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夜の勉強会

「おおお、そ、そんなに入れて良いんですか?!」


 エッダはランプに油を注ぐ私に興奮した声で問いかけてきた。


「いや、これが正規なんだよ。気にすることはない」


 そんな彼女に微笑んで見せる。

 彼女たちの家庭教師を引き受けたあの晩の次の日、ヘンドリックに確認したところ、彼女たちのランプの油の支給分が極端に少ないことが発覚した。それだけではない。ランプの油以外、ものもろの経費が切り詰められていた。調べてみたらジモンズたちが彼女たちの支給分を着服していたことが分かった。ピートに変わった時にその事に気づかず、ずっとそのままになっていたらしい。薪とかも殆どなく、冬はさぞかし寒さに震えていたことだろう。

 直ちに正規の支給量に是正させた。

 その最初がこのランプの油ということなのだが、これでこんなに大興奮となると、後程、今までの埋め合わせて支払われる臨時の俸給のことを聞いたら目を回して気絶してしまうかもしれない。

 

「これで、これからはランプの油を気にする必要はないよ。しかし、夜更かしは良くないからね。さっさとやることをやってしまおうか」

 

 ランプを丸テーブルに置く。ちなみにこのテーブルもこれまた今回の持ち込み品だ。なんと言っても彼女たちの部屋には小さな作業机一つとベッドが三つ以外にはなにもない部屋だったからだ。

 揃って座る3人の前に本とノートを置く。

 

「まずは文字を覚えるところから始めようか。

考えずにパッと頭に浮かぶぐらいになるのが目標だ。

文字の形と音がセットになるように何度も書きながら覚えていこう」


 早速始めようとしたのだが……


「おおお、これ。真っ白な紙ばっかりですよ!

これ、これ、もしかしてノートというやつですか」

「本だ。こ、これ、私のですか?」

「本……ノート……本、ノート……本……」


 3人とも大騒ぎになってそれどころではなかった。

 確かに本もノートと彼女たちにしてみれば高価なものだ。それは、このマルドゥール領が貧しいと言うことの裏返してでもあった。そして、それは一重に領主たる自分の不徳であろう。ならば、贖罪の意味を込めて彼女たちにつき合おう。

 両手を叩き、夢見心地の3人を正気付かせる。


「さぁ、さぁ、夜は短い。勉強を始めよう」



 そんな感じで始まったエッダたちとの時間。彼女たちの少ない自由時間の内の1時間を使ってほぼ毎夜続いた。そして、まだ始めたばかりだったが、彼女たちの真面目さに少し驚いた。特にマールの前のめり感がすごかった。なにが彼女をあそこまで駆り立ているのだろう。


「あのー」


 エッダがしゅたっと手を挙げた。


「すみません。おトイレ行ってきて良いですか?」


 一方、エッダの方は今一つだ。開始当初は頭一つも二つもリードしていたはずなのに既にマールに追い越されそうな勢いだった。


「そういうのは始める前に済ましておくものだよ。時間が勿体無いだろう。

まあ、良いよ。行ってきなさい」


 えへへ、と照れ笑いを浮かべてエッダは部屋を出ていった。

 マールとミルダはノートに向かって文字を書き綴っていた。2人とも既に文字自体は覚えていた。今は次のステップ。綴りと発音の習得に入っていた。


「えっと、“Ц“はツェーで “Щ“はシャー……」


 マールがぶつぶつと呟いていた。

 とは言えまだ、あやふやなところも随所に見られる。


「違いますよ。“Щ“はシチャー。シャーは“Ш“です」

「あわわわ、どちらも同じに見えますよぉ」

「落ち着いて良く見てごらん。右下に尻尾みたいなのが付いているのがシチュー、ないのがシャーだよ」


 マールは穴が空くほどに手本を見つめ、何度も何度も文字を書く写した。この粘り強さがこの子の強みだ。


「では、これは“ХАНАСУ“はなんと発音すると思う?」


 時間も良い感じになってきたので今夜の仕上げとして応用問題を出してみた。今の段階では少し難しいレベルのものだ。

 案の定、マールは、唸ったきり固まってしまった。


「えっと、“はなす“ですか?」


 答えたのは横で同じように頭をひねっていたミルダの方だった。実はミルダの方が勘が良かった。多分3人の内で一番だと思う。あまり考え込むことなく直感で動くタイプだ。そして、大体正解を引く。だが、たまにとんでもないミスをした。逆にマールは慎重で一つ一つの所作が遅くなるが間違いは少なかった。

 この2人を見ていると同じ年頃で同じような境遇なのに、こんなにも違うものなのかと人の不思議を思わずにはいられなかった。

 もっともこんなことを不思議に思うのはゼノになってからだ。ゼファードやゼルヴォスでは思いもしないことだった。


「良く読めた。偉いな」


 頭を撫でてやるとミルダは頬を少し染め嬉しそうに笑った。

 純粋に可愛い。

 マールが少し寂しそうな、悔しそうな表情をしたので、マールの頭を撫でてやる。


「大丈夫。マールも読めていたんだろ。だけどあってるかどうか確認しているうちに先を越された。ちがうかな?」

「えっ?! ど、どうして分かるんですか?」


 勿論当て推量だが、当たっていたようだ。その事は伏せて意味ありげに笑って見せた。どうやら自分の表情を読む力も上がってきているようだ。

 マールの瞳が神様でも見ているような物に変わる。だがそれはあまりに人が悪いと言うものだろう。なので種明かしをしておくことにした。

 

「それは……」

「うきゃあぁ!!」


 単なる当て推量さ、と言いかけた時。まるで踏み潰されたカエルの断末魔のような声……、音? いや、声なのだろう、が廊下から聞こえてきた。

 マールとミルダも顔を上げ、驚いたような表情を見せる。

 廊下では引き続き誰かの声が聞こえる。

 内容までは分からないが、会話のようだ。

 ドアを開けると、エッダとエレノア嬢がいた。

 彼女の姿を見た瞬間、なぜか心臓が一拍乱れた気がした。理由は……自分でも良く分からなかった。

 落ち着かない不安な気持ちが背筋をぞわぞわとさせ、落ちつかない気分になった。

 だからだろう。わざと眉間に皺を寄せ、必要以上に低い声で、更に噛んだり、つっかえたりしないようゆっくり慎重に言った。

 

「カエルが引き潰されたような声がしたかと思ったら、またあなたですか」

 

2023/04/22 初稿

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