揉め事
「ふう」
うっすらと血の臭いがこもる部屋の中、体の中にこもっていた緊張を解すように息を吐き出す。
目の前のベッドにはマーカス少年が横たわっていた。
一見死んだように見えるが魔法で深い眠りに陥っているだけだ。傍らのテーブルには切り取ったばかりの足首と左腕が置いてあった。
「止血の術式完了。続いて清浄の術式を執り行います」
クラリスの声が静かに部屋に響いた。
彼女の左手には小振りの円盤が握られていた。清浄の術式が刻まれたマギアプレート。今、そのプレートにクラリスは魔力をこめているのだろう。ゼルヴォスならばプレートが淡い緑色に発光しているのを感じとれることだろうが、今の自分、すなわちゼノではまるで分からなかった。
今回の手術に臨んで見て分かったこと、いや、思い知らされたことがある。
すなわち魔法に関しては、今の自分はまるで役に立たないと言うことだ。
魔法を使うにはおよそ二つの段階を踏む必要がある。
魔法に必要な魔力を周囲から集めること。これが最初のステップ。次に集めた魔力を編み上げて必要な術式を構築すること。その二つのステップを踏むことで初めて魔法は発動する。術式を構築するには複雑な紋様や法則の知識が必要で、この部分が魔法使いになるには長い修練が必要と言われるゆえんであった。
だがそれは魔法使いになるための壁はではない。
ぶっちゃけてしまえば、小難しい図形や決まり事は覚えれば済む話であり時間と努力を惜しまねばなんとかなるのだ。今ではマギアプレートがその部分を補ってくれる。魔法使いになるための最大の試練は、魔力を集める能力と集めた魔力を編み上げる能力、この二つの力があるか、ないかであった。そして、この二つの能力は持って生まれた才能に大きく依存した。努力して獲得できるものではない。その点に置いてゼノは魔法に関しては全くの役立たずだ。
故に、クラリスから『後はわたしが処置しますので、ゼノ様は一度お屋敷にお戻りください』と言われた時、素直に従うことにした。
病院から屋敷に戻る馬車に揺られながら暗鬱とした気持ちになった。
ゼルヴォスは間違いなく魔法の才を持っていた。イルシャーリアンであるクラリスほどではないにしろ魔力を集めることも操ることもできた。魔法の複雑な構造も直感で理解できた。が、今はどうだ。魔力を関知することすらできない。こんな調子では呪いを解くことなど不可能ではないか。
「参ったなぁ」
一人、虚しくため息をついた。
□□□
屋敷に戻る頃には手術の緊張感は完全に抜け、疲労感だけがどんよりと体全身にまとわりついていた。腹が空いていた。
「疲れたよ。腹も空いた。ジモンスに言って夕食の準備をしてもらえないだろうか」
出迎えくれたヘンドリックに愚痴ともつかない弱音を吐く。すると彼は少し顔を曇らせた。こう言う表情を見せるのは珍しい。最近のヘンドリックは自分が見たこともない反応を示すので見ていると少し面白い。が、その反応自体はきっと面白くないことが起きているのだろうと想像できた。
「それがですね、只今、ジモンスはエレノア様と揉めておりまして……」
「揉めている、だって?!」
当たりだ(ビンゴ)
ジモンスとエレノアが揉めている
一体、なにがどうなるとそんな話になるんだ。
「一体、なにがどうなるとそんな話になるんだ?」
だから、心の声がそのまま口から出た。
「エレノア様が厨房の様子に異を唱えましたら、ジモンスがヘソを曲げてしまったのです」
「ああ……」
成る程、ある意味納得のため息を出た。
夢想だにしなかったと言うのは自分がうかつだったのかもしれない。若奥様が嫁入りしてきた家の食事に文句を言ったせいで料理人の逆鱗に触れて騒ぎになる、とは良く聞く話だ。
料理人は技能者だ。それだけにプライドが高い。相手が雇い主だとしても平気で盾をつく者も多い。そう簡単に替えが利かないと言うことを理解しているのだ。怒ったコックが仕事をサボタージュして困った雇い主が謝るなんて話をそこここで聞いたことがあった。
「それで怒ったジモンスが料理を作るのを拒否していると言うのかい?」
「お察しのとおりでございます」
やれやれ、これ以上厄介事を増やさないで欲しいものだ、と思った。夕食にありつけないのはともかく、病院食の配達が遅れるのは由々しき事態だ。
「さっさと、エレノア嬢に謝ってもらってジモンスに仕事を戻ってもらってくれ」
「しかし……」
歯切れの悪い回答
今度は少し苛ついた。いつもの彼ならば私にそんな報告をする前に対処してくれているはずだ。せいぜい雨がぱらつきましたね、ぐらいの話題にすらならない話題ですむレベルだろう。
なんでこんなに愚図愚図した対応なのだろうか? エレノアの味方をしたく決断できないのだろうか?
しかし、これは誰が正しいとか正しくないという話ではない。そんなものに意味はない。最優先事項はそんなことではないのだ。
「今やらなくてはならないのは食事を滞りなく作ることだろう。
病院の配膳が遅れるようなことがあってはならない」
「いえ、料理は作られているのです」
「うん? ジモンスがヘソを曲げて料理を作らないと言ったのだろう?」
「はい、その通りです」
「では、誰が料理を作っていると言うのだ?」
「エレノア様です」
「はっ? 誰だって」
「エレノア様です。ジモンスが作らないと言うのなら自分が作る、と仰いまして……」
「それで作っていると言うのか?!」
前言撤回
料理人の常套句『ご不満なら自分でお作りなれば良いです』を真っ向から受けて立つ新妻とは、聞いたことがない。
呆れる……いや、不安しかない。
「彼女に任せて本当に大丈夫なのかい?
お嬢様が趣味でケーキを一つ二つ焼くのとはわけが違うのだよ。何十人分もの賄いだ」
「はい、しかし、もうできていて、大食堂で給仕も始まっているのです」
「なんだって? ……そうなのか」
これは驚きだ。少し興味が湧いてきた。ふさいでいた心の奥底でなにかが浮き立つのを微かに感じた。
「へぇ……。ならば若奥様のお手並みを拝見させてもらうか」
そう言う口元が弛むをなぜか抑えることができなかった。
2022/12/10 初稿




