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わたし、恋してるんですか?

「マールを病院の住み込みメイドにする、と言うことですか?」


 ゼノは器用に片眉だけを上げると聞き返してきた。


「違うわ。メイドの仕事もするけど本分はナースの手伝いをすること。それでナースとして必要な知識を学ぶの。見習いのナースって言うのかしら。見習いだけど仕事をするんだから当然それなりの給金も出してもらうわ。

それで経済的な問題を解決する。それがこのアイデアの骨子よ」


 ピートとの話で思いついたアイデアをもう一度説明する。


「ナタリーから聞いたの。

ナースは女性の間では成りたいって思う人が多い人気の職業だけど慢性的な人手不足だって。

その原因のひとつがお医者さんと一緒でナースになるのには手間隙がかかる。つまり、お金がかかるってこと。

だから、都市部の比較的裕福な家庭の子供しかなれない。逆の言い方をすれば、マールのように貧しい家庭の子供たちがナースになれる道を開けば人材を確保できるってことよ。

これがもう一つの課題、マール一人だけを特別扱いするんじゃないってこと。

このシステムを全領内で実施すればナースの人手不足を解消できるわ」


 まあ、そんなに上手くいくとは限らないけどね、と心の中で思いつつ、それでも自信満々に話し続ける。そうでなくては目の前の難癖男は納得しないだろう。どうせ、『上手くいくとは思えません』とか『システムを整備するのにどれ程の手間隙がかかると思っているのですか』とか言ってくるのだろう。だが、そんなことで怯む訳には行かない。これにはマールの人生、さらに言えばこの領にいるナースになりたくても成れない子供たちの将来が掛かっているのだ。顔に笑顔を貼り付けたまま、心は不退転の決意に燃えていた。


「いいでしょう」

「ほぇ?」


 あまりにあっさりの承諾に、へんな声が出た。


「なんですか、その肯定なのか否定なのか良く分からないリアクションは?

なにかご不満なのですか?」

「あ――、いえ、ご不満なんてとんでもない。

あっさり承諾してくれたので、意外すぎて、変な声が出た……、いや、いや、こっちの話」

「単純に興味深い提案だったからです。それに安心するのはまだ早いです。承諾には条件がありますから」

「条件?」

「ナースの人材不足の原因に育成までの手間隙(コスト)がかかるというのはご指摘の通りです。ただ、人材不足には他にも原因があると私は思っています。

それは、ナースの仕事の難度が純粋に高いということです。

高度な文献やルールを理解できる読解力や記憶力。

薬物を正確に扱うための算術に対する知識。

患者の安全を守るための規則に従う強い倫理観、責任感。

そう言ったナースに成るための資質と言うのは希少なものなのです。学んだからと言っておいそれと身につくものではありません。

故にその資質がマールにあるかを試験をします。

それに合格したら、エレノア様の提案を受け入れましょう。それが条件です」

「マールを試験する?

そんなの受かる訳がないじゃない。彼女はまだ、文字を読むのも覚束ないのよ」

「ふむ、なるほど。ならば少し時間をあげましょう。そうですね、1週間後としましょう」

「たった1週間!?」

「おや、自信がないと? しかし、1週間でものにならなければその先何年やってもものになるとは思いませんねぇ」


 むむむ、やっぱり難癖男だ、こいつは


「あくまでナースになる資質があるかを問う試験と言うことね。いいわ。受けてたつわ。

ただし、こちらにも条件があります。

あなたが、不合格をさせる前提で難解な問題を出さないように、あらかじめ設問の範囲とレベルを提示してちょうだい。それが妥当かどうかをこちらも判断しておきたい。

それが公正(フェア)ってもんでしょう?」

「良いですよ。後で書面にまとめて提示させてもらいます」


 ゼノはそう言うと不敵な笑みを浮かべる。

 わたしも負けずに不敵に笑い返してやる。




 一晩水に浸けた鍋一杯のエンドウ豆をグツグツ煮ながら浮いてくるアクや薄皮を丹念に取り除く。


「あのぅ……奥様……」


 うん、そろそろ頃合いか


 傍らに用意していたばら肉やニンジン、玉ねぎを放り込んだ。


 やっぱり、料理は楽しい。自然と鼻歌が出てくる。


「えっと、奥様……」


 弱々しい声が背後から聞こえる。


「フフフン、フンフン……うぅん? なに」


 片手を腰に当てながら、もう片方の手で鍋が焦げつかないようにゆっくりかき混ぜながら答える。


「あの、それ私の仕事……」

「違うわ。今のあなたの仕事は九九(くく)を覚えることよ」


 背後のテーブルで、おそらくは困った顔をしているであろうマールに振り向くこともなくぴしゃりと言い放つ。

 ゼノとの交渉の後すぐに問題例が提示された。文章の穴空き問題。長文読解。加減乗除の算術の基礎と応用などだった。

 これらの例を参考にマールの勉強を見るようになってすぐに算術が課題であることを知った。足し算、引き算が少しできるだけで掛け算、割り算が壊滅的なのだ。

 まあ、それは決してマールが悪いわけではない。誰も教えてくれる人がいなかっただけ。むしろマールの理解力はむしろ良好な部類だと思う。平たく言えばやればできる子。問題は慣れと経験だけだった。だから、ゼノと約束した試験の日までマールには勉強に集中してもらうことにした。

 そのため、今わたしがマールの仕事を肩代わりしているのだ。


「気にしてないで集中しなさい。良いこと夕食の支度が終わるまでに九九を覚えてしまうのよ」

「ええ!? それはムリです」

「ムリじゃない、ムリじゃない。若いんだからできるって。なんたって、あなたはできる子なんだから自信を持って。

そうだ、あなたに九九の秘密を教えてあげるわ」


 くるりとマールの方へ振り返ると、持っているお玉をずいっと突きだす。マールはぎょっと目を見開いた。


「秘、秘密ですか」

「そうよ、九九最大の秘密。

良いこと? それを知れば九九を覚える労力が文字通り半分になるのよ」

「……本当ですか」

「うん、うん。本当よ。

聞きたい? 聞きたいわよね!

