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信長ちゃんの真実 ~間違って育った信長を私好みに再教育します~  作者: 牛一/冬星明
第2章.尾張統一、世界に羽ばたく信長(仮)
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【閑話】足利義藤(義輝)、将軍宣下の事(2)

領地の分配も問題なく終わりました。


松浦興信が岸和田城に戻ることができ、畠山尚誠が河内長野の烏帽子形城(えぼしがたじょう)に入り、河泉街道などの交通の要所を(細川)晴元方が抑えました。他にも飯森山付近に三好政勝(宗渭(そうい)が入り、摂津榎並城主として三好政長が室町幕府料所河内十七箇所を代官として統治することが取り決められました。 


三好孫次郎(後の長慶)は父である(三好)元長(もとなが)が統治していた代官職を求めたのですが(細川)晴元が拒絶し、これまで通りの(三好)政長が統治することで落ち着きました。


六角の口添えもあり、三好孫次郎(後の長慶)は摂津の支配地を拡充したが、一番の功労者にしては控えめな功績だったのです。


ただ、誰がこの(いくさ)を終わらせたのは明らかであり、摂津・河内の国人や豪族の心がどちらにあるのかなど知る由もありません。


戦の後始末をしている間に1ヶ月が過ぎ、孫次郎は河内国守護代の遊佐長教の娘を娶ったのでした。


 ◇◇◇


話は少し前後しますが、天文15年11月13日(1546年12月6日)に将軍義晴の嫡男である菊童丸が六角定頼を烏帽子親として元服して義藤(よしふじ)(後の義輝)と名乗りました。


六角 定頼(ろっかく さだより)山科 言継(やましな ときつぐ)と謀った上で、騒動決着の為に将軍義晴に退位して頂き、院政を引くことを薦めたのです。


最初は渋っていましたが、(六角)定頼が管領(細川)晴元方に付くと表明し、(細川)国慶の兵も朝廷として動かないと言継のおっさんがいうと、将軍義晴の顔から血の気が抜けたのです。


「定頼、儂を見捨てると申すのか!」

「見捨ててはおりません。見捨てておりませんからご退位を願い、院政を引くことを薦めております」

「山科卿、京の護衛はどうする」

「それは大丈夫や!」

「しかし」

「なぁ、氏綱はんを支持してもうたんや! 管領はんも今のままでは矛を降ろされへんやろ。責任を取って退位して、息子はんが改めて(細川)晴元はんを管領に指名すれば、丸う収まる。これしか、方法はあらへんって!」

「院を築造する費用はこちらが持たせて頂きます」

「判った。よきにはからえ」


急に(六角)定頼が菊童丸の元服を言い出した理由を知ったのです。


こうして、天文15年11月19日(1546年12月12日)(足利)義藤は正五位下に昇叙し、左馬頭に任官されます。


準備が整った上で、(六角)定頼は進藤貞治と平井高好を三好孫次郎(後の長慶)に送ったのです。


12月1日、(細川)国慶は帝より一時帰国することが許されて、3,000人余りの家臣を連れて戻ってゆきました。残り1万人足らずは京に留まり、京に家族を呼んで役目を続けることになります。


言継のおっさんが雇っていた傭兵もここでお役御免となり、契約解除者と守衛・人夫方などに任命される者に分かれます。


同日、幕府の御用達(ごようたつ)の申し出が受け付けと、京守護の兵が募集されます。


これには言継のおっさんも首を捻りました。


何でも左近衛大将の一条 兼冬(いちじょう かねふゆ)と右近衛大将の近衞 晴嗣(このえはるつぐ)に(足利)義藤が京守護の先陣を切らせて頂くと、元気に挨拶に来たそうです。


まぁ、左馬頭を拝命した訳ですから、検非違使を補助して都の治安維持の業務にあたるのは当然です。検非違使が不在ですから、近衛大将にあいさつに行くのも筋が通っていますが、そこで家臣を雇う許しを得たのです。


次期将軍なのですから、一声かける必要もないのですね?


京を守護する兵の動員する許可を貰う当たりはちゃっかりしていたのです。


集めた兵を空いた住居に入れさせたのです。


次期将軍の兵だけど、左馬頭の兵でもあるので入居OKだよね!


利用されました。


さて、武家として将軍の直臣を募集すると聞けば、夢見る武将が将軍の元に集った訳です。


待遇は悪くなりますが、『手柄次第で一国一城に取り立てる』という一言が男達の心を揺さぶったみたいですね。


いくら勇ましいといっても、右近衛大将の近衞晴嗣が京の外に外征するとは誰も考えません。


元百姓らは生活の安定を考えますが、お家再興や立身出世を企む武将らにすれば、物足りないのも当然だったのです。


そこに次期将軍様が「一国一城の主にしてやるぞ!」という一言が、獣のような武将達の心の火を付けたのです。


安い銭で兵を雇う実に巧いやり方です。


解散式の最後に幕府直臣の募集が発表させたことで多くの者を集める結果になったようです。


新規開店のオープニングスタッフ募集じゃないぞ!


