70.雪斎の駿河帰還、今川の災難の事
太原 雪斎は義元の首を抱き、泣き続けた。
それでも指示だけは出し続ける。
義元亡き今、三河は敵方となった。
朝比奈の遠江衆4,582人、鵜殿の東三河勢891人、義元の駿河勢2,219人をまとめると、吉田(今橋)城へ撤退を開始した。
同時に岡崎城に残っている岡部の駿河衆8,000人、庵原の駿河・遠江衆(若武者)3,000人に撤退命令を出した。
義元討死の知らせは今川軍全体の士気を落としていた。
吉田(今橋)城に到着すると兵に食事を与えて休息を与えた。
そこに織田の艦隊が来航してきたのだ。
ドン、ドン、ドンと恐ろしい大砲の音を響かせて近づいてくる。
吉田(今橋)城で再結集をしてから帰還するつもりであった雪斎であったが、田原城の戸田 康光が兵を引き連れて近づいてくるという報告を受ける。
吉田(今橋)城を預かる戸田 宣成は康光の叔父に当たる。
宣成が謀反を起こせなかったのは、義元が残した兵が2,000人も城を占拠していたからだ。
今、織田の艦隊が近づいている。
こうなると(戸田)宣成いつ寝返るか判らない。
今川の士気は軍が崩壊しない程度であった。
戦えるものではない。
留まることが危険と感じで雪斎はすぐに出立を決めた。
後続の(岡部)親綱には参河国府より姫街道を通って、遠江国府の見付に向かうように指示を出す。
途中で鵜殿 長持が雪斎にあいさつに来た。
「雪斎様、これまでございます」
「よう付き合ってくれた」
「場合によっては敵・味方になるやもしれませんが、どうかご勘弁を」
「判っておる。達者でな!」
長持は雪斎より義元の真意を聞かされていた数少ない武将の一人であった。
おそらく、交渉が始まれば、織田への使者として頼むつもりであったのでしょう。
「難儀ではあろうかが、直ちに交渉に入ってくれ!」
「氏真様にご確認を取らずによろしいのでしょうか?」
「それで遅い。今、お主を失う訳にいかんのだ」
「ありがたき幸せ! それでは直ちに例の書状を織田に届けさせて頂きます」
死んだ当主の手紙にどれほどの価値があるのでしょうか?
同盟を持ち掛ける前段階の交渉を長持に任せるという内容の手紙です。
しかも関東を成敗した後ならば、今川家は織田家に臣従してもよいという条件付きの臣従です。
認める訳がありません。
しかし、交渉を持ちかけるには十分です。
雪斎はそれを長持の判断に任せると言ってくれています。
これは雪斎の鵜殿家を三河に残す為の策略です。
おそらく、(戸田)康光が攻めてくることになるでしょう。
しかし、織田と今川の間で同盟、あるいは、降伏の交渉をしている家を勝手に滅ぼすことは、織田への反逆と思われても不思議ではありません。
たった一枚の書状が1,000人の兵より心強い盾となるのです。
長持はもう一度深く頭を下げて居城に戻っていったのです。
もちろん、居城に戻ると家老に手紙を持たせて安祥城へ走らせます。
攻めてきた(戸田)康光がその話を聞くと悔しそうに顔を歪め、織田家の心証をよくする戦いで「謀反の意思ありと疑われますぞぉ」なんて言われると、滅ぼすに滅ぼせません。
鵜殿6城の内、3城を引き渡すことで手を打ちます。
雪斎は遠津淡海(浜名湖)の東の引馬城で(岡部)親綱と合流しました。
朝比奈 泰能は無事に合流できたことを喜びます。
足軽などの離脱者は2割に留まっているのが奇跡でした。
駿河・遠江衆が組織的に撤退を行っているので落ち武者狩りにあう危険もなく、堂々としていられるのです。
「昨晩のあれを見られましたか?」
「おぉ、遠目に見ておった」
「南蛮船、あれは厄介だ」
「海から締め上げることができるのぉ」
藤八と弥三郎は三河湾での演習を終えると、夜間訓練として渥美半島をぐるっと回って、遠津淡海(浜名湖)の沖で実弾訓練を行いました。
闇夜に響く砲撃の音と、湖の上がる水柱に上がる。
パーム樽となんちゃってナパーム弾の効果は絶大であり、湖の手前が火の海に燃え上がる様は地元民に恐怖を擦り付けた。
海の上のキャンプファイヤーです。
それを飛び越して水柱がいくつも上がるのです。
そして、朝になると東の海へ去っていったのです。
その南蛮船には、織田の旗がなびいているのでどこの船かを疑う必要もありません。
その(朝比奈)泰能と(岡部)親綱の話は、織田の船が東に去ったことが一番重要なのです。
「まさかと思うが、駿河が落ちることはあるまいな」
「判らん」
「それはありません」
話に入ってきたのは、庵原 忠胤です。
「織田の南蛮船は確かに強力ですが、駿河を制圧するほどの兵を持ち合わせていません。現に吉田城に上陸する素振りも見せなかったでしょう」
「そうか」
「言われてみれば、そうだな!」
「しかし、それならば何の為に?」
「海は織田の物という主張でしょう」
「なるほど」
「あのようなものを見せられれば、認めねばならんか」
「ならば、駿河は安心であるな!」
「帰る所がなくなるかと心配したぞ」
「ははは、よかった。よかった」
しかし、忠胤の話を各武将や兵士たちまで伝わる訳もありません。
帰る家がなくなると不安がるのです。
遠江を死守する為に兵を残すなど言えば、離散する者も現れるかもしれません。
雪斎は天竜川の西岸を諦めます。
諦めますが、何とか今川へ残るように、多くの書状を出しておきました。
曳馬城の城主である飯尾 連龍に西遠江の全権を与え、恩を売っておきます。
坊が生きておれば、こんなことにならなかったのに!
