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信長ちゃんの真実 ~間違って育った信長を私好みに再教育します~  作者: 牛一/冬星明
第2章.尾張統一、世界に羽ばたく信長(仮)
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【閑話】足利義藤(義輝)、将軍宣下の事(4)<三長慶の一本釣り>

この『大将軍宣言の儀』でもっとも話題に残ったのが、引付衆の最後に呼ばれた御仁が三好孫次郎(後の長慶)でした。


大広間は将軍を上座において守護は左右に分かれて、互いを見るように座っており、その以下の守護代、地頭、地頭代、領主(国人・豪族)は後ろに並び正面を向いて座っていました。大広間の外の庭に家臣や兵が立って、将軍になった宣言を聞いていたのです。


将軍の後に内談衆・番衆が控えています。


その内談衆の筆頭が朽木稙綱であり、先ほどから将軍の代わりに人事を発表しているのです。


内談衆・番衆は位から並べると三職・御相伴衆・国持衆・准国持衆・国持衆並・御供衆・御部屋衆・申次衆・内談衆・番衆(書院番・奏者番・使番)と下から数える方が早い低い身分ですが将軍の直臣です。


他にも政所に組みする武家の礼法を指導する執事の伊勢氏、政所代の蜷川氏、寄人、公人なども並びます。


こちらは朝廷・公家衆と付き合う為に必要な人材です。


幕府の組織を大きく分けると、外様衆と御家人に分けられます。


外様衆とは、守護など地方に勢力を持つ者です。

御家人とは、内で幕府の運営する直臣です。


でも、直臣であっても領地を貰って領主をしている者もいますから線引きがむつかしい!


朽木稙綱が上洛して来てくれた守護・守護代に管領・評定衆・引付衆の役職を与えゆきます。


最初は下段に控えていた守護代が将軍に呼ばれてあいさつをすると、役職をもらって後に座ってゆきます。


守護代ですが守護並に扱うという将軍の意思の表れです。


そんな中に守護でない2人の者が例外として座っていたのです。


そう、織田信秀と三好利長(後の長慶)です。


将軍より先だって(いくさ)で非常に貢献した者をねぎらいの言葉を送る為に控えていたのです。


呼ばれた守護代が引付衆の役職を貰って、二人の後に座ってゆきます。


まるで、守護代と筆頭と次席のように思える光景でした。


しかし、三好利長(後の長慶)は守護代ではなく、領地を持つ地頭の一人に過ぎないのです。


「最後、引付衆に三好利長………すみません。読み間違いました」

「間違っておらんぞ」

「いいえ、間違っております。三好利長は地頭に過ぎませぬ。引付衆は守護代以上と決められましたのは、公方様ご自身でございます」

「おぉ、そうであった」

「では、これにて」

「待て! まだ終わっておらん」

「しかし、どうされますか?」

「利長が守護代であれば、問題もあるまい」

「その通りでございます」


足利義藤(義輝)は三好孫次郎(後の長慶)を引付衆にする意思を込めて、朽木稙綱もはじめから知っていたように口を合わせます。


猿芝居です!


「(管領)晴元、先だって戦の褒美がまだであったか?」

「なんのことでしょうか?」

「利長には如何なる褒美を与えた」

「存分なる土地を与えました」

「それはおかしいぞ。先だって戦は見事であった。一国を与えるに値する。摂津守護代にしてはどうか!」


一同が理解します。

(織田)信秀の次に三好孫次郎(後の長慶)を座らせていたのか!