ただ、流民や卑賤や川原者なども雇い入れたのには、言継のおっさんもこれにはびっくりです。


格式高い将軍家と思えない大胆さでした。


 ◇◇◇


天文15年12月20日(1547年1月11日)足利義藤は宮中で従四位下征夷大将軍宣下を受け、第13代征夷大将軍を拝命しました。


これには斯波 義統(しば よしむね)、織田信秀、平手政秀も参列したのです。


ここでも織田に対する厚遇ぶりが目立ちました。


そもそも守護であっても正式に官位を拝命していない者は同席できません。

拝命していたとしも正六位上以下も駄目であり、従五位下以上でないと殿上に上がれないのです。


ですから、信長ちゃん(・・・・・)代理(・・)である平手政秀の持つ従七位上監物主典の官位では拝殿できません。


そこで急遽、従五位下大監物に昇進して、信秀と一緒に参列させた訳です。


征夷大将軍の拝命を見るなど、凄く名誉なことなんだって!


よく判らん。


昼より、幕府(仮)御殿の大広間で『大将軍宣言の儀』が開かれます。


こちらは守護・守護代・幕臣・家臣に将軍になったことを宣言する為のものであり、宮中に参列できなかった者もすべて集められます。


部屋に入れない地頭や地頭代、国人、豪族らは次の間に控えています。


雇われた直臣の兵らも庭に並んで宣言を聞くのです。


第13代征夷大将軍になったことを宣言し、皆から祝いの言葉を貰うと、三官の長より順番に役職を申し伝えてゆきます。


最初は細川晴元です。


管領(かんれい)を申し付ける。畿内、日の本を安んじるそうに」

「ははぁ」


読み上げているのは、直臣の朽木稙綱です。


「晴元、いろいろとわだかまりがあるかしれんが、私を助けてくれ!」

「畏まりましてございます」

「そうか、その言葉を聞いて安心した。よろしく頼む」


管領は将軍を補佐して幕政を取り締まる最高職です。

将軍は何の実権もない神輿ですから、事実上の日の本の頂点になります。

そのことを参内した探題・守護・守護代の前で宣言したのです。


代理といえども、南から順に大友・大内・尼子・一条・河野・阿波細川・畠山・筒井・六角・京極・土岐・斯波・朝倉・今川・武田・北条・上杉・伊達・南部・安東などが参列しています。


一ヶ月でよく集まったものです。


西日本の参列者は正式な国府によって送られた参列者であり、関東より北は京にいる者が(勝手)名代として参加しています。


要するに連絡が間に合わないから、自分で自分を名代としますと宣言した人達ってことね!

(手紙送ったけど、間に合わないから仕方ないよね)


幕府も多い方がいいので全然OK!


北条は尾張で知って帆船を回して貰って間に合わせました。


今川は北条によって知らされると丁度知らせが来ており、北条に便乗して帆船で使者を堺まで送って貰ったのです。


今川に身を寄せていた信虎は武田に手紙を出しましたが、万が一に備えて自身も帆船に同乗したとか!


帆船の大砲と火槍砲を食い入るように見て、質問責めにしたそうです。


船長の口癖が『軍事機密です』になったとか!?


武田晴信もすぐに名代を送りますが、時期が悪すぎました。


そう『冬』です。


雪に阻まれて使者の一行に困難が圧し掛かります。


しかも、先触れを出して通過の許可を貰ってから進むのです。


これで間に合ったら奇跡ですよ。


諏訪を超えると行軍速度が一気に上がりますが、不破の関まで来た所でタイムアウト!


武田信虎が勝手名代として参列したのよ。


一時的でも武田当主に戻って上機嫌だった。


そして、守護(名代)は一人一人、将軍に祝いの言葉を掛けることが許されます。


「我が息子は諏訪も治めておりますが、諏訪守護も頂けませんか?」

「信虎、おぬしは勝手に来たのであろう」

「貰う分には叱られもしますまい」

「ははは、小笠原や村上を従えた後に考えてやろう」

「よろしく、お願い致します」

「ところで暇を持て余しておろう。どうだ、我が直臣となって騎馬500騎を率いる気はないか?」

「公方様の直臣でございますか?」

「嫌か!」

「もったいないお言葉、かたじけのうございます」

「では、引き受けてくれるな」

「ははぁ」


あいさつに来た者をその場で引き抜く。


第13代征夷大将軍義藤は型破りな将軍だったようです。

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