2.浅井家の知勇兼備の謀将の事。
浅井家の当主、浅井 久政は無能とよく言われるが、そんなことはない。初代の浅井 亮政の半国守護の京極 高清と比べて華やかさがなく、息子の猿夜叉丸(後の浅井 長政)を六角定頼・義賢に人質に出して生き延びたことから評価が低くなっているだけだ。むしろ、バランス感覚に長けており、長政の代になってもその権力を残していた。
何度も言うが、武田信玄・毛利元就ですら重臣(国人・豪族の土豪の領主)達の合議がなければ、何も決められない。
合議制という縛りの上に君臨しており、意にそぐわなければ、守護であろうと、守護代であろうと『押し込め』(隠居・蟄居・追放・討伐)で排除される。
浅井 久政は北近江に攻めてきた少数の織田軍に肝を冷やしていた。
「主膳、何とかなからんか?」
「無茶を言わないで下され」
「おぬしほどの男であれば、何とかなるであろう」
浅井長政の譜代の家臣である遠藤主膳が首を振った。
「父上、いささか大げさ過ぎませんか」
「控えよ。殿の御前である」
「よい。神童と唄われるそこもとの息子であろう。喜右衛門、何なりともうせ!」
喜右衛門遠藤 直経は知勇兼備の謀将で知られることになるが、今は元服して間もない16歳の若武者であった。
「大野木土佐守の家臣の方に詳しく問い正しましたが、少数と言ってもわずか3名でございます」
「まことか!」
久政の顔に笑みが浮かびます。
土佐守は何を慌てふためいておるのかと逆に怒りを覚えるほどです。
「ただ、その3名というのが厄介です。『衣浦の赤鬼』、『鬼の柳生』、『清州の一騎駆け』の三名のようです」
久政は血の気が下がって青ざめた。
「三河20万を虐殺したという赤鬼か?」
「はい」
「筒井2万を追い返した柳生か?」
「はい」
「清州をたった一人で落とした豪の者か?」
「はい」
「どうすれば、よいのじゃ!」
「天災と思って過ぎ去るのを待つのが上策かと!」
「そんなことは判っておる。他の者が納得するか?」
「納得せんでしょうな!?」
「どうすれば、いいのじゃ!」
久政は部屋中を歩き回りながら阿波踊りのように体を捻り暴れた。
兵を出さねば、重臣らに突き上げを喰らう。
竹姫に兵を向ければ、織田と争うことになる。
悩む久政と主膳に見比べて、喜右衛門(直経)は飄々としていた。
「まさか、策はあるのか?」
「鬼道奇妙の計がございます」
「聞いたことがないのぉ」
「今、作りました」
父の主膳が首を捻った。
◇◇◇
私達は三島神社を参拝すると神主の進めで池之下村の村長の家に泊めて貰うことになる。食事はあらかじめ断ると早々に部屋の中で体を休めると言って部屋に籠った。
「いいですか? 決して開けてはいけません」
「はぁ?」
鶴の恩返しじゃないけど、扉を開けないように念を押して扉を閉めると那古野に戻った。
朝、戻ってくると、村長の家族が奇妙な顔をしている。
あぁ~、開けちゃったのね!
扉を閉めると物音1つしない部屋。
気になるよね!
そして、扉をそっと開けると誰もいない。
狐につままれたような気分でしょう。
そして、日が明けない内に慶次様と宗厳様は稽古に扉を開けて出てくるのだ。
再び、扉を開けると布団の上で私が寝ているのだ。
この時代、『布団』ほど奇妙なものはない。
衣服やむしろ(藁を編んだ物)などを巻いて寝ていた。
秀吉の時代に胴服という服に綿を詰め込んだ布団擬きが登場する。
四角い物が気になったのか、村長の子供が私の方をじっと見ていた。
確かに、雪が降るような寒い季節にむしろでは寒かろう。
囲炉裏の火だけが彼らの生命線だ。
「村長、この村には何人ほど住んでいる」
「200人ほどでございます」
「そう」
私は寝ながら布団上下100組と毛布200枚をポンと出す。
「尾張で売っている新しい商品よ。この村から広めて頂戴」
「ありがとうごぜいます」
織田家でもまだ布団は広まっていない。
コマーシャルを兼ねて、公家衆には配っておいた。
後は勝手に自慢して広めてくれるだろう。
三河で栽培された綿は那古野に持ち込まれて、衣服や布団、毛布となって販売されている。
といって、需要が追いつかないので、今出した布団と毛布は木材や綿花を取ったあとの繊維を溶かしてから繊維状に再生する再生繊維で私が作った物だ。
尾張で凍え死ぬ子がいたなんてことは許さない。
全家庭に布団を渡すと販売の妨げになるから、私が再生繊維で作った毛布を信長ちゃんに全家庭に配らせている。
むしろよりマシだろう。
他にも囲炉裏に使う豆炭を無償で配給している。
豆炭は炭より長時間(8時間)燃えてくれるので、暖を取るのに適しているからだ。
他にも伊勢、美濃、三河、遠江、信濃の各城主には、布団と毛布のセットを50組ずつ、信長ちゃんから配布させた。
城主が家臣に布団を配って自慢できる上に、信長ちゃんへの忠誠心も上がることだろう。
今年は三河全土で麻と綿花の栽培を拡大する予定だ。
朝餉を作ってくれると言うので食材を提供しておいた。
米俵や野菜が何もない所から出て来て驚いたのか、朝餉を食べていると神主があいさつに訪れた。
村長に何か聞かされたのか?
