A sudden race
廊下に出ると二人はすでに階段を上がり始めていました。
「あがって、あがって、早く、早く、早く!」
エレノアの切羽詰まったような声が聞こえます。2人の姿が階段の上の方へ消えて見えなくなりました。が、すぐに掛け声と同時に重いものが床に落ちるような鈍い音がしました。一体何が起こっているのでしょうか。とにかく階段のところへと急ぎます。そして一息に階段を駆け上りました。
ドアが開いていて階段の途中から1階の床が視界に入りました。なぜかエレノアが床に倒れこんでいます。1人ではないようでした。だれかに抱きついて床に転がっているようでした。
「エッダ! 早く逃げて!」
「で、でも……」
「わたしのことは良いから。
あなたは逃げなさい!」
「そんなこと、奥様を置いては――」
「行って! 行って、助けを呼んできなさい。
これは命令です!」
そんな会話が聞こえてきました。エッダと呼ばれた子供が出口に向かって走り出します。
止めねば!
わたしは反射的に『眠り』のマギアプレートをその子供に投げました。効果はすぐに顕れました。女の子はがっくりと膝をつくとそのまま床に倒れ伏しました。
エレノアの悲鳴が部屋中に響き渡りました。
すこし罪悪感で胸が痛みます。しかし、別に命に別条があるわけではありません。それよりわたしがマギアプレートを投げた時、その魔法の軌跡をこのエレノアという女は視線で追っていたように見えました。魔法を見ることができるのでしょうか。そちらの方が気になりました。
「エッダ、エッダ! しっかりしなさい」
エレノアはものすごい勢いで立ち上がると床に倒れているエッダのところまで行くと抱き起こそうとしていました。
わたしは走るのをやめると、ゆっくりと階段を上っていきます。微かにため息交じりの声が聞こえました。そちらへ目を向けるとなんとゼノ様が半身を起こしてエレノアたちを見つめているところでした。
そこでようやく、先ほどエレノアがくんずほぐれずしていたのはゼノ様であったことに思い当たりました。
な、な、な、なんとうらやまし…… ではなく、なんとけしからんことでしょうか!!
顔がかっと熱くなるのを感じながら、ゆっくりとゼノ様へ近づいていきます。
「まさか、傷つけてたりはしないだろうね」
ゼノ様もわたしに気付いたのか小声で声をかけてこられました。
「無論です。眠らせただけです」
一体何があったのだ? と聞かれましたが実際のところわたしにも何が何だか分かりませんでした。気づいたら処置室にエレノアたちがいて、突然逃げ出した。説明するならたったそれだけのことです。なんでこんな大騒ぎになっているのかわたしが説明していただきたいところでした。
なので首をかしげることしかできません。
「それはわたしが聞きたいです」とだけ申し上げるに留めました。
「彼女か……」
と、ゼノ様はぽつりと申されました。
「一体全体これは何の騒ぎです」
ゼノ様がエレノアに声をかけられました。
「それはこちらのセリフです。一体わたしたちをどうするつもりですが」
ゼノ様の問いにエレノアは敵意のこもった視線を向けて答えます。なかなかの目力です。こんな視線を向けられたら大抵の使用人は臆して何も言えなくなってしまうことでしょう。悪役令嬢かくあるべき、という感じでした。
「どうするつもり、とは…… うーん。困りましたね。どうも話がかみ合わない」
しかし、ゼノ様はまったく臆することもなく涼しい顔で答えます。さすがです。
そして、今度はわたしの方へ目を向けると言いました。
「クラリス、これはどういうことなのかね?」
えー、また聞きますか?
だからさっきからわたしが知りたいって思っていますって。と思いながら、もう一度同じ言葉を繰り返しました。ちょっとイラっとします。
「わたしが説明をしてほしいです。処置室に戻ったらこの二人がいたのです。
この人は誰なのです? なぜ地下室へ入る許可を与えたのですか?」
言いながら、自分の言葉にはっとなりました。そうなのです、地下へのドアには魔法の鍵がかかっているはずです。これを外せるのはわたしとゼノ様だけ。あるいは、わたしとゼノ様が許可を与えたものだけです。当然、わたしはこんな女に許可など与えるはずがありませんから、ゼノ様が与えた以外考えられません。
エレノアにこの地下へ入る許可をゼノ様が与えた!
そんなことを考えるだけで、頭がくらくらしてきました。
2024/05/11 初稿




