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勝手にやらせてもらいます 

「これを私に、ですか?」


 ミルダは手渡された物を信じられないと言う表情で見つめている。


「『卵料理の世界』って本。

料理の入門書で有名なの。イラスト多いから、文字を読むの苦手でも眺めているだけでなんとなく分かるでしょ」

「……はい、確かに」


 ぺらぺらとページをめくっていたミルダの目が徐々にキラキラと輝き出す。


「ああ、奥様。私、なんてお礼を言ったら良いのか」

「いいの、いいの、気にしないで。

その本の内容はみんな頭に入ってるからね。わたしにはもう思い出に浸るためぐらいにしか役に立たない物だから、ミルダが持っている方がその本も嬉しいでしょう」


 本を抱き締めて、ミルダは、はぁと熱い吐息を洩らす。まるで思い人を抱きしめる恋する乙女のようだ。そんなミルダをひとまずそっとしておいて、今度はマールを手招きする。


「あなたにはこれを。

応急処置の本よ。大人向けの本なのでちょっと難しいかなとは思うけどこっちもイラスト多いから。頑張れ!」


 ナタリーに頼み込んで手に入れたものだ。マールはまるで噛みつかれるんじゃないかと恐る恐る指を伸ばして本に触る。そして、すぐに指を引っ込める。


「とてもありがたいです。でも、私にはこれは役に立たないです」  


 マールの反応には正直少しがっかりした。かなり自信の選択(チョイス)だったのに残念だ。


「あら、そうなの?

そうかぁ、なにか別のものの方が良かった?」


 ならば別のものを考えようと、問いかけてみたらマールはとたんに泣きそうな顔になった。

 それは思いもしない反応だった。



 ドアをノックすると、どうぞ、という声が聞こえた。そのまま、中へ入る。

 こじんまりとした部屋だが、揃えつけられた調度品はみな上等なものばかりなのは一目見ればわかった。部屋の真ん中に置かれたテーブルにゼノが座っていた。


「私になにかご用ですか?」

「ごめんなさい。少し相談をしにきました」

「相談? 一体なにですか」

「マールのことです」



 相談事を一通り説明する。少しの沈黙の後、ゼノはおもむろに口を開いた。


「つまり、マールを看護師の学校に入れたい、と?」


 相変わらずの長い髪が顔を覆っていて表情が読みにくいけれど、声の調子からあまり好意的ではないのが分かる。


「その費用はどうするつもりなのです?」

「わたしが出します」

「あなたが? まさか伯爵様の財布をあてにしてますか?」

「してません。

これでも実家(うち)も貴族の端くれですからそのぐらいの費用は出せます」

「はて、その実家は借金まみれで伯爵様の援助を受けていたと思いますが」


 うぐっ、痛いところをついてきた


「それはそうだけども……」

「彼女の学費だけでは済みませんよ。

稼げるようになるまでの生活費もあります。

それに彼女の仕送りで彼女の家の生計が成り立っていることをご存知ですか?

それに、何故マールなのですか?」

「はい?」

「マールを援助したい。その気持ちは分かります。しかし、マールのような子は他にもたくさんいます。その子たちに対してあなたはどう考えています?

まさか、その子たちも援助しようと考えていますか?そんなことできませんよね」

「なにがいいたいの?」

「つまり、あなたの考えていることは自己満足の偽善行為だということです。

表面しか見えていない子供の浅知恵、というところでしょうか」

「わたしのやろうとしていることはただのお遊びだと、そう言いたいのですか?」

「そうは言いません。困っている人を助けたい。それは尊い考え方だと思います。ただ、やり方が良いとは言えない、と思うのです」

「でも伯爵様も同じようなことをされているではないですか。見ず知らずの子供たちを自分の病院で治療されているでしょう?

それにあなたも協力してるじゃないですか。

それとわたしがしようとすることのなにか違うのです?」


 と、ゼノの口元がぴくりと痙攣した。


「ああ、あれですか。あれは自己満足ですらない。もっと俗なものです」


 なんだろう、すごく不機嫌になった。なにか触れてはならないものに触れてしまったのだろうか。


「とにかくです、エレノア様のご提案には賛同できかねますね」


 とりつく島もないとはこのことだ。


「つまり、目の前の些細なことを解決しても物事の本質はなにも変わらない。無意味なことだ。そうおっしゃりたいのですね」

「そうです。ご理解いただけたようですね」

「いいえ、ちっとも分かりません。

世界中の溺れている人は助けれないと言うことが、目の前で溺れている人を助けない理由にはなりません。喩え自己満足と言われても見えているところ、届くところに手を伸ばさなくてはなにも始まりませんもの。

