誤解
一体、何が起こったのだ?!
背中を床に打ちつけた痛みに堪えながら懸命に考える。と、柔らかく暖かいものがのし掛かってきた。状況は良く分からないものの本能的に払い除けようとしたが、上に乗っているものは逆に纏わりついてきて容易には引き剥がせかった。
「エッダ! 早く逃げて!」
耳元で声がする。聞き覚えのある声。
エレノア……か?
なんでこんなところにエレノア嬢がいるのか?
離れには行かないように言いおいていたはずなのに……
とにかく彼女を引き離そうと肩に手をかける。途端に手首のところに鋭い痛みを覚えた。
噛まれた!
思いっきり噛まれた。
人とは噛む生き物なのか?
痛みの中、そんな新鮮な驚きを感じているその横をエッダが走り抜けていく。
これは、決して良い状況ではない。
パニックになったエッダが使用人たちにどんな話をするか分からない。
そうなれば伯爵家の呪いの話につながるかもしれないし、今回の偽装結婚についても触れねばならなくなるかもしれない。
それは不味い。
今、変な噂が広がり、それを反乱者たちに聞かれるのは非常に不味いのだ。
なんとかしてエッダたちを落ち着かせる必要があった。あるのだが、エレノア嬢が執拗に纏わりついてきて身動きがとれなかった。
この人、見た目以上に根性があるな
などと事態にそぐわない感心をしていると、階下から人の気配が上ってきた。
クラリスだ。
クラリスは手を走っていくエッダに向ける。途端にエッダが膝から崩れ落ちた。まるで紐の切れた操り人形のようだった。
「エッダ!!」
体が急に軽くなった。エレノアが離れたからだ。
「エッダ、エッダ! しっかりしなさい」
エレノア嬢はエッダを抱き起こすと懸命に声をかけている。一方自分は、と言うと彼女から解放されてようやく一息をつけたところだった。半身を起こしたところでクラリスが近づいてきた。
「まさか、傷つけてたりはしないだろうね」
しゃがんだまま、クラリスを見上げて小声できいてみる。彼女が魔法を行使したのは理解していたがなにを使ったのかは分からない。
「無論です。眠らせただけです」
クラリスの答えに内心ほっとした。
「一体何があったのだ?」
私の問いにクラリスは仮面の顔を向けると首をかしげて見せた。もしも素顔が見えるのなら眉を上げているのが分かったかも知れない。
「それはわたしが聞きたいです」
クラリスはエレノア嬢を見るのは初めてなのか、物珍しい動物を目撃したような眼差しを向けていた。釣られて自分も視線をエレノア嬢に向ける。彼女はエッダの安否を確かめるのに懸命のようだった。
「彼女か……」
さて、彼女をどう説明すれば良いのであろうか
この屋敷の若奥様、と言うべきか、はたまた、偽の花嫁と表現すべきか。かなり悩ましい。
結局、彼女をどう形容するはひとまず置いて、取りあえずエレノア嬢の言い分を確認しておくことにを優先することにした。
面倒くさいことになったものだ。
「一体全体これは何の騒ぎです」
問いかけとため息を一緒に吐き出す。
それに対してエレノア嬢は……、エレノア嬢はなかなか答えようとはしなかった。抱き抱えたエッダと我々の方を交互に見やること二度、ようやく口を開いた。
「それはこちらのセリフです。一体わたしたちをどうするつもりですが」
これは、重症だ。
予想はしていたがこれほど勘違いされてしっているとは。どうやら彼女の目には我々が人を頭からばりばり食べてしまう食人鬼かなにかに見えているのだろう。
隣に立つクラリスへちらりと目を向けた。
彼女が誤解の一因であろう。
仮面をかぶった白衣の女だけでも結構怖いのに、身にまとった白衣には赤黒い染みがところどころついていた。
この染みは一体なんだ?
何時ついたのだろう?
