【閑話】足利義藤(義輝)、将軍宣下の事(1)
三好孫次郎(後の長慶)は高屋城を包囲しながら堺に訪れて、食糧と傭兵の段取りをつけます。
一方、松永 久秀は河内・和泉・大和の国人と豪族への寝返りを唆していました。
戦はこれで終わりではないのです。
今、囲んでいる高屋城の兵を河内・和泉・大和の兵と総入れ替えし、総大将を畠山尚誠・松浦興信に置き換えて、摂津・四国衆が山城に上がって入京しなければ、(細川)氏綱の有利が再び芽を出す危険性が残されていました。
そりゃ、高屋城を力攻めで落とせればいいのですが、被害をこれ以上増やしたくないので、(細川)氏綱らが根を上げるまで待つしかないのです。
つまり、将軍(足利)義晴が(細川)氏綱支持を打ち上げたままであり、京には氏綱方の(細川)国慶の兵が1万3,000人も残っている。
この2つを排除しないと、『舎利寺の戦い』が終わったとは言えないのです。
しかし、そんな(松永)久秀の努力を無に介する使者が訪れたのです。
そうです。
六角定頼が和議の使者として被官の進藤貞治と平井高好を送って来たのです。
「ここで六角が邪魔をするか!」
「殿、短慮はいけません。今、六角と争えば、我らは負けます」
「久秀にしては随分と弱気だな」
「まずは使者と会い。その思惑を確かめることが寛容かと」
「兄者、我々は勝っておる。弱気になる必要はありませんぞ。京に攻め上ってこそ意味がある。ここで矛を収めては死んでいった者に顔向けできませんぞ」
「うん、義賢(実休)の申す通りだ。和議はせん。だが、使者には会おう」
三好孫次郎(後の長慶)は弟の義賢(実休)の意見を採用した。
使者となった進藤貞治は後藤氏と共に『六角氏の両藤』と呼ばれて重用された重臣の一人です。また、平井高好も六宿老(後藤賢豊、蒲生賢秀、三雲成持、進藤貞治、目賀田綱清)と呼ばれている一人です。
つまり、六角定頼は六角の重臣2人を送ってきているのです。
頭ごなしに断れば、六角に喧嘩を売るようなものです。
「お待ち下され!」
「久秀、おまえらしくないな!」
「反対とは申しません。ただ、お覚悟をお聞きしたいのみでございます」
「覚悟とは?」
「将軍・六角・氏綱の連合軍と本気でお戦いになる気があるのですか?」
「まさか」
「そのまさかでございます。六角の使者は宿老の二人、六角は本気でございますぞ」
「何を恐れる」
「義賢様、六角を怒らせれば、三好は滅びますぞ」
「我らが勝てんと申すか!」
「勝てないとは申しません。半数以上を失う覚悟があるかと申しております」
「六角、それほどのものか?」
「六角は織田より500の鉄砲を仕入れております。さらに、京に1,000丁の鉄砲がございます。戦をするとなれば、織田よりさらなる物資が送られてくるでしょう。鉄砲と火薬玉が我らの前に塞がりますぞ。半数は討死する覚悟で突撃を行わなければ、全滅すらありうる。私はその覚悟を聞いておるのでございますか」
普段は大人しい(松永)久秀が声を荒げて覚悟を聞いてきたのです。
三好孫次郎(後の長慶)は目を閉じて考えます。
三好兄弟らは(松永)久秀に“この臆病ものが!”と激しい罵倒を向けています。
周りの諸将が小さな声で噂話をするのです。
「堺の商人から聞いた話ですが、織田には南蛮船があり、たった5隻で駿河の町を焼き滅ぼしたとか」
「公家様が言っておりました。駿河の屋敷を燃やされたが、尾張で新しい屋敷を貰ったそうです」
「それはどういうことだ?」
「敵対すれば、容赦ないが味方であれば、施しを行うと言っておりました」
「これも噂ですが、六角様は織田に娘を嫁がせるそうですぞ」
「娘などおりましたか?」
「何でも尾張にいた望月殿の娘を呼び戻し、六角様の養女として嫁がせるそうだ」
「となると、六角と織田は同盟関係ということですな!」
「そう言えば、戦勝を祝う将軍の使者で使わせたのは、六角の嫡男であったな!」
「そうだ。将軍が斯波氏に尾張の統一を祝い、奉行の信秀を守護代にしてはどうかと進言したそうだ」
「将軍も織田に媚びを売ったのか?」
「返礼に大層な銭が将軍に送られたそうだ」
「そうそう、その銭で勝軍山の城を改修しているそうだ」
三好孫次郎(後の長慶)も織田の動向は気にしていた。
六角と争っても織田は出て来ないと思っていたが、京に兵を送っても戦をはじめからするつもりはなかった。
その兵の圧力で(細川)国慶の兵を追い出すのが目的です。
管領(細川)晴元は山城・摂津・丹波守護であり、守護のあずかり知らぬ兵が京にいることは看過できないという大義名分があるからです。
織田は出て来ないと、三好孫次郎(後の長慶)は何となく確信を持っていました。しかし、京が戦果に巻き込まれれば、出ざるを得ないように絵を描く者が現れるか!
