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信長ちゃんの真実 ~間違って育った信長を私好みに再教育します~  作者: 牛一/冬星明
第3章「元親様も教育します。えっ、どうして世界が攻めてくるの?」
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6.人身御供の馬野彦右エ門の事。

朝倉宗滴に招かれて、敦賀湊を視察してから金ヶ崎城に招いて貰って宴会となっていた。


剣術・丈術を交わした若き剣士たちに慶次様・宗厳様が取り囲まれていた。


一方、私と八瀬ちゃんは宗滴の爺さんから接待を受けていた。


美味しい海の幸が並んでいた。


それを摘みながら秋の約束ごとの確認をしていた。


「織田の船が敦賀湊に寄港するのは問題なしですね」

「そういうことになる」

「では、勝手に湊を拡張させて頂きます」

「好きにして結構だ」

「もっと嫌がるかと思っていました」

「嫌がっておった。織田が勝手に普請をして湊を拡張するなど、朝倉の恥じゃと拗ねておった。いくら拗ねてもない袖は振れん。しかも拡張しておいて免税特権を求めん。織田が勝手に作った物からも税が貰える。金のない朝倉にとってありがたい。織田の狙いは判っておるが、これほど巧い話を蹴るのは損だと説いてやったわ」

「ご迷惑かけました」

「まだ、道の拡張はウンと言っておらん」

「勝手にやらせて貰います」

「あぁ、好きにするがいい。敦賀郡司として押さえておく」

「拙いことになりませんか?」

「仕方あるまい」


う~ん、宗滴が郡司を止められると厄介そうだ。

敦賀は自由湊でないと意味がない。


「いっそ、朝倉領の街道を全部整備してみますか」

「許可もなく、そんなことができるのか?」

「私の黒鍬衆の実力も知らしめた方がいいでしょう。それに村や町の人も助かるでしょう」

「では、そのときはお願いしよう。さて、難しい話はここまでだ。さぁ、さぁ、まずは一献如何か!」

「それは遠慮します」


でも、私も慶次様も八瀬ちゃんもお酒は呑まないし、呑ませない。


これは私の意思だ。


『お酒は20歳になってから!』


これは那古野で竹姫目録と呼ばれているけど、条文化されていないし罰則もない。


でも、口々に言われる言葉は、『竹姫のご不評を買う』と言うと誰も奨めなくなる魔法の言葉らしい。


私はいったい、みんなからどんな風に思われているんだ?


ともかく、下戸の信長ちゃんが酒を断る定型句になっている。


でも、慶次様はたいへん不満そうだ。


いやぁ、日本海は海の幸が旨いね。


若狭は古くから朝廷に塩や海産物等を納める「御食国」として有名であり、角鹿(つぬが)(敦賀)の塩が献上されていたという。


宗滴は尾張で食べた刺身を出してきた。


「おみやげに醤油を持ってきたけど、それでよかったかな?」

「忝い。そろそろ切れそうであった」

「喜んで貰って嬉しいよ」


刺身の歴史は古そうで、万葉集(8世紀)に「醤酢にひるき合てて鯛願う」と書かれている。

飛鳥の宮や平城京では難しいが、難波の宮では頂いていたようだ。


また、京都吉田神社の神官であった鈴鹿家の『鈴鹿家記』に応永6年(1399年)6月10日条に“指身 鯉、イリ酒、ワサビ”を生で食べたと記録が残っている。


でも、漁村に近い一部の風習に過ぎない。


美味しそうに食べる者と罰ゲームのように食べる者で分かれているのを見れば判る。


日持ちがしないこと、寄生虫が存在すること、フグなどの毒を持つ魚がいることが原因だ。


「生で食べるなど、畜生の真似ができるか」


そう言って食わず嫌いの家臣もいる。


鮮度がいい内に魚の内臓を処理すれば、サバ、サケ、アジ、イカ、イワシ、サンマなどに幼虫が寄生する寄生虫はほぼ排除できる。


怖い寄生虫のアニサキスは日本海ではほとんど見られない。


だからか、昔から日本海、特に北九州で魚の生食が盛んなようだ。


一方、川魚を生で食べるなんてことは絶対にない。


マジで川魚は寄生虫が恐ろしい。


山育ちと海岸に近い出身の差がモロに現れる。


実に面白い。


 ◇◇◇


「頼む。殿に合わせてくれ!」

「諦めろ! 東浦の阿曽は敦賀郡司の管轄ではない」

「そんなことは判っている。だが、代官様に言って頂きたい。このままでは馬野彦右エ門の首が刎ねられてしまう」


私が寝所から出てくると何やら外が騒がしかった。

どうやら東浦の武士が宗滴に助けを求めに来たようだ。

本来、関わるべきことではないのだろうが、首が飛ぶとか穏やかでない。

検索すると気になる記述もあったしね。


「東浦というのは、ここより北の海岸のことかな?」

「これは竹姫様、お騒がせてして申し訳ない」

「それはいい。馬野彦右エ門はどんな悪いことをして捕まったのかな?」

「何も悪いことはしておりません。彦右エ門は働き者のいい奴です」

「悪いことをしないのに捕まったのかい?」

「東浦の阿曽は塩造りを商いにしておりました。しかし、藻塩焼(もしおや)く木々が減って、塩造りもままならなくなってきたのです。然れど、宮様への奉納品も出来ないのでは大変なことになります。村人は代官が管理する山の木を切って塩を作ったのです」

「代官の管理する木を切るのは駄目なのか?」

「いいえ、商い用に代官の木々を切るのは禁止されておりますが、奉納品の分には問題ありません」

「でも、それを認めなかったという所か!」

「はい、村人は奉納品以外の木々は切っていないと言ってのですが信じて貰えず、本当のことを言わねば、村人の首を一人ずつ刈ってゆくと言ったので、彦右エ門が勝手に山に入って木を切ったと申したのです」


