36.内山崩れ(2)の事。
【 武田晴信と軍議の場 】
井戸を奪い、水を絶って5日になる。
しかし、ここ数日、信濃佐久郡の内山城の攻略が巧くいかない。
山に隠れていた大井の武将達の活動も活発になっている。
もちろん、内山城の周囲に兵を分散して配置する事で対抗済みだ。
各隊からの報告を聞いて、城に籠る大井軍が死に体である事は間違いない。
10倍近い武田の兵を防いでおり、大井の兵で無傷の者は最早いない。
満身創痍なのだ。
まともに動けるのは半数に減っているのではないだろうか?
だが、死兵と化しており、突き崩せないでいる。
武田軍の被害も相当な物になっている。
死者は100人を超え、怪我人も600人に近づいている。
城に至る曲輪はすべて落とした。
総大将まで前線に出て鼓舞している。
しかし、降伏する気配が一向にない。
「如何なる事じゃ」
「お館様、その事に関して判って参りました」
板垣 信方が低い声でそう言った。
そう言うと控えていた信方の部下で譜代衆の金丸が三つ者の報告をする。
「内山城には毎晩、食糧と水が補給されています」
「どこからだ」
「判りません。ただ、明け方に広間に忽然と現れるそうです」
「何を阿呆な事を言っておる」
「彼らは赤鬼からの支援を喜んでおります」
「金丸、呆けるには早いぞ」
「素っ破じゃ役に立たんのぉ」
「どこから入るのだ」
「地下通路でも隠しておるのか」
「あの岩に穴を通したと申すのか」
「正気ではない」
「いずれか知らんが抜けられておるぞ」
「もっと仕事をしろ」
金丸は様々な罵倒を浴びても黙ったままである。
内山城の兵は飢えていない。
内山城の周りには、付け砦と言っても差し支えない武田の陣がいくつも周囲を取り囲み、獣が這い寄る隙もない。
さらに、その周辺は三つ者が警戒に当たり、山に隠れた大井の残党も近づく事ができないようにした。
「敵はもう虫の息じゃ」
「もう半数を切っておる。このまま攻めればよい」
「これ以上の手間を掛ければ、武田を侮って村上が動いてきますぞ」
「合意、これ以上に陣を長く留まるのは危険でございます」
「一旦、引くのも一手かと」
「逃げろと申すか臆病ものめ」
「断固落とすべし」
「総攻撃だ」
天文12年、武田は佐久郡に攻め入った。
望月城の望月氏、城主の望月昌頼は敗れて、小諸城主大井高政を頼って小諸へ逃れたが、後年、その小諸城も落とした。望月盛時、望月源三郎と新六も布引城を攻められ、村上に逃げた。
裏で画策しているのは、望月か?
確か、甲賀と繋がりがあったな。
村上義清の所領は佐久郡の上の小県より上だ。
望月氏を抱えている村上義清は、佐久に出陣する大義名分を持っておる。
義に厚い武将らしく、機会あれば、望月氏の為に出陣してくるであろう。
しかし、運の悪い。
いやぁ、武田にとって運がよかった。
越後で守護上杉定実の老臣に黒田秀忠が再び反乱を起こし、さらに長尾当主の長尾晴景に不満を持っていた国人達が、長尾景虎を擁立する動きを見せている。
長尾景虎は兄との関係が最悪となっておる。
三ツ者はその情報を持ち帰った。
背後で火種が起こっていたのでは、村上義清も中々に佐久郡に兵を起こす訳に行くまい。
村上の介入はない。
「村上は来ぬ。ゆえに継続だ」
「「「御意」」」
軍議は如何に攻めるかに移る。
晴信は無駄に兵を散らす必要はない。
気力で補えるのは限界がある。
いずれ根を上げる。
向こうが痺れを切らすまで付き合うしかないと晴信はそう考えています。
しかし、軍議を司る家老、譜代衆の方が痺れを切らしていたのです。
「総攻撃あるのみ」
「ここはじっくり行きましょう」
「信方様、温いですぞ」
「原殿、貴公は熱くなり過ぎておりますぞ」
「信方、もう歳か。先陣を切るのが怖くなったか」
「何をおっしゃる。この信方、お館様の命あれば、いつでも先陣を切らせて頂く」
「よう言うた。この九衛門もお付き合いしますぞ」
「待たれ、甘利殿。お館様の命があればと言う話だ」
甘利 虎泰も48歳になり、若手の馬場 信春(31歳)や飯富 虎昌(42歳)の息子で山県 昌景(17歳)が頭角を現してきた事に焦りを感じているようであった。
甘利虎泰も息子に道を譲ればよいのに!
