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女心は揺れ動くのです

 生暖かいものが鼻から垂れてくるのを感じる。無造作に拭った腕を見ると真っ赤に染まっていた。それで鼻血が出ていることに気づく。

 目の前にハンカチが差し出された。


「つかいなさいな」


 クラリスの声。無言で受け取ると鼻を押さえる。


「少し休む?」

「いい。大丈夫」


 短く答える。

 作り上げた魔力を右手で少しずつ少しずつ捩じり、曲げ、結ぶ。昔見た飴細工の職人さんの気分。まさかそれを自分が魔法でやるなんて思いもしなかった。長時間の集中でこめかみがどくどくと脈打ち、胃液が何度も逆流して喉や口を焼く。

 作った三つの輪っかに細くねじった魔力の糸を通す。一つ。二つ。三つ……目がなかなか通らない。

 

 この

 この…… 通れって


 また鼻血が垂れる感触があったが、今は手を離せない。いいや、そのまま垂れるままに任せよう、そう思った。

 そっと、柔らかい布の感触。横目で見ると、クラリスがハンカチで血を拭いてくれていた。


「もうちょっとよ。頑張って」


 耳元で囁くクラリスに、うんと小さく答える。


 通った!


 慎重に輪っかを通った魔力糸の先をつまんでひっぱる。と、同時にいままで練り上げた魔法の塊がまばゆい光を放った。


「できた!」

 

 完成した解呪の球を壊れやすいガラス細工をもつようにクラリスがそっと抱えるとゼルヴォスさんの体に乗せた。解呪の球はキラキラと光りながら体に吸い込まれていく。


「成功よ。解呪は無事完了したわ」


 クラリスの声が聞こえた。と、同時に私の意識はすっと遠くなった。




 次に目を覚ましたのは自分のベッドの中だった。横を見るとエレオノーラが椅子に座って見守っていてくれた。


「お目覚めですが?」


 わたしが目を覚ましたことに気が付いたエレオノーラが優しく問いかけてきた。 

 解呪を完成させた後、わたしは三日ほど眠っていたらしい。極度の集中と体力の消耗が原因らしい。ゼルヴォスさんの容体を聞いてみると、無事らしい、との曖昧な回答が来た。


「無事らしいってどいうこと?」

「それが、後のことはクラリス様の采配で。私たちは一度もゼルヴォス様にお会いしていないのです。そうこうしているうちに、屋敷からいなくなったのですよ」

「いなくなった? いつのこと?」

「うーん、奥様が倒れた次の日ぐらいですかね。まあ、いつ頃出て行ったのか良くわからないのです。出て行くところを見たわけではないの。

これも、クラリス様から聞いたのですよ。

ゼルヴォス様は容体が安定したからもっと治療しやすいところへ移動することになったと、だけ。

それから、その代わりゼノ様が戻ってきました」

「え? ゼノが戻っているの?」


 思わず身を起こして聞き直した。


「はい、戻っておられます。ゼノ様もご容体が悪いようで今、ご自分の部屋でお休みに――

ちょ、奥様。なにしているんですか」

「ゼノの様子を見に行こうかと」

「ダメですって、ベッドに戻ってください。ずっと寝ていたんですから、すぐに起きようとするとまた倒れますよ」

「だって、ゼノが戻ってきているんでしょう? 容体が悪いってどんな調子なの? 

まさか、ゼルヴォスさんのように呪いをかけられているとかじゃないのでしょうね?」

「ああ、大丈夫ですよ。

疲労が原因らしいです。寝ていればよくなるというお話です。今はエッダがみておりますので心配はいりません。ですからゼノ様の心配より、今は自分の心配をしてください」

「そうなの」


 ベッドに押し戻された。手もちぶたさ気に布団を引き寄せる。恨めしそうに上目遣いでエレオノーラを見つめたが、行かせてはもらえそうな雰囲気ではなかった。

 