じゃあ教えてあげましょう。

九九ってのはね、前と後ろを入れ替えても答えは同じになるのよ!!」


 どや~~って顔で言ってやる。

 と、マールの首がゆっくりと45度ほど横に傾く。頭上にハテナマークが3つほど浮かんでいそだった。


 あれ? 反応薄いな。説明が足りない?


「つまりね、4×5も5×4も同じに20になるってこと」

「あっ、本当ですね。でも、それが分かるとどうなるのですか?」

「だからさ、マールが2の段を覚えていれば、他の段の2との掛け算は覚えなくても良いってことよ。例えば8×2は2×8って読み替えれば答えが分かるってこと」

「な、なるほど、そうか!

そうすると九九は半分だけ覚えれば全部覚えたのと同じってことなんですね!」

「そうそう。その通り! ほら、覚えるパターンが半分になったでしょ?

そうと分かれば、俄然やる気が出てくるしょ!」

「はい、確かに…… うん。私、頑張ります!」

 

 マールは元気良く答えると、九九を唱え始めた。


 ふっ、マール。ちょろい子


 と、ニヤリと笑う。本当に素直で良い子なのだ。頑張って幸せになってもらいたい。心底そう思った。




「では、エッダ。続きを読んで」


 ゼノの言葉にエッダは慌てて立ち上がると本を掲げて朗読を始めた。

 エッダたちの部屋では今夜もゼノ様主催の勉強会が開かれていた。


「さ、……じゃない、そ、そのおゆな……、うんと、その女の子は――」


 エッダは舌を噛みまくりながらも懸命朗読を続ける。


「ゆっくりで良いから、落ち着いて。

それから正確に一言一言確実に読んでいきなさい。慣れていけば読む速度は自然に上がるものですから今は気にしないで良いですよ」


 ゼノの声が優しく響く。抑揚のない、やや低音。

 最初聞いたときは、なにか人を小馬鹿にしているように耳に障ったけれど、聞き慣れてくるととても落ち着く、安心できる声。優しい声だ。そして、優しく聞こえるの声のせいだけではない。前にエッダが言っていたようにゼノの本質が優しいからだと、この勉強会に毎夜参加することで知ることができた。

 エッダやマール、ミルダがどれ程の間違えたり、同じことを繰り返し聞いても決して声を荒げることなく粘り強く教え聞かせていた。

 それに、マールたちの勉強はわたしが見ると言ったのに、一度引き受けたことは最後までやるってと頑として教え続けている。頑固だが、根はとても真面目な人なのだ。 


 こんな人、初めてだなぁ


 ぼけっとそんなことを考える。

 実家の男どもときたら、色目を使ってくるチャラい奴か、ただ女ってだけでマウントをとってくる奴らばかり。そんな輩と常に戦うのが自分の日常だった。


 最初、この人もそんな感じなんだろうとおもったのだけど……


 でも、ゼノという人物を知れば知るほど、違うって思えてきた。身分や男女の差という概念がないのだ。あるのは己の考えに沿うのか沿わないのかというところ。そして、自分の考えに沿わなくても正しいと思えば、正しい方向へ舵をきれる潔さというか度量の深さがあった。初めてとはいわないけれど、そんな男は滅多にいない。


「なにをにやけた顔をしているのですか?」


 少し評価を上げてあげてもいいかしら、なとど思っていると不意にゼノがこちらをみてそんなことを言った。

 

「に、にやけてるって、にやけてません!」


 不意打ち。まったくの不意打ちだ。

 口元を手で覆いながら慌てて反論する。それがかえって、部屋にいる全員の注意をわたしに向けさせてしまった。

 エッダ、マール、ミルダの視線が痛い、というか熱い。みるみるほっぺたが熱を帯びていくのが分かる。


「じっと私の顔を見ていたようですが、もしかして良からぬことを考えていたのではないですか?」


 ゼノの追い討ちにエッダたちの息を飲む声にならない声が微かに聞こえた。


 これはまずい、まずい、まずい

 言いがかりだ……

 いや、ぼけっと見つめていたのは事実だから一概に言いがかりだとは言えないのだけど、だとしてもそれを認めるわけにはいかない。なんとか、なんとかこの場を誤魔化さねば。半分パニックになりつつ懸命に活路を模索する。が、思いつかない。


 仕方ない、非常手段よ!

 

「あっと、ちょっと小腹もすいてくるころ合いですね。では、ちょっくら、夜食の用意をしてきましょう!

えっと、わたし一人で大丈夫だから、みんなは勉学に励んでいてください。

いいですか。一歩も部屋を出ないように、厳命しましたよ。 

では、行ってまいります!」


 我ながら力業である。早口でまくし立てると返事を待たずに部屋を飛びだした。


「はぁ~」


 少し小走りに部屋を離れ。後ろから誰も追いかけてこないのを確認すると一気に息を吐いた。

 暗い廊下を歩きながら胸に軽く手を当てる。心臓がドクドクと跳ね踊っていのが伝わってきた。


 落ち着け心臓

 なにをそんなにいきっているの?


 まるで恋をしている乙女のようじゃないのさ、と自分の心臓に言い聞かせた。そして、ふっと自問する。


 なによこれって……もしかして、わたし、恋してるの?

2022/07/16 初稿

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