4.冬の湖北は行軍なんてできませんの事。
「ぐずん、忍様、転移する時は一緒に連れて行って下さい」
真っ白な忍者着を身に纏い、スラリとしたスタイルに幼顔の飯母呂の下忍の瓢 八瀬が私に懇願してきた。
こらぁ、私の八瀬ちゃんにこんな過酷な任務を言い付けたのは誰じゃ!
「自分で志願したので怒らないで下さい」
「付いて来たいなら言いなさい。一緒に連れていってあげるからさ」
「ありがとうございます。でも、私は下忍ですから世を忍んで………」
「八瀬ちゃんは私の妹みたいなもんだから甘えなさい」
「ありがとうございます」
茂賀山城主の小林宗正の部下に船を出して貰い、今浜(後の長浜)に到着すると、京極 高延の使者で藤堂 虎高が待ち受けていた。
流石、高虎のおとっちゃんだ。
いい勘している。
でも、京極氏上平館に行く訳ないだろう。
関ヶ原を出てすぐ北の向かった伊吹山の麓ですよ。
戻ることになっちゃうじゃないですか?
浅井と京極は一応争っている。
一応というのは、滅ぼすのは簡単だけど主家を滅ぼすのは体裁が悪い。
六角家の所に弟の高吉をお世話になっているので、(浅井)久政も手が出せないだけなんだよ。
しかも当主は将軍宣下で上洛中で本人は不在だ。
近日中に戻るから待って頂きたいとか!
待つ訳ねいだろ。<怒>
『虎高さん、一族を連れて尾張に来るなら、3000貫(三千石相当)で召し抱えて上げるよ』
『某に3000貫ですか?』
『あなたとあなたの家族、家臣を含めてね』
高虎がGETできるなら安いもんだ。
まぁ、京極家に御恩もあるから今すぐは無理らしいけど、気が向いたら来るように言って別れた。
京極が接触したとあって、赤尾 清綱、海北 綱親、雨森 清貞、磯野 員昌、阿閉 貞征、宮部 清潤がこぞって会いに来たんでうっとしくなって逃げた。
みんな、織田家が浅井家に付くのか、京極家を支援するのかが気になって仕方ない。
『北近江は六角のもんだから手を出す気はない』
そう言ったら、みんな嫌そうな顔をした。
みんな好きにすればいいよ。
北近江が浅井家であろうと、六角家であろうとどちらでもいいんだ。
『それでは織田目録を受け入れれば、浅井家に味方して頂ける訳ですか?』
『六角も受けると言っているから、六角と敵対することはない』
浅井にはそう言ったが、これは嘘だ!
内々に受け入れると言っているのは、当主の(六角)定頼のみであって、嫡男の義賢と重臣の説得が済んでいない。
しかし、『六角氏の両藤』(後藤 賢豊、進藤 貞治)が賛同している。
後藤賢豊の妹は蒲生賢秀正室なので、六角六宿老の内、三人は賛成してくれるそうだ。
ちょっと、素直過ぎて怖いぞ!
六角は味方と言って問題ないのだが、嫡男の義賢と後藤賢豊の相性の悪さが少し気になる。
(六角)義賢が尾張に来たときは昨年の10月であり、三好が反撃を開始する前であった。
その家臣に紛れて、お忍びで(六角)定頼と両藤の当主である 賢豊と貞治を伴って来た。
せっかくだから西洋風(総石造り)の外観を持つ西の要のキャメロット城(伽爻陸斗城)でお泊り頂いた。
キャメロット城は長島の一向宗を威嚇する為の城であるのと同時に、今後来るであろう異国の船を威嚇する為に城であり、軍港を兼ねてある。
戦列1番艦『ジパング』の母港として係留している。
弥富湊は津島衆の港街が併設しているので、外国の船を熱田に行かせることはない。
接待役は城主である弟の信勝が行った。
恫喝とサービスを兼ねて、海に向けて鉄砲と大砲と迫撃砲の試射をご自分達でやって頂いた。
(六角)定頼と両藤主は魂が抜かれるほどびっくりしていたが、嫡男の義賢は目をギラつかせたようだ。
『六角でも直ちに同じ物を作らせよ!』
付き添いの家臣を困らせていた。
『ははは、これさえあれば、六角の天下も夢でないぞ!』
大砲や迫撃砲で六角が敵を攻め滅ぼす風景に酔っている感じだったそうだ。
申し付ければ、すぐにでもできると勘違いしたのだろう。
そんな訳ないぞ!
