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恋バナ

 マールの件から3日があっという間に過ぎた。

 もっとゆっくりと教えるつもりでいたが、必要最低限の音読と算数を授業に加えた。

 彼女たちは意外にも足し算、引き算はできるのだ。毎日食器やフォーク、スプーンの準備で鍛えられたおかげのようだ。

 現場で働くところを見ていればそれだけでも知識が身につく。これは一面真理である。

 だからエレノア嬢が提案するマールの看護師見習いもあながち間違いではないのだろう、とマールたちを見ていて実感した。


「だからね、数字のかけ算は2つの数字を縦に並べて右から順に1桁のかけ算をしていけば良いのよ。後は桁上がりに注意すれば良いだけ。

落ち着いてやれば必ず解けるから。

ほら、やってみる!」


 部屋の片隅でエレノア嬢がマールにかけ算を教えていた。

 エレノア嬢はマールを見習い看護師にさせるかさせないかの試験をすると取り決めた日から毎日勉強会に押し掛けてくるようになっていた。


『あなたがこの子たちに変なことをしないか見張るのと、勉強の内容をチェックしておくの。

それで、もし教えてない所を試験に出してマールをわざと落とそうとしたら即クレームを入れてやる』


 と言うのが理由だった。


 最初は迷惑だと思ったがすぐに慣れた。


 マールが顔を赤くしてウンウン唸りながらかけ算に取り組んでいる。

 時おり励ましたり、間違いを正すエレノアの優しく柔らかな声が耳をくすぐる。

 視界の端にエレノア嬢の姿を捉えられるように体の位置をさりげなく入れ替えてみた。


 エレノア嬢が勉強会に居ることはすぐに当たり前になった。そして、いつの間にか居て欲しいと思うようになっていた。


 つまり……、どうやらそう言うことなのだ。


 エレノア嬢がふとこちらを見るような気配がした。


「では、エッダ。続きを読んで」


 慌てて視線を外し、エッダに音読をするように命じた。


 ふぅ、危ない、危ない。


 どうやら自分はエレノアに恋愛感情を持ってしまったようなのだ。

 『ようなのだ』と他人事なのは慣れないこの不思議な感情に自信がないからだ。

 だが……


 いわく、知らない間にその人の考えている


 いわく、機会があれば視界の端にその人を収めようとする 


 いわく、その人が好きなもの、好きそうなものに興味を持つ


 2つ以上レ点がつけば恋に落ちている可能性が高い。3つつくならほぼ確定。良く知らないが、どうもそう言うものらしい。


「さ、……じゃない、そ、そのおゆな……、うんと、その女の子は――」


 エッダの音読は相変わらずたどたどしい。

 ただ彼女は見た目や言動よりもずっと繊細な性質たちだとここ最近の勉強会で分かってきた。今も突然私に音読を命じられて、ガチガチに緊張しているのだろう。


 ちょっと可哀想なことをしてしまった


「ゆっくりで良いから、落ち着いて。

それから正確に一言一言確実に読んでいきなさい。慣れていけば読む速度は自然に上がるものですから今は気にしないで良いですよ」


 緊張を和らげるようにいつもの1割り増しほどの優しさを込めて言う。

 そして、また盗み見るようにエレノア嬢の方へ視線を……


 なっ!? ガッツリ目が合ってしまった!

 なんで、こっちを見てるんだ、彼女は!!


「なにをにやけた顔をしているのですか?」


 反射的にそんな言葉が口をついた。


「に、にやけてるって、にやけてません!」


 上擦ったエレノア嬢の声を聞いて、後悔する。

 また余計な言い方をしてしまったようだ。


「じっと私の顔を見ていたようですが、もしかして良からぬことを考えていたのではないですか?」


 内心焦りながら、次に出てきた台詞がこれだった。


 ……私はなにを口走っているのだ?


 我ながら自分のやっていることが信じられなかった。


 なんで、こんな言葉が出てくるのだ。

 これは呪いのせいなのか?


 いわく、その人を意識すると普段と違った行動をしてしまう


 いや、違う。

 これも恋愛チェックの項目の1つだ。どうやらこれにもレ点チェックを入れねばならないようだ。 


 4つレ点がついたらどうなるんだろう


 そんな素朴な疑問が頭を過った時、エレノア嬢が立ち上がった。

 

「あっと、ちょっと小腹もすいてくるころ合いですね。では、ちょっくら、夜食の用意をしてきましょう!

えっと、わたし一人で大丈夫だから、みんなは勉学に励んでいてください。

いいですか。一歩も部屋を出ないように、厳命しましたよ。 

では、行ってまいります!」


 怒涛の如く部屋を去っていくエレノアを呆気に取られて見送る。

 大きな音を立ててドアが閉まるとため息がでた。

 後悔のため息だ。しまった、と心の中で思う。


 またやってしまった


「はぁ、またやってしまいましたね」


 自分の気持ちを代弁するように残念そうな声が耳元で囁かれた。


「ああ、そうなんだ。またやってしまった……って? おい!」


 驚いて声の主へと目を向ける。

 その視線の先には腰に手をやり深刻そうな表情を浮かべるエッダがいた。


「どうしていつもいつも奥様を怒らせるような発言をされるのです?」

「えっ? どうして、と言われても……」


 思いがけずエッダに問い詰められ答えに窮した。自分でも良くわからない。それが恋の仕業だとしても、そうと言うわけにもいかない。


「特に理由はない……な」

「特に理由がない! むふぅ……それは、それは」


 エッダは眉間にしわを寄せると腕組みをした。


「ゼノ様はもしかして気になる女の子に意地悪する子供でしたか?」

「はっ?」


 エッダがなにを言おうとしているのか良く分からない。


「私の村にもたくさんいますよ。好きな子のスカート捲ったり、わざと酷いこと言うバカな男の子」

「バ、バカな男の子……?!」

「そうやって気を引こうとするんですけどね。

ダメですから。女の子にそんなことしたら、本当に嫌いなるだけですからね」

「そ、そうなの?」

「そうです」


 断言した!


