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信長ちゃんの真実 ~間違って育った信長を私好みに再教育します~  作者: 牛一/冬星明
第3章「元親様も教育します。えっ、どうして世界が攻めてくるの?」
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1.関所破りの事。

関所というものがいつできたのかはよく判らない。

改新の詔〔大化2年(646年)大化の改新の方針を示す詔〕に「関塞」(せきそこ)を置くことが記されており、これが関所の初見だ。


古事記に天智天皇が死去し、大海人皇子が吉野を逃げ出すと、大友皇子(弘文天皇(こうぶんてんのう))が即位して『不破の関』に兵を送るが、すでに大海人皇子の命で美濃国の多品治によって『不破の道』は閉鎖されたと文献に現れる。他にも鈴鹿関を守る関司が大海人皇子に付いたとも残されている。


ここでは「不破の関」と「鈴鹿の関」がはっきりと残されている。


ただ、他の勢力が大和に攻めてくるのを防いだ以上の機能はない。


平安末期から鎌倉時代になると、朝廷や荘園領主や有力寺社が復興などの目的で関銭(通行税)を取るようになった。


銭ではなく、米や粟、稗などの食糧なども多かったと伝わる。


関銭(通行税)の目的は通行の安全という名目であり、有名なのが瀬戸内海の村上水軍である。海の関銭(通行税)を払って船には船頭と旗が上げられ、通行の安全を保障する。一方、海の関銭(通行税)を払わない船は水軍が海賊となって襲う。


そのバックに金毘羅さんがいた。


あまり高いと関銭を払えず、参拝客が減るので本末転倒である。

つまり、高からず、安からず、ほどほどに徴集するのがコツであった。


金毘羅さんに参拝する参拝者によってお互いに潤った訳だ。


さて、南北朝の争いで財政が困難になり、収入を確保するために各官庁に命じて内裏率分関(だいりりつぶんぜき)内裏率分所(だいりりつぶんしょ)を設置して、関銭(通行税)を強化するが、厳しい取り立てが一揆の引き金を引いた。


関の管理ができなくなった朝廷や幕府は領主を代官に据えるようになってゆく、これが領主(国人、豪族)が独自に関を設けるきっかけとなり、貴重な財源となった。


地盤が強固になっていった領主(国人、豪族)、寺社達は守護より力を持って、下克上の土台を作ってしまった訳だ。


今川義元などは肥大化する領主(国人、豪族)、寺社達の財源を奪う為に関を廃止したほどである。


信長ちゃんも関を廃止し、経済を活性化させたというけど、領主(国人、豪族)、寺社達の財源を奪う目的があった訳なのよ。


比叡山や本願寺が激しく抵抗したのは、自分達の持つ既得権益(関銭)を奪われたからだ。


そりゃ、勝手に収入をカットされれば、みんな怒るでしょう。


そこを教えないと、比叡山や本願寺がどうして激しく抵抗したのかが判らなくなっちゃうわ!


 ◇◇◇


「なぁ、忍」

「なに」

「どうして、池之下村を目指すんだ?」

「よくぞ聞いてくれました」


その瞬間、慶次様はヤバいと思ったのです。


「この湖北には沢山の寺院が残されているのよ。湖北の仏と呼ばれているのが、全長寺、安養寺、上丹生薬師堂、洞寿院があるのよ。それらを祀ったのは息長氏の末裔と言われている。古代の日本では、この湖北こそ息長氏の拠点だった。三島神社は小さな盆地の中に建てられた神社であり、息長氏の拠点と言われる土地なのよ。その神社に前に広がる三島湖は日照り対策に造られた人工湖で、比夜叉池(ひやしゃいけ)とも呼ばれている。昔、酷い日照りがこの地を襲い、三島神社を創建した佐々木秀義の乳母が神のお告げで人柱になったことで、どんな日照りでも水が枯れることがなくなったという伝説が残って、その乳母が池に沈むときに愛用の機織り機とともに沈められたと伝わっている。今でも小雨が降る日には機織りの音が聞こえると言いのよ。でも、大切なのはそこじゃない。機織りということなの!機織りはとても貴重な産業で一族の秘伝、門外不出だったわ。つまり、息長氏は機織りの技術を持つ一族だったという証拠なのよ。これって判る!」

