【閑話】津島天王祭(2)の事。
【 織田信秀 】
その日、信秀は奥の方々を連れて、大橋 重長の屋敷の縁側で過ごしていた。信秀の娘であるくらの方が土田御前をはじめ側室衆に甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
「殿、いつになったら津島神社に行かれるのですか?」
「重長の屋敷に行くとしか言っておらんぞ。久しぶりにくらの顔も見たかったのでな」
「ご配慮ありがとうございます」
くらの方が頭を下げる。
城の珍味に負けないほどの料理が並び、新しい反物を用意して奥方達の目を潤していた。
天王祭の日に重長の屋敷に行くと言えば、津島神社を参拝するとばかり思っていたので、女衆は首を傾げた。
もう、夜が更けて宵祭がはじまっているのもある。
「大殿、この度はご配慮を感謝いたします」
「やったのは信長だ。儂は何もしておらん」
「判っております」
重長は那古野を訪ねたのですが運悪く、信長様は外出をしており、平手殿に1つお願いをしたのです。すると翌日の夕方に忍様が訪ねて来られたのです。
「こんにちは」
店に入ってきた忍様はまるで常連の客のように座り、反物を眺めていたのです。
「お~い、忍。反物を見に来たんじゃないぞ」
「おぉ、そうだった。ご主人を呼んで下さい」
「主人にどのようなご用件でございますか?」
「那古野の竹姫が来たって伝えて」
どわぁ、どわぁ、どわぁ、どどどどどっ!
辺りに座っていた客、立っていた客、通り掛かった客がわっと押し寄せて、竹姫を見ようと集まってきたのです。
「何ぃ、何があったの?」
「忍、こっちじゃ! まだ、おまえが珍しいんだよ」
「私、見世物じゃないんだけど」
こうして、重長は忍様を奥に連れていかれ、そこで花火の話を聞かせて貰ったのです。
「話は聞かせて頂きましたが、今一よく判らず、天王祭が今まで以上に盛り上がるとお聞きしたので承知させて頂きました」
「重長、よくそんな話に乗る気になったな」
「これ以上、熱田と差を付けられる訳には参りません」
「は、は、は、欲が深いな」
「根が商人ゆえに」
祭太鼓がよく響くようになったので、信秀は庭に出て縁側に腰掛け直すのです。
「まずは一杯」
「これは?」
「忍様に分けて頂きました。熱田に続き、津島でも造らせて頂く許可を貰いました」
透明の酒、清酒です。
熱田の倉で製造が始まっているのですが、売れるようになるのは数か月後です。しかし、津島では酒蔵を説得し、すでにある酒に炭で濾す過程を加えて、この祭から売り出していたのです。
信秀も一杯飲んで喉を奮わせます。
「見事」
「よい物を頂きました」
「熱田では、酒蔵に今の酒が駄目になるかもと言われて、新酒のみに限定したと聞いたぞ」
当時の酒と清酒は製造過程が違います。
当時のお酒とは『僧坊酒』、あるいは、『どぶろく』の事です。
この『僧坊酒』を簡単に言えば、『どぶろく』を作る酒の水の代わりに『どぶろく』を使う事で甘味とアルコール度数を上げる酒造法です。
これを『二段仕込み』と呼び、『二段仕込み』を水の代わりに使うと『三段仕込み』となります。
現代でも、大関が『10段仕込み』を発売しています。
甘くておいしいお酒ですよ。
お酒好きの方は一度試してみるのはいかがでしょうか?
おっと、脱線!
甘く飲みやすく、それでいてアルコール度数の高い酒になってゆくのです。
これに灰をぶっこんでも甘味や旨みが消えてしまいます。
1つの壺を10個の桶に割って、様々な灰や粒子の粗さを試して、適度な灰の使い方を見つけるのに二壺を駄目にしました。
こうして、甘味の残るすっきりとした透明な清酒が生まれたのです。
もちろん、竹姫式の清酒造りも並行して始めると重長は楽しげにいいます。
何よりも熱田にない清酒が生まれた事が嬉しいようです。
「熱田と同じく、麦で作った麦酒と芋で造った焼酎も始めますぞ」
「楽しそうじゃのぉ」
「久しぶりに楽しんでおります。他にも出島のめずらしい食べ物を分けて頂ける事になりました」
「そうか、それはよかった」
「大殿、お願いがございます」
大橋 重長が地面にひれ伏して頭を下げます。
余りに真剣な眼差しに信秀もびっくりです。
「信長様が竹姫のご領地を訪問の折は、どうか津島衆も連れていけますように伏してお願い致します」
「竹姫の領地?」
「外ツ国にあると言うご領地でございます」
はぁ、信秀は疲れたような息を吐きます。
「竹姫がそう言ったか」
「いいえ、申し訳ないと思いましたが、近習の者との会話が耳に入り申した」
「相判った。その話はまた後にしよう」
「よろしくお願い致します」
奥の者が戻ってきたので、重長は慌てて取り繕います。
楽しみにしていた花火への楽しみが半分薄れた信秀でありました。
しかし、その圧倒的な花火の美しさと、物量に改めて、竹姫の恐ろしさを感じる信秀でした。
「奥の連中は満足したようだから、これで良いか」
信秀は大橋の屋敷を後にする前に、視線を斜め後ろに向けます。
「信長と忍殿にご領地訪問の件を聞いて来い」
「畏まりました」
信秀付きの甲賀の頭領が消え、代わりの者が影から警護して、末森城へと帰還したのです。
◇◇◇
【 ??? 】
尾張が繁盛すると信者の来訪も増えて上がりも良く、織田様々なのですが、それを感謝する所か、寄付の1つもない事を恨む者がいたのです。
