8.私は尾張にちょっとだけ帰ってきたの事。
尾張の熱田の西には出島という埋め立て地があり、甲賀・柳生・飯母呂の居住区があった。その中で川原者と呼ばれる家も持たない者の中でも親がいない子供を引き取って共同生活する場所として建てられたのが川原寮であった。
この河原寮には甲賀・柳生・伊賀・飯母呂の両親が仕事で不在の者が住むようになると、本格的な学習要綱が作られて、読み書きそろばんに加えて、数学・物理・化学・歴史を教えた。しかし、今は医学・植物・農業・漁業・建築・水産・経済まで教えている。
今では小・中・高学校から大学まで入り混じった川原学校という学問所になっていた。
問題は教師なんだ。
読み書きそろばんの授業が終わると、みんな好き勝手に教え始める。
今日は曲直瀬 道三が保険体育の授業と言っていい、風邪の予防に対するうがいや手洗いの重要性を教えていた。
「先生、風邪はどうして引くのですか?」
「いい質問だ」
我が意を得たりと目を輝くすと、今、研究している風邪とウイルスの違いを説明し始めたのだ。
「このインフルインザとは目に見えぬ小さな小さな虫が起こす病気であり、今まで考えられてきた呪いや病魔という霊的なものが引き起こすものではないのだ。具体的に言うならば……………」
3歳から6歳の『読み書きそろばん』を教えている子供たちにウイルスの説明をして判る訳もない。
医師であり、研究者である(曲直瀬)道三に教師の才能を求める方が最初から無理だった。
研究している漢方薬の効果と実証例を子供達に告げ、いずれは抗生物質という未知の領域に踏み込むことを説いたのだ。
ぼっ~~~~~唖然。
4歳の竹千代(後の徳川家康)は外を眺めていた。
熱弁する(曲直瀬)道三の話を聞いている生徒はいない。
だが、そんなことを気にする様子もなかった。
そして、転移ポートに多くの人が突然に現れたのだ。
はじめて生で見た竹千代は目を丸くした。
「あぁぁぁぁ、人が現れた」
「なにっ!」
「どこ、どこ?」
「あそこ」
「あっ、忍様よ」
「忍様だ! 忍様がお帰りになられた」
「忍様」
「これはいかん! 授業はこれまでとする」
そこは出島に帰還するときの転移ポートであり、大勢で戻ってくる時に利用していた。
なんと言っても私達と甲賀・伊賀・飯母呂の合同忍者部隊200人が帰還するのだ。
邪魔にならないのは、やはりここであった。
しかも甲賀と飯母呂は自陣の領地であり、伊賀の領地も隣の島まで船で10分と掛からない。
ここに戻るのが一番便利なのだ。
(曲直瀬)道三は授業を中断すると教材を片づけて教室を飛び出した。
なぜなら、私は特に何の用事もなければ、那古野の倉街の別荘に再転位して消えてしまうからだ。
私は苦渋に解放された喜びで忘れていたのだ。
◇◇◇
「私は帰って来た」
「うん、そうだな」
「ご苦労様でした。忍様」
「私、がんばったよね。宗滴と10日も一緒なんて拷問に堪えたのよ」
「はい、忍様はがんばれました」
「八瀬、甘やかすな」
「信長ちゃんと10日も会えなかったのよ」
「知るか!」
敦賀を見学した後に劔神社(織田神社)に行くのは予定通りだったけど、転移でちゃちゃと行くつもりだったのよ。
飛んだハプニングで宗滴と一緒に寝泊まりすることになった。
信長ちゃんに会えないわ!
布団を出すこともできない。
せめて、慶次様を抱きしめて寝ようと思ったら拒絶された。
「当たり前だ」
ガマガエルとお預けの二重地獄だったのよ。
判るでしょう、私の辛さが!
「判らん」
帰りは海岸に自前のヨットを用意して慶次様と宗厳様の操舵で一気に敦賀まで帰った。
「夜通し操舵する俺達を無視して寝ていただろう」
荒波の一部を転移で排除して、なるべくスムーズに操舵できるようにしていたわ!
主にAIちゃんがね。
“はい、がんばりました”
一晩中、操舵していた二人を気遣ってか、宗滴は一泊とか言ったけど無視して旅立った訳だ。
私は信長ちゃんに一刻も早く会いたかった。
Noモア、宗滴だ。
もちろん、途中で忍者隊を拾ったよ。
雪の真ん中に放置はしない。
「忘れ掛けていただろう」
めんちゃい!
「可愛くいっても駄目だからな」
実はお土産だけ、藤吉郎に渡してある。
慶次様に言われて、もう一度、忍者隊を拾いに戻ったのだ。
はっははは、ちょっとしたミスだね。
「忍様」
「なに、八瀬ちゃん」
「来ました」
しまった!
感動でしている間に面倒な奴らが大勢やってきたよ。
「忍様、お聞きしたいことが!」×20人
昼までだよ。
私はゴロゴロしたいんだ!
