エレノア嬢
「な、なんだとぉ? 俺の代わりだと? ふざけたことを言うな、そんなどこの馬の骨ともわからないやつにコックが務まるものか!」
食堂に入った途端にそんな声が聞こえてきた。
はて、聞き覚えのない声だ、と声の主へ目を向ける。
良く焼けた肌の細身で小柄な男、例えるなら小猿、あるいは枯れ木のような男だった。やはり、見覚えがない。新任の顔合わせの時には居なかった。
控えめに言って貧相、あるいは吹けば飛びそうな小男、そんな人物がでっぷりと太ったジモンスを睨みつけ、見下ろしていた。
なにか揉め事があったのは間違いない。が、割って入るべきか悩ましかった。
「コックが務まらねぇとはご挨拶だなぁ!
このピート・シュトーム様が何年、料理長をしてると思ってる。それもな、おめーみたいな陸でふんぞり返って料理してるやつらとはわけが違うんだ。
嵐でぐらぐら揺れてる中で鍋かき回しながら料理作ってンだ。
お前ごときにコックが務まらねぇなんていわれる筋合いはねぇ!!」
コック?
見知らぬ男はコックのようだ。嵐でぐらぐら揺れる中とか言っているところと肌の色から推察するに船で料理を作っていた人間のようだ。だが、そんなに人間がどうしてこんなところにいるのだ。
そんな疑問が今度は湧いてきたが、ピートと名乗る男の後ろで不敵そうな笑みを浮かべているエレノアに気づいてピンときた。
全ては彼女の采配なのか
「前も言ったがな、そんな勝手は許されないぞ! 俺を辞めさせられるのは、伯爵様か、ゼノだけだ。まして新しいコックをやとうなんて、あんたが決めていい話じゃない!!」
ヒステリックなジモンスの声が響きわたった。
遂に料理人の伝家の宝刀、『辞めさせられるものなら辞めさせてみろ』を繰り出してきた。それはつまりジモンスがかなり追い詰められている証でもあった。
そろそろ、自分が事態の収集にあたるべき時期なのだろう。
「ならば、私が決めればよいのですか」
ジモンスとピートの会話に介入した。
「ゼノ……あんた、外出してたんじゃないのか」
ジモンスの呻くような声。
ピート、と名乗る男はきょとんとして私の顔を見つめるだけだった。まあ、初対面なのでそれは仕方がないだろう。
エレノア嬢は……彼女もまた、私の登場に驚きの表情を隠せないでいる。私の登場にみんなが驚き、戸惑いいた。それがなにかとても愉快に感じられる。こういう感覚は初めて経験する。実に気持ち良かった。
「野暮用で急遽戻ってきたのですよ。戻ってきたそうそうこんな騒動でうんざりしているところです。大体の話はヘンドリックから聞きました」
込み上げてくる笑いを押し殺しながら出来るだけ何事もないと言うように言葉を続ける。
「それでは、この騒動、私が判断をすればよいのですよね」
この状況に最初に対応してきたのはエレノア嬢であった。
「そ、そうよ。大体わかっているなら繰り返すつもりはないけれど、私はジモンスに辞めてもらって、このピートに新しいコックになってもらいたいわ」
はっきりとした口調でそう言ってきた。
文句を言うだけでなにも実際的な行動も対策をできない頭でっかち輩は巷に溢れているが、この女性は自ら料理を作り、その後の事にも考えをめぐられ実効性のある手を打てる能力があるのだ。そして、言うべきことは物怖じせずに主張する胆力も持ち合わせいるようだった。
実に興味深い
彼女への印象を上書きせねばならないな。まあ、それはそれとして、まずこの場の決着をつけよう。
「分かりました。奥様の良いようにしていただいて結構です」
私の言葉に、ポカンと口を開けたまま固まった。恐らくは反対されると思っていたのだろう。
「ちょっとまってくれ! 長年務めている俺を切るっていうのか? なんの落ち度もない俺を、この何もわかっていない奥様に従うっていうのか? そりゃ、ちょっと酷っていうものじゃないのか?」
さすがに自分の首を切られるとなるとジモンスも反応してきた。叱責されることはあるとしても、いきなり解雇になるとは夢想だにしていなかったろう。
だが、これは決定事項なのだ
■■■
食堂へ行く前の話だ。ヘンドリックの言葉に驚き、思わず聞き返した。
「ジモンスが不正をしているって?」
「はい。どうやら食材の代金を誤魔化して自分の物にしているようです」
ヘンドリックは頷き、答えた。
「本当なのだろうね。なにか証拠はあるのかい」
「ゼノ様が帳簿をお読みになれるかどうか分かりませんがこちらにその証拠があります」
渡されたのは厨房関連の帳簿だった。
「確かに食材の量がやや多い気もするが……これだけでジモンスが厨房関連の経費を誤魔化している言いきれないのではないかな」
「こちらは市場でのジモンスが購入した物品の記録です。物によっては帳簿の半分くらいの量しか購入していません」
ざっと、帳簿と記録を見比べて見る。確かにヘンドリックの言う通りだった。
「ふむ。これはわざわざ調べたのかい?」
「最近、食事の質が落ちている皆から不満が上がっておりまして。それなのに食材の経費はかさんでおり、どうにもおかしいなと思いまして……」
「なるほど、食べ物の恨みは怖いな。
となるとジモンスは解雇と言うことかな」
「それが妥当だと思います。最近のジモンスの仕事を見ておりますと目に余るものがございます。
そもそも今回のエレノア様の騒動も、そこに原因があるのです」
聞くと、厨房が汚いことにエレノア嬢が激怒したことが原因だと、伝えられた。
「なるほど。事情は分かった。しかし、今すぐ解雇と言う訳にはいかんよ。知ってる通りこの屋敷の厨房は病院の食事も賄っているからね。それを停めることは断じてできない。彼を解雇するにもある程度算段をしてからだ」
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と、言って出てきた訳なのだが、まさかその算段をエレノア嬢が整えてくれようとは。
ならば遠慮することはなにもない。
「なんの落ち度もない、ですか。まあ、そういうことにしておきましょう。
ジモンス、長い間ご苦労様でした。本日付けでコックのやめていただきます。今月合わせて三か月分の給金を支払います。それで手を打ちましょう」
三ヶ月分の給金を払うのは腹立たしかったが、それがこの領での法だから仕方ない。解雇する場合は最低三ヶ月を支払うこととなっているのだ。まあ、退職金は払うつもりはない。後で証拠を突きつけてやれば文句は出ないだろう。
これでこの件は終わりだ
意気消沈して部屋を出ていくジモンスを見送ると適当に空いている席に腰を下ろす。
スープの甘い匂いが鼻をくすぐる。忘れていた空腹感が戻ってきた。
では、エレノア嬢のお手並みを拝見、いや、賞味させてもらおう
「済みませんが私にもそのシチューを一つお願いします。急いで戻ってきたのであまり食べれていないのです」
笑顔をつくると、呆気にとられていた彼女に声をかけた。
2022/12/24 初稿




