断固説明を要求します!!
ドアが開き、一人の男がゆらりと入ってきた。
前髪が長く、鼻のところまで垂れ下がっていて顔の半分が隠れて見えない。あれでよくもまあ、視界が確保できると感心する。
この人が伯爵様なのか?
「これはゼノ様。いかがされました」
「済まないね、ミランダ。
少し、エレノア様とお二人で話をさせて貰いたいのだよ」
ゼノ? では伯爵様ではないのか。
そんなことを考えているうちに、ミランダたちが部屋を出て行ってしまい、私とゼノと名乗る男の人の二人だけになってしまった。
「私は、当家の家令を勤めるゼノと申すものです」
スチュワートといえば、屋敷を取り仕切る最高責任者だ。ヘンリーやファーストレディースメイドのミランダの上司にあたる役職。当主に代わり屋敷の実質的に支配している人物といえる。
「お初にお目にかかります。
わたし、エレノア・ヴェルデンティーノ……いえ、先ほどの結婚式でマルドゥールになりました」
「はい、存じ上げております、奥様。
それで、その事について少しお話がございます」
「話ですか?」
「今回のご婚礼の件です。なんとも申し上げにくいのですが、今回のエレノア様とのご結婚ですが実は……その……本当ではないのです」
「はい?」
なんか言っていることが良く理解できなかった。本当ではないとは一体なにが本当ではないのか? 結婚式のことか? さっきのは仮の結婚式で、後日盛大なのがあると言うのか……
「あの、すみません。良く意味が分からないのですが……
本当ではない、と言うのはどういう意味でしょう?」
「あ――、つまりですね。今回の結婚は偽り、偽装結婚だと言うことです」
ゼノさんの言葉はとても歯切れが悪かった。そして、私の頭にも言っている言葉の意味がどうにも染み込んでこなかった。
それでも何度もぐるぐると反芻すると、ようやくその意味することを理解できた。
「ぎ、ぎ、偽装結婚!!
それ、本気で言ってるのですか?!
一体、私がどんな思いでここに嫁いで来たのか、貴方、お分かりですか?!」
大声で叫んだ!
「はい、この件については大変申し訳ないと思っております」
ゼノさんは深々と頭を下げる。本当に悪いと思っているのは伝わってくる。しかし、謝られて済む話と済まない話はある。そして、これは間違いなく後者に属する話だ。
「申し訳ないで済む話ですか!
危うく、私はオリーブオイルをあんなところやこんなところに塗りたくられるところだったんですよ!!」
「はっ? オリーブオイルを塗りたくられる?」
ゼノさんの声が困惑する。
しまった、変なこと口走った。それは本質ではない。
「あっ、いえ、それはいいです。忘れてください。その事はとりあえず置いておくとして!
いいですか、謝られても、ハイそうですかってわけには参りませんよ。
女にとって結婚がどれ程意味があるものか分かっているのですか?
理由を説明してください。
なんでわたしなのか?
なんでこんなことをしたのか?
さあ! 納得できる説明を断固要求します!!」
「エレノア様、落ち着いて下さい。
説明を今からいたします。
まず、グレノス領をご存じですか?」
「グレノス? ええ、わたしたち、ヴェルデンティーノの西に位置する領ですが、それが何か?」
「実はそのグレノスとその周辺領が南の獣人族と結託して連邦に反旗を翻すという計画があるのです」
「ふえ、反乱ですか?
ま、まさか、ヴェルデンティーノもその反乱の一員なのですか?!」
「いえ、それはないです」
ゼノさんはあっさり否定した。
そりゃそうか、と義父の人の良さそうな、そして、気の弱そうな顔が思い浮かべれば納得できる。義父がそんな大それたことに力を貸すとは思えない。
「と、言うことはもしかしたらヴェルデンティーノ領が戦乱に巻き込まれるということですか?」
「その心配はほとんどありません。
内偵によると反乱軍の大半はグレノスの更に西のメンドレイク領の北の境界に集められています。連邦への侵攻もそこからというのが元老委員会の見立てです」
それを聞いて胸を撫で下ろす。
「で、それとわたしの偽装結婚にどのような関係があるのです?」
「委員会は、反乱が起きたら直ちに制圧するために秘密裏に準備を進めています。
具体的に言うと、戦いが始まったらすぐに敵の補給線を絶つためにヴェルデンティーノからグレノスへ逆侵攻する予定です」
「うちは侵攻できるような武力なんてありませんよ。こう言っちゃなんですけどスッゴく貧乏なんですから」
「それなら心配無用です。
必要な兵力は連邦から送られる手筈になっています」
「……でも、さっき秘密裏にって言ってましたよね? そんな大々的に軍隊を送ったらばれてしまうのでは……
あっ! 婚礼の引き出物」
港に次々と入ってくる大型船と積み出される大量の箱とそれを運ぶ人夫たちを思い出す。
「ご明察。実は姿を変えた兵士たちとその装備です」
すべてが理解できた。できてしまった。
「そのための偽装結婚と言うことね。
このことは義父や義母は知っているのですか?」
「お話はしておりません。秘密を知る人が少なければ少ないほど守るのは容易なのです。
とはいえ、さすがにエレノア様にこのまま言わないでおくわけにもいかず、お話をさせていただいております。
その代わり、事が終わるまで他言無用。また、
マルドゥール家の奥様として振る舞っていただきたいです。
そうですね、早くて一月。相手の出方次第では二、三ヶ月でしょうか」
「その後は?」
「何事もなく、ヴェルデンティーノ領にお帰りいただけます」
「出戻りの汚名を着せてにしてですか?」
「傷物? とんでもない。貴方に指一本触れるものですか!」
「世間はそうは見てくれませんよ」
「ああ、その辺は最大限に配慮しております。
だからこそ。婚礼は内輪だけでやらせていただいたのですよ。
この婚礼のことは連邦内では公にはなっておりません。エレノア様のお名前に傷がつくことはございませんので、ご心配はいりません」
なるほど、つまり至れり尽くせりということなんだ。それにしてもなにか釈然としない。なにか怒りをぶつけたいけれど、ぶつける先、ぶつけ方が分からない。
「それで、今後、わたしはどうすればよいのでしょう?」
我ながら子供じみていたけれど、すねた調子でそういうのがやっとだった。
「先ほど言いました通り、このまま奥様としてふるまっていただければ良いです。
機密の管理のために外出は控えていただきますが、屋敷内ならどこへでも自由に出歩いてくださって結構です……
あ、ああ、しかし、北の離れの地下室は立ち入り禁止となっておりますのでよろしくお願いします。
それでは、他になにか質問はありますか? なければ私はこれにて失礼いたします」
ゼノさんは、言うことを言うとそのまま、部屋を出て行ってしまった。
無駄に色っぽいネグリジェを着させられたまま一人残される。
やっば、こんな格好で二人きりで話をしてたんだ、と今さらながら顔が赤くなった。
なんにしてもどっと疲れた。初夜はないってことは拍子抜けというかほっとしたというか、なんとも複雑な気持ちだった。
たった一人残された部屋で、ぽふんと椅子に腰かける。
偽装結婚
その言葉がじわじわと体を侵食してくるのが分かった。
「ここもやっぱり、わたしの居場所にはならないのか」
つぶやいた言葉の意味に、わたしはほんのちょっぴり涙をこぼした。
2022/06/11 初稿