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別れは突然やってくる……のです!

 伯爵の屋敷にはゼルボォス式魔導冷蔵庫なるものがある。

 箱の背面が二重になっていて、それぞれ二つの背面に炎と水の魔方陣が描かれている。

 この二つの紋様に挟まれた空間に魔法力を通すと炎の紋様は熱く、水の紋様は冷たくなる。この時、単体の紋様に魔法力を込めるよりも遥かに温度の変化が大きくなる。つまり、炎の紋様はより熱く、水の紋様は冷たくなる。これをゼルボォス効果(なんでも、この効果を発見した魔導師の名前らしい)と言い、その効果を利用した冷蔵庫をゼルボォス式魔導冷蔵庫と呼称される。5年ほど前から世に出回り始めたこの冷蔵庫はエルロン連邦全ての台所事情を一変させた発明と言われる。

 従来の冷蔵庫は膨大な魔力を必要としていたため、食用流通業者が大型倉庫に設置するぐらいだった冷蔵設備を個々の家庭の台所に置くことを可能にしたのだ。まあ、魔力を冷蔵庫に供給するための魔導蓄剤を定期的購入、交換する手間と経費はかかるのため、冷蔵庫を持てるのはまだまだ裕福な家限定ではあったのだけど、それでもご家庭に食材の保存と温水の活用の道を切り開いたこの魔導具の登場に全連邦の主婦及びキッチンメイドが泣いたと言われている。


 ありがとう、ゼルボォスさん


 と、見たこともない魔導師に感謝しつつ、昨日から寝かしていたパイ生地を冷蔵庫から取り出した。

 生地に楊枝(ようじ)で空気抜きの穴をプスプスと開けるとオーブンに放り込む。


「そっちはどう?」

「白っぽくなりました」


 ミルダがかき混ぜていたいたボールを見せてくれた。


「うん、良い感じ。それじゃ、そのふるいに小麦粉入れて少しずつ混ぜながらかき混ぜてちょうだい。一通り入れ終わったら、今度は牛乳を入れてまたかき混ぜるのよ」

「はい。

ところで奥様、これはなにを作っているんですか?」

「チョコレートのミルフィーユよ。

焼いたパイ生地とカスタードクリームを重ねたケーキ。ミルダが作っているのはカスタードクリームの前段階ってところかな」

 

 と言いながら、オーブンから焼き上がったパイを取り出し重石のをのせて軽く押し潰すと砂糖をまぶしてもう一度オーブンに放りこむ。


「パイには砂糖をアイシングする。

そして、カスタードクリームにこれを入れるのよ!」


 板状のチョコレートを取り出すと、ボールにいれて、すりこぎでガツガツと粉砕する。


「わたし、個人としてはイチゴとカスタードのミルフィーユが好きなんだけどね、今回はビターチョコレートのチップを使ったチョコレートミルフィーユを作るつもり。

これはこれでビターチョコのほろ苦さがカスタードに結構合うのよ。

そして、このケーキの肝が、ビターチョコレートのチップの大きさ!

大き過ぎず、小さい過ぎず。

形状も重要。

丸い感じでなくてちょっとイビツで尖ったようなのがね、口に含んだ時に舌先に引っ掛かって存在感をアピールするのよ」

「へぇ、へぇ~。そうなんですか。

そう言えばビターチョコレートってゼノ様の好物らしいですね」


 ギクリ


 何気ないミルダの一言に心臓が跳ねた。

 まさか、わたしがゼノの好物にあわせてこのケーキを発案したことに気づかれたのではないかと、どぎまぎする。


「へ、へぇ~、そうなの。し、知らなかったなぁ」

 

 上擦った声でとぼける。自然と肩の力が入りごりごりとチョコレートを粉砕していく。


「奥様、それそんなに粉微塵にしちゃうのですか?」

「えっ? うわっ! やっちゃった」

 

 気づくとチョコチップにするつもりがチョコパウダーになってしまっていた。



■■■


「ふう、完成」


 まあ、色々あったが完成したミルフィーユを見下ろす。


「それじゃあ、ミルダ。ケーキを食堂に運んで。エッダたちも呼んでささやかながらパーティーをやりましょう」

「はい。マールも参加するんですよね」

「当たり前よ。主賓なんだから。今日は病院の方を早く切り上げて戻ってくることになってる。泊まっていく許可ももらっているから、夜にでも久しぶりに話でもなさいな」

「はい!」


 ミルダは満面の笑顔を見せるとケーキを載せたお盆を抱えて厨房を出て行った。

 マールが見習いのナースになるために病院の方へ移動して1週間になる。

 今日は遅ればせながらおめでとう会兼お別れ会のパーティーをやることになっていた。ミルダとしても久しぶりにマールに会えるのが本当に嬉しいのだろう。

 エプロンを外して厨房をでる。

 パーティーのもう一人の主賓を迎えに行くためだ。

 一人、廊下を歩いていると不思議な充足感と安心感に満たされていることに気づく。

 おかしな話だ。

 この屋敷に来てようやく一月になるぐらいなのに、まるで何十年も通いなれた散歩道を歩いているような不思議な感覚だった。


 こんな日がずっと続けば良いのに


 チクリと胸の奥が痛んだ。

 痛みの原因は微かな恐れと罪悪感。

 自分は仮初めの花嫁でしかないことを重々承知していた。いつまでもここにいることはできない。いつか去らねばならない。それが運命だった。


 その日を迎えたら、わたしはどういう思いにとらわれるのだろう?


