49.尾張統一戦、長島沖の海戦のおまけの事
木曽川、長良川、揖斐川が伊勢湾で合流する河口に桑名の湊があります。
佐屋からの『三里の渡し』、熱田からの『七里の渡し』の終着点であり、交通と水運の両面から発達しました。
上流には、中河原湊(岐阜市湊町)、上有知湊(美濃市)・小瀬湊(関市)などがあり、美濃の持産物である材木・美濃紙・茶・関の刃物類が運ばれ、逆に伊勢湾の海産物である塩・魚介類・昆布などが取引されます。
さらに津島・熱田の荷が増えたのでウハウハ状態だったでしょう。
通行税が凄い事になっていたでしょう!
この桑名湊は問屋衆による自治都市化が進められ堺、博多と並ぶ自由交易都市として栄えていました。
目の前に長島があったので門前町として意味合いも強く、多くの寺院や信徒も暮らしていた。
荷止めは桑名にとって死活問題でしたが、長島の命令に逆らえません。
戦の日が近づくと長野家の兵が桑名に留め置かれ、その兵の飲み食いする費用でやっと一息の桑名でした。
この桑名湊からも織田の南蛮船と服部水軍の戦いはよく見えたのです。
否ぁ、大砲の大きな音を聞いて、平然とできる者はいなかったでしょうね!
◇◇◇
【 長野 稙藤 】
長野家は北畠との長い戦に疲弊し、まともな兵を揃えるのも大変なのですが収穫時を終えたことで3,000名の兵を集めて桑名に集結させることができた。
今回は兵を出すだけで報奨金が貰え、掛かる戦費は長島の坊主が全部出してくれると言うからありがたい。
さらに、三カ国連合に参加していたという面目も立った。
まぁ、坊主の思惑など知らん。
那古野、末森、熱田が陥落すると、長島の取り分である下尾張の西側を割譲して貰う為に津島に侵攻するらしい。
一向一揆衆というのは暴徒の集団であり、津島に連れてゆくとあらん限りの略奪を行い、最後は火を放ってすべてを灰燼に帰すという。
まぁ、そんな連中だ。
津島を攻め入るには、僧兵だけでは数が少なく、数を補う為に長野家を利用された。
好きにすればいい。
こちらも利用させて貰う。
その織田と対峙するとなってから改めて調べさせた。
織田のお蔭で我が家臣の暮らしも随分と楽になっていたらしい。
例年の戦いで土地が疲弊しており、村々はとても夏を越せそうもなかった。
商人に頭を下げて借財をするか、押し入るかのどちらかであった。
しかし、初夏頃から通行税が増え、浮浪者のような難民に飯を食べさせ、安濃津の湊に連れてゆくだけで小遣いになった。
その内、織田普請に参加する者も現れ、その者が米・塩・銭を送ってくるようになる頃には村は一変した。
熱田と桑名を結ぶ7里(3里)の渡し、桑名から安濃津の湊を結ぶ伊勢街道、安濃津と関を結ぶ伊勢別街道、伊賀を通って大和に向かう伊賀街道に荷が溢れた。
人と物が通る量が桁違いに増えたのだ。
家臣らがどこかに押し入る必要もなくなり、胸を降ろしたそうだ。
そんな恩義のある織田に敵対するのは胸が痛いが、これも世の常と思って頂こう。
しかし、この胸の奥で何かつかえているような気がしていた。
ズド~~~ン! × 22
その音はこの世の物と思えぬ音であった。
それが南蛮船の大砲の音であることはすぐに判った。
湊から空に咲いた火の華が服部水軍の船に襲い掛かっているのが見えた。
ズド~~~ン! × 22
再び、体の芯まで揺らす大きな音が届いた。
その時になって、私は胸のつかえが何かを悟った。
そうだ!
尾張の奉行如きに、三カ国の守護・守護代が血眼になっていることだ。
奉行如きではなかった。
織田は龍であった。
我らは龍の尾を踏んでしまったのだ。
龍の使いは、我らに降伏か、臣従を迫ってきたのだ。
ふふふ、子供の癖になんと神々しいことだ。
◇◇◇
【 水野 忠守 】
ガレオン2番艦『佐治丸』の艦長に選ばれたのは嬉しいことだが指揮を取っているのは、守次の部下の操舵士であった。
我が緒川水野家の水夫は訓練の日も浅く、我々だけではこの船を動かすことができない。
何もせぬ内に服部水軍を打ち払って戦が終わってしまった。
桑名湊の沖で停泊すると、操舵士を伴って1番艦に移動する。
一番艦は火樽(パール樽)の蓋を開けたままで降ろしていた。
火樽(パール樽)はとても危険な樽らしく、火を導火線に付けて、蓋を閉めて海に投下すると、すぐにその場を離れないと大変なことになるらしい。
その危険な樽を4つも降ろし、紐で連結して海に流した。
何を考えているのか?