そう、孫次郎(後の長慶)を摂津守護代にさせよという将軍の意思だったのです。

しかし、(管領)晴元は孫次郎(後の長慶)の父が叛旗を翻したことがあったことを覚えており、孫次郎(後の長慶)も何度か反抗的な行動をとっていました。

それゆえに未だに信用しておらず、奉行にすらしようとしないのです。


況して守護代を認める訳もありません。


「それは守護職の専権事項でございます」

「確かにその通りである。将軍が守護代を指名する訳にはいかん。(管領)晴元の言う通りである」

「ご配慮、ありがとうございます」

「だが、利長は守護代相当の力があると思うが、そうは思わぬか?」

「若輩もの故に、今しばらく経験を積ませたいと思います」

「ならば、誰を守護代に据える」

「先だって戦の総大将(・・・)であった(三好)政長を当てように存じます」

「なるほど、あいわかった。東半国守護代を(三好)政長、東半国守護代を利長(長慶)にするのであるな。よき配慮である。政長、ここにこれ!」


(三好)政長が後ろから立ち上り、ゆっくりと前に左右に並ぶ守護達の視線を浴びながら前に進み、将軍に頭を下げます。


「利長、そなたも前にこれ」


孫次郎(後の長慶)は守護の列から前に進むと立ち上り、同じく将軍の前に頭を下げました。


これは将軍が諦めていません。


足利義藤(義輝)は三好孫次郎(後の長慶)を守護代にしろと、管領の(細川)晴元に押し通そうとします。


「面を上げよ」


二人がゆっくりと頭を上げます。

見えない火花が飛び散っているようです。


「先だっての(いくさ)の采配、誠に見事であった。褒めてつかわす」


(織田)信秀とまったく同じ口上です。

お褒めの言葉に二人がもう一度頭を下げます。

腰から扇子を抜くと、ポンポンと手で何度か叩きます。


「摂津守護代は(三好)政長のみでございます」

「そうか、ならばしかない。守護代を決めるのが守護の役目である。将軍が口を挟む所ではない」

「ご理解頂けましたか」

「うん、判った。諦めるしかあるまい」


軍配が管領の(細川)晴元に軍配が上がったと誰もが思います。


「ところで管領職は将軍が決める専権事項であったな」

「はぁ、公方様より拝領したしました」

「それをここで召し上げようと思う。異存はあるまいな!」

「約定をお破りになるつもりですか?」

「約定に従って晴元を管領職にした。すでに約定は果たした。しかし、その後、正しく褒美を与えられぬと判明したので、それでは天下の采配が心もとない。故に預かりおくことにする。丹波・摂津守護として采配を見させて貰い、後に改めて与える」

「そのような勝手が許されると思うか!」

「天下の采配に不安がある者を管領職に据える方が将軍にあるまじき行為である」

「なんという横暴か、それに某は丹波・摂津………山城の守護でございますぞ」

「守護は国を守るから守護である。国を守らずに逃げた者を守護に据えるのはおかしいと思わぬか。先の将軍はその責を負ってご退位頂いた。山城の職務を放棄した晴元の山城守護職も召し上げる。その力量を示せば、返してやろう」

「儂を敵にするつもりか?」

「掛かってくるなら受けて立つぞ! 近衛大将より守備兵1万をお借りできるになっておる。さらに直臣に5,000もいるぞ。(細川)晴元には及ばんが一戦には十分であろう」

「本気でございますか?」

「安心しろ! お主が丹波か、摂津に戻るまで手を出さん。将軍が恥じる戦はできなんからな。もう一度言うぞ。三好孫次郎利長(後の長慶)は一国に値する働きがあった。摂津半国守護代とせよ」

「まだ言いますか?」

「差配が間違っておれば、口出し致す」

「浅はかな! ここにいる者が将軍に力を貸すとでも思っておられまするか?」

「そんなことを思っておらん。将軍と管領、どちらが強いか、見比べておるのよ。ゆえにお主の振り降ろす刀を受けねばならん。だが、勘違いをするな! 俺は刀を受けているだけで味方する諸将が集まってくるが、晴元に集まってくるか?」

「当然でしょう」

「本当に当然か? 諸将の顔色をよく見た方がよいぞ」


はぁ、そう言われて管領(細川)晴元が振り返ってしまうのです。


味方するのは、褒美が欲しいからです。


将軍は活躍に対して正しく褒美を与えると言っているのに対して、管領(細川)晴元は褒美を出し渋るというレッテルを張ったのです。


将軍に付けば、管領(細川)晴元の丹波・摂津の土地が手に入る可能性があるのです。


否、丹波国守護代の内藤 国貞(ないとう くにさだ)が目を白黒していた。


もし、(いくさ)になれば、どちらにつくかを(内藤)国貞は決めかねていました。


動揺する国貞、それを義藤(義輝)は見逃しません。


「国貞、戦となったら、思う存分に力比べを致そうぞ」

「滅相もございません。公方様に逆らうことなどできましょうか」

「ならば、共に戦ってくれるか?」

「それもご容赦下され」


管領(細川)晴元は丹波国守護代の返答に背筋を凍らせます。


丹波国守護代が味方に付かないことを焦ったのでありません。

すでに力を失っている守護代です。


まぁ、元々内藤家は(細川)高国派であり、波多野稙通や三好政長の追討を受けて居城の八木城を追われています。氏綱が決起したときも立ち上げって、次に三好長慶に世木城を落とされており、守護代と言っても実権はほとんどありません。


実権は八木城に入った波多野氏に移っていたのです。


波多野稙通は高国が死亡すると、高国派を裏切って管領(細川)晴元に寝返ってくれて丹波を統一しています。しかし、(波多野)稙通が享禄3年(1530年)に亡くなると、(波多野)晴通(はたの はるみち)が後を継ぎますが、元々高国派だった家臣も多く、信用できなくなっていたのです。


さらに晴通の妹は孫次郎(後の長慶)に嫁いでいるので、孫次郎(後の長慶)と管領(細川)晴元とどちらに付くか怪しかったことを思い出します。


孫次郎(後の長慶)が将軍義藤(義輝)と管領(細川)晴元のどちらに付くのか?