嫡男の義賢は前将軍の代理で戦勝祝いに来てくれたから最上級のおもてなしをされたことで(酒に酔って)上機嫌だった。
そんな思慮が浅い所が、嫡男の義賢を中心に六角のお家騒動に発展する可能性が残されている。
織田目録を受け入れるって事は、六角家が織田家に臣従するのに等しい行為なんだ。
六角家としてのプライドから反対する家臣が多そうだ。
(六角)定頼の手腕が試されるね。
ともかく、浅井家の家臣がうるさく付きまとうので宿に泊まると、早朝から転移で撒いた。
その日は湖北十ケ寺と呼ばれる福田寺、福勝寺、順慶寺、金光寺、浄願寺、箕浦誓願寺、真宗寺、称名寺、内保誓願寺、授法寺と湖北の仏と呼ばれているのが、医王寺、赤後寺、安念寺、観音寺、正妙寺、西野薬師堂を巡った。
湖北十ケ寺は織田と浅井の戦いで壊滅するので、壊される前の寺を拝観できるのは今しかないのだ。
(現存するのは、秀吉の時代に徐々に復興されたものになる)
お参りをして帰る頃に、浅井の家臣にお出迎えされるからイタチごっこだったりする。
逃げるように道を曲がった所ですばやく転移する。
その内、一々あいさつするのも面倒になった。
「織田の竹姫である。無理を通して拝観させて頂く!」
遠巻きに囲んでくる僧兵を無視して勝手拝観だ。
血の気の多い僧兵は慶次様が相手をしてくれる。
「ほれぇ、相手になってやる。腕に自信がある奴は掛かって来い」
「勝手に入って来て、何たる無礼。ただではすまさん」
「口上はいいから、さっさとしな!」
なんか、道場破りみたいになってきた。
力自慢で襲って僧兵をいなし、足を払って転がすと、(カバーの付いたままの)槍先を相手に向ける。
向こうは真剣なのに、慶次様は楽しそうだ。
頭にきた僧兵が一斉に取り囲む。
「遅い、遅い、こんなのではいくさで役に立たんぞ」
「おのれ!」
「拝観が終わった頃には終わっているでしょう」
「そうみたいだね」
私の警護は宗厳様だから問題ない。
奈良の興福寺でも寄ってあげよう。
僧宝蔵院覚禅房胤栄(26歳)が現存している筈だ。
宝蔵院流槍術の創始者だからね。
慶次様も楽しめるだろう。
帰り際に住職に拝観料の300貫を渡して、勝手拝観を詫びて後にする。
町の人々が勝手に騒いでいると言う。
『衣浦の赤鬼様は僧侶を叩きのめしたそうだ』
『胸がすっきりした』
『うちも去年、土地を取られたからな』
『僧同士で暴れ、好き放題じゃからな』
『身ぐるみ剥がす鬼以下じゃ』
『赤鬼様は大層怒ったそうだ』
『いいきみだ』
私が僧侶の横暴を正していると噂されたそうだ。
そんなことしていませんよ。
ただ、歴史的な建造物をビデオに録画しているだけですよ。
私を追って浅井の家臣も走り回った。
寺もかき回された。
でも、一番に慌てたのは甲賀・伊賀・飯母呂の忍者達だった。
行先を告げてあったので追い駆けてきた。
「すでに、忍様は次の寺に向われました」
「なにぃ!?」
「どうする?」
「次を追っても間に合わぬ。次の次に向かうぞ」
「「「おうぉ」」」
到着すると忍様の背中を見た瞬間に次に飛んで消えた。
ぐわぁ、絶叫する親方!
