23.那古野城の評定(1)の事。
私は床に寝転がり、何をするでもなくごろごろと転がっています。
「平和だね。千代女ちゃん、そう思わない」
「どうして私に聞くんですか?」
「私と一緒にごろごろしているから」
「私はそろそろ来る叔父を待っているだけです」
そう言うと小さな紙切れを渡します。
みみずの這ったような字ですが、補助脳を介して何となく読めるのが不思議ですね。
甲賀の先遣隊はおおよそ300名で伊勢道や近江道に分かれてやってくるみたいです。
千代女ちゃんが甲賀を代表する総締めとなっています。
急げば、1日の距離ですが、各地の情報を集めてから来るみたいですね。
最初の50名は今日の内に到着するらしいです。
「藤吉郎、いる」
「藤吉郎殿なら、朝から家の人を迎えに出掛けました」
あぁ、そうだった。
藤吉郎を倉街の責任者にして、家の者を移らせるんだった。
「何か伝えておきますか」
「じゃあ、帰ってきたら、甲賀さんと伊賀さんの拠点に倉街の一部を提供してと言っておいて」
「畏まりました」
う~ん、本格的に移住してくると、住む場所も作らないといけないな。
これも信長ちゃんに相談だ。
武田信玄、上杉謙信、毛利元就と偉大な大名達は思う儘に権勢を奮ったと思われがちだが、実はそうでもない。
ほとんどが家臣を含めた談議という話し合いで決めている。
信長が独断できるようになったのは尾張を統一した後であり、ライバルや有力者を全部なぎ倒したからなんですよね。
そもそも信長の戦いは常に先頭に立って戦っている。
信玄や元就のように屋敷でどかっと座っているイメージがありません。
桶狭間、美濃攻略、朝倉討伐、浅井攻略と常に信長が戦場に出ています。
リーダーシップがある戦国大名と言えば聞こえがいいですが、逆を言えば、総大将を任せられる武将が少なかったと言えるのです。
柴田、林、佐久間等々、頼りない武将しかいなかったのです。
はっきりいいましょう。
織田信長は無能だ。
慶次様、竹中半兵衛などに率先して手柄を立てさせて大将にしておけば、もっと楽ができた訳です。
でも、才能のある者は驕り高ぶると言って、努力する前田利家とかを重宝するから苦労したのです。
努力した者に掬い上げてくれる大名は理想の上司ですが、何か違うんじゃない。
「ねぇ、何考えているの?」
「一人事」
「どうやって、信長ちゃんを育てようかと悩んでいるのよ」
「お母さんか!」
今の信長ちゃんが決められるのは、この那古野城の城下のみなのよ。
それだって、あらかじめ家老がおおよそを決めているから、信長ちゃんは首を縦に振るだけしかできない。
況して、それぞれの土地には城主がおり、城主が取り決める。
この城主の方針を決めるのが評定であり、おとな衆と呼ばれる家老が決めて、信長ちゃんが認めるだけなんだよ。
ほとんどの戦国大名も談合政治です。
評定は月に2回あり、家老衆、奉行衆で執り行われます。
それを後ろで譜代衆、与力衆など城主の方々が見守り、その横に控えているのが、信長ちゃんの身内に当たる馬廻り衆、代官衆、物頭(足軽頭)、小者頭となります。
小姓もこの小者に属する訳だけど、信長ちゃんに近いから馬廻り衆、代官衆に命令できる訳ね。
ザ・虎の威を借りるなんとか!
今、大評定の間では、大勢の信長ちゃんの家臣が勢ぞろいなんだな~!
「忍は出なくていいのか?」
「出て欲しいと言われたが断った。会いたいならそっちから来いって」
「高飛車!」
「朝から夕べまで、ずっと座ってられる?」
小姓のみんなも微妙な顔をする。
まず、城主で解決できない問題をすべて聞いて方針を決めてゆくんだよ。
家臣同士の喧嘩の仲裁とか、水の利権争いとかね。
「娘が孕まされたけど、隣村の武家が相手で認知して欲しいとかの案件を1つ1つ解決して行くのよ」
「忍様、そんな案件はありません」
「絶対に?」
「ちょっと、稀です」
「ほら、あるじゃない。しかも私は部外者だから聞いているだけ。そんな場所にいたい?千代女ちゃん」
「私は嫌ぁ」
「でしょう」
城主間の争いは城主間で収めろ!