孫次郎(後の長慶)と(三好)政長のどちらが、丹波・摂津・河内・和泉の支持を取り付けるのか?


管領(細川)晴元は将軍と戦い前に二つの洗礼を受けることに気づかされたのです。


管領(細川)晴元の心が揺れます。


孫次郎(後の長慶)はまさか、将軍と心中するつもりではあるまいな?


我が家臣(丹波・摂津・河内・和泉)は儂をよもや裏切ることはあるまいな?


管領(細川)晴元は孫次郎(後の長慶)や三好義賢(実休)や畠山尚誠や松浦興信などの顔を窺います。


皆、管領(細川)晴元に視線を集めています。


細川氏綱、畠山政国、遊佐長教、細川国慶などの顔を見ると、頬がわずかに上がっているのが伺えます。


こやつらは将軍に付くつもりか!


拙い、拙いぞ。


だが、氏綱が立てば、和議を成立させた六角の面目を潰したことになるぞ…………!


はぁ、管領(細川)晴元はとても大切なことを思い出したのです。


将軍義藤(義輝)の烏帽子親が六角定頼であったことを思い出します。


烏帽子親と言えば、親同然です。


六角が味方に付くと言った瞬間!


管領(細川)晴元は自分が危うい所に立たされていることに気がついたのです。


謀られた!


周りの動向を気に掛ける管領(細川)晴元と悠然と返事を待っている将軍義藤(義輝)は対照的でした。


誰もが勝負の行方を察していました。


「判り申した。利長を摂津半国守護代と致します」

「よく申した。褒めてつかわす。よかったな、利長」

「ありがたき幸せ」


孫次郎(後の長慶)が管領(細川)晴元の方に向き直すと頭を下げました。


「(朽木)稙綱、続けよ」

「三好孫次郎利長、引付衆を任じる」

「ははぁ」

「儂からの褒美じゃ。室町幕府料所河内十七箇所の代官を命ずる。晴元、幕府料所じゃ、異議はなかろうな!」

「承知致しました」


孫次郎(後の長慶)が震えていました。

やっと悲願が叶ったのです。

男泣きでした。


「よかったな」

「ありがとうございます。このご恩、一生忘れませぬ」

「大義であった」

「ははぁ」


見事な一本釣りです。


おそらく、三好孫次郎利長は将軍の手足となって働くであろうと誰も思います。


将軍の鮮やかに守護らも感動を覚え、同時に背筋が凍るほどの危険さを覚えたのです。


 ◇◇◇


「というが、私の聞いた将軍宣下の話よ」

「私の知る歴史とちょっと違うわね」

「そうね! 忍の歴史書には将軍は晴元と氏綱方に寝返った三好長慶と戦うことになっていたわね」

「そんな感じ!」


那古野に夕食を食べにきた私は千代女ちゃんから報告を兼ねた情勢を聞きます。


私の知る歴史との変革がどこまで広がっているのかと首を傾げます。


まぁ、いいか!


「それより忍、織田領を出るのに何日掛かっているのよ」

「いや、すぐに出るつもりだったのよ」

「だったのよじゃないでしょう。まったく」

「ははは、みんな雪が悪いのよ」


雪で困っている不破・関ヶ原の民を見て、雪中で用いる藁で編んだ藁靴を作っている間に正月を迎えてしまったのです。


「いやぁ、豪華絢爛、信長ちゃんと一緒に食べたかったけど、今日は無理ね!」

「私もそろそろ戻るわ」

「千代女ちゃん、信長ちゃんのことよろしく!」

「頼まれなくてもやるわよ」

「だね!」


みんな、幸せそうでいいことずくめ、でも、私のおせっかいは治りそうもなかったのよ。


閑話には、六角定頼のお忍び、朝倉宗滴の尾張来訪、北条幻庵の交渉、千代女の嫁入りがあるんですけど、みんなびっくりするだけの話だから省略します。


また、書く機会があれば、書くことにします。


これにて、天文15年後半の第2章は終了となります。

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