中に無数の絵の具を溶かしてかきまぜたような感じになり、そこへ向かってわたしたちは飛び込むことになりました。
ずぶりと粘り気のある水に飛び込んだような感触に全身が包み込まれたかと思った瞬間、太陽の光がわたしの目を射しました。
わたしたちは転移門を抜け、現世に戻ってこれたのです。
2024/10/05 初稿