過ぎてしまったことを悔いても仕方ありません。
今川軍は悠然と天竜川を渡って駿河に兵を向けたのです。
◇◇◇
(朝比奈)泰能、(岡部)親綱、(庵原)忠胤ら三人の楽観的な観測は見事に外れます。
そうです。
駿河の城下町は悲惨なことになっていました。
攻めているハズの今川が逆に織田から攻められたのです。
(海上で威嚇射撃の訓練をしただけですよ)
駿河屋敷には家臣団が押し寄せて、如何に対処するかを氏真に問い質すのです。
御年8歳。
この夏、早川殿を妻に迎える為に急遽元服したばかりの子供に判断せよとは無理な話です。
「いかがいたしましょうか。若ぁ!」
「そぉ、なっんと」
「慌てるな! 控えよ」
そう叫ぶのは寿桂尼でした。
大きな音がしたので慌てて評定の間にやってきます。
話を聞いても始まらないので、外に飛び出して確認します。
ド~ン!
艦隊の大砲が火を噴き、沿岸にいくつもの水柱が一斉に立ち上ります。
それは海岸より遠くにある船から海岸へ大砲を撃っているのです。
別に沿岸に近づけない訳ではありません。
駿河湾の水深は2,500mです。
えっ、嘘だ、間違っている?
間違ってないよ。
マジで深海魚が生息する湾なんだよ。
普通は遠浅が日本の湾の標準なんけど、駿河湾だけは別格、沿岸に近づいて座礁とかを心配する必要のない珍しい湾なのよ。
だから、離れた所から沿岸に向けて大砲を撃っている意味はすぐに理解できた。
その気ならいつでも屋敷や町を攻撃できる!
大きな水柱と火の海が南蛮船の恐ろしさが際立たせていました。
その気になれば、駿河屋敷を撃ち崩せるのではないと、寿桂尼は背筋に冷たいものが走るのです。
「お婆様」
「大丈夫です」
寿桂尼は氏真の手を強く握って勇気を振り絞ったのです。
「あの忌々しい織田の船を成敗してまいれ!」
「寿桂尼様、それは無理でございます」
「何故じゃ、今川にも水軍があろう」
「船は木で出来ております。大砲だけならともかく、あのような火を空から降らせるものを見せられたのでは、船乗りが集まってくれません」
最大戦力を最初に見せて相手の心折る。
弥三郎の策です。
大砲の攻撃を始めて、注目が集まった所で弥三郎が考案したパーム樽となんちゃってナパーム弾の合わせ技を見せているのです。
「口惜しいのぉ」
「申し訳ございません」
「そなたを責めている訳ではない」
「ここも危のうございます。一度、賤機山城にお移りになられた方がよろしいかと」
「それはなりません。総大将がみだりに動けば家臣が動揺します。よいですか、氏真。総大将が怯えてはなりません。堂々としていなさい」
「はい、お婆様」
駿河今川屋敷は寿桂尼がふんばって混乱に至りませんでしたが、府中の城下町は大混乱です。
『泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず』
江戸湾にやって来たペリー艦隊に江戸の幕臣たちは大慌てだったと伝わりますが、そんな感じなのでしょう。
その割に江戸の大衆は落ち着いていましたが、府中では公家や商家が大慌てでした。
『『『『織田が攻めてくるぞ!』』』』
取る物も取り敢えず、逃げ戸惑うのです。
恐ろしい鉄の玉と火の粉が空から降ってくるのです。
織田と今川が戦争を始めたら城下町は火の海になるのは間違いありません。
「とにかく、はよう、はよう」
「そんなものは置いてゆきなはれ」
そんな風に慌てふためくので、屋敷の中はもぬけの殻です。
ドロボウという悪い奴はいつの時代でもいるものです。
空き家に侵入して金目の物を盗み出すと証拠隠滅に火の手を上げます。
町屋のあちこちで火の手が上がります。
織田は威嚇の射撃練習をしているだけなのですが、城下町は大変なことになってしまったのです。
瞬く間にどわわわぁぁぁと町中に燃え広がります。
「何か大変そうなことになっているのです」
「迷惑なので帰りますです」
「撃ち方止め!」
「熱田に帰還する」
織田の船は早々に南の海へと消えてゆきました。
ですが、火の手はどんどんと燃え広がります。
駿河今川屋敷まで近づかせないように、家臣達は必至に消火活動に勤しむのですが、いくつも付け火があったらしく、手がまったく足りないのです。
結局、火は一晩中燃えたぎり、翌朝になって鎮火しました。
帰ってきた公家衆や商家たちはすべてが燃えてしまった城下町を見て落胆します。
雪斎たちも駿河に入ると、その悲惨の状況に落胆しました。
織田はここまでするのか?
(誤解です)
特に無理をして駿河にきた(朝比奈)泰能は駿河にある朝比奈屋敷も燃えて無くなっていたことに膝を落としました。
逆に本領を岡部に持っている(岡部)親綱には何の被害もなかったのです。
義元亡き今、雪斎は駿河と遠江の国人や豪族の手綱を引き締めねばならぬ大事な時に城下町復興という難題まで持ち込まれたのです。
してやられた!
雪斎は織田の徹底ぶりに感心するしかできませんでした。
(だからぁ、誤解だって!)
1ヶ月後、進まない復興の痺れを切らした公家衆が船に乗ります。
公家衆らは大挙してやって来て、那古野への移住を求めたのです。
地味に今川の嫌がらせかと、今度は長門君を悩ませたとか。
「忍様ぁ!」
私は〇〇エモンじゃないよ。
ここまで読んで頂いてありがとうございます。