 仕方ない、今はおとなしくしておこう


 そっと目を閉じる。眠れるかしらと不安に思う間もなくすぐに眠りに落ちた。



 そんなこんなで3日をだらだらとベッドの上で過ごした。そして、その間にビールマルマンたちの反乱の話を聞いた。

 恐らくは歴史的な出来事であるはずなのに、辺境ゆえに、エッダとエレオノーラから語られた『それ』のあらましはどこか他人事で牧歌的ですらある噂話と化していた。一時は連邦存続の危機とも言われたが、名もしらない者たちの英雄的かつ献身的行為が幾つも行使された結果、無事終結した……とのことだ。そして、『それ』らがめでたく完結したと聞かされてさらに2日後、ようやくベッドから出る許可をもらえた。

 

■■■


「はい。こんな感じでどうでしょうか。

髪を上げてみました。

いやぁ~、いつもと違った印象になりましたね。

女のわたしが見てもドキドキする最高の出来です」

 

 久しぶりに身だしなみを整えてもらった。

 エレオノーラの自画自賛を聞きながら、鏡に映る自分をチェックする。


 うん。 

 わたし、良い感じじゃない!


 エレオノーラの自信作『わたし』の出来にわたし自身もおおいに満足する。


「ありがとう、エレオノーラ」

「いえ、こちらこそ。奥様の髪をいじらせていただけるのは楽しいですから。って……あら、お出かけですか?」

「うん。みんなに見せびらかしに行こうかなぁ、って」

 

 イヒヒと笑ってごまかす。

 半分嘘。

 見せびらかすってのは嘘じゃない。半分って言うのは『みんなに』ってところ。この姿を一番最初に見せたいのはゼノだ。

 

 ゼノは、今どこにいるのだろう? と少し考える。体の調子はわたしより一足早く良くなったと聞いていた。


 ならば、やはり、自室か? 

 この時間だと食堂かもしれない。ひょっとしたら離れだろうか? 


 心の奥がチクリと痛んだ。

 ゼノに無性に会いたかった。そして、会うのが怖かった。なんと言われるのか怖かったのだ。ベッドの上で動乱が終結したと聞かされたとき、彼から言われた言葉を思い出した。


 秘密を守るために屋敷から出るな


 そう言われた。

 反乱する者たちへ連邦が備えていることを気づかれないようにするための必要な処置。

 それは逆の言い方をすれば、秘密を守る必要がなければ自分はこの屋敷に留まる理由がなくなるということだ。つまり、この屋敷から出てかねばならないということだった。

 そして、その時が来てしまっているのだ。


 お疲れさまでした。さぁ、屋敷から出ていってください


 ゼノから、いつものあの事務的な口調でそんな風に宣言されることが怖かった。


 もしも、面と向かって言われたなら、わたしはどうするのだろう

 おとなしくこの屋敷を出ていくのかだろうか?


 心の中で、ふるふると首を横にふる。


 この屋敷から出ていくのは嫌だ。

 おかしな話だけれど一月少ししかいなかったこの屋敷は今ではわたしの大切なもののほとんど全てになっていた。

 生まれ育った故郷よりもこの屋敷が落ち着くし、育ててくれた義父や義母よりこの屋敷の人たちのほうが大切に思えた。そして、なによりゼノ、彼と別れたくなかっている自分がいた。

 目を覚ましてから、そして、ゼノが戻っていると聞いてからずっと彼のことばかり考えるようになっていた。自分でも滑稽と思えるほどだ。

 考えているうちに、ゼノに一刻も早く会いたいと思うわたしと、会うことを恐れ、ためらうわたし。真逆な二人のわたしが激しくせめぎ合う日々を繰り返していた。


 ドアの前で、会うのをためらうわたしが優勢になり、どうしてもノブを掴むことができなくなった。

 胸が苦しい。


「あの……奥様。何をされているのです?」


 ドアの前で立ち尽くしているわたしを心配してエレオノーラが声をかけてきた。

 その時だ。

 ガチャリと音を立てて、ドアが開いた。

 そして、ゼノが部屋に入ってきた。


2022/08/27 初稿

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