41.尾張統一戦、稲生の戦いの事(1)
「ヤッホー! 戻って来たよ」
「お早いお帰りで!」
長門君が私の後にいる信長ちゃんに深々と頭を下げた。
長門君の周りには黒装束にマントの連中が多くいるから、二人くらい増えても気にならないだろう。
「もう終わっちゃた! 早い早い、速攻で終わった」
「流石、慶次殿と三左衛門殿ですな」
戻ってきたのは稲生街道と木曽街道を横切る大街道の一角だ。
朱雀大路のように広げられた木曽街道に東西に交差する大街道であり、平手のじいさんの屋敷を横切っているので、『平手大街道』とでも名付けよう。
長門君は土嚢で作った簡単な陣の中で物見櫓を作って、そこで後詰めの指揮をしている。
ホントは(平手)久秀の持ち場なのだが、荒川城の押さえに行って貰ったので、長門君が引き継いだ訳だ。
木曽街道の船着き場方面には、平手のじいさん(平手 政秀)が陣頭指揮を取っている。
どちらも黒鍬予科隊から一万人ずつを抜き出しています。
黒鍬予科はそれなりに刀が使え、クロスボウが撃てる集団ですが、組織戦の練習も何もやっていませんからハッタリの兵力です。
さて、信安の軍は土岐川(庄内川)を渡った名塚という小高い丘に陣を張ったとそうです。
信安の軍も首を捻っている事でしょう?
土岐川が複数に割れており、多井川とも呼ばれています。
向こう岸は小田井と、こちら側の名塚と別れて川を挟んで対峙すると思っていたでしょう。
「千代女殿が厄介なことを言わねば、楽に終わった戦いですのに」
長門君の言い方が辛辣です。
千代女ちゃんは、那古野のおじ様達に3つの戦術を提案しました。
1つは、土岐川の手前である名塚に陣を張る。
「先日までは馬で渡河できる浅い場所でしたが、どなたかが川底を掘ったので、今では船が無ければ渡れません。少数の我が方としては最も被害の少ない戦い方です」
千代女ちゃんは上策といいます。
川を挟んで弓合戦を行い。筏など使って上がってくる敵を『もぐら叩き』するだけの簡単な作業です。
欠点は、誰も手柄を立てられない。
家臣団には不評でした。
次に提示したのが中策です。
川を渡らせて、半数が渡り切った時点で攻撃を掛けます。
敵を分断して、各個撃破でき、手柄も取り放題な魅力的な策です。
確実に渡って貰う為に『果たし状』を届ける必要があり、騙し討ちです。
欠点は、卑怯者と罵られることが免れません。
家臣団には不評でした。
3つ目の策は下策です。
戦のしきたりに乗っ取って約定を送り、日時を決めて決戦に及びます。
ここまで中策と同じです。
でも、渡河中に襲わない。
陣をならべて互いに口上を述べ、鏑矢を交わして後に戦いがはじまります。
結局、これになりました。
もう1つ、最下策がありました。
こちらから渡河する作戦で、渡河中に決戦になると千代女ちゃんは言い切ります。
半数は全滅覚悟の玉砕戦です。
手柄を黒鍬予科に譲ることになります。
議論にもなりません。
当然、下策で戦います。
早朝のうちに渡河を終えた信安の軍が名塚に陣を築き、巳の刻(9時)から兵を並べて、口上合戦からはじまっています。
家臣団のおじ様方には好評であり、『おじ様方の活躍に期待しております』などとおべっかを言って、家柄・過去の実績を述べながら部隊の配置をサクサクと決めてしまいます。
誰も異論を唱えさせない名軍師ぶりだわ!
さて、この口上に出ることが武将にとっての花形です。
祖先自慢からはじまって戦をはじめる大義を語ります。
対する我が方も祖先自慢からはじまって大義を喝破することで儀礼が終わり、鏑矢を互いに交わして戦がはじまるのです。
『伝令、伝令、織田大和守の軍、大敗にて、潰走。お味方、大勝利の事』
うおぉぉぉぉぉぉ、口上合戦が終わる頃に伝令が各所を走り、兵達が時の声を上げます。
逆に。敵方は戦う前から狼狽がはじまります。
「惑わされるな! これは敵の策じゃ!」
「なんという卑劣なことをする」
「口上に泥を投げ入れるとは、武士の風上にもおけん」
ぐだぐだと言っています。
事実ですから、水を差した訳じゃありませんよ。
「勝幡に負けるな!」
「「「うおぉぉぉぉ」」」
「那古野も勝つぞ!」
「「「うおぉぉぉぉ」」」
普通、そう思うよね!