まったく判らん。
1番艦の甲板に上がると、弥三郎殿が桑名の降伏勧告に行くらしい。
このまま何もせずに終わるのは嫌なので同行を願いでると簡単に認められた。
降伏の使者は場合によっては、その場に殺され兼ねない危険な役目である。
「良いか、必ずお守りしろ!」
「はぁ、お任せ下さい」
小舟で湊に着くと、十楽の津の桑名衆、長野家の当主が出迎えてくれた。
この戦で初めての出番であった。
「某はガレオン2番艦『佐治丸』の船長を務める水野清六郎である。こちらのおわすのが、那古野城主織田三郎様の家来衆の軍監、加藤弥三郎様でございます」
「加藤弥三郎です」
桑名衆の者が案内しようと手を奥に向けるのですが、弥三郎殿はその場で交渉を始めたのです。
「長居は無用です。ここで要求を申させて貰うです。その前に織田の力をご覧頂きたいです」
弥三郎殿の合図で旗を振ると、すべての大砲が放たれます。
ズド~~~ン! × 22
体に響く大きな音です。
大砲の弾は九町(1,000m)先に着水して大きな水柱を一斉に上げるのです。
うおぉぉぉぉぉ!
放ったのが海の向こうなので恐怖はありませんが、人が抗える武器でないことはよく判ったでしょう。
そして、さらに銛矢『花火』が一斉に発射されて、天空の大きな炎の華を咲かせるのです。
信長様の家臣衆では、この銛矢『花火』を『なんちゃってナパーム弾』とも言っていますが、何の事かよく判りません。
本物はもっと凄い威力があるとだけ聞かされています。
美しい真昼の花火です。
そして、空に浮かび上がった炎が雨となって降り注いでゆきます。
ぶごぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!
鈍い音が鳴り、海に振り注いだ炎が巨大な龍が舞い上がるような爆発音を上げて燃え上がります?
なんだ?
何が起こった?
火銛『花火』にこんな威力のある炎を出せる訳がありません。
あっ、そうか!
火樽(パーム樽)かぁ!
大量のパーム油とアルコールを混ぜた樽の底に火薬を仕込んだ樽の事です。
4つの樽が誘発して爆発し、海一面に炎が燃え広がります。
「なんという恐ろしい事だ」
「海の上で燃えているぞ」
「あんなものが空から降ってきたらどうする?」
軍監弥三郎殿は中々の知恵者のようだ。
十楽の津の桑名衆や長野の家臣達が騒いでいます。
桑名の町が、あるいは、自らの城が燃えている光景が彼らの脳裏に浮かんでいることが察せられます。
弥三郎殿は騒ぎが静まるのをただじっと待っているのです。
一向に消えない炎を見ながら唇を噛み、桑名衆の長が重い口を開いたのです。
「織田様はどのような要求をなされるのですか?」
「要求は1つです。臣従か、降伏のどちらかを選びなさいです」
「和睦はございませんか!」
「ないです」
弥三郎殿は容赦なく、切り捨てます。
和睦とは双方に利益があるときに行いものであり、織田に敵対したのですから温情の余地もないと切り捨てるのです。
臣従して織田と共に栄えるか、降伏して津島・熱田衆の下で仕事をするかの二択だと言い放ちます。
臣従すれば、長島の坊主が何を言ってくるか判ったものではありません。
商人達の店が打ち壊しになるのは必至です。
「臣従すれば、織田の家臣です。織田の家臣が傷付けられれば、長島も滅ぶです。懸念は無用です」
敵対するなら長島の一向宗も滅ぼすと言い切る胆力に驚いてしまいます。
「弥三郎様、その発言は余りに危険かと!」
「清六郎、安心するです。長島を滅ぼすのは織田ではないです。空誓に南蛮船を貸し出せば、喜んで滅ぼしてくれるです」
「な、なんと!」
「空誓様に貸し出すのですか?」
「うむ、空誓に長島の再建もお願いするです」
空誓、三河の本證寺第十代の住職であり、三河一向宗の長です。
織田が長島の一向宗を滅ぼせば、尾張・三河の一向宗もタダでは済みません。
タダで済ませられません。
しかし、一向宗が一向宗を滅ぼした時はどうでしょうか?
