始めて知ったパワハラの事実
「んー、分からん」
「嫌いなんか?」
「うーん、よく分からん」
なんや?急に濁してくるなあ。
「あのうるさいオッサンおるやん」
「うるさいオッサン?」
「試合中に三振したら、みんなに“バット捨ててまえ!”って叫んでるオッサン」
「ああ。関コーチか」
「関コーチは好きか?」
「関コーチは・・・あんまよう分からん」
うーん。何やこれ、友達とかはスラスラ答えてたのになんでや?
「嫌いなんか?」
「嫌いっていうか」
「何や」
「誰にも言わんとってや」
「何や、急に」
「ここでの話、誰かに言うん?」
「いや、言う気ないけど。おれはお前の野球チームに入る前にみんなどんな人らか情報を集めとこうと思って」
「なんで?」
「入ってすぐに溶け込みやすくするため」
「ふーん」
「んで、関コーチはどんなひとやねん」
「こわい」
「え?」
「めっちゃ怒られる・・・」
娘の顔が急に曇った。嫌な予感がした。
「すまん、ちょっとそのへん詳しく聞かせてくれ」
娘がおれの目をじっと見た。
「大丈夫や、誰にも言わん」
娘はそれを聞いて、おそるおそる話し始めた。
「エラーしただけで怒鳴られんねん」
「練習中?」
「うん」
「それって、たまにか?」
「いや、練習のときだいたい」
「他の子は?」
「怒鳴られてる。なんでエラーしただけで怒鳴られるか、あたし分からん」
「なんかその前に細かく説明して、おまえがそれを守ってないとか?」
「いや、“前出て、ボール取れ”しか言わん」
何、その雑な教え方・・・やばいこれ、パワハラの臭いがしてきた・・・。
「監督はそれ見てて何も言わんのか?」
「監督もよく怒鳴ってる」
「監督もか・・・」
「佐藤さんも吉田さんもずっと怒られてんねん・・・それ見ててめっちゃつらいっていうか」
「上手い子は怒られへんのちゃうの?」
「いや、どんなにうまくても、練習は何回もミスしてまうから」
「そらそうやな・・・完ぺきなら、練習せんでええもんな」
うーん。どうやら娘は自分だけでなく、自分が好きな人たちが理不尽に怒られている状況にも心を痛めているっぽい。
「別に悪いことしてないのに、なんであたしらあんなに怒られるん?分からへんわ・・・」
「いや、その教え方は間違ってるわ・・・それ、パワーハラスメントっていうねん」
「パワーハラなに?」
「パワハラや」
「ああ」
「あかんことや」
「みんなけちょんけちょんに怒られて、ずっと耐えてんねん。みんなすごいわ・・・」
「おまえ、辞めたくなったりしないんか?」
「いや、あるけど・・・みんな頑張って耐えてるし、この前ネットで調べても同じようにツラいやつはいるの知って、自分も負けたらアカンのかなって」
ああ、ヤバい。典型的なブラック企業にお勤めの方々的思想やん・・・。
「いや、なんか頑張る場所を間違えてる気がする・・・。せやけどおまえ、朝、学校行く前に寒いのに外で走ったり、素振りとかしとったやん」
「野球は好きやから」
「そういうことか・・・おまえがそんな気持ちになってたなんて、おれ、知らんかったわ・・・世の中ってな、ほんまはWin-Winの関係がめっちゃええねん」
「ウィンウィンってなに?」
「教えてる監督も嬉しいし、教えられてる子どもらも嬉しい関係やな。せやけど、今のお前らは監督らが自分らのやりたい野球を押し付けてるだけで、お前らが楽しく野球やることとか全然考えてない」
「うん、まあ、そうかも」
「ちなみにもっかい訊くけど、お前はほんまに野球をやめたくないんか?」
「いまやめたら、友だちからもなにを言われるかわからんし」
それはそうだ・・・。娘は野球が好きだから野球と繋がっている。しかし、野球チームとは、いま辞めたら嫌なことから逃げたと仲間に言われるのがイヤとか、すでに人数が少なくなっていて、試合に出られる機会が減るとかそういう仲間を裏切る行為もしたくないという、ネガティブなモチベーションで繋がっているように、私には見えた。
「とりあえず、何となく状況はちょっと理解した」
「もう、話ええの?」
「せやな。まあ、訊きたいことあったら、また訊くわ」
「わかった」
娘はそう答えると、またこたつに潜り込んで、タブレットでYouTubeを見始めた。