水と油
「ゼノ……あんた、こんなところでなにやってるのよ!」
エレノア嬢は私の姿を見ると大声で叫んだ。
こちらとしてはなにしてるのだ、と言われるのは些か心外だった。
「なにとは、いきなりのセリフですね。
見ての通りです」
なので、わざととぼけた言い方をしてみる。
「見ても分からないわ。ここはエッダたちの部屋でしょ? こんな夜中にあんたがいるっておかしいじゃないの」
「彼女たちに勉強を教えていたのですよ」
「勉強?」
エレノア嬢は眉をひそめると1度エッダの方へ顔を向けた。そして、再びこちらを向いた。その目はいかにも胡散臭い、言っていた。
「なにが目的よ」
だから、勉強を教えていると伝えたはずなのだが、と思う。
勉強です、とだけ重ねて言う。
不思議に彼女との会話はどうもつっけんどんになってしまう。向こうが心を開かないのもあるが、こちらもついむきになるところがある。不思議と自制が利かない。
さらにあなたには関係ないことです、と口の先まで出かかったが、それは発せずにすんだ。
私が文字を読めるようになりたいってお願いしたんです! とマールが庇うように飛び出てきたからだ。
「私もです。私も本を読めるようになりたくて一緒に教えてもらっていたんです」
ミルダも続けて加勢してくれた。
なんというか、2人の行動には少し感動してしまった。
人に庇ってもらう機会など殆どないため、その必死さが純粋に嬉しい。後ろから抱き締めて頭を思い切り撫でてやりたくなった。
逆にエレノア嬢の方は意外な伏兵の出現に戸惑いを隠せないようだった。
「べ、別に咎めている訳じゃないの。どっちかと言うと心配してるの。この人……」
一旦言葉を切るとちらりとこっちを見た。
「……に変なことされないかってね」
「おやおや、とんだ言い掛かりですね。
変なこととはどんなことですか?」
ほんの一瞬、彼女の瞳が揺らぐ。
「間違えたらそれを口実に叩いたり、つねったり、変なところ触ったりしてないか」
なるほど、一瞬迷ったようになったのはこれを言うべきか言わざるべきかを悩んだと言うことですか。少し、こちらの気持ちも考えてくれてはいるようだが、それでも結局言ってしまうのが彼女の彼女たるところだった。
しかし、苦笑せざるを得ない。
叩いたり、つねったりはともかく変なところを触るとか、一体どんな目で私を見ているのだろう、と思ってしまう。少し妄想が過ぎるのではないかと思う。
よろしい、ならばちょっとばかし受けて立ちましょう!
「子供相手にそんなことをして面白いのですか?」
「あら、大人相手なら面白いって口振りね」
「そうですね。あなたのような無駄口を叩く口をつねったら面白そうだ」
心の中で柔らかそうなエレノア嬢の頬をつねる妄想をしてみる。涙目になって、止めて、とお願いするまで頬をつねって、引っ張ってやる。
どうだ、止めてください、って言ってみなさい。そうしたら、許さなくもな……いや、これこそが無意味な妄想だ。
現実の私は彼女に指1本触れることもなく、彼女もそんなことをさせてはくれない。 彼女がしたのは、抗議の叫び声を上げることだった。
「む、無駄口ですって?!」
その一段高くなった彼女の声で、我に返った。
私は何故彼女と言い争いのようなことをしているのだろう?
ほらね、やっぱり自制が利かないのだ。と、心の中の諦めのため息を漏らす自分がいた。そして、これは最初に悪意をぶつけらてきたエレノアが悪いのだ。だから彼女が悪いのだ。謝ることはない。徹底的にやってやれ。と、声高に主張する自分もやはり居た。
「ほらほら、そうやって貴重な勉強時間を無為に浪費して、ついては彼女たちの睡眠時間を削っているのが分からないのですか?」
気づいたらそんな言葉を吐き出していた。
エレノアの唇がぐいっと真一文字に引き結ばれた。
「はい、はい。分かりました。
お邪魔虫は退散しますわ」
捨て台詞を残してエレノアは勢い良くドアを閉めると立ち去った。鼻先で閉まるドアに我に返る。
やってしまった
そして、後悔する。
怒らせるつもりはなかったのだ。ただの売り言葉に買い言葉なのだ。多分にやり過ぎだったかも知れなかったが……
追いかけようと反射的にドアノブへ手を掛ける。が、すぐにその手を放した。
一体どう声をかけようと言うのだ
追いかけたとしても多分、また変な言い争いになるだけだろう。
少しの葛藤の後、ため息をつき、踵を返した。と、マールとミルダの心配そうな瞳と視線があった。
「あのぉ……大丈夫ですか」
ミルダがおずおずと言った。本当に心配そうな表情だった。今の自分はこんな年端もいかない子供に心配されるような情けない顔をしているのだろうか? 慌てて顎を撫でると、無理矢理に笑顔を作った。
「勿論だ。さぁ、勉強の続きをしよう」
2人を勉強机へと促す。
その途中でマールが言った。
「ゼノ様はどうして奥様と仲が悪いのですか?」
予想外な質問に、えっ、と言ったきり固まってしまった。改めて問われると答えに窮する。
「ゼノ様はこんなに優しくて、奥様もとても優しいから絶対に仲良しの筈なのになんで言い合いになってしまうのですか?」
更に追い打ちをかけるようにマールは言葉を続けた。
「私もお二人は絶対に気が合うと思うのです」
ミルダも加わってきた。なのに、なんででしょう、と深刻な表情を見せた。
「さぁ……。
まあ、私とエレノア様が仲良くなくても余り君たちには関わりがないだろう。どうしてそんなに仲良しにしたがるんだい」
「奥様は私たちの恩人です。だから嫌いでいてほしくないからです」
ミルダはキラキラした瞳でそう言い放った。裏表のない純粋な心で心底そう願っているのだろう。
「さすが人気の若奥様だ。羨ましい」
半分冗談、半分本気な言葉が漏れ出た。
ゼノ様もですから、とマールが言った。
「ゼノ様も奥様に嫌われて欲しくないのです。
だってゼノ様も私達の恩人なんですから」
恩人? この自分が?
思わず、マールとミルダをまじまじも見返した。そんなことを心底思っているのだろうか、と思った。だが、2人の表情を見て、彼女たちをほんの一瞬でも疑ったことをすぐに後悔した。罪悪感が半端なかった。
「まあ、善処……、しよう」
呻くように声を絞り出す。
「だけど、約束はできないよ。人には相性というのがあるからね。エレノア様とはどうも水と油のようだ」
我ながら女々しい言い訳じみた答えだと思った。
あら、水と油も一生懸命かき混ぜれは混ざりますよ、とミルダが言った。
「そうなのかい?」
そんな話は初耳だったのでつい聞き返してしまった。
「はい。エレノア様に教わりました。
水と油みたいなものもちゃんとかき混ぜれば混ざりあうって。だから諦めちゃダメ、っておっしゃってました」
「そうです。それで混ざりあったものは、元のものとは全く違った舌触りになるそうですよ」
ミルダの言葉をマールが締めくくった。
「水と油も諦めずにかき混ぜれば混じりあう……か。覚えておくよ」
果たして自分はエレノアと混じりあうことなどできるのだろうか?
果たして呪い持ちの自分は他の人たちの分かりあい共に生きていくことができるのだろうか?
諦めなければ混ざりあう。ミルダの言葉、いや、エレノアの言葉を信じてみたくはあった。
「努力はしてみるさ」
誰に言うでもなく、もう一度そう小さく呟いた。
2023/04/29 初稿




