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信長ちゃんの真実 ~間違って育った信長を私好みに再教育します~  作者: 牛一/冬星明
第3章「元親様も教育します。えっ、どうして世界が攻めてくるの?」
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16.尾張も海部一族の末裔だよ。

絶景かな、絶景かな!

着物を少しまくって股の下から天の橋立を覗き込む。

文珠山の飛龍観『股のぞき』だ。

天と地が逆さになり、天から龍が舞い降りる様に見えると言う。


「そんなはしたないことしないわよ」

「お姉様、申し訳ありません」

「北条ちゃんだけでもやってみない」

「申し訳ありません」


藤八らは皆やってくれたが女性陣には受けが悪い、北条の方が気にしているのは天の橋立より周りを取り囲んでいる一色の兵であった。


「気になるなら排除しようか?」

「やめなさい。今度は一色と騒動になるわよ」

「見ているだけで何もしてこないならこのままで良いと存じます」

「帰蝶ちゃんがそう言うなら、それでいいか!」


私ら順調に若狭街道を西に小浜から舞鶴(田辺)を移動した。

舞鶴(田辺)は丹後加佐郡に入り、若狭武田が一色家から奪い取った土地である。

若狭は8万6,000石という小領主であり、大国の朝倉と浅井に接していた。

隣の高島郡でも7万石もあり、守護国と言うにはささやかであった。

つまり、取りやすい丹後の国を併合して対抗しようと考えた訳だ。

丹後の国は18万石。

合わせてれば、26万6,000石と十分と言わないが気持ち程度に落ち着ける。

だが、そんな若狭武田の思惑に丹後の守護一色が付き合う訳もない。

加佐郡を奪えたが、由良川を挟んで一色家は抵抗を続けていた。

丹後半島は山が多すぎるのよね。


若狭武田と丹後一色は由良川の上流にある普甲道の普甲峠を挟んで戦を続けている。

ここを抜かれると宮津湾に突入できる。

一色家も必至だ。

ここを任された若狭栗屋光若・白井光胤らは私らが到着すると歓迎してくれた。


「援軍、心より歓迎致します」

「ただの観光です」

「観光とは、中国『易経』の『国の光を観る、もって王に賓たるに利し』ですな。なるほど、武田と織田の同盟によって、この光で一色家を下す訳でございますな」


妙に博学なおっちゃんだった。

違います。

ただ、神社や寺を見て回るだけの物見遊山です。


「あははは、流石、織田の鬼殿は違う。物見遊山で一色を蹴散らせてくれるとは心強い」

「まったく、まったく、わずか5人で山頂まで達したとか、宮津が落ちたも同然ですな」

「ささやかですが宴会の準備をしております」


何を言っても都合よく解釈するおっさんに疲れた。

放置だ、放置。

私らは舞鶴(田辺)を観光するだけだ。

日によって人数が変わることに首を傾げているが、説明する必要もない。

妖しの術とか勝手に解釈している。

そして、目的の天の橋立を見せようと、千代女、帰蝶、北条の方を誘って大所帯で普甲峠を越えた。

もちろん、若狭武田の軍はご遠慮だ。


由良川周辺に結集し、『イザぁ、鎌倉』と攻め込む時を待っている。

一色の兵はこちらに接触せずに様子を伺っている。


「一色からすれば、一ヶ月ほど前から織田の援軍が来ると脅され続けた訳だ。それで来たのが女、子供連れの一団だから戸惑っているのだろうな」

「藤八達の活躍が知れているのかもしれないわよ」

「えへんなのです」

「えへへへ」


聖徳太子も小さい童子を両脇に仕えさせている。

丹後は聖徳太子の母である用明天皇の后の穴穂部間人皇后が、蘇我・物部の戦乱から逃れ住んだ(ゆかり)の土地だった。

古代では、丹後と言えば、鬼の住む地だ。

その鬼の住む地に避難して来たのを見れば、蘇我稲目の娘から生まれた穴穂部間人皇后が頼ったのが丹後だよ。


この意味、判るかな?


