わたし、婚約しました!
両翼いっぱいに風を受け空を舞うカモメたち。
雲一つない快晴。されど、風強く、波やや高し。
「う――ん、気持っちいい―――」
両手を広げてカモメたちの気持ちになって潮風を体中で受けてめてみる。
しばらくそうしていると、声がかかった。
ふり向くと侍女のマルシアが少し戸惑ったような表情で見つめていた。
「エレノア様、あの、なにをなさっているので?」
「風をさ、風を受けたら私も空を飛べないかなあってね」
「はぁ……」
マルシアはますます変な顔になる。いい子なんだけど、生真面目すぎるところが玉に傷なのよね。
「冗談よ。冗談。
それより引き出物はちゃんと届いたの?」
「あ、はい。先ほど、船が入港したとの連絡がありました。
あちらに見えるのがそのようです」
マルシアが指さす方向へ目を向けると、3本マストの大型船が三艘見えた。所属を示す三角旗はみな同じ。上下の端が青、真ん中がオレンジ。真ん中に紋章として翼を広げた天使が白く縫い取られていた。
まごうことなきマルドゥーク伯爵家のエンブレム。
「はぁ、それじゃあ、そろそろ参りましょうかね」
今一度、空を自由に滑空するカモメたちへ目をむけると、マルドゥーク伯爵の船が止まる埠頭へと歩き始めた。
船に向かいつつ1ヶ月ほど前の話を思い出す。両親から聞かされた、自分の婚姻についての話を。
◇◇◇
「結婚?!」
「マルドゥーク伯爵様と婚約……ですか?
えっと、わたしのことですよね」
念のために確認をする。
理由は二つ。
一つは、我がヴェルデンティーノ伯爵家には子供が三人いる。長女のわたしと弟と妹。
弟は大事な我が家の次期当主だし、妹はまだ10歳。可愛い盛りだがまだ幼い。故に消去法からわたし以外は考えにくいのだが、ここで二つ目の理由が深く関わってくる。
「わたしで良いのですか?
わたしは……」
あなた方の本当の娘ではないのですから、とは面と向かって言いにくいので最後までは言わない。狭いながらもこのことはヴェルデンディーノ領では公然の秘密、そして禁句なのだ。勿論、私たち家族の間でもだ。
「良い。先方はエレノア・ヴェルデンディーノを嫁に、と言ってきている」
名指しとは恐れ入る。
「ご指名ですか?
あの……わたし、マルドゥーク伯爵とお会いしたことありましたっけ?」
「いや、あるわけないだろう。
相手は北の大伯爵だぞ」
ですよね~
我がエルロン連邦はもともとは、100を越える地域、地方の豪族、貴族の領地の寄せ集めで構成された国だ。
中央には各地域の代表者による議会があり連邦の意思はそこで決定されるけれど、その拘束力は緩やかで各地域の自治は各地の領主の裁量に委ねられていた。
まあ、連邦の中に無数の国、エルロンではそれを領と呼んでいるのだけど、領の大きさは様々。大きな領もあれば小さな領もある。
マルドゥーク伯爵が治めるマルドゥーク領は連邦でも十指に入る大きさだった。一方、我がヴェルデンディーノ領は小さい方の代表だ。
いや、昔はもう少し大きかったのよ。連邦創設期は建国の七柱の一つと言われるほどだった……らしい。知らないけど。
まあ、その後は鳴かず飛ばずな感じで、ご近所さんとの小競り合いや富国強兵の失敗などを繰り返し、じり貧。今では落ち目のなんちゃって伯爵家と呼ばれている。
故に、名前も顔も知らない、ついでに歳も知らないマルドゥーク伯爵などというお大尽様と断じて顔見知りなんてことはない。
「なんでわたしなんです?」
まずは一言聞いてみた。しかし、父も母も首を傾けるばかりだった。
「それで……受けたんですか?」
返事はなかったけど、それが返事だ。
受けたんだぁ~
レースのカーテン越しに陽の光が差し込むリビング。日差しはいつのまにかこっそり春から夏へ衣を変えているようだった。
どいつもこいつも私に断りもなく!
