60.尾張統一戦、矢作川の戦いの事(2)
尾張統一戦ファイナル祭り!
統一戦最後まで投稿します。
夜明けと共に(松平広忠)岡崎勢が渡河の準備に入った牧野勢800人とその他の領主200人の背後から3,000人の岡崎勢が襲います。
「何故、味方の岡崎衆が攻めてきているのだ!」
「殿、謀反でございます。直ちにお引き下さい」
「一戦もせずに引けというのか?」
「我が軍の半数は筏に乗っており、すぐに対応できません」
「致し方なし! 筏に乗っておる者はそのまま河を下れ、他の者は我に続け、引け、引け!」
「殿を守れ!」
「広忠、この恨み、忘れんぞ!」
牧野勢が総崩れをして塵尻になって逃げてゆきます。
対岸で見ている信広もあれが芝居とは思えません。
油断というか、まったく無謀な背中から襲ったのです。
芝居ではなく、本気で殺しています。
マジで牧野勢の兵が悲惨なことになっています。
「油断めさるな!」
「判っておる」
「敵を欺くは味方よりと申します。牧野勢は何も知らされていなかったのでしょう」
「そうか、そういうものか!」
対岸の河が血で真っ赤に染まっています。
さて、信広に付き添っているのは甲冑に身を纏った將監さんです。
一週間前から護衛の一人として、信広の側に付き従っているのです。
牧野勢を破った岡崎勢は鵜殿 長持が近隣の軍を整えて近づいてきたので、慌てて渡河してこちらに近づいてきました。
整然というにはほど遠く、とにかく筏に乗ってきた感じで到着します。
西岸の渡し場は、Uの字に引き込まれた入江を作り、船着き場から階段を昇って土手を向こうに船付の渡宿があります。
渡宿の者は避難させていますよ。
対岸には、衰退する岡崎宿の代わりに天白宿が生まれています。
こちらは可哀想に鵜殿らに接収されて仮陣にされていました。
東三河衆もその周りに陣を取っていた。
天白宿は乙川に畔に作られた宿所であり、岡崎・牧野の陣と少し離れていました。
岡崎勢が裏切って牧野勢を襲っても、すぐに駆けつけられないという設定ですね!
芸が細かい!
渡し場の入り江に入ってきた岡崎勢に信広の兵達は弓と鉄砲を向けます。
上がろうとする岡崎の兵に発砲して上陸を阻止しているのです。
数少ない船から降りてきた広忠の家臣が声を上げます。
「何故、我らを撃つか!」
「敵を撃つに何の躊躇いがある」
「待たれよ」
「待たん」
渡し場は桜井松平の家臣が持ち場として配置されていました。
桜井の家臣らは去年負けたことを未だに恨んでおります。
桜井松平家は松平宗家5代松平長親の次男である信定を祖とする松平氏の庶流です。
三河国碧海郡桜井(現在の愛知県安城市)を領したことから桜井松平家と称し、十八松平の一つです。
森山崩れで信定は岡崎を簒奪したのですが、今川の支援を得た広忠に岡崎城を奪還させられ、信定は広忠に帰順することになったのです。
しかし、信定は帰順してからも広忠に従順ではなかった。
信定がなくなると、広忠派であった弟の義春の弾圧が激しくなり、信定の子である清定、家次親子は織田を頼って造反したのです。
それが、昨年(天文14年)の『広畔畷の戦い』であり、敗北して上野城を失ったのです。
さらに、今年になると品野城も明け渡すように言ってきた。
広忠への反抗心が再びMIXです!
それでも史実なら従って品野城を放棄するのですが、折しも信長ちゃんの『竹取の乱』が起きて、矢作川西岸の勢力図が一遍したのです。
これはチャンスと!
再び清定、家次親子は造反して信広を頼りました。
息子の家次は信広の与力として加わっていました。
当然ですが、家次は岡崎を取り戻す気でいます。
ここで広忠が寝返っては困るというか、絶対に認められない。
そんな思惑が交錯していたのです。
その『広畔畷の戦い』で一緒に戦ったのが酒井将監忠尚です。
(酒井)忠尚は、岡崎の(松平)広忠に許されて上野城を預かります。
上野城は矢作川の西岸にあり、岡崎城から北西に6.1kmほど離れた小さな城でした。
城主の(酒井)忠尚は命を助けてくれた広忠に忠義を示します。
しかし、城兵が100人もいない城です。
少し南に酒井の陪臣である榊原長政の下村城があり、この二城のみが岡崎方でした。
(同じ敵中でも、榊原長政は全然焦ってないけどね!)