と、信長ちゃんが愚痴っていた。
小姓も参加できるんだけど、代表の長門君は別格として、信長ちゃんの警護に右近だけが付いている。
他は私の部屋の隣でごろごろとしている。
「どうして、私のとこに来るのかな」
「それは評定が終われば、信長様は一番にこちらに来るからです」
「忍様の側にいるのがおもしろいからです」
弥三郎と藤八が代表して言ってくれた。
慶次様と宗厳様は庭で稽古をしている。本来なら弥三郎と藤八も混じっている所なのだろうが、今は絵草紙に集中している。
「忍様、この続きが読みたいです」
「はい、はい」
収納庫から無地の草紙を取り出し、電子脳『バリポ』のメモリーBOXから漫画のデーターを呼び出して、モデリングで絵草紙が完成する。
AIちゃんに指示するだけの簡単な作業だ。
千代女ちゃんもファッション雑誌に夢中だったりする。
昨日、飯母呂一族から染料を沢山貰った上に、製造法を聞き出したので、夜中にこっそり大量生産して、カラーの絵草紙に挑戦してみたのだ。
ファッション雑誌もその1つだ。
「千代女ちゃんは信長ちゃんの警護が仕事だったよね」
「大丈夫、手紙を届けてきた三人に屋根裏から警護させているわ」
部下に丸投げかよ。
「嘘ぉ、こんなきわどいのがありなの」
「それは下着集、人前で見せる訳じゃないよ」
「えっ、こんなに可愛いのに見せないのぉ?」
「友達同士とか、意中の殿方のみに見せるのよ」
「意中の!」
「蚕を飼って、シルクの下着が作れるようにしたいな」
「ぜひ作りましょう」
おぉ、喰いついた。
◇◇◇
【平手政秀】
今日ほど、やりにくい評定もはじめてだ。
林秀貞殿は昨晩の遅くに来られたので、忍様が大国の姫君であり、異能の力を持つ大国でも持て余す姫君と言っておいた。
月の国を月山富田城になぞらえ、尼子の姫君と思ってくれたようだ。
「尼子でも持て余す姫君ですか」
「尼子とは言っておりませんぞ」
「判り申した」
「その大国でも持て余す異能の持ち主であり、織田にとって大金を落とす福の神であると同時、怒らせれば、災いを齎す厄病神でもある」
「厄介そうだな」
「私は今日1日でもう疲れ果てた。それこそ、本物の『うつけ』であった。命が幾つ在っても足りん」
「何がござった」
「口止めされておる。お察しくだされ」
「尼子で持て余す姫か」
忍様の思惑通りに勘違いしてくれたようで、この評定でも控えめの発言に終始してくれている。
ところが、家老の青山信昌と内藤勝介が強気なのだ。
「殿の世話になっておりながら、林様、平手様、青山様、内藤様、そして、我らに顔を見せず、会いたければ、こちらから足を運べなど、そのような傲慢を許してよろしいのでしょうか」
そう発言するのは池田 恒興であり、しばらく前まで信長の小姓をやっていたが、父の池田 恒利が体調悪く、恒興を元服させて名代として登城している。
信長様のセーラー服を忍様が着せたと聞いて、昨日から激怒しているのだ。
評定が始まると開口一番で発言した。
「竹姫という輩は、何故、ここにおらぬのですか」
「姫は織田の客将に過ぎぬ。おらぬでも問題ない」
「殿、大切な客人と言えど政に口を挟むなら、我らに顔を見せるのは必定ではござらぬか」
「姫は政に口を挟んでおらん。儂が相談しているに過ぎん」
「然れど、怪しげな建物や料理はすべて姫の指図と聞いておりますぞ」
「それも儂が頼んだ事じゃ」
恒興は信長様と乳兄弟と言う事もあって、その忠誠心は並々ならぬモノがある。
しかし、忠誠心の高さが忍様という得体のしれない女性を警戒する気はよく判るのだが、いかん、とにかく、忍様を怒らせる訳にいかんのだ。
「勝三郎、お主はいつから家老になった」
「平手様」
「黙れ、城主風情が評定に口出しする事は罷りならん」
「それはあんまりないいようではないかと」
騒いでいるのは池田のみ、乳兄弟である事で増長しているとでも思われているのであろう。
池田に味方する城主はいない。
そう思っていた所に青山信昌と内藤勝介が口を挟む。
「池田の言う事も尤もではございませんか」
「如何にも、如何にも」
「他国の姫なればこそ、我らにもあいさつがあって然るべきかと」
「如何にも、如何にも」
下らん。
青山信昌と内藤勝介は忍様が自分の所にあいさつ来ていない事に腹を立てているのだ。
些細な事を。
軍事は林が主に執り行い、外交と内政は私が指揮をしている。
青山信昌と内藤勝介は家老とは名ばかりの所がある。
しかし、幼少の頃から養育に携わってきた二人は信長様のお気に入りでもある。
つまり、信長様の絶対的な味方のハズなのだ。
元服して那古野城の城主になった信長様であるが、今は城主として学ぶ時なのだ。
若い信長様には、それが我慢ならない。
何1つ、自分で決められない事に不満を持たれていた。
その反発か、自分の意のままに動かせる手勢として家臣の2男、3男に目を付けたのだ。
やはり、信秀様のご嫡男である。
いい感性をお持ちだ。
あぶれて腐っている者を子分として手懐けるのは悪くない。
半端者を信長様が引き取ってくれるのだ。
譜代の城主に恩を売りつつ、信長様に忠誠を誓う忠臣を得る事になる。
立場上、林殿と私は小言を言わねばならん。
そんな信長様を青山信昌と内藤勝介が庇って事なきを得る。
青山信昌と内藤勝介にとって、信長様は未来を託す光みたいなものだろう。
ならば、何故?