(松永)久秀の懸念がそこにあると気がついたのです。
「あいわかった。使者殿とは白紙でお会いしよう」
「はぁ、そのように取り計らいます」
「兄者」
「慌てるな! 受け入れ慣れない要求ならば断る」
そういって評定を閉めたのです。
◇◇◇
結果から言えば、受けざるを得ませんでした。
六角は管領(細川)晴元方を支持すると言います。
されど、和議を断れば、六角軍3万が救援に駆けつけるといいます。
しかも、海上封鎖を織田にお願いする。
(松永)久秀の懸念が的中しました。
管領(細川)晴元が嫌がりそうですが、(細川)国慶の兵の退去は認められません。
(細川)国慶の兵は御所の兵であり、みだりに命令することができないからです。
代わりに(細川)国慶とその側近が京を一時退去することになりました。
管領(細川)晴元からすれば、裏切り行為と取れる将軍義晴の(細川)氏綱方を支持したことは許されない行為として退位して頂き、嫡男の菊童丸様を将軍に擁立し、改めて、(細川)晴元を管領に処すると言うのです。
将軍(足利)義晴に責任を取らせるから矛を収めろと言われたのです。
これで断れば、将軍の首では物足りないのぉ?
『天下の安寧を願わぬならば、六角が動かざるを得ませんな』
進藤貞治が凄みをつけてそう言ったのです。
三好孫次郎(後の長慶)は六角の和議案を認めるしかありません。
六角定頼は食えない御仁だと再認識します。
「但し、(細川)晴元様を説得する自信がない。説得はそちらでお願いしたい」
「もちろん、そのつもりでございます」
「そうか、頼む」
「お任せ下さい。ところで…………和議と言ってもタダで兵を引いては孫次郎殿も肩身がせもうございましょう。側室など貰う気はございませんか?」
「側室とな?」
「確か、遊佐長教に丁度よい娘がおったハズです」
「遊佐長教は良いと申しておるのか?」
「なぜ、遊佐長教の許可が要りますか」
三好孫次郎(後の長慶)もそれで納得します。
和議というのは形ばかりであり、遊佐長教が娘を差し出して命乞いしたという体裁を整えたのです。
これならば、兵士達も納得するでしょう。
実際、義賢(実休)らをはじめとする三好兄弟達に安堵の顔が広がります。
痛み分けの和議であったなら、三好は六角を恐れて和議を受け入れたと誹りを受けます。
しかし、娘を差し出して命乞いをした者達を助けるなら情け深い男だと、三好孫次郎(後の長慶)の評判を落とさずに済みます。
先に和議を強引に同意させてから花を持たせる。
六角定頼が喰えないのか、六宿老らが喰えないのか、それは判りませんが、とにかく、六角を敵にしたくないという(松永)久秀の気持ちが判った気がしたのです。
◇◇◇
三好を説得し終えると、進藤貞治と平井高好は高屋城へ入城してゆきます。
まず、遊佐長教と密談を所望し、後に細川氏綱と面談します。
まず、奪った摂津はすべて返還し、細川氏綱、畠山政国、遊佐長教の所領と地位を安堵します。
これを聞いて、(細川)氏綱はぱっと顔を綻ばせます。
但し、摂津と和泉の一部を三好方で活躍した褒美として分割し、改めて摂津と和泉の守護・守護代の指揮下に入れます。
領地は安堵するけど、分配は三好で行うと言っているのです。
これにはちょっと渋い顔です。
「安心召されよ。我らが見届け役として立ち合せて頂く。あまり無茶なことはさせません」
これだけの好条件を断る訳にいかなかったのです。
和議を同意しました。
進藤貞治と平井高好はすべてが片付いた後に、遊佐長教の娘が三好孫次郎(後の長慶)に嫁ぐことになったと報告したのです。
これに(細川)氏綱は顔を真っ赤に染めました。
「それでは我らが命乞いしたように思われるではないか?」
「ならば、六角を相手に戦をなされますか?」
「何故、六角が出てくる」
「すでに和議は同意なされました。和議を反故されるなら六角が敵になりますぞ」
「……………………」
しばらくの睨み合い。
(細川)氏綱が折れました。
進藤貞治と平井高好は余程気持ちが良かったのでしょう。
「図に乗る三好と傲慢な氏綱の鼻を折ってやったわ!」
そう後世まで語り草としたそうです。
やりがいのある交渉だったみたいね!