「全然、判らん」

「もう、慶次ったら、少しは興味を持ってよ」

「宗厳もそう思うでしょう」

「そうですな! 難しいことは判りませんが、先祖が大切にしたものが残されているということですな!」

「そう、そうなのよ。三島神社を造ったのは、上丹生(かみにう)氏だと思う訳よ。彼らは木彫りが有名で、沢山の彫刻を残している。そこに彫られている武内宿禰と神功皇后の木彫りだと私は思うわ」

「ほぉ、行ったことがあるのか?」

「500年ほど未来の三島神社だけどね」

「500年先の未来ね!」

「でも、今なら創建から300年も経っていない。もっと鮮明に残っていると思うのよ。ドキドキしない」

「全然しない」

「も~う、神功皇后が息長足姫(おきながたらしひめ)だったら、古代の日本はこの湖北が中心だったという証明になるのよ。貴重な資料がまだ残っているかもしれないのに!」


慶次様も宗厳様も貴重な文化遺産という感覚を持っていない。


そりゃ、戦国時代の人間に文化財の保護なんて判る訳もない。


でも、先祖を大切に思う気持ちは現代人なんか遠く及ばないほど強く持っているから、文化財の保護という観点では、現在よりずっと大切に扱われている。


保存状態はいいハズだ。


「忍、関所が見えてきたぞ」


関所?


 ◇◇◇


「どうして、こんな所にあるの?」

「そりゃ、領主が関銭(通行税)を取る為だろう」

「それは判っているわよ。でも、通行の安全を保障する為に通行税を取っているんでしょう。さっきの盗賊は何?」

「俺に聞かれても知らん」

「領主は領主で他の事に忙しいのかもしれませんな」

「ここの領主って、誰かな?」

「天野川流域の土豪と言えば、岩脇(いおぎ)氏・井戸村氏・嶋氏などでしょうか」

「……………」


私が少し考えてみる。

関所と言えば、通行の安全を銭で買う訳だ。

銭を取る以上は安全な街道でなければならない。

盗賊がでるなんて絶対にあってはいけない。

お灸を据える必要があるかな?

でも、ちょっと気になるから片目を空けて、慶次様と宗厳様を見てみる。

二人が頬を緩ませている。

仕方ない。

期待に応じましょうか!


『関所破りをしましょう』

「忍ならそう言うと思ったぜ」

「それがよろしいかと」


も~う、この二人は!

私が悩むのが馬鹿らしく思うわ。

千代女ちゃんがいれば、突っ込む所よ。


何といってもここは浅井領、浅井は六角に臣従しているから六角と揉めることになりかねない。


織田に戦争をするなと自分で言っておいて、その種を蒔くつもりかってさ!


でも、鬼のいぬ間のなんとやらね。


普通の旅人は中央の門番の前で止まり、審議を受けて関銭を払って通して貰うのですが、私達は門をくぐると門番を無視して前に進んでゆきます。


「止まれ、止まれ、止まれ!」

「はぁ、どうかしましたか?」

「ここが関所であると判っておろう」

「そのようですね」

「なぜ、ここで立ち止まらん」

「立ち止まりたくないからです」


こんな大雪が降ったとき、ここを通る人もめずらしいでしょう。

暇を持て余した代官が遊び相手と思っていると、そのままスルーしようとするので慌てました。

朝から誰も来ない門を守る門番も大変と思うけどね!


あっ、関銭(せきせん)がいくらなのかちょっと興味が湧いてきたから聞いてみましょう。


「ひとり、いくらなのかしら?」

「一人、100文目だ」


タカぁ~、高すぎるでしょう!


ちょっと待って、検索、検索…………なんと、伊勢参りの関所で100文を取ったことがあるみたい。しかも100mおきに関所を配していたとか?


お伊勢さんに参拝したら、すかんぴんになっちゃうわよ。


いくつ関所があったのか知らないけど、そりゃ一揆が起こるわ!