少し北に鴛鴨城があり、十八松平家の一つ押鴨松平家の1つである当主の親久の居城です。(松平)親久は空誓に従って信広に臣従します。
南は神谷宗弘の宗定城があり、東端城の神谷與七郎の親族です。
與七郎に連れられ、那古野に臣従の挨拶に来ました。
宗定城は小さな城でしたが、矢作川に面しています。
超、最前線です。
どちらの城も織田普請で百姓1,000人くらいが避難できる二ノ丸を増築して、矢作川から水を引いて、広い掘に囲まれた城に改築したのです。
そう、気が付くと二ノ丸と水堀で囲われた総堀の城ができていたのです。
酒井忠尚からすれば、「何、それ?」って感じです。
誰かのせいで矢作川には土手が作られ容易に移動ができなくなり、周囲は敵の城だらけ!
周辺の発展に取り残されて百姓は離農してゆく。
たった3ヶ月で大変な様変わりです。
それでも酒井忠尚は命を助けてくれた(松平)広忠に忠義を尽くしていました。
まぁ、今川が恐ろしくて織田に寝返ることができないというのもあったでしょう。
今川侵攻に出陣したいのですが、城を空にすると奪われそうなので出陣できないという情けない状況に、必死に忠誠の手紙だけは送っていました。
お隣の榊原長政は500人の兵を送っているから話にならないのですけどね!
あとで長政が兵を送っていたのを知ってビックリしたとか!
でも、雪斎もそんな小さな城のことなど気にも掛けていません。
アウト オブ 眼中でした。
可愛そうな(酒井)忠尚です。
閑話休題。<話を元に戻しましょう>
渡宿の渡り場で岡崎勢と家次の兵が対峙しています。
家次は信じていません。
寝返ったから広忠が味方と言われて、『はい、そうですか!』と素直に理解できる訳もないし、したくありません。
広忠の寝返りは『秘中の秘』です。
家次らは聞かされていなかったし、知らせれば公開するのと同じことです。
「如何なる所存か、お聞きしたい」
「敵に弓を向けるのは当然であろう」
「我らは手筈通りに織田方に寝返った。弓矢を降ろし、道を開けたし!」
「それは異なこと。某は何も聞いておらん」
家臣同士で一悶着あったみたいです。
知らないから道を開けない。
千代女ちゃん、人事の配置まできっちりと読んでいます。
誰に知らせて、誰に知らせないか!
今川方に漏れれば、先に広忠が処分される可能性があるからと思わせます。
こっちも芝居が徹底しているよ!
遅れるように信広が本陣からやって、揉める家臣を宥めたのです。
「何をやっておるか?」
「殿、近づかれたはなりません」
「岡崎衆が来た折は、儂に知らせよと申したであろう」
「聞いておりません。いいえ、聞こえませんな!」
「家次、ここは耐えよ」
「いいえ、これは偽装でございます。騙されていけませんぞ」
「とにかく、おまえは下がっておれ!」
「降りてはなりませんぞ」
信広は家臣4・5人を共だって土手の階段を降りてゆきます。
「広忠殿はおられるか」
「これは信広様、わざわざのお出迎え、恐縮至極でございます」
信広が土手の階段を降りてゆくと、広忠とその家臣らが進んでやってきます。
「それ以上は近づくな! 近づけば撃つぞ!」
「脅すではない」
「いいえ、脅しではありません」
ダ~ン!