自供したとなると厄介だ。

でも、助けて上げるなんて迂闊なことは言えない。


景紀(かげとし)(宗滴の養子)さん、言い忘れていたけど、織田神社を参拝しようと思うの。準備して貰えるかしら?」

「織田神社でございますか?」

「去年の戦勝報告に行きたいのよ」

「なるほど! しかし、この雪道では1日に行くことは無理ですな」

「そうね、1泊目は東浦の阿曽で泊めて頂きましょう」

「畏まりました。急ぎ、準備を致しましょう」

「宗滴の爺さんはどうするのかな? 城でお留守番かな?」

「留守番は私でしょう。竹姫は行かれるのであれば、父上も付いていかれましょう」

「だそうよ」

「ありがとうございます」


私はお参りにゆくだけよ。

ホントにね!


 ◇◇◇


東浦の阿曽の代官はびっくりこいた。

突然の先触れ、宗滴様がいらっしゃり、馬野彦右エ門に問いたいことがあると言うのだから肝を冷やした。


私達は馬に乗って街道を北に進んだ。

例によって、慶次様がたずなを取る馬の後に乗っている。


後から慶次様をじゅっと抱きしめる。


役得、役得だ。


「で、どんな悪代官が待っているんだ」

「悪代官かどうかも知らないよ」

「者ども!であえ、であえーと抵抗してくれると楽しいんだがな!?」

「期待しない方はいいだろうね」

「慶次、それは無理だ」

「やっぱり、宗滴の爺さんがいるせいか」

「違う。代官所の役人は10人くらい、みんな文官でお主の相手にならん」

「つまらん、つまらん」


そう言いながら到着すると、護衛の人とさっそく手合せしていた。


ホント、楽しむのが上手だ。


さて、代官が客間に馬野彦右エ門を呼んで来させた。


「馬野彦右エ門、面を上げ!」

「こちらにおわすのは、朝倉 宗滴(あさくら そうてき)様じゃ。お主も名前くらいは聞いておろう」

「はぁ」


上げた頭をもう一度降ろした。


「代官の管理する木を切ったのは誠か!」

「はい、私が伐りました」

「村人達からお主を助けて欲しいという嘆願書が出ておる」

「宗滴様」

「安心しろ! 許すつもりは毛頭ない」


宗滴の爺さんがそういうと代官が安堵したような顔をする。

自分が決めたことを覆されたのでは面子が潰れてしまうからだよね。

たぶん。

宗滴の爺さんが懐から書物を一冊取り出して放り投げた。


「植林という山に木々を蘇らせる方法が書かれておる。これを読み解き、山を甦らせよ。それをお主の罰とする」

「宗滴様、それは罰というには生易しい」

「黙れ! どこが生易しい。苗から育てて、1本の木になるまで50年を要する。すべての山を歩いて足をすり減らさねばならん。生半可なことではない。残り半生をすべて捧げて貰うのだ。死ぬより辛いかもしれん」

「では、代官にはこれをあげましょう」


私は揚げ浜式塩田・入浜式塩田・流下式塩田が書かれた冊子を出した。


能登塩田は慶長元年(一五九六年)谷内浜からはじまったと伝わっている。

入浜式塩田は17世紀半ばに瀬戸内海ではじまり、流下式塩田は明治になってからだ。


でも、今更だ。


さらさらと読んだ宗滴の爺さんが溜息を付く。


「植林といい、また、貴重なものを惜しげもなく」

「気にすることはないわ。織田も尼子もすでにやっている生産法よ。いずれ知れ渡るのも時間の問題よ。急がないと他がやっちゃうわよ」

「儂の方から隣の村に木々を切り出せるように手紙を書いておく、雪が解ける前に準備を終えておけ」

「畏まりました」


代官は頭と下げた。


これでめでたし、めでたし!


馬塚も作られることがなくなっ………あれ、ちょっとおかしい?


もう一度検索して気が付いたけど、馬野彦右エ門が殺されて馬塚になる話が少しおかしいぞ。


だって、東浦の阿曽の伝承では、すでに揚げ浜式塩田用に薪が足りなくて、代官が管理する山の木を切ったと書いてある。


時代が合わない。


「あの、馬野彦右エ門を打ち首にするつもりだったんですよね?」

「ははは、そんなつもりは最初からありません」


えっ、違ったの?


何でも若狭の方で安い塩が出回りはじめたので、村人が無理をして藻塩焼で塩を造り続け、山が荒れてきたので村人らの頭を冷やそうと脅したそうだ。


そこで馬野彦右エ門は私が犯人と名乗り出たので縄を打った。


お人好しの困った奴だと笑っている。


馬野彦右エ門を拘束し続けるのも、一度冷静にさせる為だと言う。

実際、彦右エ門を助ける為に村人らは何度も代官所に足を運んでいる。

話し合いを持つきっかけにはなっていたらしい。

でも、根本的な解決策もなく、中々に頭が冷えないので困っていたそうだ。


「お手数をお掛けして申し訳ございません」

「ふふふ、構わん。こちらとしては大儲けだ。しかし、竹姫が言ったように若狭は尼子辺りからその技術を盗んで来たのかもしれんな」

「かもしれません。植林と合わせて、大切に育ててゆきます」

「うむ、頼む」


どうやら、伝承に残る人身御供で馬塚になる“馬野彦右エ門”は、ここにいるお人良しの子孫のようだ。


糞ぉ、完全に勘違いか。


宗滴も景紀も代官の性格を知っていたんじゃないの?


騙された。


なんか、ちくしょう!


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