わたしも賛同いただけないのは残念ですが、それではそれで、勝手にやらせていただきますわ」



「それで部屋を飛び出てきたんですかい?」

「そうよ」


 そこは、台所周りの使用人たちの休憩室。

 前まではジモンスたちがたむろっていた場所で、今らピートたちのくつろぎの場だ。


「いつも思うんですが、師匠はゼノの奴とよくケンカしますねぇ」


 ピートが近くの椅子に座ると、呆れぎみに言った。


「ケンカじゃないわ。意見が合わないだけ」

「そういうのを世間一般ではケンカって言うんですよ。師匠は割かし人当たり良いはずなんですけどねぇ」

「相性ってやつよ。なんかあの人に言われると反発したくなるのよねぇ」


 頬杖をついているとマールが紅茶を出してくれた。


「あの、奥様。私のことはもういいです。ナタリーさんを見ていたら格好が良くて、成れたら良いなと思っただけなんです。本気になれるなんて思ってないのですから」

「でも、成りたいって思ったからわぞわざ文字を読めるようになりたい思ったのでしょ?

ダメだって。諦めたらそこで終わっちゃうわ。なにか良い方法があると思うのよ。

つまり、マールが働きながら勉強できればいいわけよ」


 弱音を吐くマールを励ますが、彼女は唇を噛み締めるようにして黙り混んでしまった。その姿を見るとあまり無理に話を進めるのはマールを苦しめることになるのかもしれない。


「とは言ってもねぇ、働きながら勉強ってのはしんどいですぜ。あっしも見習いの時は本当に辛かったからねぇ」


 ピートは遠くを見るような目をして天井を見上げる。視線を追ってみたけどやはり天井しか見えなかった。


「そう言えばピートはどうやって料理人になったの?」

「あっしですかい? まあ、成り行きですわ。そもそも、あっしは料理人に成りたかった訳じゃねぇっすもの」

「そうなの?」

「そうそう。あっしの生まれたのはしけた港町でね、貧乏だし、治安も悪かった。

まあ、犯罪者になるか、飢え死にするか、ってなところだったんすよ。

ほいで、一か八かってんで港に来ていた船に密航したんですよ」

「密航。思い切ったわね」

「まーね、見つかったら海に放り込まれる覚悟してましたね。実際、放り込まれる寸前まできたっすよ。

それを助けてくれたのが、その船の料理人だった人。その人が保証人ってことで初めての航海を乗り切ったわけです。

で、そのまま居ついて、料理手伝って、今に至るって感じっす」

「すごい博打ね」

「まー、そんときゃ、あんまし考えていなかったですからね。子供の浅知恵ってやつです」

「む、浅知恵ですか」


 さっき、ゼノに言われた言葉を思い出した。なんか自己嫌悪。ピート少年の無謀な賭けと同じレベルだってことだ。そんな博打にマールを巻き込もうとしていたとしたら、やはりゼノの言う通り子供の浅知恵なのかもしれないと、少し反省する。


「でもね、これが案外、大した博打じゃないんですね」

「え? そうなの」

「船乗りの中にはあっしみたいに密航からなったやつが意外と多いんでさ。10人に1人、いや5人に1人ぐらいかなぁ。そうなると、船に1人ぐらい密航から船乗りになったやつがいるわけでさ。それでもし子供の密航がみつかったら、大概、そいつが身元引受人になるってわけです」

「ふーん、なるほど、安全装置があるってわけか」

「まあ、本当に海に放り込まれた子供もいるとはおもいますけどね、だいたい、そういう船ってのはそういう、なんていうのかな黒く淀んだオーラが出ているもんでさ。子供ってのはそういうのに敏感だから、滅多にあるもんじゃねぇって、あっしは思ってますよ。

とにかく最初の関門さえ乗り切っちまえはあとは、何とかなります。逃げ場がないんで、なかなかつらいですが、船の中にはいろんな仕事がありますからね、なにか一つぐらいできることがあって、それを取っ掛かりにして仕事を覚えちまうんですよ」

「なるほど」


 ピートの持論は勇気をくれた。

 子供の浅知恵が大人の深慮を越えることもあるって言っているのだ。そして、頭の中にむくむくとある考えが浮かび上がってきた。

 弾かれるように立ち上がる。

 あまりの勢いにイスが倒れて大きな音を立てる。でも、そんなことに構ってはいられない。

 

「そうかぁ! その方法があるよね。

ありがとうピート!!」

 

 大声で叫ぶと部屋を飛び出す。目指すは再びゼノのところだ。

 

 そうよ、諦めたらそれでなにもかも終わってしまうんだもの!

2022/07/09 初稿

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