でも、守護(大名)クラスが集団で移動するときは税と取らないのか。


揉めることは避けたみたいね!


人夫を集める時に、伊勢経由は船賃が高くつくと長門君が愚痴っていたけど、10月から再開すると余り変わらなくなっていた。


こういう裏があったのか!


こりゃ、織田以外の関所の関銭も調べさせないといけないわね。


「おい、聞いているのか!?」

「あぁ、ちょっと待ってくれ。もうすぐ、こちらに戻ってくる!」

「しばしお待ちを」


慶次様は相手をちゃかすような口調でおちょくり、宗厳様は殺気を放って恫喝すると門番の兵達がビビッていました。


確かに架空の画面を目で追って見ているけど、二人もちゃんと見えているのよ。

判っているけど、無視しているだけだからね。


「まぁ、こんなものでしょう」

「帰ってきたみたいだ。言っていいぞ!」

「さあ、払うのか、払わぬのか?」

「100文は高いわ。10文にしておいて!」

「できるか」<怒>

「じゃあ、払わない。最初から関所は破るつもりだったしね」

「ぐぅぐぅぐぅ、愚弄するか! 者共、掛かれ!」


どだぁ!

(はぁ?)

関所の代官が号令を掛けた瞬間、6人の門番が膝を崩して倒れた。


「歯ごたえがねいな!」

「わぁあぁぁぁ、どうなっている」


どうなっているって見た通りよ。

号令を掛けた瞬間、慶次様は雪の上に槍を差した。

そして、慶次様と宗厳様が素手で襲い掛かり、前3人と後3人の門番を瞬殺した。


あぁ、殺してないわよ。


代官は目が点になっている。


あと4人も残っているけど、二人はどう見ても文官、もう一人は代官の補佐という感じであり、強そうに見えない。


守兵6人じゃ足りなかったみたいね。


私を睨んでいた代官は、突如ジャンピング土下座を敢行する。


「お許し下さい。これを職務ゆえに」


恥も外聞もない。

只管謝る。

とにかく、謝る。


「じゃあ、通らせて貰うわよ」

「どうか、関銭を」

「中々、根性あるわね」


地面におでこを擦り付けて、「伏して、伏して、伏して、お願いする」と縋り付くように懇願している。


「どうか、どうか、関銭をお支払い下さい」

「どうしてそこまでするのぉ? 別に命を取ろうとか言ってないのよ」

「我が主君は浅井氏の重臣の大野木土佐守木秀資様でございます。この度、弟君の大野木国茂様を烏帽子親として、嫡男の大野木 秀俊(おおのぎ ひでとし)様が成人されました。この役所事は秀俊様の初仕事でございます。仕事を受けて二日目に関所破りを許したとあっては、秀俊様の沽券に関わります」

「なるほど、よく判ったわ」

「お判り頂きました」

「うん、それも払わないから」

「そぉ~いわずに!」

「主人に伝えておきなさい。盗賊に襲われるわ!100文と高い関銭を言われて、尾張の竹姫はすこぶる機嫌が悪かった」

「た、たけひめ!?」


後の二人が小言で言っている。


「赤鬼様か!」

「三河50万人を皆殺しにした!」

「今川の民も虐殺したという」


コラぁ、50万人とか数が増えていないか?

それに今川は私じゃないよ。


「とにかく、関所を設けるなら盗賊をちゃんと始末しなさい。関銭も10文以下する。さもなけりゃ、暴れちゃうよ」

「ははぁ、しかとお伝えさせて頂きます」

「じゃぁ、慶次、宗厳、行きましょうか」

「「はぁ」」


そう言って、私達は関所を破った。


 ◇◇◇


それを聞いた大野木土佐守はすぐに小谷城の浅井 久政(あざい ひさまさ)の元に走った。


「なんだと、織田が攻めてきたと申すか!」

「はぁ、少数でございますが、精鋭を連れて関所を破って湖北に侵入しております」

「直ちに、皆を集めよ」


なんか、大事になっていったみたいです。


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