「はい、弥三郎君」

「えっと、その安全だから」

「もう一声。はい、藤八君」

「丹後が蘇我氏に味方していたのです」

「正解」

「えへんなのです」


正確には、丹後、若狭、越前の日本海連合が蘇我氏に味方していた。

新羅と交易をしていた海部(あまべ)一族の支配地だったからなのよ。

その支配地は南下して、近江・尾張・伊勢に伸びていた。


「ほぉ、蘇我氏はそれほど絶大な勢力を持っていたのか」

「それは違います。海部一族と蘇我氏は別のモノよ」


海部一族は言うなれば、伊邪那美命(いざなみのみこと)を祖先とする鬼の一族だ。

そして、蘇我氏の祖先である天から降りてきた天女は羽衣を奪われて天に帰れなくなった。

天に帰れなくなり、天女は老夫婦の元で暮らす。

天女は一杯飲めば万病に効く酒を造り、機織りも教えた。

それで老夫婦が豊かになると、『おまえは我が子ではない』と言われて追い出された。

天女は嘆き、比治の里を彷徨った末に船木(現京丹後市弥栄町船木)の里に至った。

丹後の民は天女を匿い、安住の地を与えた。

その末裔が蘇我氏だ。


「と言う訳で、天女を祀った『籠神社(このじんじゃ)』へと向かいます」


海岸まで来た私は四次元ポケットから船を取り出した。

遠くから取り巻いている一色の兵達から『うおぉぉぉ』という驚きの声が上がっていた。

この時代の橋で渡れるくらいに接近していない。

河口の一部は切れており、船で渡るしか橋立に行く術がないのだ。

向こうもそれを承知で舟を一艘も残していない。

突然に現れた船に驚くのも当然だった。

私達は櫓を漕いで橋立に渡ってゆく。

私は軽く一色の兵に手を振った。


「あまり挑発すると暴発するわよ」

「千代女ちゃんは心配症だね」

「あんたが暢気すぎるのよ」


兵のみなさんが阿蘇湾(阿蘇海)を迂回してゆくのが見える。

舟を隠したことが仇になったね。

などと考えている間に橋立の到着だ。


「忍様、どうしてこのような橋立ができたのでしょうか?」

「よろしい、教えて上げましょう」


伊邪那美命(いざなみのみこと)は天に通おうと梯子を造られたのよ。

それゆえに天に掛ける橋で『天の橋立』と名付けられた。

しかし、寝ている間にその梯子が倒れて、今のようになった。


「おぉ、神様が造られたのですか」

「凄いのです」

「いい加減な事を言っているわ」

「千代女ちゃん、これは平安の『丹後国風土記』に書かれているからいい加減じゃありません」


実際、地理学的にどうして天の橋立が出来たのかは謎なのよね。

野田川から流れる土砂が溜まったにしては不自然よね。

丹後半島にある河川から流れ出る土砂が供給されたのは判るけど、そんな都合良く海流が流れており、それが何千年も続いている。

不思議としか言いようがないわ。


この天の橋立の根元、久志の浜の近くに籠神社(このじんじゃ)が造られた。

ここの神様は第21代雄略天皇の御代に夢に天照大御神が現れ、「我が御饌都神である等由気大神を連れてきてほしい」と言われて伊勢に行かれた。

それが伊勢の外宮(豊受大神宮)の始まりだ。


伊勢神宮を作った垂仁天皇、その500年後の雄略天皇は共に丹後に近い。

つまり、海部一族の支配地から出た天皇だった訳だ。

私は尾張、近江、越前、若狭、丹後と海部一族の地を巡ってきたことになる。


「ねぇ、千代女ちゃん、丹後も織田の同盟に入れた方がいいかな?」

「何、馬鹿なことを言っているの!」

「馬鹿かな?」

「一色を味方にしたら、尼子が山名に攻める時に援軍を要請してくるわよ」

「それは面倒ね」


織田と尼子は隠れ同盟中だ。

もう忘れている方もいるかもしれないが、私は尼子の姫という設定だった。

中国地方では尼子・大内・毛利の戦いが続き、その東側に山名が因幡・但馬で抵抗している。

丹後を手に入れると背後を襲って欲しいと言われかねない。


尼子が先進的な大名なら率先して力を貸して統一させればいいが、私の力を巧く利用したい方が多いような気がする。

織田が東日本の調略が終わるまで近づくのは止めよう。

西進はここまで!

丹後から丹波を抜けて畿内に変えるか。


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