 まるで、想像ができなかった。


 ふっとため息をでた。

 気づくと目的地についていた。

 ゼノの部屋のドアが眼前にあった。

 さっきまでのほの暗い感情を振り払うとドアをノックする。いや、しようとしたけど、その前に唐突にドアが開いた。


「うわっ!」


 急にゼノが目の前に現れたので思わず声が出た。ゼノの方も驚いたらしく、微かに体を震わせた。


「エレノア様ですか。

なにか用ですか?」

「なにか用ってマールのおめでとうのパーティーに呼びに来たのです」

「ああ……」


 その口調に、どうでもよい話をされた時の期待はずれの落胆のニュアンスが感じられた。

 正直、むっとした。

 こちとらケーキを作るために昨日の夜からパイ生地練るところから始めているのだ。それをなんだそんなことか、で片付けられたらたまらない。一気に機嫌が斜めになった。


「なに? 知らなかった、とは言わせないわよ。ちゃんとわたし、言いましたよね。今日がマールのパーティーでみんなでケーキを食べて祝いましょう、と?」

「……すみませんが、それには参加できません。急用ができたので」


 ゼノはそっけなく言うとわたしの横を通って出ていこうとした。

 その腕を慌てて掴む。


「ちょっと待って。急用ってなに?

せめてマールに一目会って、励ましの言葉をかけてあげなさいよ」

「急ぎの用といったでしょう。

すぐに行かなくてはならないのです。申し訳ありませんが、その手を放してもらえますか?」

「だからその用ってなんなのかって聞いてます。聞く迄は放しませんから。

それにケーキだって食べて行ってください。そのぐらいの時間はわたしにもいただきたいものよ。こっちだって一生懸命作ったんですからね。

そらとも、そんな時間もないっていうの?」

「残念ながらそう言うことです。

1分、1秒を争う事態なのです」


 と、言われても詳細を聞かない限り絶対に手を放すつもりはなかった。そんな宣言はしなかったけど……

 それでも、どうやらわたしの決意が伝わったようで、ゼノは大きなため息をつくと、わたしの耳元で囁いた。


「3日ほど前から反乱軍が動き出したのです」

「えっ? もしかして、わたしの実家になにかあったの?」

「いえ、そちらのほうは計画通り、逆侵攻して順調です。

問題なのは中央よりの一部の地域です。厄介な魔法を使う輩がいて、正規軍が押され気味なのです。このまま放置していると戦線の中央を分断されて正規軍が瓦解する恐れが出てきました」

「それで、あなたが行くっていうの?

こういっちゃなんだけどあなたは魔法使えるの? 使えないあなたが行っても何の役にも立たないのじゃなくって?」

「私では無理かも知れません。しかし、伯爵ならなんとかできるでしょう」


 伯爵と聞いて、あの黒鎧の大男を思い出した。しかし、あの偽装結婚式の後、伯爵は屋敷を出たきり一度も見てはいない、勿論帰って来てもいない。

 一体どこにいるのやら。


「だったら伯爵に行ってもらえば良いじゃないですか。今、伯爵はどこにいるのです?」

「正直わかりません。なんとか呼び出したいと思ってますがね。

とりあえず現地へ行き、方策を練ります。

それにクラリスも一緒に行ってもらいます。最悪、彼女の力でしのぐことになるかもしれません」


 クラリス、あの仮面の女のことか


 確かに彼女は魔法が扱えるようだったけど、その能力は未知数。今回の事態に対応できるのかはさっぱり分からなかった。いっそ、自分を連れて行けと叫びたくなるのをぐっと堪えた。父との約束がある。


「だって……

そうだとしても、他にやりようがないの?

戦場にいくなんて危険じゃないの。

一体いつまでもいってるつもりなの?」

「危険は承知の上です。期間も分かりません。1週間になるのか1ヶ月かかるか……

さあ、事情は話しました。だからこの手を放して貰えませんか?

力ずくで振り払っても良いのですが、あなたに手荒なことはしたくないのです」


 放したくない。

 それが本音だった。だけど、ゼノを止めることができない、とも同時に思った。少しの葛藤の末、おずおずと手を放した。


「ありがとう。なに、きっと大丈夫です」


 ゼノはそういうとニッコリと笑った。

 その笑顔を見たとたん、心臓がばくばくと高鳴った。一瞬何が起こったのか分からず、焦った。なんでゼノの笑顔を見ただけで心臓が痙攣しなくてはならないのか、自分の体なのに訳がわからない。


 この人の笑顔なんて、何度も見てるじゃないか!


 頭の隅っこで声がする。

 この人の笑い……

 口元を歪めた苦笑。 

 皮肉な笑い。

 自嘲。

 諦め気味な笑顔……


 どこか悲しげな、寂しい笑い。それは本筆的に人を信用できない歪で悲しい人が見せる笑いだ。だけど、今見た笑顔は違う。これは人を信じ、愛することのできる人が見せる笑顔。


 ああ、この人はこんな、こんな優しい笑顔を見せることもできるんだ、そう思った。


「出来るだけ早く帰ってきますよ」


 ゼノはそう言うと足早に去っていった。





 なんで……


 なんで、あの時、一言も声をかけなかったのだろう。

 例えば、『約束よ』とか、『ご無事で』とか、そういうやつだ。


 今はすごく後悔している。




 ゼノが屋敷からいなくなって、瞬く間に1週間が過ぎた。なんの音沙汰もなかった。


2022/08/06 初稿

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