◇◇◇
何でも私に聞けば判ると思っているのか!<怒>
判んないよ。
教師連中(各分野の専門家)を相手していると、外で子供達が大人しく待っていた。
「はい、今日はここまで」
「忍様、まだ昼には」
「昼になったら修行や家の手伝いとかで帰る子もいるでしょう。先に相手させて!」
「忍様~~~!」
「明日は昼から時間を取って上げるわ」
そう言って教師連中を宥めるとみんなと手を繋いで移動する。
「飴玉が欲しい人が手を上げて」
「「「「「「は~い」」」」」」
みんな可愛い、私はこれを求めていたのだ。
そう、天国だ。
大広間には畳が引いてあり、みんなゴロゴロできるスペースがあった。
子供達のマイブームがちゃんばら時代劇だ。
男の子も女の子も悪人をばっさばっさと倒すのが大好きなのだ。
期待に応えて、AIちゃんが映し出す映像を子供達が見て楽しんだ。
「俺としては子〇れ狼の方が好きだがな!」
慶次様は本格的な果たし合いがある時代劇の方が好きらしい。
でも、そういいながらしっかり見ている。
「僕は大きくなった忍様と一緒に悪人を退治するんだ」
「私も」
「おいらも」
あぁ、愛を感じる。
幸せだ。
君達の未来を守ってみせるよ。
◇◇◇
翌日、信長ちゃんエキスを補充し、ゴロゴロも満喫した私が元気一杯になって昼からやってきた。
昨日に続き、質問責めだ。
判らん。
宇宙脱出速度と軌道計算?
私に聞かないで!
その話は固形燃料が作れるようになってからでいいでしょう。
えっ、天体観測で必要だからどうしても欲しいって!
理科系は私の得意分野じゃないのよ。
AIちゃんは判る?
“資料不足ですが、ビデオなど再検証し、代用できる資料を作成します”
お願いするよ。
取りあえず保留だ。
栽培や畜産の事は何を聞かれても、もっとさっぱり判らん。
酵母の菌をどうやって管理したとかもビデオで一緒に確認する以上の事はアドバイスも出来んぞ。
私に聞けば、答えが返ってくるとか思わないでよ。
そして、最後に曲直瀬 道三が待っていた。
◇◇◇
えっ、甲斐の奇病ですか!
これはテレビの特集で見たことある。
江戸、明治、大正、昭和に掛けて研究されたことだから覚えていた。
甲斐の国には、昔から古い風土病が残っていた。
その名を『日本住血吸虫症』と言う。
「治療法もあるのですか?」
「特効薬プラジカンテルがあるけど、製造はちょっと無理」
分子式はC19H24N2O2だ。
つまり、原料は炭素と水素と窒素と酸素だ。
理屈が判れば、モデリングで製造できないこともなさそうだけど、製造過程がまったく判らないから製造もできそうもない。
「原因も簡単」
「原因を取り除けば、撲滅できる訳ですね」
「理屈的にはそうなるね!」
(曲直瀬)道三は身を乗り出した。
甲斐の患者の事を手紙で知って何とかしたいと思っていたのだ。
その熱意には感動を覚える。
「殻の高さ7mm、幅2.5mmほどのミヤイリガイ(宮入貝)が原因よ。この貝が寄生虫を運び、人に感染させる。この貝を撲滅すれば、患者は生まれなくなるよ」
「なるほど、手紙にそう返事を書いておきます」
「うん、それがいいわ」
「そうします」
「それと、子供が水場に近づけさせない。川遊びを禁じることでかなり防げるハズよ」
「なるほど、その寄生虫を持つ貝は水場を好む訳ですな」
うん、やはり(曲直瀬)道三は本質が判っている。
おそらく、道三の手紙を取った医師は、ミヤイリガイ(宮入貝)の生息域を調べて絶望することになる。
水田、溝、小川、家の湿った水場など、ありとあらゆる所に生息している。
気が遠くなるほど広大な敷地面積に生息したいるのだ。
「この病気は患者から患者へは感染しない。だから、患者を隔離しても意味はない。尾張に連れてくるなら治療して上げると言っておきなさい」
「判りました。もし可能なら忍様が………」
「それは無理。今はまだ無理よ」
「すみません。出過ぎました」
私が治療に行くのは簡単だ。
治療した結果、私に感謝が集まる。
そんな背信者を信玄が許す訳がない。
奇病で殺されるか、信玄に殺されるか?
どちらの生存率が高いのか明らかだった。
「そんな暗い顔をしない。武田が同盟国になるか、降伏すれば、堂々と治療に行ける。もしかすれば、明日でも同盟国になるかもしれない。そうでしょう!」
「確かにそうです」
「甲斐の人たちを見捨てるつもりはない。もう少し耐えなさい。100年も待たせないわ」
甲斐の人達は根気強い。
日本住血吸虫症との戦いを100年も掛けて撲滅したのだ。
気の遠くなる話だ。
甲斐の人間は粘り強い。
甲斐の武田信玄、粘り強くて厄介よね!