異国の地に到着です!
故郷のヴェルデンティーノ領から海路でひたすら北へ5日間。船はようやく目的地についた。
「あれがゴーライオ港ですぜ」
甲板でデンタウス一等航海士が港を指差しながら言った。前々から聞いていたが遠目から見ても大きい港だと分かった。
「それにしても、これでもう姉御とお別れと思うと俺ぁ、悲しいです!」
デンタウスはそう言うとヨヨヨと泣き崩れる。ゴリラかと見まがう筋肉達磨が背中を丸めて泣く姿は、どう突っ込めばよいのか大いに悩ましい。
わたしたちは、最初の頃は軽い衝突もしたけれど5日間の親交ですっかり打ち解けた間柄だ。今では姉御などと呼ばれている。
うら若き乙女を捕まえて、姉御ってのはどうかと思うのだけど、ね
「おおおお、俺たちも悲しいですよ~、姉御ぉ」
「姐さん! これが最後ってことはないですよねぇ」
「師匠、俺はもっともっと師匠から料理を学びたいっす」
背後からのだみ声に振り向く。甲板員のノバーク、ジャックジャック。そして、料理長のピートの3人だった。
ノバークは甲板掃除勝負、ジャックジャックは食糧庫のネズミ取り勝負、ピートは料理勝負で勝利してからずっと姉御やら姐さんやら師匠と呼ばれている。なぜ、もう少し乙女らしい呼称をしないのか、海の男というものは、やはり理解し難い。
「まあ、縁があればまた会えるでしょう」
「「「そんなぁ」」」
3人が同時に泣きそうな顔で叫んだ。
「姉御ぉ、なんかあったら相談してください」
「そうですよ、姐さん。俺たち、2週間ぐらいはこの港に滞在してますからね。大体酒場でくだ巻いてますから、いつでも来てください」
「ええ、ありがとう。なんかあったら相談するわ。あなたたちの航海も海の神の加護がありますように。
じゃ、行くわ。5日間の航海楽しかったわ!」
バックを引っ掴むと掛けられたばかりの渡り板へ向かう。
「姉御」
「姉御ぉ」
「しっ、師匠おおお」
「姐さ――ん!」
「「「「俺たちゃ待ってますぜぇ―
出戻る時は俺たちがちゃんと送りとどけやす~」」」」
ちょ!? これから嫁入りする娘に出戻る時の話するなや!
ふざけんな、と中指を立てて、勢い良く港に飛び降りる。
こんにちは、マルドゥール
あなたがわたしを受け入れてくれますように
心の中で小さく祈る。
と、名前を呼ばれた。声の方へと目を向けると4頭立ての豪奢な馬車が目に飛び込んできた。
馬車の傍らに濃紺のフロックコートを着た男の人が一人。
髪の毛に少し白いものが混じった年配で控えめなカイゼル髭がキュートななかなかのいい感じのおじさんだ。
もしや、伯爵様、ご本人……?
「エレノア様ですね。
わたくしは、マルドゥール家の執事のヘンドリックと申します」
深々と頭を下げた。
まあ、そうね。大伯爵様がわざわざ出迎えてくれるなんてことはないか
「ヘンドリックさん?」
「どうかヘンリーと及びください」
「ヘンリーさん?」
とヘンリーさんは、すこし苦笑いをした。
「ただの『ヘンリー』です。奥様。
それで、お連れの方は?」
ヘンリーさん、もといヘンリー、はすこし怪訝そうに聞いてきた。
「一人です。結婚式は両家の身内だけでやりたい、極力出席者も少なくしたいとのご要望でしたので一人できました。まずかったでしょうか?」
「お一人?! え、いえ、ヴェルデンティーノ伯爵ご夫妻はご一緒かと思ったのですが、お一人とは。侍女もお一人もおられないのですか?」
「はい。持参金なども一切不要。お気兼ねなくとの太っ腹なご提案でしたので、よろこんで身一つでまいりました」
「はぁ、まあ、そうご提案させていただいておりましたので……
しかし、単身でこんな北の辺境までこられるとは、なんとも剛毅な……いや、失礼いたしました。
長旅、さぞお疲れでしょう。まずは我が主のいる屋敷にまいりましょう」
私が馬車の後方側の座席に座ると、ヘンリーは私の反対、つまり、御者側の座席に腰かけた。
正直、初対面の殿方と二人きりで馬車の中で揺られるのは少し緊張する。あっちも同じなのか、こっちをチラチラ盗み見するだけで何も喋ってはこなかった。
最初、話し難いのだろうと思っていたがどうも私の手が気になるようだった。
手フェチ?
「私の手、どうかしましたか?」
「あっ?! いえ、手袋をされているので寒いのかなと気になりました。お寒いですか?」
「北だから寒いかな、と思ったのですが思ったほどではないですね」
「これから夏ですからね。この辺も夏はそれなりに暑いのです。
冬は一面雪景色になるほど寒いのですけどね。
雪は見たことはおありですか?」
「はい、一応。
でも数えるほどしか見たことはないのです。
ヴェルデンティーノは滅多に雪が降りませんから」
「そうですか」
そして、また沈黙。
手持ちぶさた気に窓から外を眺める。町並みがまばらになり、低い丈の草ばかりの平地が目立つようになってきた。この辺はやはり北の大地なのか。基本的に土地が痩せているのだ。
「寂しい風景……」
「寂しいですか?」
思わず出た言葉にヘンリーが反応してきた。
「あっ、いえ、別に嫌とか言ってるわけではないのですよ。ただ、見慣れない風景なので。
ヴェルデンティーノは森が山ばかりで、こう見晴らしの良い場所は珍しいというか興味深いというかなんというか……ねぇ」
「昔はただ広いだけのなにもない土地でした。作物もあまり取れず、あるものといえば人だけの本当に貧しい領でした」
ヘンリーが少し感慨深げに呟いた。
それは知っている。ここへ来るまでに少し調べた。今でこそ大伯爵として飛ぶ鳥も落とす勢いたけど、それはここ最近の話。今の当主、つまり、私の未来の旦那様、になってからの急成長だった。それゆえ、色々と黒い噂が立てられている。
「伯爵様はどのようなお方なのですか?」
ヘンリーの目が少し大きく開かれた。
「たくさんの才能に恵まれたお方です。わたくしたちが今のように豊かに暮らせるのはすべて伯爵様のお蔭です。そのために……、いえ、そして、とても複雑なのです。
一言で申すのはとても難しいですね」
なにかを隠されているようにも感じた。まあ、自分の主人のことを初対面のわたしに正直に話すとは思えない。
「伯爵様はなんでわたしを選んだのですか? わたしは伯爵様に一度もお会いしたことがありません。
それに、わたし、それほどび、美、いえ有名でもないし……」
美人という言葉を飲み込む。ヘンリーは優しく微笑む。
「それは伯爵様だけがご存じのことです。わたくしのようなものには想像することすらできません」
ヘンリーはそれっきり口をつぐんでしまった。馬車の中は再び沈黙に包まれる。そしてそれは結局屋敷につくまで続いたのだ。
2022/06/04 初稿