「とにかく、追うぞ!」
雪上の中を道なき道をショートカットして私を追ったらしい。
新雪の上を全力疾走の100kmマラソンだ。
雪の上を行軍なんて無茶だよ。
ベテランも新人も精根尽き果てて真っ白になった。
私を見つけた八瀬は疲労困憊でふらふらで今にも倒れそうになりながら、私に抱き付いて泣きながら懇願した。
「悪かった。私が悪かった」
みんなで尾張に帰って、明日はお休みにしよう。
◇◇◇
比叡山は延暦寺の天台座主の覚恕が各地からの手紙を読んで青ざめていた。
「いかがなされましたか?」
「直ちに僧兵を集めよ」
「鬼じゃ! 織田が召喚した『第六天魔王』に違いない」
「覚恕様!」
「これを読んでみよ」
大僧正らが覚恕から渡された手紙を読んだ。
織田の竹姫の悪逆非道が書き示されてあった。
「由々しき事態でございますな」
「直ちに織田の抗議を行います」
「待て、よく読んでみよ。竹姫はすべての寺に300貫を寄進しておる。ただ、闇雲に暴れた訳ではない」
「なるほど、確かに」
「だが、恐ろしきことは所業そのものではない。その日付をよく見よ」
送られてきた手紙の日付はすべて違います。
別におかしな所はございません。
しかし、一人の僧が見付けたのです。
「書いた日付ではございません。竹姫が暴れた日付をご覧下さい」
「何、暴れた日付だと?」
大僧正らがもう一度確かめてゆくと、手が震えて大量の手紙をばさりと落とすのです。
「あり得ん! あり得んぞ」
「そうであろう。これは人の所業とは思えん」
今浜(長浜)の寺々から湖北の寺まですべて同じ日付なのです。
その先日には雪が降り積もり、近くの村衆が参拝するのも難儀な時期です。
これでは鬼(竹姫)が10体以上もいた事になります。
浅井の家臣の手紙より、今浜(長浜)と湖北の竹姫(鬼)が本物であると察せられます。
「これは」
「人の所業ではございませぬ」
「竹姫が今の比叡山を見たとして如何すると思う?」
覚恕の問いに大僧正らから血の気が引いてゆくのが判りました。
「竹姫とは、かぐやの姫のつもりか?」
「ならば、祓戸大神の瀬織津比売神となるぞ」
「拙い、拙い」
大僧正らが覚恕の方を見て、ゆっくりと顔を上げます。
「第六天魔王か、瀬織津比売神かは知らん。ただ、坂本の堕落した僧を一掃せねば、比叡山がなくなるぞ」
「どうされますか?」
「まずは、僧兵を集めよ。将軍より兵も借り預かる。その上で不埒者を破門とし、内外に知らしめるしかない」
「つまり、竹姫に届くように」
覚恕が大きく頷いた。
坂本の不埒者はただの不埒者にあらず、荒くれを束ねる僧正が含まれます。
そういった悪行ができる僧の方が世渡り上手なのです。
私の知らない所で比叡山を二分する大争乱が起こっていたんだ!
八瀬らの回復に為に、私は尾張にある倉街の別宅で2~3日ほどゴロゴロする事にした。
「忍様はやさしいなのです」
「単にゴロゴロしたくなっただけでしょう」
「でも、忍様がゴロゴロしているとほっとするです」
「まぁ~ね!」
賤ヶ岳を超えると雪山で移動も大変なんだよね!
結局、休養に飽きた慶次様に勧められるまでゴロゴロし続けた。
早起きしない幸せ!