単なる内輪揉めです。
弥三郎殿の言葉に桑名衆も唖然とします。
しばらく、揉めたようですが、長が頭を下げました。
「織田に臣従はできません」
「そうですか!」
「が、空誓様に臣従したしましょう。これで如何でしょうか!」
「それで結構です。これより桑名衆は空誓の指示で動くです」
「畏まりました」
「清六郎様、よろしいですな」
「その通りにいたせ!」
「「「「「「ははぁぁぁぁ」」」」」」
桑名衆との話が終わると、待っていた長野 稙藤が改めて名乗った。
「まずは、桑名より無事に退去する許可を頂きたい」
「降伏するというなら好きに逃げるです」
「ありがたき幸せ」
稙藤は改めて、臣従と降伏の違いを聞きます。
弥三郎殿は織田と共に繁栄するのが臣従であり、民に下るか、伊勢を退去することが降伏だといいます。
「いずれにしろ、領地は召し上げですか!」
「そうですが、城代と代官として暮らすことができるです。織田領にするのは、織田の法が行き届くようにする為です」
「織田の法ですか?」
「織田の領地に住む民は、すべて織田の領民となるです。領民を傷つけることは、城代や代官であってもできなくなるです。それが織田の法です」
おぉ、そういうことか!
緒川でも織田に臣従すると織田の代官が来て、緒川の地で好き勝手やっています。
ぶどうやみかんや桑の木を植え、畑も変わった物を多く植えるようになりました。
中でも芋畑が好評です。
家臣は領地を共同の持ち物とされ、俸禄は銭で支払われることに反発する者もいましたが、1ヶ月もすると逆に便利がっています。
難しい領地経営を代官に押し付けられて、暇も持て余す者が続出したのです。
しかし、それは領内でも区割りが一通り終わるまででした。
今では城代と代官の下でこき使われています。
領主の自分がほとんど出島にいるので家老達が文句を言っていますが、今は織田に従っているというのが現状です。
「弥三郎様にお聞きした。織田は何を目指しておりますか?」
「天下統一です。日の本に『天下の静謐』を齎す為に戦っているです」
「壮大な話ですな!」
「大した事ではないです。外の国ではスペイン・ポルトガルが略奪の限りを尽くし、この日の本を我が物と狙っているです。そうさせない為に我が殿は戦っているです。二心はないです」
稙藤と弥三郎殿がずっと見つめ合ったままで動きません。
「得心致しました」
「そうですか」
「長野家は織田に臣従させて頂きます」
「判ったです。今はごたついているので、後ほどに正式な使者を送るです」
「はぁ、よろしくお願い致します」
「清六郎様が約束するです」
「うむ、安心いたせ!」
「よろしく、お願い申します」
「「「「「「「「「お願い致します」」」」」」」」」
こうして約定も交わさずに礼をして去ってゆく。
約定を交わさなければ、ただの口約束に過ぎない。
水野の名が残せん。
そう思っていた。
10日後、長野家が率いる織田臣従派と北伊勢独立派で内乱が起こった。
長野家は安濃津の湊衆と伊勢内宮・外宮の支持を得て、北伊勢独立派を討伐し、一カ月後に正式な使者を送ってきた。
水野家は北伊勢を下した大功績を得て、殿よりお褒めの言葉を頂くことになるとは思ってもいなかった。
殿命令で調印一切の指揮を取る。
調印には、軍監加藤弥三郎の名はなく、常滑水野家水野 守次、緒川水野家水野 忠守、布土水野家水野 忠分の連名で行われた。
水野家の名が日の本に知れた瞬間であった。
『水野の長島片手間参り』
長島を表敬したついでに北伊勢を取ったと語られた。
片手間です。
『おまけ』です。
大高水野家の近守が随分と悔しがられて、酒の席でずっと愚痴を聞かされた。
何故、俺なんだ!
(口先三寸で北伊勢を取った、水野に忠守という知恵者ありと知れたからです)