開戦
「ついに始まったよ」
鏡の中のカディスが言った。
「南部グレノス領で反乱軍が蜂起した。奴らはすでに領の大方を占拠して隣の領へ侵入してきている」
「早いね」
「グレノス領の領主は反乱側だからな。マッチポンプに近いよ。予定調和ってやつかな」
「それでどうするんだい?」
「このまま気持ちよく侵攻してもらうさ。
計画通りにね。
それでいい感じに戦線が伸びたところで、その横腹に嚙みついて、食い破る算段だよ。
そのための君の部隊、君の偽装結婚じゃないか」
「私のか。それなら私もヴェルテンティーノにいた方がいいのではないか?」
「部隊の指揮は中央軍の司令部が統括するから特に必要はないよ」
それはそれで楽でいいが少し複雑な気持ちにもなった。まあ、自分は軍人ではないので軍事にたけているわけではないのでこれが正解なのだろう。
これがゼルヴォスやゼファードならばまた違った意味で役に立てるのだろう
そんな考えがぼんやりと浮かびもしたが、いかんせんゼノでは無理だろう。カディスもそのことは心得ているようで聞いてすら来なかった。
「悪かったな。役に立てれなくて」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃないよ。僕としてはその姿の方が話はしやすくて助かっているぐらいだ」
すこし拗ねたような言いようになったのか、カディスは慌てて取り繕ってくれた。
こちらも別にそういう意味で言ったわけではないのどが……
変な気を使わせてしまってこちらも気まずくなった。しかし、あれほど忌み嫌っていたゼルヴォスやゼファードを懐かしく思うとは皮肉なものだった。
「ちなみにその姿はいつまで続くんだ?」
「さあ、前も言ったが、前例がなくて、変わってしまった理由もわからない。だからいつ迄続くのかさっぱり見当もつかないよ」
カディスは、ふむ、といったきり少し黙り込んだか、おもむろに口を開いた。
「前も聞いたと思うのだが呪いが解けたんじゃないのか?」
「それはない。呪いというのは何の理由もなく勝手に解けるなんてことはないんだ」
即答する。
しかし、カディスは納得できないという風に食い下がってきた。
「いやいや、何世代も続いた呪いなんだろ。古くなって自然に壊れるってこともあるじゃないのか。
それかなにかの拍子に知らない間に呪いを解いてしまったとかさ」
「なにかの拍子ってなんだ?」
「知らんよ。呪いはそっちのほうが専門家だろう」
「そうだな。なら専門家から言わせてもらえば、呪いを相手にするなら、そんなご都合主義的なことは考えないことだ。
呪いってのは悪意の塊なんでな、油断していると最悪のタイミングで最悪のしっぺ返しをしていくるものだ。だから、今も突然呪いが爆発するんじゃないかと戦々恐々として生活しているよ」
「ふむ。難儀なものだな」
カディスは自分のことのようにため息をついた。
「とりあえず定期報告は終わりだ。またなにかあったら連絡をする。
君の花嫁によろしく言っておいてくれ」
カディスの姿が消え、かわりにただの鏡のように通話機はゼノの顔を映し出した。
この顔もだいぶ見慣れたきた
少しの間、鏡に写る顔を見る。どう見ても普通の人の顔だ。見てくれは決して悪くないと思うのはうぬぼれが過ぎるだろうか。公平を期すためにだれかに聞いてみるべきかもしれない。
近くに控えているクラリスへ視線を向けた。
「なにか?」
「あ?! いや、なんでもない」
すぐに私の視線に気づいたクラリスが問いかけてきたが。さすがに、私はいい男だろうか、と問いかけるのは気が引けた。言えば、クラリスのことだから、はいと答えそうだが、そこにお世辞がないとはいいがたい。いや、きっとあるだろう。それか、面食らって、なんでそんなことを聞くのか、と逆に質問をしてくるかもしれない。そうなったら、何と答えればいいのだろう。
はて、なんで、いい男だなどと自分は気にしているのだろうか
ふと、そんな根源的な疑問がわいてきた。今の今まで、そんなことを考えたことすらなかったのにだ。自分の心の中にいい男であってほしい、という願望があるのだろうか。あるとしてたら、それはいつ生まれて、なんで生まれてきたのだろうか。ひょっとしてこれは呪いとなにか関係あるのだろうか?
