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return to ordinary days

 船は順調に海原を進んでいました。

 ゼノ様は甲板から鏡のように穏やかな海面を眺めておられます。


 一体なにを考えておられるのでしょうか

 窮地に陥っている連邦の行く末でしょうか?

 はたまた、謎の呪いについてでしょうか?

 いえ、恐らくは……


 ズキリと少し胸が痛みました。


 一度息を吸い、心を落ち着けるとゼノ様の背へ声をかけました。

 

「ゼノ様、カディス様と連絡が取れました」


 ゼノ様は振り向くと、「そうか」と素っ気なく言われました。ほんの一瞬、気まずそうに目を泳がせます。それで全てを理解できました。お腹の中を冷たい手で撫でられるような不快な感覚に耐えながら、ゼノ様を船室キャビンへと案内します。


「手間をかけさせてしまって申し訳ない」


 わたしたちの姿を認めたカディス様がそう言われました。勿論、通信鏡越しでの話です。

 そこでカディス様からわたしたちは戦況について説明を受けました。

 とはいえ得られたのはある城塞都市からの連絡が突然途絶え、調査のために送った部隊も連絡が途絶えて、結論何が起きているか良く分からない、と言う、最初の報告と大して変わらないものでした。

 都市全体に呪いのようなものがかけられているらしい、との事ですがそのような大規模な呪いを辺境の反乱者たちにかけることができるものなのか? と疑問も感じます。


「まあ、やれるだけのことはやるさ」

 

 これ以上話をしても有益な情報が得られないと思ったのかゼノ様がカディス様との会談を打ちきろうとしたその時でした。ゼノ様が突然苦しみだしたのです。両膝をつき、苦悶の声を漏らしだします。そして、そのまま倒れてしまいました。


「ゼノ様、ゼノ様! 大丈夫ですか?!」


 慌ててかけよります。


「ゼノ様! ゼノ様!」


 ゼノ様の顔は苦痛で歪んでいます。それでもわたしを安心させようとしたのか懸命に微笑まれようと努力しているようでした。

 あまり上手くは出来ているとはいえません。むしろかえって心配が募ります。「大丈夫」と言おうとしているのでしょうが、それも声にはなっていませんでした。ただ口の動きでそう察せられただけです。しかし、それでも、その心遣いにわたしは胸を熱くしないわけにはいきませんでした。


「しっかりしてください。

大丈夫です。直ぐになんとかしますから!」


 とは言ったものの何が起きているのか分からないためどうして良いものか検討もつきません。医療用のマギアプレートがいくつも頭を過りますが、これ!と言うものに思い当たることはありません。そうこうしているうちにゼノ様の体から急に力が抜けました。


「えっ? ゼ、ゼノ様?」


 最悪の予感に全身の血の気が引いていくのが分かりました。そんな事がある筈がないのです。

 そんなの呆気なさ過ぎます。

 突然過ぎます。そんなことはあってはならないのです。


 心臓は早鐘を打ちならすように激しく鼓動するのに、息は上手く吸えず胸に鈍い痛みが走り始めます。

 

 「ゼノ……様……?」


 ゼノ様へ恐る恐る手を伸ばします。


 良かった。息はあります。ただ気を失っただけのようです。


 大丈夫。大丈夫。ゼノ様はきっと助かる


 そう、自分に言い聞かせます。

 脈を診ようとゼノ様の腕に手をやろうとした時です。突然ゼノ様の体が跳ねました。

 ビクン、ビクンとおかに上がった魚のように何度も何度も跳ねました。慌てて押さえようとすると徐々にゼノ様の体が光り始めました。

 

 これは……


 その光を固唾を呑んで見守ります。

 それは魔法の光です。わたしはこの現象を知っています。

 これは呪いによる変身でした。

 ここ数ヵ月に渡って起きなかった呪いによる変身が今、突然に起こったのです。

 ゼノ様の体が徐々に縮み、肌は弛み、皺がより、肌艶も失われていきます。色も赤み帯びた桃色からくすんだ黄土色へと変貌していきました。わたしはただそれを見守るしかできませんでした。気がつくとゼノ様、であった者、の体から発せられた淡い光は消えてうせました。それは呪いの変身が完了したことを意味しています。

 その姿は……

 その姿はゼルヴォス様でした

 わたしははっとなり、ゼルヴォス様の様子を確認します。呼吸は静かで、それでいて力強く安定したものです。

 ひとまず、ほっと胸を撫で下ろします。

 これが単なる呪いの変身であったならそれほど心配することではないでしょう。

 何故唐突に変身が行われたかは謎ですが……

 とにかく床に寝かせておくわけにもいきません。急いで寝室の準備をすることにしました。


 寝室の準備やゼルヴォス様の搬送、カディス様への報告など一連の面倒事を取りあえずやり終えると、ゼルヴォス様のご様子を確認するために寝室へ向かいました。

 部屋に入るとゼルヴォス様はベットで半身を起こされていました。目を覚まされたようです。


「ゼルヴォス様、お加減はもうよろしいのですか」


 お声をかけるとゼルヴォス様はわたしの方へ目を向けました。ゼルヴォス様にしては珍しく目が少し泳いだような感じです。やはり突然の変身に戸惑われているのでしょう。


「これはどうしたことだ。なぜ、ゼルヴォスに戻っているのだ?」

「わかりません。突然倒れられましたら、変身が始まりました」

「天球盤は持ってきているか?」

「はい。ですが既に天球盤での確認はしております。今の星辰の配置ですとゼルヴォス様はゼルヴォス様になる時期であります」

「……なるほどそうか」


 ゼルヴォス様は少し気落ちしたようにつぶやかられました。落胆する気持ちは分かります。もしかしてらこのまま呪いが解けたのではないかと淡い期待を持ったとしても無理はないのです。それが突然現実を突きつけられたのです。

 痛ましく、かける言葉も思いつきません。それでいて安堵するところもあるのでした。

 なぜなら果たしてこのゼルヴォス様をあの女はどう見るでしょう。見映えの良いゼノ様と同様に接することができるでしょうか?

 わたしは疑問に思います。醜い老人と嫌悪するのではないでしょうか。

 お腹の底からほの暗い、少し悪意のこもった笑いがこみ上げてきました。


 この呪いがある限り、この人はわたしのもの


 そうなのです。わたしはこんな自然の摂理にも等しい事実を忘れていたのです。


「ゼルヴォス様、気をしっかり持ってください。普通に戻っただけなのですから。

食欲はございますか?

あるのでしたら食事の用意をいたします。

なにせ旅は始まったばかりなのですから」


 晴れ晴れとした気持ちでそう言うことができました。

 

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