魔法で手術中にほとんど血は出ないはずなのになんであんなに汚れているのか?
術後の彼女の服にあんな染みついていたろうか? などと疑問がふつふつと湧いてくる。
彼女を知っている自分ですら、遭遇したら引いてしまいそうな出で立ちだった。
「なにか?」
私の視線に気づいたクラリスがぼそりと言った。
「ああ、いや、なんでもない」
小声で返すと、改めてエレノア嬢の方へ顔を向けた。誤解を解く方法を考える時間を稼ぐためにわざととぼけた質問をしてみる。
「どうするつもり、とは…… うーん。困りましたね。どうも話がかみ合わない」
話の接ぎ穂を失ったので、いったん矛先をクラリスに変える。
「クラリス、これはどういうことなのかね?」
「わたしが説明をしてほしいです。処置室に戻ったらこの二人がいたのです。
この人は誰なのです? なぜ地下室へ入る許可を与えたのですか?」
こちらはこちらで、何故だが、想定以上の強い答えが返ってきた。こんなに機嫌が悪い彼女も珍しい。どうやら私がエレノア嬢を地下室へ招き入れたと勘違いしているようだ。
それは全くの誤解なのだが……
「いや、与えてはいないよ。むしろ地下室へは立ち入るなという話をしていた」
だが、確かに言われてみればその通りだ。地下室への入り口には鍵をかけている。一瞬鍵をかけ忘れたのかと思ったが、ドアにかけられている鍵は、開けようとする者の魂を識別して反応する魔法の鍵だ。かけ忘れなど起きないし、鍵の複製なども不可能。誤動作することもほとんどあり得ない。つまり、なぜエレノア嬢が地下へ入れたのかは全くの謎だった。
まあ、その謎はともかくとして、彼女たちは地下室へ迷い込んで寝かされたモーリス少年を目撃したのだろつ。多分、隣のテーブルに置かれた切断された手足も見たかもしれない。
そして、そこへ怪しい仮面の女、クラリスのことだが、が現れてパニックになった。そんなところだろうか。
「どうやらあなたは地下のものを見てしまったのですね」
一応、確認しておく。
「そうよ!」
小気味よい即答。そして、エレノア嬢は言葉を続けた。
「あの噂は本当だったのね」
実に興味深い発言だった。
噂、世間では我が伯爵家に良くない噂が流れていると聞いてはいた。なかなか領では聞けないのだが、世間でどのような噂が流れているのか、この際エレノア嬢の知っている噂というのを聞いてみたいと思った。
「噂……? それはどんな噂ですか?」
「伯爵様が奴隷の子供を買い漁って、手足を切り刻んで殺して楽しんでいるって噂よ!
でも噂は噂、そんなの嘘だって思っていた。
話し半分のただのやっかみだと思っていた。
だって、伯爵様はちゃんと約束を守る人だと思っていたから……
そりゃ、結婚式に鎧着て現れたり、誓いの言葉が唸り声にしか聞こえなくて変な人だなぁって思わなくもなかったけど……
それに約束守ったてのも本当はわたしのことより軍隊を送りたかっただけだったわけだけど……
そ、それでもわたしが傷つかないように配慮してくれたりもしていて、だから、変だけど悪い人じゃないんだな、ってそう思ってた!
なのに、なのに……」
さりげなく水を向けてみると、破れた堤防から水が吹き出るような勢いで言葉がほとばしり出てきた。
なるほど、期せずしてエレノア嬢の心の内を聞かせてもらえた。
ゼファードの感想が具体的で少し痛い。やっぱりそんな風に思っていたんだ。
本人も同じように感じていたので、きっとそれは的を得た評なのだろう。
一方、約束を守る人と言われたのは正直嬉しかった。
「と、とにかく!
あんなことが許されると思ったら大間違いよ」
そんな思いを知らずにエレノア嬢は大声で伯爵断罪し続けるのだった。
2023/01/28 初稿