信長様に反発する。
愚痴を言うのが私らの役目で、青山信昌と内藤勝介は擁護する立場でなかったのか。
恒興もそうだ。
信長様の一番の理解者でなかったか?
えぇぇい、何を考えておる。
忍様を間違っても怒らせる訳にはいかんのだ。
しばらく、評定は城主から陳情が続き、いつも通りの処理を行う。
いつもの通りだった。
次に代官衆が報告を行う。
城主は銭の事に疎い者が多すぎる。
一番酷かったのは、荒子城主の前田家だ。
戦の準備の為に馬や槍を買うのはいい。
しかし、銭がないのにどうして買うのか。
「戦となった時に、馬と槍が足りないではどうしようもございませんか」
前田 利春がそう言い放つ。
横に控えておる2男の利玄と3男の安藤が大きく頷いている。
長子の利久を別として、前田一族はやんちゃばかりだ。
息子の為に馬と槍を揃えてやったのだろう。
筋は通っておるが、銭はどうする。
農民から搾り取れば、一揆か、坊主の荘園に逃げ込むのが落ちだ。
知行二千貫(二千石)は目減りするばかりだ。
代官が話を続ける。
「馬・槍の代金を支払いますと、荒子城の兵糧では年を越す事ができませぬ」
「百姓から搾り取ればいい」
「大殿から厳重に禁止されております」
「代官であろう。何とかいたせい」
はぁ、溜息がでます。
城主のほとんどが槍に覚えがあっても銭の計算ができません。
放っておけば、家計は火の車になって一揆を起こさせる原因を作るのです。
放置できない信秀様は家臣の城主の代わりにと代官を置いたのです。
代官は城主に代わって米の年貢を管理させる事で、農民から必要以上に搾り取る事を禁止できた。
信秀様の凄い所なのです。
信秀様は内乱外征の忙しい中でも、山科言継などを招いて連歌会、茶会、蹴鞠を催し、さらに朝廷にも多額の寄付をする。
その財政的な基盤を築いたのが代官制度であり、『器用の仁』と呼ばれた根幹です。
仕方ない。
那古野から金を貸して、急場を凌がせるとするか。
「相判った。前田の負債は、この信長が引き受けてくれよう」
「誠ですか」
「武士に二言はない」
「ありがたき幸せ!」
おい、勝手に何を決めておられるのですか?
ほれぇ、皆が騒ぎ出しております。
前田だけが借金を棒引きされたのでは示しがつきませんぞ。
「安心せい。前田以外にも借金がある者は後で申し出よ。すべて信長が引き受けよう」
「「「「「「「「「おぉぉぉぉぉ、誠か!」」」」」」」」」
「但しじゃ。借金の棒引きを受けた者は来年の春から新しい稲作を試してもらう。南蛮ではすでに成功しておると言う。石高が倍になると言うありがたい農法じゃ」
「誠でございますか」
「あくまで書物の上での話じゃ。日の本で成功すると言う保証はない」
「もし、失敗した場合は如何なさいます」
「知らん。借金を棒引きするのじゃ。この信長に付き合え」
足を一歩前に出すと身を乗り出して恫喝します。
どこか頼りげなく。
すぐに臍を曲げられたあの信長様が自信を持って家臣を説得しています。
立派になられて!
じいは嬉しゅうございます。
「殿、1つお聞きしたい儀があります」
「なんじゃ」
「石高が倍になるのは本当でしょうか」
「本にはそう書いてあった」
「本には……ですか」
「何事も試さずば、判るまい」
「如何にも。某、借金はございませんが試しとうございます」
「よう言うた。知恵も力も貸そう。半分でも一割でもよい。思うぞんぶん試してみよ」
「ははぁ」
どかっと座り直すと、信長様がしてやったりとにやにやとしています。
余程、嬉しいのでしょう。
本当に立派になられた。
いかん、涙が。
戦国大名は何でも一人で決めていたと思われがちですが、ほとんどが家臣を集めて談合で方針を決めていたんですよ。
武田信玄も毛利元就もカリスマが凄く高かっただけで、皆が臣従して決まっていっただけで決して一人で決めていた訳ではないのです。
それは信秀や信長も同じであり、当主一人では何も決められない。
家臣一同で行われる評定で決まっていたのです。
これが日本の伝統である『ザ・談合』なのです。