「嫌がらせしてなにかきっかけを作って、もしかしたら仲良くなれるかも、なんて本気で考えているところがバカなのです。

女の子にそんなことしても絶対上手く行きませんから。なぜなら……」

 

 エッダはそこで言葉をためた。

 引きのつもりか。なんだこの会話の高等テクニックは。思いっきり術中に嵌まる。唾を飲み込み、エッダの次の言葉を待たずにはいられない。


「……なぜなら、女はそう言うのことは一生忘れないからです!」


 一生忘れない! なんと重い言葉だ。


「ぐはぁ」


 軽い絶望に思わず呻く。


「ああ、ゼノ様。お可哀想です!」


 と、突然ミルダが乱入してきた。


「でも、どちらにしてもゼノ様の恋は成就しないのです」

「成就しないって……」


 さらりと凄いこと言ってきた。しかも、これも断言か!


「だって、だってですよ。伯爵夫人と使用人の恋なんて禁断の恋じゃないですか! そんなの成就するわけないのです」


 キンダン ノ コイ ……

 

 難しい単語を知ってるな、ミルダよ


 感心した。

 いや、違う。断じて違う。そうじゃない。何故私がエレノアに恋してる前提なのだ。

 否定しようと口を開いた。その時だ。


「でも、エレノア様もゼノ様のこと気になっているかもしれない」とマールがぼそりと呟いた。その爆弾発言に私は言葉を飲み込んだ。


「「「えっ! そうなの?」」」


 驚いたのは私だけはなかった。私とエッダとミルダの3人がほぼ当時に叫んでいた。


「さっきエッダが音読していた時、エレノア様、ずっとゼノ様を見てらしたから。

それにエレノア様、あまり、伯爵様の事を気にされていないみたいだし」


 まあ、それは偽装結婚だし、ずっと不在ってことになっているからなんだが。


「そうねぇ。伯爵様も冷たいよね。

ずっとエレノア様をほったらかしにして。みんな酷いことするって怒ってますよね」

「ちょっと待った。みんな、とは誰の事だい」

「お屋敷の人たち、ほぼ全て。特にメイドはみんなエレノア様の味方ですよ。

 『エレノア様可哀想。伯爵様酷い人』ってみんな思ってます」


 へ――、そうなの……


「じゃあ、じゃあ、エレノア様とゼノ様の禁断の恋が燃え上がるの! 

愛のためには地獄の業火にその身を焼かれても構わない!!」


 ミルダが少し頬を上気させながら天井を夢見るように見上げる。


 ジゴクノ ゴウカニ ソノミヲ ヤカレテモ って……


 ミルダ、意味分かって使っているのか?

 それに、こいつ、なにか楽しんでいるな。

 しかも当事者の片方を目の前にして、だ。


 ミルダ。 末恐ろしいやつ……


「え――、エレノア様は真っ直ぐな人だから不倫とかあり得ないです。それに、あんなネチネチ嫌味を言われたら、普通引くよ」


 エッダはエッダで言いたい放題だ。これも本人を目の前にして……。こいつもいい加減強い。


「うーん、でもエレノア様、少し変わっているから、ああいう言われ方に萌えるのかしら。そんな性癖?」


 投げかけられている私の冷たい視線を華麗にスルーしながらエッダは腕を組んで首を捻り、ぶつぶつと呟き続けた。


「いや、ちょっと待ちなさい。

さっきから、禁断の恋だとか地獄の業火に、不倫、性癖がどうだとかいっているが、なんで私がエレノアに恋している前提なんだ。そんなことが君たちに分かるのか?」


 3人が、えっと言うような表情でこっちを見た。


「「「そりゃ、分かりますよ」」」


 と、今度はエッダ、マール、ミルダの3人が見事なハーモニーで答えた。


「「「見てれば分かりますよ。だって私たち恋愛の熟練者エキスパートですから」」」

「エキスパート! 君らは恋愛のエキスパートなのか……?」


 二の句が継げないほどの衝撃だった。

 そんな私を尻目にエッダが自慢気に言った。


「お屋敷のメイドが暇な時にしてるのは恋バナですよ。始終惚れた~、腫れた~ってやっているんですから。そりゃ、エキスパートになりますよ」


 そうなのか……   

 お屋敷のメイド、恐るべしだな。

 

「そのエキスパートの目から見ればゼノ様がエレノア様に気があるのは間違いないです」


 エッダが指先をピシッとこちらに向ける。 

 この日3度目の断言。


「さて問題はエレノア様ですね」


 そこでエッダは、再び腕を組んで考え込んだ。


「エレノア様はゼノ様をどう思っておられるのか……これは判断が難しい」

「エキスパートでも判断が難しいのですか?」


 是非にも答えが聞きたくなった。あまりに聞きたくなって敬語になってしまう。

 私はエッダの次の言葉に全神経を集中させる。心臓の鼓動が自然に早くなった。


「エレノア様はゼノ様のことを……」


 ガチャリとドアが開いた。


「お待たせー。休憩にしましょう」


 元気良くエレノアが入ってきた。


「「「「うわわわわぁ!」」」」


その瞬間、我々は見事な四重奏カルテットを奏でていた。

2023/05/27 初稿

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