「どうかされましたか?」
一人でぐるぐる考え込んでいたらしく、怪訝そうにクラリスが聞いてきた。
「あ。ああ、なんでもない。少し考え事をしていただけだ」
「考え事……、呪いのことでしょうか」
「え? ああ、そう呪いのことだ。呪いのな、ことだよ」
「カディス様が言われていた呪いが解けたのではないか、ということでしょうか?」
いや、全然そうじゃないのだが……
「……まあ、そんなところだ」
なんとなく嘘をついた。
「わたしも実はずっと考えていたのです」
え? そんなこと考えていたんだ。意外だ。まあ、クラリスがなにを考えているのかあまりわからないけれど。
「まさか、クラリスも呪いが自然に解けたのではないか、なんて思っているのじゃないだろうね」
「いえ。その後の言葉が引っかかっているのです。つまり、知らないうちに呪いを解いてしまってはいないか、という可能性です」
「そんな……馬鹿な、と言うかそんな都合の良いことが起こるとは思えないなぁ」
「そうでしょうか。今回のことは今まで調べてきた呪いの法則とまったく一線を画するものです。
今までの理論では全く説明できないのは、ゼノ様もご承知のはずです」
「そうなんだけれどね。そもそも呪いの研究と言っても、いまだに世代を超えて呪いが続く原理すらわかっていないのだからね。呪いの研究成果っといっても大したものではないよ」
呪いとは、魔力を編みこんだ縄というか鎖のようなものを対象物に絡めることで発動するものだ。なので一番シンプルなのは呪う相手を『呪い』で絡めとることだった。
だがそれでは、対象者一代きりの呪いになる。
世代を跨いで発動する『呪い』の場合は、別の、なにか呪いの依り代になるものが必要だった。
例えば屋敷に呪いをかければ、屋敷に住むものが呪われ、宝石などに絡めれば、宝石を身に着けた者が呪われた。
世に言う、『幽霊屋敷』や『呪いの宝石』の類だ。
翻って、我が家系にかけられた呪いを見てみると、そのような呪いの依り代になるものが全く見つかっていなかった。
家名などという形のないものには『呪い』を絡めることはできない。もっと具体的に形のあるものが必要なのだがそれが見つからないのだ。
それがマルドゥール家の呪いが解けない理由の一つだった。
「せいぜい、変身する時期が分かるようなもの、だったじゃないか」
「少なくとも、変身する時期に関してはかなり正確に予測できていたのです。それが、急にまったくできなくなっている。これはなにか理由があると考えるのが自然だと思うのです」
自嘲的に答える私に、クラリスは熱心に反論してきた。確かに、彼女の言い分にも一理はある。
「その理由とはなんだね?」
「それは……」
私の問いに、クラリスは口ごもった。仕方がない。それが分かるのならば、当の昔に言っているだろう。
可能性としては面白いのだが、カディスにも言ったが楽観は危険なのだ。むしろこれも呪いの一形態と考えるべきだ。いや、実感としてはむしろ呪いそのものだ。
「しかし、そのお姿はとても安定していて普通の人となんら変わることが……」
「見た目で判断するのは危険だ。これはこれで結構苦しいのだよ」
なおを食い下がってくるクラリスを制する。私の言葉にクラリスはピクリと体を震わせた。
「苦しいのですが? 頭が痛いとか、倦怠感があるとか、そういうことでしょうか?
ああ、まったく気づきませんでした。
普段とお変わりがなかったので、わたしはそのような症状があるとは思っていなくて……」
ちょっと引くほどの動揺を見せてきたので、こっちも驚いてしまった。慌てて否定する。
「いや、いや、肉体的には特になんてことはない。というか健康そのものだよ」
「では、夜眠れないとかですか? いえ、そうでもないですよね。寝付かれないようには見えないし……」
おっと、彼女には私の監視をお願いしているので、夜寝るところとかも見られているのだな。
自分で頼んでおきながら、その事実を改めて突きつけられるとむず痒いものがあった。
「そう言うはっきりした辛さではないのさ」
「ではどのような?」
「……いや、説明しにくいな。この話はこれで終わりにしよう」
いつになく執拗なクラリスとの会話を打ち切るために立ち上がった。うっかり口走ってしまったが、辛さの説明のしにくさにうんざりしたからだ。彼女を後に残して、離れを逃げるように部屋を出た。
2023/05/06 初稿