ふつふつと湧きあがる理不尽な怒りの火を紅茶を飲み下して消火する。
白磁の受け皿がガチャリといつもより少し大きな音を立てたのは微かに震えていたせいか。
それを合図にするように父がぼそりと言った。
「ほら、今、色々と苦しいんだよ。エレノアもその辺は理解してくれているだろう?」
ははははは、と朗らかな義父の笑い声がリビングに響き渡る。
あら、あら、まあまあ、ほほほほ、と少し遅れて透き通るような義母の笑い声が追従する。
麗しき夫婦の二重奏
あはははははは。乾いた笑い声。これは私。
微笑ましい家族の愛の三重奏
「もちろん! 存じています」
張り付いた笑顔のまま、そう答えた。
◆◆◆
「しかし、なんだわねぇ。こう、自分の価値というものを確固たる形として見せてもらえるっていうのもなかなかに無い機会よねぇ」
船から次から次へと運び出されてくる麻袋や木箱にすこし圧倒される。これが全て私の婚姻に対するお礼、引き出物だ。大型船四隻分。これにプラスして我が家の借金が清算されていた。酒場でくだ巻く飲んだくれの親父のつけとはわけが違う。それこそ小さな国が一つ買える、比喩ではなく実際に買われそうになった、金額だ。
それがわたしの婚約の対価。
いや、わたし、結構すごくない?
胸張っても良い事案だ、と思ったりしないわけでもない。
「あの、お嬢様……」
「うん?」
後ろに控えているマルシアに振り向く。彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。
「本当に一人で行かれるのですか? せめて私だけでもお供をさせてもらえないのでしょうか?」
「ダメよ。あなたにはメリッサの世話をしてもらわないといけないもの」
「いえ、メリッサ様には他にお仕えする者がたくさんおります。私などいなくても困りはしません。
それに引き換えお嬢様はこれから異国の地に嫁ぐ身でありませんか、それなのに誰もお連れにならないというのは理解できません。
それにお嬢様の嫁ぎ先のマルドゥーク伯爵様には……」
「ストーップ、ストップ。それ以上は口にしてはいけないわ」
口元に指を一本立ててマルシアの言葉を遮る。
言いたいことは分かる。マルドゥーク伯爵にまつわる黒い噂の数々。
曰く、奴隷商人のお得意様で屋敷で日夜奴隷の手足を切り刻んでいる変態。
曰く、禁忌である死霊魔術の研究に没頭する死霊魔導師。
曰く、戦場で動くもの、目につくものを殺戮して止まない狂戦士。
ちょっと調べると黒い噂、悪い噂、眉をひそめる噂のてんこ盛り。おおよそ嫁ぐ先としては最悪だ。
だからこそよ
「大丈夫よ。わたしは求められて嫁に行くのよ。
頭から食べられるって訳じゃない。
それにあちらは大伯爵様なんだから、お屋敷に侍女なんて掃いて捨てるほどいるでしょ。
ぶっちゃけると、もうあなたは用済み。
メリッサのお世話なんて面倒なことほっぽって
屋敷なんて辞めてしまうほうが正解かしら……
そうね、そっちのほうがいいわね。
チャッチャとマルコのところにでも片付いてしまいなさい」
マルコと言うのはマルシアの幼馴染みで婚約者だ。ヴェルデンディーノ領の内務を勤めている。
近年の打ち続く飢饉や財政危機で忙殺されて結婚が延び延びになっていたけれど、今回、マルドゥーク伯爵領から送られてきた資金や食料品でマルコも一息つけるだろう。そうなればマルシアも晴れて一家の主婦となれる。いち使用人に甘んじ続ける必要などないのだ。
「そうとなれば、これをあげるわ。退職金代わりよ」
首からネックレスを外すとマルシアに渡す。
「とんでもないです! いただくわけにはいきません」
「いいの、いいの。向こうにいったらもっと良いものねだるから」
ネックレスを強引にマルシアの手にねじ込むとわらってみせる
私、ちゃんと笑顔になっているかな……?
耳の奥で弱気の虫のブンブンと煩く飛び回る。
聞こえない 聞こえない
「ほんじゃ、行ってくるわ。
まあ、里帰りできたらまた会いましょう」
手提げバックを掴むと停泊している船へと向かう。潮焼けした上半身むき出しの船乗りたちが興味津々とばかりに好奇な、あるいは好色な視線を投げかけてくる。
大丈夫 …… 大丈夫
…… …… きっと 大丈夫
一歩進むごとにぐらぐらと揺れる戸板を渡りながら自分に言い聞かせる。
変態?
死霊魔導師??
狂戦士???
良いじゃない。少なくとも伯爵様は約束はきっちり守るお方だ。これで間違いなくたくさんの人たちの命がつながる。
ならば自分も契約を履行するのにやぶさかではない。
勢いよく甲板に降り立つ。
物珍しそうに遠巻きで見守る船乗りたちに高らかに宣言する。
「エレノア・ヴェルデンディーノよ!
さあ、わたしをマルドゥーク伯爵様のところへ連れて行って!!」
2022/6/4 初稿