昨日とうってかわって、始終頭を下げっぱなしだった。
「いつ頃まで、ご滞在の予定でしょうか?」
「う~ん、多賀大社をお参りしてから敦賀に向かうつもりだから、今日の昼ごろには出るつもりかな?」
「そうですか、それは残念でございます。もしよろしければ、倉を解放しますので、秘蔵の品もご覧になられますかと思いましたが…………。」
「えっ、いいの?」
「竹姫がお望みになるならば」
「望む。望む。望みます」
昨日も300貫(1600万円)ほど寄付をして、無理を言って本殿のご神体を拝謁させて頂いたんだよ。
最近は世知がない世の中になったらしく、領主でもそれだけ払ってくれないらしい。
◇◇◇
私が昼過ぎに村に戻ってくると、随分と騒がしくなっていた。
「どうかした?」
「浅井の軍が攻めてきそうだ」
「どうして?」
「俺に聞かれても?」
私達を見守っている甲賀と伊賀の情報らしく、そこは間違いなさそうだ。
問題は慶次様と宗厳様ではない。
「瀬織津姫様をお助けするぞ」
「村の囲いを急げ!」
「槍をありったけ持って来い」
どうやら村を上げて、私を守るつもりらしい。
「ははは、忍はどんどん異名が増えてゆくな!」
「忍様は瀬織津姫の仮の姿だそうです」
「瀬織津姫って、天照大神の妻だった人の別称でしょう」
「遂に、天照の妻か! 伊勢神宮も回るか?」
「それはまた今度にしましょう。今、私達が出てゆく方が厄介かな?」
「おそらく、村が攻められることになるでしょう」
「迎え討つか」
「そうするしかないか」
「退屈しませんな」
慶次様は槍を振りまして浮かれていた。
◇◇◇
やって来たのは浅井の軍ではなかった。
「やあやあ我こそは! 元岩倉城主、尾張上四郡守護代平朝臣織田伊勢守七兵衛尉信安………………ここであったが100年目、先日の恨み、ここで果たさせて頂こう」
そう戦の前の口上で、元岩倉城主の信安が名乗りを上げた。
どうして、戦国時代の名前って長いよね!
兵は500人くらいと少数であった。
「俺達だけでやっちまっていいか?」
「好きにしなさい」
「やあやあ我こそは、滝川慶次郎利益、死にたくない奴は掛かってこい!」
「同じく、柳生新次郎宗厳、お相手仕る」
そう言って、慶次様と宗厳様が掛かっていった。
どちらも本気でないのがよく判る。
慶次様は槍のカバーを外さずに挑んでいるし、宗厳様は急所を一切狙っていない。
それでも二人の前から敵がばったばったと倒れてゆく、ほとんど無双状態で二つの道が開かれていった。
それでも500人を二人で捌ける訳ではない。
「忍様、本当にこのような武器でよろしいのでしょうか?」
「十分、十分、正月から流血は嫌でしょう」
「それはそうですが」
「まぁ、見ておきなさい」
そう言うと作っておいた雪玉を迫ってくる敵に放り投げた。
AIちゃん、よろしく!
“お任せ下さい”
10馬力の私が投げた雪玉はダルビッシュもびっくりの160kmを軽く超えて投げ出された。
ノーコンの私が当てられる訳もないが、相手の直前で消えて兵の胸に再出現する。
グァゴーン!
雪玉1つで派手に転倒してくれた。
「倒れた! 倒れたぞ!」
「凄い」
「凄いです。竹姫様」
第2投、第3投と投げる度に転倒してゆくのを見て、村人も大いに湧いてきたよ。
「さぁ、みんなもドンドンと投げて行こう」
おおおおぉ~~!
雪合戦なんてチ~プと思うかもしれないが然にあらず、意識のない正面に雪玉を顔面に現れると動揺を誘うには十分なのよ。
AIちゃんがすべての玉を顔面に転移してゆくから十分な牽制になった。
誰だ、雪玉に石を入れた凶悪な奴は!