「証恵様、那古野の信長は、津島祭に多額の寄付をしたと聞き及びます」
「それがどうかしましたか」
「尾張における浄土宗の信者は、津島の信者の比で御座いません。然るに、信長はまだ一度も我らに献金をしておりません」
「仕方なかろう」
「いいえ、我が領地を熱田領など行って横領する者に仏罰を与えるべきです」
「「「「「「「「「その通りだ」」」」」」」」」
「織田など、ただの奉行に過ぎん。守護代の信友様もお困りのようじゃ。信友の家臣大善殿が献金を持ってお遣わしになられた。逆賊、織田を討つべし」
「「「「「「「「「おぉ、そうだ。そうだ。織田、討つべし!」」」」」」」」」」
最近、僧侶の鼻息が荒くなった。
実入りが多くなった事で気持ちも大きくなっているようだ。
信者は織田の家臣にも多く、那古野の筆頭家老の林殿も多額の寄付を送ってきている。
(信秀、信長は荷之上城の服部が津島と争っていますから、服部を庇っている長島に寄付を送ると津島衆が怒るのでできません)
織田は領地内の関所を廃止したが、町で上がる儲けの一部を矢銭として巻き上げるので、各城主の配分が増え、実入りも良くなっている。
その銭の一部が長島の寺々に入り、また、民の参拝も増えて、実にありがたい事になっている。
然るに、僧侶達は何故、鼻息を荒くする。
まったく、解せません。
「証恵様、信長は仏敵であると御宣言下さい」
「できん」
「何故、ですか」
「罪のない者に罪を着せる事はできません」
「あれ程の大金を持ちながら、一文も寄付をせぬのですぞ」
「我らの一門である荷ノ上城の服部 友貞を匿う以上、織田にとって我らは敵です。家臣はともかく、織田の若様が敵に寄付を出す事はできないでしょう」
「敵と言うならば、仏敵で御座います」
はぁ、下らん。
織田の家臣がこちらに付くと確信があるような物言いだな。
あの自信はどこからくるのか?
儂は織田が恐ろしい。
赤鬼も恐ろしいぞ。
ひゅるるるるるるうるるるるるぅぅぅぅ、ばぁ~ん!
『何の音じゃ』
表に出ると光が空に走る。
ひゅるるるるるるうるるるるるぅぅぅぅ、ばぁ~ん!
ひゅるるるるるるうるるるるるぅぅぅぅ、ばぁ~ん!
あれは何じゃ!
「仏罰じゃ! 織田を放置する我らへの仏罰じゃ」
南無阿弥陀仏!
南無阿弥陀仏!
南無阿弥陀仏!
南無阿弥陀仏!
僧侶達が一斉にお経を唱え、仏の怒りを鎮めんと祈りますが、一向に止む気配もなく。
空に光の束が生まれるのです。
そして、一段とまばゆい光が輝き…………美しい!
ホンに仏罰なのか?
美しい景色が空を飾ったと思うと、雷のような光が討ち荒れるのです。
天が怒られておるのか?
南無阿弥陀仏!
南無阿弥陀仏!
南無阿弥陀仏!
南無阿弥陀仏!
ひゅるるっるっ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~、ずだぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~ん!
おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ、天が、天が落ちてくる。
『恐ろしいや!』
「織田を滅ぼさなければ、我らが仏より仏罰を喰らうぞ」
「織田、滅するべし」
「「「織田、滅するべし」」」
「織田、滅するべし」
「「「「「「「「「織田、滅するべし」」」」」」」」」
「織田、滅するべし」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「織田、滅するべし」」」」」」」」」」」」」」」」」」
門外まで響く声が長島中に響き!
うやむやの内に、『仏敵、織田信長』と宣言されていた。
花火大会って、本当にお金が掛かります。
町内会で開催する花火大会は一番安い花火を上げても2~3分で終わってしまいます。
間隔をあけると間延びしますし、都心部ではお金が集まらないってどういう事?
人口も企業数も総収入も都心部の方が大きいのに…………不思議です。
田舎の方が大規模って、何か違う気がするね。
◇◇◇
●花火をはじめて見たのは徳川家康?
慶長18年(1613年)イギリス国王ジェームス1世の使者が徳川家康に花火を献上したという記録があり、記録通りなた家康かな?
●伊達政宗?
天正17年(1589年)、伊達政宗が米沢城で花火鑑賞をしたという記録が残っています。
●五代将軍足利義教も候補だよ。
室町時代に日明貿易で花火が持ち込まれたようで、『建内記(建聖院内府記)』という公家万里小路時房の日記に記されています。
◎花火大会の始まりは、徳川吉宗が催した水神祭らしいです。
あっさり、受け入れられている花火ですが、はじめて見た人は、美しいと思えたのでしょうか?
8:2、あるいは、6:4 で花火を怖がった人がいたと思うのです。
敢えて小説内で説明を入れていませんが、天王橋から津島神社の前鳥居が船着き場になります。
これを直線で引くと長島の願証寺が線上に乗ります。
裏から綺麗に見えたハズです。
そして、最後の四尺玉の爆発は光が下に落ちてゆき、津島神社を燃え尽くすように映っていたのかもしれません。
いずれにしろ、都合のいい解釈であり、はじめて見た花火を津島神社のお祭りを仏が怒っていると解釈した訳です。
みなさん、はじめての花火、どう思われますか?