逆にまだまだ負けないという対抗心を燃やしておるわ。
それに付き合わせされる板垣信方(57歳)も堪ったものではない。
「ならば、私もお付き合いしよう。お館様、異存はありませぬな」
原 虎胤(49歳)も参戦してきます。
足軽大将風情が家老の話に口を挟むなど無礼なのですが、信虎様の代から活躍する鬼美濃の異名を持つ彼は特別なのです。
軍議の大半が原に同意した。
致し方なし。
こうして、翌日の総攻撃が決まったのです。
◇◇◇
日も昇らない早朝に八ヶ岳の少し奥まった広場に転移でいつもメンバーが現れます。
「今日も徹夜ね」
「昼間に寝ているでしょう」
「千代女ちゃん、1日6刻(12時間)は寝ないとお肌に悪いのよ」
「寝過ぎでしょう」
待っていた甲賀の頭が忍に近づいて状況を報告してくれます。
八ヶ岳の双子山の頂上から双眼鏡で覗き込んで、内山城の篝火を頼りに、収納庫から食糧と水を出してやります。
もう驚く様子もありません。
『『『赤鬼様、ありがとうございます』』』
300人いた兵も180人ほどに減っています。
死んだと言う意味ではなく、そのほとんどが重傷者です。
残る動ける者も無傷の人はいません。
「赤鬼様は我らに勝てとおっしゃっておる。勝つぞ」
「「「「「「「「「おぉぉぉぉぉぉ!」」」」」」」」」
「負ければ、地獄じゃ」
「「「「「「「「「おぉぉぉぉぉぉ!」」」」」」」」」
「一切を捨てろ! タダ、勝つのみ」
「「「「「「「「「おぉぉぉぉぉぉ!」」」」」」」」」
恒例になってきた大井 貞清の鼓舞で士気を上げます。
「死んでも赤鬼様が守って下さる」
「地獄に行っても、赤鬼様がおられる」
「怖いものはねぇ」
「うんだ、うんだ、怖くねいぞ」
このような奇跡を毎日のように目の当たりして、もう赤鬼は信仰に近くなってきたようです。
同じように奇跡を目の当たりにしている千代女ちゃんは少し違います。
「その収納庫って技。便利よね」
「確かに見えてさえいれば、どこにでも出せるのは凄いな」
「目の前に出てくるのは、なんとなく納得できるのよ」
「千代女は凄いな」
「慶次だって、納得しているじゃない」
「いやぁ、俺は考えるのを止めた。忍のする事をあれこれ考える方が無理だ」
何か、酷い事を言われているような気がします。
うん、気のせいだ。
「ところで、 折角の鉄砲と焙烙玉を使わないね」
「10丁くらいは、所々で使っているみたいだ」
「うん、尾根から侵入する敵は一直線になるから鉄砲が有効だね」
「でも、それ以外では使っていません」
「藤八はどう思う?」
「それは槍で戦うのがカッコいいからです」
聞いた私が馬鹿だった。
「宗厳はどうみる」
「おそらく、総攻撃する時を待っているのでしょう」
「へぇ、どうして?」
「鉄砲も焙烙玉も十分あり、おそらくそれを使えば、武田はすぐに退却するでしょう」
「私も思う」
「でしょう。そういう風に使って欲しかったのよ」
「城主の大井貞清は、総攻撃で敵の大将が出てくるのを待っているのかと」
あぁ~~~、納得。
雑魚をいくら片付けても何度も襲ってくる。
でも、大将クラスがお亡くなりになると大変だ。
「今日が、その総攻撃みたいよ」
「おぉ、そうみたいだな」
「そのようです」
「大将首を狙う気かな?」
「恐らくは」
日が内山城を差すと、武田軍が総攻撃を開始した。
全方位から一斉に兵が山を駆け上がって来る。
武田軍も慣れたモノだ。
城から落してくる石を物ともせずに上がってくる。
侍大将がすぐ近くまで来て、檄を飛ばす。
これでは足軽達も手を抜く事ができない。
決死の突撃!
一刻持たないと誰もが思った。
大井貞清が兵に鼓舞する。
「よいか、引き付けよ。可能な限り引き付けよ」
足元には焙烙玉が並べられてゆく。
一方、武田軍も板垣 信方、甘利 虎泰、原 虎胤が三方から攻め掛かります。
ロッククライミングで岩肌を上ってくる武田軍が隙間もないほどに群がって上がってきます。
下で戦況を見ていた晴信も思わず、呟いてしまいます。
「勝ったな!」
「はぁ、我らの勝ちでございます」
信方の代わりに飯富 虎昌が横で差配します。
「後詰を上げよ」
「お館様、これより上ってまいります」
「誰一人とて逃がすな」
「ははぁ」
馬場 信春が頭を下げて、後詰として出てゆきます。
城が陥落すれば、わずかな可能性を信じて逃げ出す者が現れます。
それに紛れて、武将も逃げ出すのです。
ここまで愚弄された恨みを晴らすべく、馬場も突撃してゆきます。
武田軍が総前掛かりになった瞬間でした。
乾坤一擲!
どどどっどが~んどどどどどどっが~んどどどどどどどどおっ~んどどどおどどがが~~~~~ん!