手を上げると一発の銃弾が放たれ、その音で広忠とその家臣の足を止めました。
「すまんな」
『いいえ! 殿を心配するのは家臣ならば、当然のことだ』
「…………」
広忠の家臣が大声で家次に聞こえるように叫びます。
それに対して、家次が悔しそうに睨みつけるしかできません。
松平同士の遺恨は深いようです。
「そこより近づくのは広忠殿一人として貰おう」
「これ、そこまでいうな」
「いいえ、家次ではございませんが、用心は必要でございます」
「すまんな。我が家臣が無理を言っておる」
「いいえ、殿の身を案じる忠臣でございます。大勢で押し寄せたのはこちらの不手際でございます」
そういいながらも広忠に二人の家臣が左右を固めるように進んできます。
「某は…………!」
「それ以上は申すな! 儂は三人程度が近づいて敵を恐れるような男ではない」
「はぁ、申し訳ございません」
信広の前で広忠とその家臣の3人が信広の前で膝付きます。
「この度の寝返りをこころよくお受け頂いて感謝の念が堪えません」
「ははは、むしろこちらが感謝する所だ」
「ありがたき幸せ!」
「そこでは遠い、もっと近こうよれ!」
広忠が一歩だけ前に進みます。
待つのは苦手という感じで信広から近づいてゆき、広忠の肩を軽く叩くのです。
「大義である」
「ふふふ、感謝致します」
信広の手が肩に離れた瞬間、広忠の手が柄を持ち、居合抜きのように真一文字に刀を放ったのです。
ぐわぁ!
信広の腹が裂けて、大量の返り血が広忠に飛び散ります。
一歩二歩と後退する信広に、止めとばかりに広忠は袈裟切りに刀を振り降ろします。
刹那!
信広を殺されぬように顔の前に両手をクロスするように庇ったのです。
ギシェ、グシャ!
広忠の刃は腕に付けていた籠手に弾かれて、軌道を変えて胸当たりから腹を裂きます。
腹辺りが横に切られた上に、斜めに裂かれたのです。
致命傷です。
ふふふ、返り血が広忠の服を真っ赤に染めたのです。
『『『 殿ぉぉぉぉぉぉ! 』』』
後の家臣団が信広を囲います。
『撃て!』
家次も鉄砲・弓に援護射撃を命じます。
ダダダ~ン!
三河衆の忠義に頭が下がります。
銃弾を恐れることもなく、家臣団が広忠を囲んで守りを固めると一団は下がり、もう一団が慌てている信広の方へ襲い掛かります。
しかし、將監さんらが信広と広忠の間に割って、襲い掛かる敵を始末します。
10人くらいの岡崎衆がすれ違い様に一人、向かって二人を切り倒し、脇差を投げても一人を始末します。
そして、ここは通さないと仁王立ちで敵に前に立ちふさがります。
思わず、敵の足も止まります。
「殿を早く運びだぜ!」
「はぁ」
「急げ、まだ息があるぞ!」
「お気をつけて」
さらに後続の岡崎衆が集まって將監さんを囲みます。
しかし、乱戦こそ、將監さんの得意とする所でした。
袈裟切りから兜割りの極意で敵を真っ二つに引き裂き、敵の中に飛び込むと敵を盾にして、縦横無尽に抗います。
気が付けば、倒れている死体が25体となっていました。
向かってくる敵を体術と間合いで躱し、敵の背後に回ってぐさりです。
將監さん、めちゃ強い!
三国志じゃありませんが、長坂橋仁王立ちです。
「俺が張飛だ、死にたい奴からかかって来い!」
まさにそんな感じです。
橋じゃなく、階段前なんだけどね!
豪の者が多い三河衆を子供扱いで蹴散らしちゃった訳です。
どれだけ凄いんですか?
ちょっとびっくりですよ。
流石に信広の首は無理と諦めたのか!
兵を下げます。
將監さんは余裕で自陣に戻ってきたのです。
將監さんががんばっている間も土手の上から家次が攻撃を仕掛けていました。
地味に鉄砲の援護射撃で護衛の数が減っていたのです。
いい援護射撃でした。
「安祥城に撤退する。伝令を!」
「畏まりました」
安祥城の家臣達は將監さんに従います。
もちろん、正体を知りません。
常に信広に付き添い、信広も意見を聞いている。
援軍で来た久月様と対等に話されているのを見ていれば、那古野・末森の関係者であるのは一目瞭然です。
そして、最後の極め付けが、腕っぷしが強いことです。
これは一角の武将に違いないと勝手に思い込みました。
信広3,500人の兵達は整然と退却を始めたのです。