清州軍が負けたのは、勝幡城の織田 信実が兵を出して挟撃したと考えたのでしょう。
慶次様と三左衛門の騎馬隊500人だけで敵を翻弄して、大将を討ち取って敗退させたと言っても誰も信じない。
黙っておこう。
◇◇◇
史実の『稲生の戦い』は、信長ちゃんが佐久間に命じて、名塚に砦を築かせたことからはじまります。
信長ちゃんの同盟していた斉藤道三が、『長良川の戦い』で嫡男の義龍に敗れ、信長ちゃんは後ろ盾を失い、信勝は義龍という後ろ盾を得たことで、信長ちゃんと信勝の立場が入れ替わります。
ちょっと考えて下さい。
今川と斉藤を敵に回す信長ちゃん、斉藤義龍と同盟関係を持つ信勝、どちらに付く方が生き残れるでしょう?
信長ちゃんは守護の斯波 義銀を擁立して、尾張支配の正当性を持っているだけです。
信長ちゃん、最大のピンチだった訳です。
信長ちゃんは信勝との戦いが避けられないと思い、佐久間に命じて名塚に砦を築かせます。
那古野城(当時、信長ちゃんに敵対する林の居城)の目の前で砦を作られては堪ったものでありません。
林と柴田は雨が降る中では、援軍が来ないと踏んで砦を壊す為に軍を動かします。
信長ちゃんも雨の中、増水する多井川を渡って、名塚砦に入ったのです。
こうして、『稲生の戦い』が起こったのです。
信長ちゃん(700兵) VS 林・柴田・信勝(1,400兵)
数で圧倒的に不利な信長ちゃんですが、ここではじめて常備軍の足軽隊が活躍します。
体が小さく、線の細い信長ちゃんは武将として評価が低かったのです。
しかし、信長ちゃんが育てた足軽隊が無類の強さを発揮します。
軍隊と素人の違いです。
この戦いで、信長ちゃんは『無類の強さを持つ武将』として再評価されることになり、尾張統一への足掛かりを手に入れたのよ。
「忍様、私は弱い武将なのでしょうか?」
「強いか、弱いかと聞かれれば、弱いでしょう。慶次や宗厳に勝てると思う?」
「勝ちたいと思いますが、無理でございます」
「三国志に出てくる『天下無双の呂布』、『武神の関羽』は戦に負けたことはなかったかしら?」
「いいえ、呂布も関羽も負けております」
「鍛え抜かれた100人の兵の前では呂布も関羽も無双はできない。1,000人の百姓を集めるより、100人の鍛え抜かれた兵を育てた方が強いのよ」
「では、その信長が持った700兵がそうなのですか?」
「おそらく、200~300人が専門の兵だった。だから数の劣勢を跳ね返すことができたのよ」
「忍様が知る信長様も優秀な方だったようですな!」
「そうね! でも、その先進的なことを家臣にちゃんと伝えられなかったことが、織田一門を二つに割って戦うハメになった。ちゃんと言葉にして、その言葉を証明していかないと、私の知る信長ちゃんみたいに一族を割ることになるからね」
「はい、気を付けます」
うん、よろしい!
◇◇◇
千代女ちゃんが選択した陣形は敵の陣形に関係なく、角度のない鶴翼陣形です。
右翼は林 秀貞が率いる傭兵と加世者の混成部隊700人です。
左翼は青山 信昌、内藤 勝介が率いる那古野家臣団一同700人です。
中央本陣は信勝ちゃんが率いる百姓で構成された足軽部隊600人です。
その間を埋めるのが、木下 藤吉郎 と木下 弥助の黒鍬衆が各500人です。
敵の信安軍は5,000人の内、街道沿いに500人を残しており、渡河した兵は4,500人です。こちらは軍を4つ分けて、信安を本陣に残し、前衛は左前が突き出した雁行の陣を引いています。
いよいよ戦いがはじまります。