月は静かに
「辺境軍の配置転換はほぼ終わりました。
抽出した部隊は明後日には目的地へ移動完了。明々後日には出港予定です」
クラリスは言葉を切るとこちらの方を無言で見つめてきた。なにか言いたいことがあるようだった。
「うん? なにか気になることでもあるのか?」
「え? いえ、えっと……そ、そうですね、これほど部隊を出してしまって各地域の治安が大丈夫かと思うのです。辺境の境界線など大変手薄になってしまっていて心配です」
「なに、西も南も隣の領との関係は友好だから心配はいらないさ。領民の間に不満があるわけでもないので暴動などが起こる心配。
さて、私はそろそろ部屋に戻って寝ることにするよ。君はどうする?」
「わたしは調べたいことがありますのでもう少し」
「そうか。あまり根をつめないように」
それだけ言うと離れを後にした。
外はすっかり暗くなっていた。幸い月が明るかったので本館までの道のりに明かりは必要なかった。
夜風が心地良かった。
「えっと、えっと、これはツェー……あれ、シャーだったかな、いや、シチュー? あれれれ」
「えー! ちょっとエッダしっかりしてよ。それじゃあ、なにがなんだか分からないよ」
「うー、思い出すからちょっも待ってよ。私だって読み書き勉強中なんだから!」
本館の入り口近くのテラスを横切ろうとした時、そんな声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だった。
垣根越しに覗いてみると、テーブルに3人の少女が頭を付き合わせるようにすわっていた。
最初、なにをしているのだろうと思ったが、どうやら月明かりを頼りに本を読んでいる、いや、会話からすると読み書きを勉強しているのだろうか。
エッダを中心に両脇に2人。
2人ともキッチンメイドなのは分かるが名前が覚束ない。1人は確かマールと言ったはずだ。病院で入院患者の食事の準備を良く手伝ってくれると評判だった。
「そこの3人」
つい声をかけてしまったのがいけなかった。
エッダたちの3人はほぼ同時に飛び上がり、悲鳴を上げた。
「わっわっわっわっわっ!」とエッダ。
「ゼッゼッゼッゼノさま!!」とマールが続き。
「ビックリしましたァ~!!!」と金髪で一番小さな少女が最後を締めた。なかなかのコンビネーションだ。
「ああ、驚かせてすまない。まさか、そんなに驚くとは思わなかったんだよ」
「ゼ、ゼノ様、なんでこんなところに……じゃない! えっと、こんばんは…………でもなく、あっと! 夜分恐れいりました?」
「うん、微妙に違う。でも、恐れ入りさまだ。
ところでこんな時間になにをやっているのだい?」
「な、なにもしてません」
屋敷の外で、夜も更けたこの時間帯に3人揃ってなにもしていない、なんてことがあるわけもなく。それでもそう言い張るエッダ。まるで背中に鉄の棒でも差し込まれたかのように直立する姿は明らかに挙動不審だ。
歳は確か16ぐらいと聞いていたが、小柄であどけない顔立ちのせいかもっと幼く見えた。それでも他の2人よりもずっと年上であり、無意識なのか、意識してかその2人を自分の背中へと隠すようにしてこっちを見上げてきていた。
警戒されてるなぁ
屋敷の使用人たちにとってはゼノは新参者扱いであり、その上、生殺与奪の力をもった使用者側の人間だから、少女たちが警戒するのも無理はないのだが、なんとなく寂しい気持ちになった。
ふと、エレノアの顔が頭に浮かんだ。
一瞬、なんで今彼女のことを思い出したのか戸惑ったが、そう言えば彼女の立場も自分とそれほど違わないのに、この子たちとは打ち解けているなと思った。
彼女と自分の違いは一体なんなんだろうと、考える。
が、単に男と女の違いぐらいしか思いつかなかった。エレノア嬢は、なるほど、見た目に可愛らし女性。片やこっちは(ゼファードと比較すればましではあるが)厳つい男。この見た目の差が思った以上に大きいのだろうか?
なんとなくであったが、彼女たちとの距離を縮めたいなと思った。
まずは親しみ感を増すのが肝心だ
口角を上げて微笑んで見る。心なしかエッダたちの瞳が大きく開かれたように見えた。
「そうなのか?
なにか本を読んでいたように見えたが。
駄目じゃないか……」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
こんな暗いところで本を読んでいては目を悪くするよ、と言う前にエッダが物凄い勢いで謝り始めた。
「こんな遅くまで起きてて申し訳ありません。
月が綺麗だったから、私がみんなを誘ってしまつまたんです。
でも、でも、ちゃんとお仕事しますから。居眠りなんかしませんから」
なにか突然言い訳を始めた。
「違うんです。エッダは悪くないんです。
私が無理を言って字を教えてもらっていたんです!
ですから、叱るのなら私を叱ってください」
エッダの背中に隠れるようにしていたマールが前に出て加勢する。一生懸命なのは分かるが今一つ要領を得ない。本を読んでいるだけなのを叱るなんてことはないだろう。それなのに何故こんなに必死になるのかが分からなかった。
「そうです!」
と、もう1人、名前が分からない少女も参戦してきた。
「おねぇちゃんは悪くないんです!
私たちご本が読めるようになりたくておねぇちゃんに無理を言ってお願いしたんです」
「ミ、ミルダ」
エッダは慌てて押し止めようとするがミルダは止まらない。
「おねぇちゃんは悪くないんです。でも、上手く字が読めないです。シャーとツェーとかシチューがスープになって、なにもかもがごった煮になっちゃって……でワケわかんないんです」
エッダの口が一瞬ぽかんと開くと、みるみる顔が赤くなった。
「え―――、ちょっ、ミルダ……」
「そうなんです。エッダは元々私たちと同じで字が読めなかったんです。でも、エレノア様付きになって勉強させられて最近覚えたばっかなの。だから、慣れてないだけで、頑張って教えてくれるのだけど、かえってなにがなんだか分からなくなって……でも、一生懸命なのです」
なにやら話の主旨がさらに分からなくなってきた。
「本当はエレノア様に相談しょうって話だっけど、おねえちゃんが迷惑かけられない、頑張るからって話で、でも、やっぱり良く分かんなくて困ってたんです」
「えっ、マールまで……
えっ?! ミルダ! そんなん思ってたの!!」
いつの間にかマールとミルダはエッダと私の間に割って入り、庇う者と庇われる者が入れ替わった形になっていた。
そもそも話の主題が変わっているようにも思える。
そしてエッダは庇っていたものから後ろから刺されたような驚きの表情になっている。すこし涙目だ。
正直、自分はなにを見せられているのだろうかと思った。なにかの喜劇だろうか。
「あははは。別に叱るつもりはないから、まず、ちょっと落ち着こうか。落ち着いて話をしょう」
笑いながら、テラスに置かれた手近の椅子に腰を掛けた。確かにとりとめのない話をするのにはうってつけの月の綺麗な夜だった。
2023/04/01 初稿