5個に1個くらいは石が入っているみたい。
痛そ~う。
慶次様と宗厳様はもう信安の側まで近づいていた。
慶次様は相変わらず、豪快に兵達を弾き飛ばし、宗厳様は踊るように兵と兵の間を流れてゆく、後ろには鮮血が飛び散る負傷者だけが残されている。
どちらも殺していないが、殴られるのも、斬り裂かれるのも痛そうであった。
そんなことをやっている間に敵に本隊が現れたと思うと、信安の兵を取り囲んだ。
「竹姫様、竹姫様、竹姫様はいずこに!」
「竹姫なら私だよ」
「おぉ、ご無事でございましたかぁ! 馬上より失礼致します。すぐに殿が来られますので、少々お待ち頂きたい」
浅井家の家紋を背負った軍はどうやら敵ではなかったらしい。
浅井 久政がやって来て跪くと、一部の者が暴走したことを詫び、改めて、通行書を渡してくれた。
小谷城に来て貰えれば、改めてお詫びをしたいと申し出られたが、それは断った。
慶次様と宗厳様の暇潰しにしかならない相手で謝罪とか無用だよ。
これにて一件落着かな?
あれ?
何かおかしい?
まぁ、いいか!
◇◇◇
<時間をちょっと戻して>
喜右衛門(直経)が言った『鬼道奇妙の計』に主君の久政と父の主膳が首を捻った。
「その『鬼道奇妙の計』とは、どういう策じゃ」
「簡単に申せば、信安殿に悪役になって暴れて頂く策でございます」
「我が家を頼ってきた信安殿を騙すのか?」
「故に、鬼手の一手、鬼道でございます」
「気が進まんのぉ」
「ならば、悪評を一手に殿が受けるしかありません」
久政もそれはやりたくなかった。
竹姫に手出しをせねば、反乱の芽を植えることになる。
手を出せば、織田と六角を敵に回すことになる。
「騙すと言っても、我々は兵を集めるだけでございます。見知らぬ誰かが竹姫を討つ為に兵を集めたと噂するかもしれませんが、殿は兵を集めろとしか言ってはなりません。次に信安に抱えている傭兵500人の指揮権を明日1日のみ譲ります。そして、城内を荒らす者がいるので兵を集めておるとのみ伝えます」
信安は浅井軍が竹姫を襲うと勘違いして出陣し、勘違いした信安を久政が取り押さえるという策です。
「集まってきた兵には織田と六角を敵にまわせば、一族郎党皆殺しだろうと噂を立てておきましょう。殿が竹姫を襲うことに躊躇する者も出てくるでしょう」
「なるほど、自分で考えさせるにか!」
「さらに、わずか三人で500の兵を翻弄する強さを見せつけて頂ければ、なお、効果的でございましょう」
久政と主膳が思わず引いた。
味方が虐殺される所を見せ付けるとは、余りにも非道な策であった。
正に鬼道です。
「さらに、通行許可を求めておらぬ一行に通行書を与えるのです」
「奇妙な事を申すな」
「はい、奇妙ゆえに『奇妙の計』です」
「それに意味があるのか?」
「あります。それに反対する者は織田と六角の敵となりましょう。おそらく、反対する者もわずかでしょう。その者をみせしめとして処分なされば、六角への忠誠、織田への好意、殿の基盤の強化となります。誰もが首を傾げる奇妙な采配ですが、批判の声を上げられぬ奇妙なこととなりましょう」
さらに喜右衛門(直経)は付け加えた。
もし、信安が騙されなかった場合は傭兵を村の前に行かせるのみに留める。
つまり、手違いです。
勘違いして村を囲んだ軍を、本隊が制止する。
段取りが変わるだけで問題はないと言うのです。
「竹姫らの力を試せないのは残念なくらいですか」
そう言う喜右衛門(直経)に主君の久政と父の主膳が末恐ろしさを感じたのです。
遠藤直経がそのまま信長の元で働いていたら、どんな評価を受けたか?
身内贔屓の信長ちゃんではやっぱり無理かもしれません。
直経は信長のことを評価していた人です。
浅井家の対応の拙さが惜しい人を失くす結果になりました。
武将と秀でた長政ですが、大名としてはどうだったのでしょう。
もちろん、信長がもう少し慎重であれば、浅井家の離反や将軍の反旗も防げたのでしょうが、信長は生真面目過ぎました。
それで何度裏切られることになるのでしょうか?
実力者をもう少し大切にする度量があれば、結果は違ったでしょう。
光秀・秀吉の評価が高いですが山崎や姉川の合戦を経験した後のことであり、信長が上洛した頃の時点では遠藤直経などの方が遥かに優れた武将だったでしょう。
竹中半兵衛などは北近江に詳しく、上洛時に油断することなく、北近江の土豪などと慎重に重用していれば、その後の展開は変わっていたでしょう。
上洛戦が余り巧く行き過ぎたことで、信長も大きな落とし穴に落ちたようです。
信長は非常に繊細な人物ですが、その繊細さの裾野を広げていれば、もっと違った世界が広がったでしょう。
長政の謀反から遠藤直経という惜しい人材を失ったのです。




