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春の嵐 

 今、目の前にはマールの答案があった。

 正答率はほぼ3割程度であろうか。結果はある意味予想通りだった。だが点数はどうでも良い。高得点など最初から期待していない。

 見たかったのはマールのここまでくる熱意だった。それは既に日々の勉強会で把握していた。この点は前にエレノアにも指摘されている。全くその通りなのだ。まあ、彼女には堅物認定されてしまったが、別にやるときめたからやったのではない。世の中にはこういう試練があることを早いうちにマールに経験してもらいたかったのと彼女の今の実力や弱点を調べたかったからだ。

 その目的も達成できたのでそろそろマールを呼ぼうと思った時だった。

 ドアがノックされエレノアが入ってきた。


「マールのことで話にきました」


 なるほど。

 待ちきれなくて結果を聞きに出向いた、と言うことらしい。よほどマールにご執心らしい。気持ちは分かるがもう少し堪えてもらいたいものだ。採点は終わったが、これからなにを間違えたのか、どうすれば良かったかを分析するつもりだったのだ。


 それが終わってから話がしても遅くなくだろうに


 そんなことを思いながら、未練がましく手元の答案にざっと目を通す。


「撤回してもらいたいのです」


 エレノアが言った。


 撤回……はて、自分はなにか彼女に宣言しただろうか?


 それが一番最初に頭に浮かんだ疑問だった。

 なにげに色々と指図をしてはいたから、そのなにかの撤回を求められているのだろうか。

 例えば偽装結婚をみんなに話したいとか……、だろうか?

 なんのことを言っているのか少し考えたがあまりに漠然として取っ掛かりが無かったのですぐに諦めた。直接問いただしたほうか早い。


「撤回?」

「マールのことです。あの子は努力したんです。結果がどうあれそれはまず認めて欲しいのです」


 ふむ。それは認めているつもりだ。

 だから、それはそうですね。大変一生懸命だったと思います、と答えた。


「だったら! だったら許して欲しいのです。マールが見習い看護師ナースになることを」


 エレノアが一歩前に出た。気合いは伝わってくるが、なんの話をしているかやはりさっぱり分からなかった。


「一体全体、さっきからなんの話をしているのですか?」

「だから、マールの失格を取り消してとお願いしてるのです」

「マールが失格? 

誰がそんなことを言ったのです? 

失格もなにも、試験の採点は今ようやく終わったところです」


 私の返事にエレノアの頬がみるみる赤く染まる。

 どうやら、いつもの早とちりと暴走のコンボのようだ。


「はっ? いや、でも、マールは部屋から出てきて泣き出してるんですけど……

だから、試験に落ちたんだと思ったのだけど……

えっ? 違うの?」

「私は、今から採点をするからしばらく席を外してくれと言っただけですよ。失格だなんて言った覚えはありませんが」

「え――、なにそれ、だったら採点するから追って知らせるなんてもったいぶらず、お前は合格だっ! って言ってよぉ。

マールをなだめるの大変だったんだからね!」


 口を尖らせて文句を言ってきた。いや、これは完全に理不尽な言い掛かりだ。反論のひとつもしてやろうと思ったが、彼女は膝から崩れ落ちるように床にしゃがみこんでしまった。

 マールのことを本当に心配していたのだろう。

 他人のことを自分のことのように本気で思うところ。これも彼女の美徳のひとつだ。

 今はあまり刺激的な台詞で彼女を苛めるのは止めて置こうと考え直した。


「それはそれ、これはこれです……」


 平坦に極力事務的に今後のことを説明をしようと努力する。

 エレノアはぼんやりとその説明を聞いているのやらいないのやらぼうっとしていたが、突然立ち上がった。


「そうだ! この事をマールに報せなくっちゃ!!

お騒がせしました。わたし、失礼します!」


 大声で叫ぶと部屋を飛び出して行った。

 今度はこっちが呆けたように閉められたドアを見つめる番だった。


 全く相変わらず嵐のような人だな

 それに、合格を告げるのは私の役目だろうに

 

 と、苦笑をする。


 その栄誉は彼女に譲ろうか、と思ったがすぐにやはりマールが喜ぶ顔を見たいとも思った。……いや、違う。マールの笑顔が見たいのではなく、マールと一緒に喜ぶ()()()()()()()()()のだ。

 

「やはり、わたしが合格をつたえるのが筋だろう」


 誰に言うでもなく呟くと立ち上がろうとした。

 と!


「そう、そう!」


 前触れもなくドアが開くとエレノアが飛び込んできた。不意打ちに心臓が破裂するかと思った。


 うわ、びっくりした! びっくりした!!


 内心で大声を上げながら、外面はあまりの驚きにガチガチに固まってしまった。表面的には平静に見えるのは運が良かったなのだろう。


「なんですか?」


 なんとか言葉を搾りだす。エレノアは私の奇跡的とも言える努力など知る由もなく、能天気、もとい春のお日様のような笑顔を向けてきた。


「言い忘れていたわ。約束通り、ケーキを作るわ。腕によりをかけてね。みんなでお祝いしましょう!

それから、あなた、思ったよりずっと格好良い!」


 それだけ言うとドアは大きな音を立て閉められた。そのドアを再び呆けたように見つめる。

 まるで春の嵐のような騒々しさだった。


「はあぁぁぁぁ~~」


 半分浮いていた腰を下ろすと、肺の空気を一気に吐きだした。


 疲れた。どっと疲れた。


 全く言いたいこと言って去っていくのはいつもの事なのだがそれに振り回される者の事も少しは考えて欲しいものだ。


 ……あれ? 最後になにかを変なことを言っていたような…… 

 

 エレノアの最後の言葉の意味を理解したとたん顔からみるみる熱くなった。

 あわてて机の上の鏡を確認するとさっき赤くなっていたエレノアと同じように熟れたリンゴのようになっていた。

 






 

 


 

2023/06/10 初稿

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