山が吹き飛ぶような轟音が響くのです。
病床にいた者達まで起き上がり、最後のご奉公とばかりに焙烙玉に火を付けて、放り投げてます。
一斉に火を付けた焙烙玉を四方に投げ出すと、ほぼ同時の爆発音が広がるのです。
山の四方から土煙が上がり、何が起きたのか、まったく判りません。
山が噴火した?
「放て!」
だだだだだっだだだだだだだっ~~~~~ん!
それが終わると鉄砲の一斉射撃です。
300丁の鉄砲に対して、内山城の兵士は60人が放ちます。
尾根を攻めてくる武田兵を相手に交代で練習をしていた者達が一斉に射撃を開始します。
一人5丁を打ち尽くすと、早合弾を次々と込めて第2弾に備えます。
鉄砲を撃っている間に次の炮烙玉に火を付けて投下も継続するのです。
投げた焙烙玉は山を勝手に転がって、適当に爆発してくれます。
第一投に比べると楽なモノです。
岩壁に取り付く武田兵を落とす為に、投下をぎりぎりまで待ったのです。
(あぶないので、真似はしないように!)
それは命賭けでした。
どが~~ん!
どがっ~ん!
最初のように山が崩れると思うほど威力はありませんが、空中で爆発するモノ、転がって後背で爆発するモノ、遠投で遠くに投げ出すモノと様々です。
装填が終わると、再び鉄砲の音が響きます。
だだだっ~~~~~ん!
だだだっ~~~~~ん!
だだだっ~~~~~ん!
だだだっ~~~~~ん!
だだだっ~~~~~ん!
こちらも最初のような恐怖を覚える大きな音ではありませんが、その音が走る度に仲間が倒れてゆくのです。
怖いですね!
しかし、鉄砲の弾より焙烙玉の方が消費が激しいとは思いませんでした。
「仕方ない。補充してあげよう」
広場に新しい100発入りの焙烙玉箱が2つ現れます。
『赤鬼さまじゃ』
『赤鬼さまじゃ』
『赤鬼さまじゃ』
『赤鬼さまじゃ』
『赤鬼様が見ておられるぞ!』
使えば出てくると思った兵達は、あらん限りに焙烙玉を山から投下しています。
丸い焙烙玉は転がる殺傷兵器です。
焙烙玉は直撃でもしない限り、死ぬと言う事はまずありません。
焙烙玉に仕込まれた鉄屑と陶器の破片などが体を傷つける程度です。
しかし、直撃と言う運の悪い人もいるようです。
『原様、討死』
最初の凶報が届くと、武田軍の瓦解がはじまります。
だだだっ~~~~~ん!
だだだっ~~~~~ん!
だだだっ~~~~~ん!
だだだっ~~~~~ん!
だだだっ~~~~~ん!
三度目の鉄砲が火を拭くと、「撤収」、「退却」と言う声が響きます。
すでに足軽や加世者などは逃げ出し、武田軍の瓦解が始まっていましたが、撤収の合図で最後まで残っていた侍大将らも山を下ります。
大井 貞清はあらん限りで声を上げたのです。
「押し出せ!」
まだ動ける180人の大井軍による総勢3,000人の武田軍の追撃が始まるのです。
「お館様、お逃げ下さい」
「まだ、負けておらん」
「兵が逃げ出しております。この場は虎昌にお任せ下さい」
「立て直せぬか?」
「もはや勝敗は決しました」
「相判った。頼むぞ」
「ははぁ」
晴信が逃げると間もなく、二人の名将の訃報が届きます。
『板垣殿、討死』
『甘利殿、同じく、討死』
板垣は鉄砲の弾を喰らい、動けなくなった所を敵に見つかって敢え無く絶えます。
甘利は焙烙玉の破片を喰らい、血を流して足手まといになる事を嫌って、自ら腹を切って自害なされた。
「飯富様、某が殿を引き受けます。ここはお引き下さいませ」
「十郎兵衛、それでよいか」
「お任せあれ」
通称『十郎兵衛』、足軽大将横田高松が残るわずかな手勢で大井の兵を食いとめて討死します。
本陣に600人は残っていたハズでした。
しかし、軍を構成する8割の足軽達が逃げ出すのです。
つまり、480人くらいの足軽共が減りました。
未来ある若人も逃がさなくてはなりません。
残るは手勢60人ばかり、見事に大井の兵を受け止めて華々しく散っていったのです。
その日、総勢3,000人の武田軍がわずか180人の大井軍に翻弄されます。
大勢が決まると周囲で見守っていた百姓達も追撃に加わり、多くの武田の者が命を落とすのです。
こうして、『砥石崩れ』ならぬ、『内山崩れ』が起こってしまったのです。
沢山、死にました。
私、何やっているんだろうね?
楽しい旅行はどこに行った!
◎押しこめ:談合で何でも決める戦国大名は、家臣にとって都合が悪くなると、殺したり、追放して、主君を交代させます。これを『押しこめ』と言い、武田信玄の父の信虎も『押しこめ』で甲斐を追放されたのです。
家臣団が戦うと言えば、君主の武田晴信(信玄)であっても「できない」と中々言えないのです。